六話 ライフセーバーの少女

「どう……ですか師匠?? 少しは……前へ進んでます??」


「うーむ……どうだろうな?」


 浮き輪にすっぽり収まり、必死に両足を動かしているシエラから目を泳がせつつ、俺は曖昧な返事を返した。早速、浅瀬で水泳修行を始めたはいいものの、どうやら「泳ぐ」ということを一切経験したことが無さそうなシエラには難しいようだ。


「むー……。こんなに両足で海水を蹴ってるのに進まないなんて。いえ! きっと両足の動かし方がまだまだ足りて無いから! 見ててください師匠! 絶対に泳げるようになってやりますとも!」


 謎に闘志をメラメラと燃やしているシエラが必死にバタ足を繰り返す。だが、水飛沫が激しくなるだけでその進みは緩やかであり、この水深なら歩いた方が速そうである。

 しかし、参ったな……。泳ぎ方なんて教えられるほど詳しく無いし、どうすれば?


 困り果てていると背後からバシャっと水中から何かが跳ねたような音が聞こえた。例えていうなら水面から魚が飛び跳ねたようなそんな感じの音だ。

 急いで振り返ってみれば海面から顔を覗かせていたのは、昨日ホテルの前でぶつかったあの子だった。


「あれ……? 君は確か昨日ホテルの前で————」


「ひゃっ!? あの時ぶつかってきたお兄さん?? どうしてここに……」


「いや、ぶつかってきたのはそっちだろ!?」


 海中から姿を現した少女は当然水着を纏った姿だ。けれどその水着の形状は今まで余り見たことが無いものだった。胸元はシエラが着ているようなセパレートタイプの黒い色の水着だが、その下はまるでスカートのように長い真珠色の泳ぐには余り適していないパレオのようなものを履いている。その表情は未だあどけなさが残る幼い顔つきであり、歳の頃はシエラと同じ年代くらいのように思える。当人は驚きの余り目を白黒とさせていた。


「師匠? ————その女の子は 誰 で す か?」


「……顔が怖過ぎるよ、シエラ。昨日ホテルの前でぶつかった子だよ。誓って何も無いし、そもそも名前も知らない」


「あの……。お二人はどういった関係……なのでしょうか?」


 黒髪の三つ編みお下げの女の子は俺とシエラを見比べ、恐る恐る尋ねてきた。

 少女の質問は最もだ。俺だって未だにシエラとの関係は、どのような距離感で接すれば良いのか測りかねている所がある。

 確かに連換術の師弟の契りを交わしてはいるが、アレンさんから言われたあのことがチラついて、以前よりシエラと一緒に過ごすことが気まずくなった気もする。

 そんな俺の心中を察してくれたかどうかは分からない。けれど、必死に両足を動かしていたシエラはすくっと浮き輪を支えに浅瀬に両足を下ろすと、少女に向かいぺこりと頭を下げた。


「昨日は師匠がとんだ失礼をいたしました。グラナ師匠に代わって弟子であるシエラ・プルウェルが謹んでお詫びいたします」


「は、はぁ……。二人は師匠とお弟子さんの関係……と。一体何の?」


「連換術の師弟です! 師匠に手取り足取り教わってます!」


「手取り……足取り……。へぇー……」


 シエラのだいぶ誤解を招きかねない説明によって、少女の目付きが何かいかがわしいものでも見るようなものに変わる。

 やれやれ……。これは、誤解を解くのに相当苦労させられそうだ。


「何か勘違いしているようだが、やましいことなんて何も無いからな」


「非常に疑わしいですが、その心底頭が痛そうな顔に免じて見逃すこととします。じー……」


「言ってることとやってることが早速矛盾してるんだけど!?」


「……弟子の私が言うのもなんですが、師匠は女性との交友関係について無自覚なところがあり過ぎるし、もう少し私が手綱を握った方が良いのかも?」


 シエラはシエラで何やら物騒なことを口走ってる。日頃の行いというか最近になって意識し始めた鈍感、無自覚、女たらしという不名誉な印象(ラサスムの王子による客観的な見解)がこんなところで露見するとは……。本気でなんとかしないとこのままだと本気でシエラに主導権を握られかねない……。


「ありがとうございます! おかげで師匠の駄目駄目で直していかないといけない点が、はっきりしました! えっと……」


「そんな、お礼を言われるほどじゃ。あ、自己紹介がまだでした。————初めましてペルセ・シェルダンといいます。よろしくシエラさん」


「ご丁寧にありがとうございます! 私はシエラ・プルゥエルです」


「……グラナ・ヴィエンデだ。シエラの連換術の師匠を務めている」


 やや話は脱線したが、お互い自己紹介をようやく済ませる。

 ただ、一つだけ気になったことがあった。


「ところで、今日このビーチは俺たちの貸切と聞いてるが、ペルセはホテルの関係者なのか?」


「————はい、そうですよ。ライフセーバーが私のお仕事なので」


「らいふせーばー?? ってなに? ペルセさん?」


「海を泳ぐ人達が溺れたり、潮流で沖に流されたりしないように見張るお仕事です。こう見えても泳ぐのは得意なので」


 海になど滅多に来ない俺とシエラは目が点になる。広義の意味で言うなら救命行為の筈だが、いくら貸切とはいえホテルの宿泊客が海水浴中に行方不明になるようなことがあれば、ホテル側の過失になるのだろうか。


 しかし、こんなところで泳ぐのが得意な人に出くわすとは。

 せっかくだし、シエラの水泳特訓に付き合ってもらうことは可能かと尋ねると、彼女は快く引き受けてくれた。


「なるほど。今まで山育ちで泳ぐ機会が無かったと」


「そうなんです。だから、この機会に泳げるようになりたくて」


「分かりました。ただし……」


 ペルセはそこで言葉を区切ると、表情を一変させる。

 そして瞳をキラリと輝かせ、あらかじめ断っておきますがと前置きし、


「泳ぐとは海に入る上で人が必ず習得しなければならない命に関わる動作。私の教え方は相当厳しいのでそのつもりで」


 とシエラにニッコリ微笑みかけた。

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