五話 夏も終わりゆく砂浜で

 明けて翌日。

 絶好の海水浴日和の今日は殊更残暑が厳しい。俺とアルは早めにホテルから歩いて五分ほどかかるプライベートビーチで一日過ごす為の準備をしていた。


 砂浜には日差し避けのパラソルの下にビーチチェアが並びリゾート気分を演出している。

 紺碧の海の向こうに並ぶ大小様々な島の影を覗きながら、布製のシートを広げ風で飛ばないように重石を置いて固定する。


 夏の海ならではの必需品が入ったバッグを置き、ようやく準備が整った。


「設営完了っと。にしても遅いな? ソシエ達は」


「そりゃあ男性と違って女性は色々と時間かかるからね。彼女達の渚の麗しい姿を拝めると思えば、この待ってる間の時間もまた味があるものさ」


 海を背景にサングラスをかけたアルがきらんと白い歯を輝かせている。

 短パンタイプの水着とその上に薄い生地の割れた腹筋を覗かせるオープンシャツを着たアルは、マリンレジャーを満喫する気満々である。


 かくいう俺も同じタイプの黒い水着に、いつもは着ない真っ白なシャツ、下はビーチサンダルと準備は万全だ。海水浴なんて何年ぶりだろうか。ついこの間、水没する通路を必死に泳いでた気もするが、よく無事だったなと我ながら悪運の強さに震えた。


 夏の日差しでじりじりと肌が焼ける。待ってる間に日焼けしそうなので二人してビーチパラソルの下に退避した。


「砂漠の暑さで慣れてるとはいえ、南国の気候はやっぱりだいぶ違うねぇー」


「ラサスムは今の時期、そんなに暑いのか?」


「そりゃ、暑いなんてものじゃ無いさ。水分補給も無しに砂漠を一時間も彷徨えば速攻でミイラになるくらい」


「おい……、いくらなんでもそんなに早く身体が干からびるわけないだろ……」


「ははっ。まぁ、冗談はともかくだ。想像してみてくれ、この砂浜の向こうには海がある。けど、もし海が無くて砂浜がずーっと続いていたら気が滅入らないかい?」


「そりゃ、まぁ……」


 アルに言われた通り目を閉じて砂浜がどこまでも続いている光景を思い受かべてみた。

 波が打ち寄せる音を意識して遮断し、踏みしめている砂の大地がどこまでも続いているのを意識して、波打ち際とは並行に歩いてみる。


 より砂漠の暑さをイメージする為、サンダルを脱いで素足になる。

 日光により熱せられた地熱が足の裏より伝わり、ともすれば火傷しそうなくらい熱い。

 だが、実際の砂漠はもっと過酷な環境なのだろう。

 見渡す限りは砂の山。照りつける灼熱の日差しは容赦無く身体中の水分を蒸発させる。

 無論厳しいのは昼間だけでは無い。夜は寒暖差により気温は氷点下近くまで下がり、容赦無く体温を奪う極寒の世界と化す。


 そんな過酷な環境下での人々の暮らしとはどんなものなのだろうか?

 いつか、俺もラサスムを訪れるようなことがあれば、実際に体験することもあるかもしれない。


「砂漠にいるような感覚は少しは想像出来たかな?」


「夏の砂浜と砂漠はまた違うということは、よく分かったよ」


 すっかり熱くなってしまった足を冷やそうと波打ち際まで歩いていく。

 火照った素足が真夏と比べると少し水温が下がってきた海水によって、スーッと冷えていくのが堪らなく気持ちいい。


 ザザーンと打ち寄せる波の音に身を委ねていると、後ろの方から弟子の元気な声が聞こえてきた。


「ししょー!! アルさーん!! お待たせしましたぁー!!」


 後ろを振り返れば、ようやく到着した三人が砂浜に降りてくるところだった。

 勿論、三人共華やかな水着姿で。


「遅くなって申し訳ないですわ。手違いで手配していた水着が届いていなかったようでしたの。なので、急遽近くの専門店で見繕っておりましたので」


 赤い日傘を差しながら紫の鮮やかなオフショルダービキニの下に同色のパレオを靡かせるソシエが、俺たちが確保した日差し除けのスペースに手荷物を置く。

 特徴的なブロンドの背中ほどまである長い髪は、アップに纏められ一本に結われている。

 渚のお嬢様といった風情は流石に貫禄があり、たわわな果実を思わせる形の良い胸元に、目が吸い寄せられるのは男の悲しき性であった。


「ヒュー♪ 流石はレンブラント家の御令嬢。水着姿も絵になるねぇ」


「お褒めに預かり光栄ですわ、カマル王子。ですが、婚約者を前にして他の女性に色目を使われるのはどうかと思いましてよ?」



 すっかり眼福モードのアルを嗜めるソシエの後ろから、セシルが「こほん……」と咳払いしながら前に出る。


 普段の清楚な姿から一変、紐を首元で交差させた彼女の髪色に合わせた水色のクロスホルタービキニを真っ白なビーチガウンから覗かせていた。

 セルリアンブルーの長い髪は高めのポニーテールに髪型を変えて三つ編みに。あまり肌を露出することが無いのか、肌は白磁の様に白く今日一日でかなり日焼けしそうである。


「どうでしょうか? ソシエさんに選んでいただいたのですが————」


「あ、ああ……。その……よく似合ってると思うよ」


 恥ずかしさのあまり頬が紅潮しているセシルに、俺も目のやり場に困りながらなんとか感想を述べる。当の婚約者といえば、同じくセシルの水着姿に見惚れて声も出せないようだ。

 そういえば、皇太女の儀を控えていた時は遠慮して聞くことも無かったが、この二人は実際のところお互いをどう思っているのだろうか。

 こうやって婚約者の水着姿に釘付けになってるのを見るに、少なくともアルはセシルに好意を抱いてはいそうだが?


「えーと、どうされました? 王子?」


「はっ!? セシル様の余りの美しさに魂が抜けかけておりました。その……海に入る前に日焼け止めをお塗りになった方がよろしいかと。夏の日差しはお肌の天敵ですから、なっはっは……」


 普段以上におかしくなってるアルは置いといて、俺は愛弟子に向き直る。


「随分と遅かったな。その水着もソシエに選んでもらったのか?」


「はいです、師匠。ど……どうでしょうか?」


「————よく似合っているよ。『渚の聖女様』……かと思った」


「師匠、流石にそれは恥ずかしいです……」


 もじもじと頬を赤らめるシエラが纏っているのは、薄緑色でセパレートタイプの水着である。

 浮き輪を手に持っているところを見ると、海で泳ぐことが初めてなのかもしれない。

 陽光を受けてキラキラと輝くショートの銀髪はエレガントなハーフアップの髪型に整えてきたようだ。


 今ならアルの気持ちも分からんでも無い。

 水着姿のシエラの可愛さに、我ながら親馬鹿ならぬ師匠馬鹿だなと、思わされるくらいその姿は渚の聖女様という言葉がピッタリだった。


「グラナ? シエラさんに見惚れてるところ悪いですけど、荷物を向こうのシーハウスの近くに運びますわよ。残暑も厳しいですし、わたくし達はあまり肌を焼きたくありませんので」


「お、おう。——取り敢えず荷物を一緒に運ぶの手伝ってくれるか? シエラ」


「勿論です、運び終わったら泳ぎ方を教えてくださいね!」


「そっか、シエラは泳ぐのも初めてなんだな。分かった、それじゃ今日の修行は水泳だな。シエラは運動神経も良いし、一日あれば泳げるようになるさ」


「本当ですか!? それは楽しみです!!」


 愛弟子から眩しい笑顔を向けられて俺も釣られて微笑み返す。

 空は何処までも青くて、潮風は爽やかで最高の一日になりそうだ。

 日頃の疲れもぶっ飛ぶくらい、休暇の間だけは遊び倒すとしよう。

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