四十九話 帝立歌劇場
豪華なシャンデリアが照らす歌劇場内部は煌びやかな空間だった。貴族用の二階特等席から見えるオペラの舞台は楕円形の広い舞台で開演前の為、暗幕で中は見えないようになっていた。
客席を見れば俺達と同じように正装をしている人々が殆どだ。チケットといい、何から何まで手配してくれたソシエには頭が上がらない。
今回の演目は皇都では有名な『ローレライ』だ。その昔、荒れ狂うエルボルン大河に身を投げて、命を絶ったと伝えられる悲劇の乙女の伝承を元に作られたものらしい。
と、エントランスで貰った小冊子を黙読していた俺は、そっと階下のホールに目を落とす。
客の入りは満員御礼、今回の演目がどれだけ注目されているかが一目で分かる。
「⋯⋯すごい数のお客さんね」
「ああ、流石は帝国の音楽文化の一翼を担う歌劇団『ガルニエ』の新作公演ってところか」
心持ち緊張していそうなルーゼは俺と同じ二人掛けのシートに座っている。彼女が周囲を見回す度にお団子上に纏めた栗色の髪が小刻みに揺れていた。普段なら絶対に入ることすら叶わない歌劇場の二階特等席はホールの左右に分かれている。昨日、小聖堂で襲撃されたことを踏まえて、ここで何かが起きるという可能性は否定出来ない。——————あれほど一般人がいる中で白昼堂々仕掛けてきた聖葬人の考えは分からないが、警戒は続ける必要がある。
そこで、俺とアクエスはそれぞれ分かれて陣取ることにした。二人一緒に固まったところでこれだけの観客の避難誘導を行いながら対処出来るかどうかは分からない。
念の為、協会本部にも連絡して手の空いた他の連換術師にも協力を仰いでいる。
例の列車テロ以降、皇都の警備は第一から第七までの親衛隊が目を光らせているらしいし、奴らもおいそれと自由に行動は出来ないはず⋯⋯だ。
「大丈夫? さっきからずっと怖い顔してるけど」
「え⋯⋯」
いつの間にか皺が寄っていた眉間を解すように、ルーゼが俺の額に手を触れる。
劇場の薄暗い照明に照らされたその顔は、普段の彼女の姿からは想像も出来ないほど儚げに見える。いつもより距離が肉体的にも精神的にも近い距離まで迫られて、俺の胸は思わず高鳴る。
「顔も赤いけど、熱でもあるんじゃ無いの?」
「いや、そうじゃなくて⋯⋯」
俺が伝えたいことを即座に理解出来ない幼馴染みは首を傾げている。うなじから覗く綺麗な首筋と普段はきっちり服のボタンを閉めて見せることもない胸元も、ドレス姿なのだから当然強調されているわけで——————。つまるところ、一刻も早く気づいて欲しかった。
俺の必死な思いが通じたのかどうかは知る由も無いが、ルーゼもようやく距離が近すぎることに気づいたらしい。林檎のように顔を真っ赤にさせ、慌てて隣の席に座り直すその慌てぶりを見れば、無自覚のうちに取った行動がどんな風に見られるか意識していなかったようだ。
周囲から突き刺さる何処か生温かい視線に辟易としていると、天の救いの如く照明が落とされた。
「ほら、始まるようだぞ」
「わ、分かってるわよ⋯⋯。ねぇ、グラナ?」
「なんだ?」
「手、繋いでもらってもいい?」
「手? なんでまた」
「⋯⋯胸の鼓動が収まりそうにないの。握ってくれたら⋯⋯収まると思うから」
そこまで言われちゃ断れるはずも無い。幸い今はある意味二人きりだ。そっと横から伸ばされるルーゼの手を俺は左手で優しく包むようにそっと添える。どちらからともなく指を絡ませ合い、しっかりと握った。
俺たち二人が初々しい恋人のようなことをしていると、舞台の暗幕がようやく左右に開くのだった。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
歌劇団・ガルニエによる新作オペラ『ローレライ』は圧巻の一言に尽きた。
中世の時代、皇都で実在したとされる、本物の『水の精霊の巫女』と呼ばれた女性の短い生涯の物語。
原作は何回も改訂されて、繰り返し読まれるほど人気が高いこの悲恋の物語は老若男女を問わず愛好家が沢山いる。この歌劇場で公演されたのも一度や二度では無く、中でも一番出来が良いとされていたのが、歌劇団『ガルニエ』が公演する『ローレライ』だ。
時代背景を忠実に再現した大道具や小道具。今では滅多に開かれることの無い、華やかな宮廷舞踏会の再現のように演じる役者の人達の息を呑むような演技。そして、極め付けは歌劇団が誇る当代の歌姫による美しい歌声だ。
ローレライとは本来、歌声で船乗りを誘惑し水の中へと引き込む精霊の一種だと伝えられている存在だ。オペラの主人公である歌姫が扮するローレライは、その歌声で持って荒れ狂う大河の流れを鎮め、船が航行出来るようになった功労者としても名高い人物。
そして、隣国との戦いを終えて帰ってきた英雄達が乗っていた船を鎮めた悪魔でもある。
数々の名場面を堪能した後の最大の見せ場。最後、大河に沈みゆく恋人を助ける為に巫女がその身を投げる場面。美しい歌声と舞台装置が連動する大掛かりな仕掛けは、歌姫の熱演もあって歌劇場の興奮は最高潮に達した。相変わらず手を繋いだままのルーゼも、舞台から片時も目を離すまいと集中していた。
だが、感動的な場面であるにも関わらず俺にはその内容が頭に入って来なかった。
この透き通るような高音域の歌唱——————。何処かで聞いたことがあるような、それもつい最近に。
オペラ自体は熱狂の内に幕が降り、観客席からは惜しみない拍手が送られた。
「素敵だったね!! オペラも、ローラさんの歌声も!!」
「⋯⋯ああ、そうだな」
公演終了後、興奮したままのルーゼを連れてエントランスへと戻ってくる。
確か劇場の裏口近くに集合のはずだが、二人の姿は見当たらない。
何処にいるんだか、それかアクエスのいつもの空腹で劇場内の軽食コーナー辺りにでもいるのだろうか?
まだ夢見心地のようなルーゼも放って置けないし、どうしたものか——。
とにかく、ここで待っていても仕方が無いし二人を探す為動こうとすると背後に人の気配を感じた。
「⋯⋯グラナ・ヴィエンデ様とお連れ様のルーゼ・サンタモニカ様でございますね」
「そうだけど⋯⋯あんたは?」
「失礼⋯⋯歌劇団『ガルニエ』にてローラ・カエルム様の付き人をしている者です。連換術師であるグラナ様に、ローラ様から直々に依頼したいことがあると言伝を預かって参りました」
「は?」
どういうことだ? 俺たちはこの後、ファンを装ってそのローラの控え室に向かう予定のはずだが。それになんで、ローラが俺のことを知っている?
これは⋯⋯罠か、それとも——————。
「ローラ様の控え室はこちらでございます。お二方共どうぞこちらへ」
付き人と名乗った秘書としか見えない女性はそれだけ告げると、さっさと歩いて行ってしまった。仕方が無い、会わせてくれるというのならそれに乗っからない手は無い。
「え、え、え?? どういうこと??」
「——歌姫による直々の招待だとさ。行こう、ルーゼ」
ソシエとアクエスには後で落ち合って説明すればいいだろう。
俺とルーゼは帰路につく観客達の流れに逆らうように、歌劇場の奥へと向かうのだった。
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