Would you marry me ?

 クリスマスでも暖かいリゾートのビーチには、ユースアの首都では絶対見られないような薄着の人々が手足をむき出しにして日差しを浴びていた。それも日が暮れるとひとりふたりと消えていく。今頃かれらは、水着から裾がひらりとしたドレスや、かっちりとしたタキシードに身を包み、シャンパンを手に笑っているのだろう。故郷のユースアでは、多くの者は家族の待つ家へ、皆早足で帰っていく途中のはずだ。温かい料理と笑顔が待つ家へ。いつかのイリスがそうであったように。

 眠ることを許されないくらい色とりどりのネオンで明るい街とは、この場所は百八十度違う。トゥイの首都方面ではユースアの街と同じくらい華々しいのだろうが、富裕層の隠居場所として選ばれるような別荘地では、家々に光が灯るだけ。しかしパーティは行われていて、実際イリスも招待を受けていたのだが、今年は彼がいるからと断った。彼が何者か知っている人々は、納得した笑顔と激励をくれた。何を頑張るのかしら、とイリスはため息をついた。

 でも本当は、国に根付いた一族である彼は、異教徒の祭日よりも、その後にやってくる正月の方に手一杯で、クリスマスはあまり意識しないのだ、とイリスに説明したのだけれども。


「イリス、本当によかったのですか?」と彼はリビングから彼女を呼んだ。

「何が?」

「パーティです。招待されていたのでしょう、マクレガー夫人に」

 イリスはくすくすと笑った。

「あの人のパーティに行った私たちが、どうなるか想像できる? 目前でキスしてみせるくらいしないと部屋から出られないわ」

「なるほど、家を出るにはそれ以上のことをしてみせないと、ということ」同じようにフラムも笑い、微笑んだ。

「それに、パーティのオードブルとあなたのローストチキンなら、あなたの料理の方がいい」

「僕もです!」とフラムの前で盤を睨んでいたノイが声を上げた。

 イリスはにっこりした。「よかった。久しぶりに焼いたから自信がなくて。ノイがいい鶏を選んでくれたおかげね」

 料理はいい出来だった――照りのあるチキン、ふかしたポテト、トマトも新鮮なものが手に入っておいしいサラダができたし、チーズグラタンのクリームソースは我ながら会心の出来だった。デザートは奮発して三種のベリーのゼリー、アップルパイにはアイスクリームを添えた。ノイの褒め言葉が嬉しくて、つい食べさせすぎてしまったほどだ。

 それらの片付けを終え、リビングに戻ってくると、ノイがようやく駒を動かしたところだった。おそるおそる、これでいいのか悩んでいる様子で、なかなか駒の先端から手を離すことが出来ない。それでも、いさぎよく駒を置き、ふうっと息を吐いた。それを聞いてフラムが言った。

「〝これは、だめだ〟」

「だめ、なんですか?」ノイが不安そうに聞く。

「ええ、だめです」低い声と落ち込んだ顔。「これでは――私が負けてしまった」

 ノイはしばらく瞬きをして、顔をしかめるフラムを見ていた。やがて、それに念を押す形で、フラムは笑みを浮かべた。

「君の勝ちです、ノイ」

 フラムの言葉は心底喜びに溢れていたが、ノイの表情はそれよりもずっと弾けるように飛び出した。

「イリス!」

 歓喜と驚きでこちらを見、ボードを見、フラムを見て、またイリスを見る。信じられないといった様子に、フラムが目元を和ませた。

「よく勉強しましたね。困りました、あと数ヶ月もすると二度と勝てなくなるかもしれない」

「そんなに?」とイリスは目を見開く。ボードゲームの類はたしなみ程度、というイリスには、フラムが自分よりずっと達者であることくらいにしか分からない。そのフラムが負かされるということは、自分は絶対にノイに勝てないということだ。

「僕、もっと勉強したいです!」

「しばらくしたら、スウと交代しましょう。彼はトゥンイラン一族のボードゲームトーナメントでもチャンピオンですから」

 次期当主付きの執事の知られざる特技を口にして、ノイ、と彼は呼ぶ。

「勉強したいなら、いつでも手助けします。……チェスに限らず、です」

 イリスは、わずかに緊張したノイの肩を抱いて、そっと撫でさすった。二人を目に移した瞳を、柔らかく細めて、フラムは言った。

「家族なんですから」




「イリス」とベッドに潜り込んだ少年が呼んだ。小さく、少しだけ後ろめたいような声だった。

「どうしたの?」

 少し色の黒い少年の肌は、オレンジチョコレートみたいな色に染まっている。とてもビターで、大人っぽい色だ。ノイの瞳は、眠たげなせいでいつもより子どもだけれど。

「明日ってクリスマスなんですよね」

「そうよ。でも、トゥイではあまりお祝いはしないのね。残念だわ。あなたに、何の言い訳もさせずにプレゼントを受け取らせることができるのにね」

 イリスは首を傾げ、少年の額から頬を撫でた。

「それとも、何か欲しいものがあるの?」

「……はい」

「言ってみて」

 ノイは毛布からちょこんと顔を出して、ゆっくり瞬きをしている。イリスは彼の言葉を待った。ノイは「怒らないでください、ね」と前置きをした。

「イリスとフー・ラム様に結婚してほしいです」

 イリスは目を丸くした。

「僕のこと、考えなくていいんです。また、前みたいに生活すればいいんですから。だから、僕のせいで二人が結婚しないのは、や、です」

「あなたのせいじゃないのよ?」

 時期が合わなかっただけだ。準備も不足していたし、トゥンイラン一族に話を通すことも、カナリー一族への対応も、まだ終わっていなかったのだ。出会ってからせいぜい三ヶ月経ったかという状態でいきなり結婚を宣言するには、フラムの立場は重かった。トゥイ王国の王家とも繋がりのあるような資産家一族トゥンイラン。フラムはその次期後継者だ。親類は多く、要人も多い。結局、結婚に至るまでの準備はクリスマスを越え、新年を迎えてしまいそうだったが、二人は焦ってはいなかった。イリスは彼しかいないと思っていたし、フラムもどうやらそう考えているようだったので。

 しかし、この養い子はそうではなかったらしい。私は子どもの不安に気付かない大人の例か、とイリスはため息をつき、自分の考えているそれらのことを説明した。それを聞いたノイは誤摩化されているのでは、と疑っている風だった。むうと口を曲げて、イリスを睨んでいる。

 さあ、困った。どうやって納得したものか。

 そう思った時だった。ドアが控えめにノックされ、イリスが応えると、フラムが顔をのぞかせた。こちらにやってきたフラムは、ノイを見て「まだ寝ていなかったんですね」と微笑した。

「どうしたの、フラム」

「話し声が聞こえていたので。すみません、少し立ち聞きをしてしまいました」

 言いながら、イリスの隣に腰を下ろす。

「ノイ。君は自分のことを邪魔者だと思っているようだけれど、それは違います。私は、あなたとイリスを家族にするために結婚しようと思っているんですよ」

 ノイが首を傾げた。その額を髪をかきあげてやりながら、フラムは目を合わせるためにゆったりと首を傾ける。

「でも君の準備ができていないので、私は時間を置いています。何故なら、君は未だに自分のことを邪魔者だと思っているからです。君が私と家族になると思わないかぎり、私はイリスと結婚しません。イリス、いいですよね?」

 イリスは背筋を伸ばした。「ええ、もちろん。そのつもりよ」

 ほら、と言うようにフラムはノイを見た。ノイは、思考がぐらつき始めたようだ。うー……とかすかに唸っている。

「さて、それを考えるのはまた明日にしてください。明日になれば、きっと答えが見つかりますよ」

 ノイの頭をひと撫でして腰を上げる。おやすみなさい、と言ってフラムは部屋を出て行った。イリスはしばらく、ノイが考え込まないように何度も言い聞かせて、彼が眠るまでそこにいた。




「余計なことを言いましたか?」

「いいえ」とイリスは首を振った。援助するというフラムの言葉に緊張したノイを、かわいそうに思ったくらいだったからだ。リビングの大きな窓の前に立ったフラムは、イリスを振り返って淡く微笑んだ。イリスもそれに答えるように笑みを浮かべ、そっと目を落とした。

「ありがとう。ノイにああ言ってくれる人でないと、私は結婚しようなんて思わなかったわ。……何をしているの?」

 引き出しを開けて中を探っていたフラムは、笑って指を立てた。

「ノイへのクリスマスプレゼントです。あなたも、隠しているものを持ってきてください」

 イリスは目を丸くし、噴き出した。

「ええ、すぐ持ってくるわ!」

 ノイが絶対手が届かないキッチンの上に棚に隠した、赤いリボンの箱を持ってきた。すると、戻ってきたそこには小さなクリスマスツリーが出現していた。長袖だが薄物で過ごせてしまうトゥイに、これほど似合わない植物もないだろう。その下にプレゼントを並べて、二人は肩をすくめて笑い合った。

「それから、これはあなたに」

 日付が変わりましたから、とフラムは長い箱を開けてみせた。

 青いジュエルケースの中には、三つの指輪が並んでいる。男物と、女物と、女物のようだがより小さいものだ。

「一番小さいものはノイにです。エンゲージリング、というか、ファミリーリングですね。彼が私たちにとって最初の子どもなので、指輪を作ってしまいました」

 そう言って肩をすくめてフラムは笑う。とびきりの悪戯を仕掛けた恋人は、泣きそうなイリスの顔を見て、意地の悪いことに心の底から嬉しそうに笑った。イリスは両腕を伸ばしてフラムの首にまわし、胸に顔を埋める。何も言えなかった。言わなくても伝わった。この喜びも、この愛おしさも。嬉しいと伝える言葉がうまく出てこなくて、ただ「ありがとう」と言った。

 悪い顔、しかしイリスにとっては驚きと喜びをくれる悪戯な表情をしていたフラムは、イリスを抱きとめて優しく揺らしていた。心地よい温もりを伝え合って、イリスは思った。

 明日はきっと、ノイの笑顔が見れる。小さなツリーの下で、イリスのプレゼントの包み紙を丁寧に開ける彼の姿が想像できる。フラムのプレゼントに驚き、はにかんで礼を言うノイがいるはずだ。そしてしばらくしてから尋ねよう。


「私たちと家族になってくれる?」


 指輪を差し出したときのノイは、想像しないでおこう。その時の楽しみのために。

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