第48話 とある卒院生の送迎
僕にとって『リノの魔女』が亡くなったことで、複雑な感情を揺り起こしていた。
彼女は育ての親であり、生きる道を与えてくれた師でもある。
卑劣な共和国の支配体制を覆すべく暗躍してきた『リノの魔女』は、大陸を自由へと導く
(弔いは済ませた。集中だ、集中)
今はカラカスの街に向けて大型車を走らせている。
ハンドルを握っているのは何の変哲もない物流のトラックだ。
荷台には工作機械が幾つか詰まれ、ガッチリと固定されている。
旧式のディーゼルエンジンは黒煙を上げ、死にかけた車体のバネのせいでキャビンはよく揺れた。
勿論、これは偽装だ。
本当に運ばなければならない荷物は助手席から外を眺めている。
女としてはかなり背が高く、大陸の東部でも西部でも見られない銀髪と赤目の組み合わせをしている。
肌は褐色であり、どこの出身なのかまるで分からない。
ボロ布のマントを纏ってはいるものの、その下には服とも呼べぬ破廉恥な格好をしていた。
この『プロジェクト・ナイン・トゥエルヴ』作戦の発案者にして指揮をとっている重要人物だ。
若年だが落ち着いており、纏う空気からも只者ではないことが伝わってくる。
「共和国軍の検問は通過しました。この先はカラカスの自治部隊の検問があります」
「分かった。ご苦労」
こちらを一瞥し、労いの言葉をかけたかと思うとまた窓の外へ視線を送る。
このトラックには護身用の拳銃が一丁あるだけで武器は他に無い。
書類上も工作機械の輸出となっているし、僕と銀髪の女の身分証明書も偽装してある。
万が一、素性がバレて襲撃された際には応戦する余地なんて無かった。
(一体、何を考えているのか……)
必要以上の詮索はしない。
僕はノーランド孤児院の卒院生として、仕事に徹する。
作戦の全貌は聞かされている。
カラカスに保管されている『ナイン・トゥエルヴ』を奪取だ。
あれは帝国軍最後の
反共和国勢力が手に入れれば『リノの魔女』を失った穴をも埋められる。
現代の大陸では自治都市が乱立し、中央政府の機能も十分ではない。
人々は政治に不満を唱え、燻っていた火は風に煽られどんどん大きくなる。
帝国は蘇る。
そのためにノーランド孤児院は人材育成を続けた。
僕たちの悲願が達成される日はそう遠くないだろう。
「西の方に雨雲がかかっているな」
これまで最低限の会話しかなかったのに、銀髪の女はポツリと漏らした。
地平の遠くには黒い雲が見える。
「そうですね。偏西風がありますから今夜あたりカラカスでは降るかもしれません」
「雨か…… 敵にも味方にもなり得る」
天候というファクターは作戦に織り込んでいるらしい。
しかし、心配しているようでもあった。
(どうして、なのか)
やはり僕は複雑な感情を抱いている。
いや、僕だけじゃない。『リノの魔女』の遺言によって招集された卒院生たちは皆、同じようなことを考えている筈だ。
それが具体的な形となってしまったことは恥じない。
心は任務の障害となることが多いが、どうしても押し殺すことができなかった。
こんな作戦に加担されられるのは納得いかない。
「何のつもりだ?」
威圧感のある低い声。
切れ長の赤い瞳が僕を睨む。
「どうして、ヨルズなんですか?」
トラックを停め、僕は懐から取り出した拳銃を銀髪の女に突き付ける。
銃口を前にしてもまるで動揺しない。
流石と評しておく。
「言っていることの意味が分からない。不明瞭だ」
そいつは……ラインヒルデ=シャヘルは僅かに首を傾げる。
何故、50年も前のパイロットが年齢を経ずに生きているのか全く分からない。
だが偽物でないことは直感的に分かる。
この女は、戦争末期に
帝国の英雄だ。
僕は、そんな人物に引き金を引こうとしていた。
「院長先生は、どうしてヨルズを
どう考えてもおかしい。
奪還した『ナイン・トゥエルヴ』はヨルズに引き渡されるという。
卒院生の中でも異端の存在で、あいつは何故か院長先生に可愛がられていた。
直々に最後の任務を言い渡されたのもヨルズである。
これまで反共和国勢力として忠を尽くしてきた他の連中は納得していない。
お遊びの
「嫉妬か」
「違います。あなたの行動は帝国のためにはならない」
「酷な宣言をしよう。私は、その銃の撃鉄が落ちる前にキミを殺すこともできる」
ハッタリだろう。
ボロ布のマントの下で動きは無い。
仮に銃を隠していたとしよう。
どれだけ
「もし弾が私の眉間を貫いたとしても殺すことはできない。だから銃を降ろせ」
「あなたはご自分が化物だと認めるのですか?」
「今は余裕が無いからな」
私情で作戦をグチャグチャにしている自覚はある。
けれど己の中に燻るものを消火するにはこれしかなかった。
「では聞こう。どう行動すれば帝国のためになる?」
「『ナイン・トゥエルヴ』は反共和国勢力の象徴になり得ます。今こそ旧帝国領で虐げられる同胞たちに呼びかけ、中央政府を打倒するときです」
「現実を見ろ。
「伝説を作った機体です。人々はそれに魅せられる。少なくとも、ヨルズ・レイ・ノーランドに渡すよりは有用だ」
ラインヒルデ=シャヘルは目を伏せ、狭いキャビンの天井を仰ぐ。
その様子からは「呆れた」と言わんばかりの空気が漂ってきた。
「私は、最後の皇帝陛下の言葉を直々に受けた身だ」
「それを盾に僕たちを動かすつもりですか?」
「そうではない。部下の謀反は上官の責任だからな。私とて、得体の知れない輩が突然現れて命令を下しても背く。キミの心情は少しだけ理解できる」
「だからといって作戦を変更はしないでしょう」
「勿論だ」
気迫に圧され、僕は息を呑む。
銀髪の女は微動だにしないまま告げる。
「銃を降ろせ。3秒だ。従わなければキミを殺す」
「無理でしょう」
「3」
カウントダウン。
赤い瞳からは本気が伝わってくる。
「2」
トリガーに指をかける。
「1」
僕は両手を上げ、拳銃を落とした。
刹那、首筋に冷たいものを感じる。
得体の知れぬ感触はすぐに消えた。
「休憩は終わりだ。出発しよう」
「お咎めなしというわけにはいかないでしょう」
「ヨルズに肩入れしているのは事実だ。そのことで反発を招いているのも理解しているよ。だが、どうか……」
ラインヒルデ=シャヘルは手を差し出してきた。
その指先には琥珀色の何かが煌めいて、吸収されていく。
僕には何が起こったのか分からなかった。
けれど、冷たい死の感触が遅れてやってきて身体が震える。
「帝国のために尽くした私の
「……了解しました」
そんなに悲しそうな顔をして、僕みたいに同情する奴ばかりじゃない。
だが逆らってはいけない相手だと身に沁みた。
もし引き金を引いていたら、その瞬間に殺されたに違いない。
(歴史を動かすのは、僕みたいな雑兵じゃなくてこういう人なのか)
感情は揺れているし、納得もできていない。
ただただ冷たい汗が首筋を流れていった。
他の誰かが同じような手でラインヒルデ=シャヘルの邪魔をしようとしても、止めることはできないだろう。
(ホンモノの化物)
亡くなった『リノの魔女』に、突然現れた伝説のパイロット、歯牙の無い筈のヨルズ。
これから反共和国勢力がどのように活動するのか見えてこない。
けれど自身に割り当てられた仕事は完遂しよう。
手を握り返した僕はまたトラックを走らせ、カラカスを目指した。
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