七十二話 師は弟子の成長を知る
深層領域から脱出を果たした俺達は、帝城のサロンで現状確認に翻弄されていた。
人工湖は元の景観が見る影も無く水位が目減りしており、水面に現れた右巻きの大渦が、巨岩石の巨人と化したペリドが開けた大穴であることは疑いようが無い。
異変の一つ、今や皇都全域をすっぽり包むように覆っている硝子のような円形の壁が、帝城からはよく見えた。
皇都全域に張り巡らされた水路からは、連換術協会より高濃度のエーテルが発生しているという報告もあり、予断を許さない状況と化しつつある。
何より最悪なのは、俺たちが地下遺構で討伐した巨大カエルのように、身体が巨大化した養殖魚やネズミといった生物が街中で甚大な被害をもたらしているという情報だ。
他の親衛隊も対処に動いてるようだが、連携が取れておらず情報が錯綜している。
加えて深層領域攻略作戦によって第七親衛隊と、アルの私兵部隊は満身創痍な状況。
マグノリアの異変の時以上に混沌とする状況に、俺たちも疲れ切った身体に鞭打って事態の対処に当たるのだった。
「……以上が皇都全域で起きている異常の概要になります」
「この状況下で、ここまで詳細な情報を集めていただき感謝します。水路内の高濃度エーテルの対処は連換術協会が既に動いてるようです。なので、連換術師の皆様にはこのまま事態の対応に参加してもらうよう伝令を」
「承知いたしました。第七親衛隊も動ける人員は平常時の半分程ですが、住民の避難と救出に出動いたします」
セシルからの勅令を受けたクラネスは俺たちに目配せすると、同席していた親衛隊員達を率いてそのままサロンを退出した。
残されたのは俺とシエラとセシルだけだ。アクエスは相当無理をして連換術を発動し続けた反動なのか帝城に勤めている医師より、絶対安静を告げられてベッドに寝かせられている。
「……甘く見ていました。
「それでも、セシルやアクエス、クラネスが助けに来てくれなかったら俺もシエラも助からなかった。……こんな状況だけど改めて礼を言わせて欲しい」
「師匠の弟子である私からもお礼を言わせてください。助けていただき、本当にありがとうございました!」
師弟揃ってセシル……殿下に頭を下げる。動ける連換術師ということであれば、俺とシエラも該当する。あれだけ身体を酷使した後なのに、活力は自然と漲っていた。シエラに至ってはここ四日程、満足に身体を動かせていなかったようで気合も十分だ。服装は動きにくい白いローブ姿から、サイズの小さいスカートタイプの青を基調とした親衛隊服に着替えていた。
「礼なら後で結構です。グラナ、そしてシエラさん。貴方たちは連換術協会と合流して、水路の異変の対処に回ってください。——場合によってはマグノリアの異変の時のように、二人で大量のエーテルを浄化する必要も無いとは言い切れません。大変な目に合ったばかりのお二人にこんなことを頼むのは、大変心苦しいのですが……」
「俺たちのことなら気にしないでくれ」
「師匠の言う通りです! ……師匠と一緒にいると厄介事は常に何かしら起きますから」
大真面目に答えるシエラの一言が心にグサリと来る。
お祓いも駄目ならこの体質は本当にどうすれば改善するのだろうか?
やっぱり、俺に取り憑いてる風の精霊の影響なのか?
「……マグノリアと違って皇都は広大だ。その上、全域でここまで異常が頻発してるとなると、個々に対処していったんじゃ犠牲者が出るのは避けられないぞ?」
「ええ、それだけはなんとしても避けねばなりません。この皇都の何処かに、全ての異常を引き起こしている元凶があるはずです。地下遺構で発見した白い玉……それ以外にも何かが」
焦っているのかセシルは指の爪を噛んだ。一種の自傷行為なのだろう。多忙な公務に加えてこのような異常事態に直面した一国を預かる身分の者としては、相当な心労を抱えているのは想像に難く無い。
「……微かですが、皇都より南、大河の中流域に巨大な元素の気配を感じます。その気配に七色石のロザリオが反応してるような——————」
シエラが胸元から取り出した七色に光るそれは、かって聖女が所持していたと伝えられる伝説の聖遺物だ。空想元素と呼ばれる特別な元素を封じていたそれを、聖女がマグノリアに降臨した災厄を祓う為に、己の命と引き換えに解放したとも伝えられているのは周知の通り。
それならあの幼女の振りをした強欲の化身の存在は、なんだったのかと疑問が残る。が、今はそれについて知恵を巡らせている場合では無い。
「ロザリオが反応しているということは……空想元素なのかもな。そういえばシエラがマグノリアに来たのもそれを回収する為だったか?」
「結果的には……ですけどね。でも、まさか『災厄』が実体化していたなんて……」
シエラが何故、空想元素を全て集めると『災厄』が蘇ることを知っていたのも気にはなる。
それは聖女に関して公には伝えられていない隠された真実の一端なのかもしれないが、それを聞いても良いかどうかは俺には判断がつかない。
謎が一つ解ける度に、また謎が一つ増えていく。
だが、皇都中で起きている異常に関して言えば、得体のしれない空想元素とやらも放って置くことは出来ない。
「それなら、大河の中流域の状況は俺が確認してくる。今、自由に動けるのは俺しかいないからな」
「それなら私も——」
「いや、シエラはここに残ってセシルの手伝いをして欲しい。場合によっちゃ教会……聖十字騎士団に頭を下げる必要もあるかもしれない。これほどの異常事態、教会だって坐して事態が解消するのを待つなんてこと流石に無いはずだ」
俺が言わんとしていることを察したシエラがぐっ……と唇を噛み締めている。
ここから先は如何に協力者を増やせるかが、速やかに事態を解決することに直結してくるだろう。
その為には教会と交渉出来るシエラを連れて行くわけにはいかない————。
打算的と言われようが人命最優先だ。
俺だってレイ枢機卿との一件もあるし、教会に助力を乞うなんて本当はしたく無い。
大切な弟子を交渉の材料にするなんて、師匠失格と言われたって仕方がない。
「ごめん、シエラ……。お前の立場を利用するようなことを————」
「謝らないでください、師匠」
頭を下げた俺にシエラが凛とした声で応えた。
小さな手のひらが俺の頭をくしゃりと撫でる。いつも、ポンと俺がシエラの頭に手を乗せるように、慈愛に満ちた彼女の手はほのかに熱を帯びていた。
「……今まで師匠には散々迷惑をかけました。いっぱい愛情をもらいました。沢山守ってもらいました。だから——今度は私が弟子としての務めを果たす番です」
「……シエラ」
「私のことは心配ご無用です。……師匠は師匠の務めを果たしてきてください。もう、何処にも行ったりしませんから」
「————話は纏まったようですね」
俺とシエラのやり取りを静観していたセシルが、キリッと目を見開いた。
初めて拝む彼女の普段とは違う姿に、自然と気分が引き締まる。
「シエラさん、私と一緒に精霊教会の大聖堂へと向かいましょう。私としても気の進まない案ではありますが、今は個人の好き嫌いで判断すべき場合ではありません。精霊教会にも事態の打開の為に協力要請を行います。こんな形でレイ枢機卿に借りを作るのは、非常に遺憾ではありますが」
「わ、わかりました。セシル殿下。僭越ながらプルゥエル家の一員としてお供させていただきます……!」
「……助かります。では、グラナ。そちらも何か分かったら直ぐに戻ってきてください」
「了解だ。シエラもしっかりな」
「かしこまりです、師匠。……無事に戻ってきてくださいね」
俺は返事を返す代わりに弟子の頭にぽん……と優しく手を置く。
こうやってシエラと見つめ合うのも随分と久しぶりな気がする。
やるべき事は定まった。長かった皇都での一連の騒動は、最終局面を迎えつつあるのを肌で感じつつ、異変の元凶、空想元素の気配が漂う大河の中流域へと急ぎ向かうのだった。
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