第51話 ヨルズの戦い①
待機ポイントで無線のやり取りをしている。
ラインヒルデは『ナイン・トゥエルヴ』の奪取に成功し、こちらへ向かってきているそうだ。
カラカスの街中では卒院性たちによる撹乱工作が行われている頃だろう。自治軍の
俺の個人的な都合に付き合わされる彼らから相当な恨みを買いそうなのは理解しているものの感謝の念は絶えない。
「ヨルズ、大丈夫?」
折りたたみ式の椅子に座る俺の横でフェリスが心配そうな顔をしている。
いつものエプロンドレスではなく、身体の線をなぞるスーツにプロテクターという姿だった。黒い布地に赤いステッチが走るデザインは金髪がよく映える。
周囲には数名のスタッフが控えているが、彼らは頃合いを見て撤収する予定だ。
「大丈夫だよ。麻酔が効いてきた」
ケルベロス部隊から拷問を受け、全治3ヶ月と診断された俺は相当な無理をしてこの場にいる。
杖をついてギリギリ自力で歩けるとはいえ、あちこち痛むのは変わらない。
その危険信号を薬で抑えて何とか意識を保っている。
チャンスは今しかない。
この機を逃したら次があるとも限らないのだ。
完璧なパフォーマンスで操縦できないことは承知している。
(覚悟は出来ている)
街から少し離れた濁った湖の畔は、今もまばらに民家がある。昔は漁で生計を立てていたらしい。
そこに用意した隠れ家でラインヒルデを待つ。
やがて。
「来た!」
窓の外の様子をうかがっていたフェリスが声を上げる。
俺はフェリスに身体を支えてもらい、外へ出る。
地平から漆黒の騎士が走ってくるのが見えた。
ここまでは予定どおりである。
「フェリス、敵は感知できるか?」
「小さいのが『ナイン・トゥエルヴ』にたくさん向いている。それとは比べ物にならない大きなのがひとつ、移動してくるわ。多分、あの赤いやつね」
「作戦通りだ」
俺もフェリスと同じデザインのプロテクタースーツである。こんなものは
怪我人の俺はギプスやら包帯やらの上に着込んでいるのでシルエットは不格好だった。
『待たせたな』
曇天の下、俺たちの前で『ナイン・トゥエルヴ』が
胸部の装甲板が開くと、中からはラインヒルデが姿を見せた。
エクステンションスーツから溢れた肌には琥珀色の糸が無数に刺さり、システムの制御を直に行なっているのが分かる。
昇降用のロープが下され、俺とフェリスは一緒にしがみ付く。
そのまま引き揚げられてコックピットハッチの上に乗ると、ラインヒルデが出てきた。
狭い板の上で3人並ぶ。
遠く、カラカスの街が見えた。
その反対側には地平線まで続く線路。
湿った空気が俺の頬を撫で、癒えぬ傷を意地悪く突いてきた。
「何とか『オンスロート』は誘き出した。あとはヨルズの仕事だ」
「助かるよ、ラインヒルデ」
「これで最期だからな。ヨルズ、それにフェリス」
ラインヒルデは両腕で俺たち2人を強く抱き締めてきた。
柔らかくて、温かい。
泣くのを堪えるのに必死だ。
フェリスは震えて嗚咽を漏らしている。
「会えてよかった。短い間だが、楽しかったよ」
もう……彼女に残された寿命は殆ど無い。
オイルジェルと電素の生命体であるラインヒルデは『彼ら』によって短命に作られている。
身体を離したラインヒルデの口元には、一筋の血が滴る。
零れ落ちた雫はハッチの上で瞬く間に赤から茶色へと変わっていった。
ヒトの身体を模していたオイルジェルが制御を失い、元の物質に戻ったのである。
「私がこの形を保っていられる時間は殆ど残されていない。だから、お願いがある」
「遠慮無く言って。あたしたち出来ることなら、何でもやるから!」
「そうだな。友人の頼みなら断れないさ」
「特等席で見届けさせてほしいんだ。2人の戦いを」
「どういうこと……?」
「いずれ崩れてオイル溜まりになる身体だ。ならば『ナイン・トゥエルヴ』の中で運命を共にしたい。私は、自分の身体を分解してこいつの血肉へ溶け込む」
「そんなことして大丈夫なの?」
「気分の問題だ。どうせ逝くなら気分よく……な」
「分かった。見守っていてくれ」
「ありがとう」
微笑んだラインヒルデはガントレットとブーツの留め具を外して脱ぎ捨てる。
四肢の末端は既に形を保てなくなっており、褐色の皮膚が崩れて琥珀色の液体へと変りかけていた。
続けて自分の背中に手を伸ばし、エクステンションスーツの背面のファスナーを下ろして脱ぎ捨てる。
裸になったラインヒルデは見惚れるくらい綺麗だった。
豊かな胸も、引き締まった腰回りも、長い脚も……
「フェリス、もうヨルズを逃してはダメですよ?」
「絶対に逃げられないようにしておく!」
「おいおい……」
「ヨルズ、どうかフェリスを大切にしてやってくれ」
「あぁ」
50年前。
たった1機で共和国軍の帝都包囲網を突破し、最後の皇帝を脱出させた伝説のパイロット。
わずか数年の人生を儚むことなく、胸を張って生きた彼女を俺は尊敬する。
だから。
どうか。
ラインヒルデ=シャヘルの気高き魂が救われますように。
「さようならだ、ヨルズ。フェリス」
満足そうに微笑んだ彼女の身体は糸のように解け、淡い光を放って『ナイン・トゥエルヴ』のコックピットへ吸い込まれていく。
永遠に続くかと思われたが、実際には1分も経っていなかっただろう。
見届けたフェリスが大声を上げて泣いた。
俺は、姉の身体を抱き締める。
「ラインヒルデが見守ってくれているんだ。だから、泣くな」
「うん……」
「行くぞ、フェリス」
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