第47話 フェリスとラインヒルデ④

 院長先生が息を引き取ったのは、あたしたちがリノに戻ってきてから1週間後のことだった。

 死に顔は眠っているみたいに穏やかなものである。

 すぐにごく少数の者によって病院から運び出され、密葬された。

 孤児院の敷地近くにダミーの墓を用意したので、子供たちはそこにお参りするようになるだろう。

 本当の墓の在り処はあたしの他に2人しか知らず、墓標には名前も刻まれていない。


 その血筋やこれまでしてきたことを考えれば、むしろ上等な扱いだったと思う。

 勿論、『リノの魔女』の死は共和国軍にも知られた。これから帝国の残党がどうなるのか……そこはあたしの感知すべきところではない。


 院長先生は最期にラインヒルデと話したことで何か変わっただろうか。

 真剣に考えけど、あたしには分からなかった。


 しかし……だ。これで良かったと思う。

 あたしはノーランド孤児院をリリスに任せて、リノを去ることにした。

 リリスは荒事向きではないが手腕は確かである。今後は院長先生の事業は継続せず、裏の傭兵育成業から孤児院を遠ざけると約束してくれた。


 共和国軍から指名手配されているヨルズ・レイ・ノーランドの所在については、院長先生が存命のうちに偽の情報を流してくれたらしい。思惑通り、そちらに踊らされてくれたので本人は今も治療に専念できている。

 あと少し経てば記録上は死亡扱いとなる予定だ。


 奴らからしてみれば大切なのは『ナイン・トゥエルヴ』本体であり、護衛に雇われた(という風に思われている)ヨルズではない。

 数年も経てばほとぼりが冷めるだろう。

 風の噂では貴族のクソガキこと、アルベルトもリノの街に戻ってきているらしい。

 それはどうでもよかった。恩があるとはいえ、顔を見せるつもりもない。


「お待たせしました」


 これまで起きたたくさんのことを振り返ってアウターストリートにあるカフェの前で待ち合わせをしていると、定刻通りにラインヒルデが現れる。

 あたしが見繕った服を押し付け、さらに念を押したおかげで今日は普通の格好をしていた。膝の下まで隠れるロングスカートに、身体のラインが出ないゆったりとしたセーターを渡してある。


 腕や脚のプロテクターも外すように言っておいたので素直に従ってくれたようだ。

 それでも背の高い美人が目立たない筈がなく、道行く男たちの殆どはチラチラと視線を送っている。

 だいたいは大ぶりなメロン2個を詰め込んだような胸元が原因だろう。

 あたしの方はいつものエプロンドレス姿である。髪の毛だけはちょっと気合いを入れてセットしてきた。


「さ、入って」


 それほどお洒落ではないが静かで人もいない。

 この店は亡き院長先生の息がかかっている。帝国側……つまりは反共和国勢力に所属している。

 あたしに所在は知らされていないが、店の外にはエージェントも控えている筈だ。


 店内に入ると「いらっしゃいませ」とマスターの口髭おじさんは小さく挨拶してくれた。

 1番奥の席に陣取った私たちはとりあえずコーヒーを注文し、しばしの雑談を交わしてから本題に入る。

 なお、豆の種類とか煎り方の知識は一切無いのでおまかせだ。


「全ての準備が整ったとの方から連絡をもらいました」

「分かった。ヨルズに『ナイン・トゥエルヴ』を貸してあげて。ラインヒルデがその気になればすぐに奪い返せるんでしょ?」

「えぇ、勿論。あれから移動されず、カラカスに置かれたままですから」

「さっさと運び出せばいいのに、モタモタしてる」

「カラカス側が電素列車の貸し出しを拒否し、ケルベロス部隊を足止めしているからです」

「仲が悪いのは知っているけど、随分とひどいものね」

「『ナイン・トゥエルヴ』の存在がカラカス側に発覚したせいで、共和国軍が極秘裏に行った『コード912』の内容や、そのときの拾得物に関しての非難が起きて揉めているのです」

「その情報流出って諜報員として潜り込んでいるたちが意図的にやったものでしょ」

「はい。こちらの作戦通りですね。見事に混乱してくれました」

「カラカス側も『ナイン・トゥエルヴ』を欲しているってこと?」

「自治都市は己の主権のため、共和国の支配に抗うための材料を必死に探しています。的確ではないでしょうか、殲滅光砲アニヒレイターが通用しない機械巨人ギアハルクというのは」


 脆弱な支配体制だと呆れてしまう。もともと共和国には大陸を統治するだけの力など無かったのだろう。

 流れてきた『彼ら』の力を借りて殲滅光砲アニヒレイターという優れた兵器の開発に成功したものの、戦後の大陸に混乱を招いた無能さには呆れる。


「ま、こっちにとっては好都合ね。決行は予定通り3日後でいいかしら?」

「えぇ、構いません。ですがヨルズは機械巨人ギアハルクに乗れるまでのコンディションに回復するでしょうか」

「どうにか歩けるってレベルよ。医者の話だと全治3ヶ月ね。作戦の日は投薬で、一時的に痛みを誤魔化すって……」

「薬が切れたときは?」

「地獄のような苦痛に襲われるそうよ。本人は『大丈夫』とか笑ってた」


 もう邪魔はしない。

 これはヨルズが決めたことだ。あたしはそれを最大限に手伝う。

 弟の満足のため、弟自身がボロボロになったとしても。


「焦れた共和国軍が強硬手段に出るという情報が入っています。やはり来週には『ナイン・トゥエルヴ』は首都へ移送されてしまいます」

「チャンスは今しかないわけね。ラインヒルデの方こそ体調は大丈夫なの?」

「元より『電素神経知的生命体パルマー』の末路は知っています」

「ごめんなさい。我儘に付き合わせて、あなたを消耗させている」

「顔を上げてください。私がこういう生まれ方をしたのには意味がありました。少なくとも、50年前に陛下をお救いすることができたことを誇らしく思います」


 あたしも、ヨルズも、ラインヒルデの身の上を既に聞いている。

 彼女が人間ではなく『電素神経知的生命体パルマー』と呼ばれる人工の存在であること。


 導通させれば体積や硬度が変化するオイルジェルを血肉とし、それを機械巨人ギアハルクとは比べものにならないほど緻密な電素制御で操ることで『ヒトのカタチ』を筋肉や骨や血に至る極限まで再現した生き物だ。


 自らの身体を糸状に解いて構造物に変化させたり、機械巨人ギアハルクに乗り込んで直接オイルジェルと繋がることで制御情報を統合して操ったりもできた。

 エクステンションスーツは、肌を露出させることで身体からオイルジェルの糸を用意に伸ばすための衣装というわけ。


 人外の存在でありながら『電素神経知的生命体パルマー』は人格を与えられており、学習能力は人間の10倍近い。記憶は電素の信号によって蓄積され、頭脳は極めて明晰である。


 だから『彼ら』は恐れた。

 獅子の瞳を持つ人間ではなく、『電素神経知的生命体パルマー』が大陸の覇者に成り代わってしまうことに。

 

 人工生命の台頭は『彼ら』が渇望して止まぬ異世界へのリンクを放逐してしまう可能性を秘めていた。

 それゆえ『電素神経知的生命体パルマー』には僅か数年という寿命しか設定されず、生殖能力も無い。


「ねぇ、ラインヒルデって本当は何歳なの? 19歳っていうのは嘘だよね」

「すいません。実は生まれてからは4年しか経っていません。このような見た目で4歳と言い張るわけにはいかずに……」

「4歳なんて言われたら、とんでもない顔しちゃったと思う。嘘ついて正解よ」


 『電素神経知的生命体パルマー』は成人の姿で生まれる。

 寿命が短い原因は、空気に触れているだけで血肉たるオイルジェルは酸化してしまうからだ。


 ラインヒルデのように鼻血が出るのは寿命の終わりが近い兆候である。

 それを儚んだ院長先生……最後の皇帝は『ナイン・トゥエルヴ』ごとラインヒルデを封印することを決めた。


 オイルジェルで周囲を固めてしまえば『電素神経知的生命体パルマー』本人は外気に接することない。だから劣化を免れることができた。

 いつの日か帝都の地下に眠る起源室ジェネシス・チャンバーを取り戻し、『彼ら』から劣化を止める技術を授かる……それが院長先生の目的だった。

 

(おばあちゃんは耐えられなかったんだ。ラインヒルデがいなくなってしまうことに。だから生き永らえさせた)


 ただラインヒルデと一緒にいたかっただけ。

 病室でのやり取りを眺めていたあたしには理解できた。

 2人は主従関係を超えた何かで結ばれている。


(あたしと同じでバカよね。数年しか生きられないなら、その数年を楽しむしかないのに。あんな回りくどいやり方をしてまで、最期にラインヒルデに会おうとした)


 やはり、あたしはおばあちゃんと似ている。

 いつも方法を間違えてしまう。やりたいことをやりとげるためのアプローチはもっと別にあるのに。


「陛下の元に案内してもらえて救われました」

「本当に?」

「はい。最期にもう1度、会えました。もしモルビディオ廃坑に封印されたまま、陛下がいなくなって時が流れていたら……私は絶望していたでしょう」

「役に立てて良かった」

「フェリスとヨルズには本当に感謝しています。陛下の子孫が遺されたのは喜ばしいことです」


 出されたコーヒーは苦かった。

 美味しいのか不味いのか判断できない。

 私と同じように、カップに口を付けているラインヒルデの姿を見ると彼女がヒトではない知的生命体だなんて信じられなかった。


「なんだか、苦いですね」


 でも、コーヒーを飲んであたしと同じことを考えている。

 それがとても嬉しい。


「ところでフェリス。一連の作戦には名前が必要だと思います」

「そういうのも帝国軍の習慣?」

「はい」

「じゃあ、どんな名前がいいかしら? 『ヨルズの復讐大作戦』とか?」

「個人名を入れるのは得策ではありませんね」


 苦笑いされてしまった。

 あたしもつられて笑う。


「発案者はラインヒルデなんだから、カッコいいのを考えてよ」

「分かりました。それなら……」


 明日も晴れるといいな。

 明後日は雨でも許してあげる。

 でも。


 これから先、どんなことがあっても、彼女のことは忘れない。

 あたしはラインヒルデの姿を目に焼き付け、言葉を胸に刻む。


「本作戦を『プロジェクト・ナイン・トゥエルヴ』と名付けます」

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