十九曲目『約束の期限』

 洞窟を抜けて森を歩いていると……家の前に魔女が立っていた。

 俺が初めて出会った時と同じ、真紅のドレスを身に纏った魔女は妖艶な笑みを浮かべる。


「おかえりなさい、坊や。私の許可なく修練の洞窟に入ったようね?」


 俺はウグッ、とうめいてからソッと目を逸らした。忘れてたけど、そう言えば修練の洞窟は危険だから、勝手に入らないように言われていたな。

 気まずげに頬を掻いていると、魔女は呆れたようにため息を漏らす。


「まぁ、いいわ。さて、今日は約束の期限よ。あなたが導き出した答えを__私に聞かせて貰えるかしら?」


 魔女との約束。ここで暮らすのを許可する代わりに、俺がこれからどうするのか……その答えを魔女に言わないといけない。

 そして、もしもその答えが魔女の琴線に触れるようなものじゃなければ__俺は、この場で殺されることになる。


「きゅー!」


 本当に大丈夫なのか不安になっていると、キュウちゃんが俺の胸に飛び込んできた。抱き止めるとキュウちゃんは俺の顔を心配そうに見上げてくる。

 俺は小さく笑みをこぼしてキュウちゃんの頭を撫でてから、ゆっくりと深呼吸して真っ直ぐに魔女と目を合わせた。


「__あぁ。あんたが満足するかは分からないけど、ちゃんと答えは出せたよ」


 そう答えると、魔女は目をパチクリさせる。


「あら、声が出るようになったのね」

「おかげさまで、ようやくな」


 肩を竦めると魔女はクスクスと口元に手を置いて笑うと、待ち切れないとばかりに口を開いた。


「さぁ、早く聞かせて。坊やが出した答えを。私の知的好奇心を満たしてくれる、あなた自身の答えを__ッ!」


 急かす魔女に俺はキュウちゃんを頭の上に乗せてから、静かに言葉を紡ぐ。


「ずっと俺は、イズモ兄さんになろうとしていた。イズモ兄さんのような、誰かを助けるヒーローに。そうすることで、無価値な自分の命に意味を持たせようとしていた」


 目を閉じると、真っ暗な視界にイズモ兄さんが立っていた。

 イズモ兄さんは満足げな笑みを浮かべると、背中を向けて歩き出す。

 遠くなっていくイズモ兄さんの背中を見送った俺は、頬を緩ませた。


「でも、俺はイズモ兄さんじゃない。イズモ兄さん自身にはなれない。俺は、俺だ」


 中身ががらんどうの人形、人に憧れた人紛い。イズモ兄さんになろうとしていた想いは、そんな自分を隠すための言い訳に過ぎなかった。

 でも、俺はようやく気付けた。イズモ兄さんになろうとしていた自分の中には__もう、中身が詰まっていたことに。

 そして、その中身こそ__俺が、タケルという人間がどう生きていくかの、答えだった。


「__俺は、音楽をやり続ける。それが、俺自身が求めた、自分の内から生まれたたった一つの願いだ。俺の、俺たち・・・の音楽を、聴いてくれた全ての人の心に届かせたい」


 音楽で世界を救えるとは思っていないけど、俺たちの音楽を聴いてくれた全ての人に届かせたい。

 俺自身がそうだったように。誰かの心に寄り添い、ほんの少しでもいい人生を歩めるように、支えたい。


 俺は、そういう音楽をやりたい。


「俺一人じゃ難しいことでも、俺には仲間がいる。やよい、真紅郎、ウォレス、サクヤ、キュウちゃん。他にもこの異世界に来てから出会った人、俺たちの音楽を聴いてくれた多くの人__音楽が繋いでくれた絆が、俺の力だ」


 音楽文化がないこの異世界でも、俺たちの音楽は通用した。誰もが熱狂し、盛り上がってくれた。

 音楽に人種も、国境も……異世界も、関係ない。

 弱くて頼りない俺でも、音楽と音楽が繋いでくれた多くの人の絆があれば__誰にも負けない。


「俺は絶対に、みんなと一緒に元の世界に戻って、メジャーデビューする。だけど、その前に……」


 元の世界に戻るには、俺たちを召喚した張本人であるガーディに戻る方法を聞き出す必要がある。

 そのためにはマーゼナル王国……一つの大国を相手に戦わないといけない。

 ガーディの中に潜んでいるおぞましい謎の黒い魔力や、フェイルも倒さないといけない。

 この異世界を脅かそうとしている存在と戦うこと。端的に言えば__世界を救うことになる。

 一度言葉を区切ってから、ニヤリと不敵に笑って魔女に言い放った。


「__この異世界を、元の世界に戻るついでに・・・・救ってやるよ」


 だからどうした? 世界を救わないと元の世界に戻れないなら__ついでに、救ってやればいい。

 

「ガーディ? フェイル? 黒い魔力? 国を相手に戦う? ハンッ、関係ない。誰が相手だろうと、世界が相手だろうと__俺たちなら、問題ない」


 恐怖ある。でも、全部抱えて戦う。

 俺一人なら無理でも、みんなとなら__Realizeなら、誰であろうと倒せるに決まってる。

 なんで? 答えはたった一つ、シンプルだ。


「__俺たちRealizeが揃えば、無敵だからだ!」


 今となっては懐かしい、この異世界に来たばかりのことを思い出す。

 勇者として召喚され、いきなり世界を救うために戦ってくれと言われた時は、どうしようか迷っていた。

 その時の答えと、今の答えは同じだ。

 色々迷い、遠回りしてたけど__答えはもう、最初から出てたんだ。

 Realize全員で戦い、勝って元の世界に戻る。大好きな音楽を色んな人に聴かせながら、夢のために。


「これが、俺の出した答えだ」


 そう締めくくり、魔女を真っ直ぐに見据える。これ以上の答えは出せない。もしもダメだったら__殺される前に逃げるか。

 もう俺は、自分の命を無駄にはしない。俺の命は、音楽をやるために使う。

 覚悟を決めていつでも逃げ出せるように準備していると、魔女は肩を震わせ始めた。


「……フッ、フフッ」


 腹を抱え、俯いて堪えていた魔女は__堪え切れずに仰け反りながら、爆発するように大声で笑い声を上げた。


「__アッハハハハハハハハハハ! ひぃ、ひぃ、お、お腹、お腹痛いわ……フフッ、アハハハハ!」


 ゲラゲラと笑い、腹を抱えたまま膝を着いた魔女は、それでもまだ笑い続ける。

 いきなり爆笑し始めた魔女に呆気に取られていると、魔女は目に浮かんだ涙を指で拭い、息を荒くさせながら口角を歪ませた。


「さ、最高の答えよ、坊や……フフッ、も、もう最高……」

「……えぇ、と。で、どうなんだ? 合格なのか?」


 魔女の琴線に触れるような答えが出せたのか不安に思っていると、魔女は息を整えて立ち上がる。

 上気したように赤く染まった頬に潤んだ瞳、暴力的なまでの色気を振りまく恍惚とした笑みを携えた魔女は、静かに首を縦に振った。


「えぇ、もちろん。最高に笑える、素晴らしい答えだったわ。私好みの、ね」


 魔女は汗ばんだ体を涼めるように胸元をパタパタとさせ、頬を緩ませる。


「あなたの強さは、音楽で繋がった絆。音楽のためなら、世界一つをついでに・・・・救うという、傲慢で自分勝手な考え。究極の自己中心的……いえ、音楽中心的・・・・・な思想。フフッ、最高に私好みよ」


 音楽中心的な思想、か。それ、いいな。

 音楽のためなら命を張れるし、世界だって救ってみせる。それが俺の考えだ。

 すると、魔女はニヤリと笑みを浮かべた。


「人は誰しも欲望を心に秘めている。その欲望のためなら、人はなんでもする生き物よ。それがいいことでも、悪いことでもね。世界を守るために戦う、なんて下手な綺麗事を宣うようだったら……私はあなたを殺していたわ」


 魔女の言葉に思わず口元が引きつる。

 もしも、今もイズモ兄さんになろうとしていた俺だったら……その答えに行きついていたかもしれない。

 だけど、俺はイズモ兄さんじゃない、なれないって分かったから、その答えは絶対に導き出さないだろう。

 魔女は胸の谷間に手を突っ込むと、そこから指輪を取り出した。


「坊や……いいえ、タケル・・・。私好みの答えを出したあなたに、ご褒美よ」


 魔女が初めて俺の名前を言ったことに驚いていると、魔女は指輪に魔力を流し込んだ。

 そして、指輪から映像が投影される。前に見せてくれた、ザメが作ったというリアルタイムの映像が観られる指輪だ。

 これがなんでご褒美なんだ、と首を傾げ__すぐに映像が映し出している光景に目を見開いた。

 それは、ヴァベナロスト王国。国全体を守る結界の外には、取り囲むように空を飛ぶモンスターの群れ。

 いや、もはやその結界はなくなり、モンスターたちが王国内を暴れ回っていた。

 そう、これは今まさに起きていること。


 __ヴァベナロスト王国が襲われている光景が映し出されていた。


「__み、みんな!?」


 あの国には、やよいたちが残っている。

 そして、モンスターが襲ってきたということは__あの場には、フェイルがいるはずだ。

 消音魔法によって、みんなの魔法は無力化される。それに、フェイルの剣術はあそこにいる誰よりも圧倒的に上だ。

 もしもフェイルがみんなを……やよいたちを襲ったら__ッ!

 弾かれるように走り出そうとすると、魔女が鋭い声で呼び止めてくる。


「待ちなさい、タケル! ここからヴァベナロストに着くまで、一日はかかるわ! どんなに急いでも、絶対に間に合わない!」

「で、でも!」


 たしかに、俺がどれだけ走っても間に合わないのは確実だ。

 それでも、俺が行かないと__みんな、殺される!

 焦燥感に心臓が激しく鼓動する。どうにか落ち着かせて思考を巡らせるも、間に合う方法なんて思いつくはずがなかった。


「どうすれば……ッ!」


 ようやく答えが出て、みんなのところへ帰れると思っていたのに、みんながいなくなったら意味がない。

 悔しさに歯を食いしばっていると__頭上からバサッと大きく羽ばたく翼の音が聞こえてきた。

 その瞬間、空から突風が吹き付け、思わず腕で顔を隠す。


「グルルル……」


 空から降りてきたのは、ガーネットだった。

 ボロボロの翼膜を広げ、華麗に着地したガーネットは地面を踏みしめ、喉を鳴らす。


「が、ガーネット?」


 呆気に取られていると、ガーネットは真っ赤な瞳を俺に向けていた。

 その視線から、ガーネットの気持ちが伝わってくる。


 __乗せてやる。


 ガーネットはそう、言っていた。

 ゴクリと息を呑んだ俺は、恐る恐る口を開く。


「いい、のか? 俺を、ヴァベナロストまで連れてってくれるのか?」


 俺の問いにガーネットは口角を歪ませると、首をもたげて空に向かって大きく口を開いた。


「__グルォォォォォォォォォォォォォォン!」


 天に向かって、ガーネットは吠える。

 ビリビリと空気を震わせる咆哮に、俺は意を決して負けじと声を張り上げた。


「__ガーネット! 俺を乗せて、ヴァベナロストまで送ってくれ! 俺に……大事な仲間を助けさせてくれ!」


 ガーネットは力強く頷いて返すと、俺が乗りやすいように姿勢を低くする。

 そして、俺がガーネットに乗ろうとすると、魔女は「待ちなさい、タケル!」と呼び止めてきた。

 急いでるのになんだ、と振り返った瞬間、魔女は俺に向かって何かを投げ渡してくる。

 慌ててキャッチするとそれは……綺麗に折り畳まれた、燃えるような真紅のマント・・・・・・だった。


「これは……?」


 マントを広げながら魔女に目を向けると、魔女は優しく頬を緩ませる。


「餞別よ。それはこの魔女が作った最高傑作。耐熱、耐刃、耐魔法……あらゆる攻撃から身を守る、この世界に一つしかないマントよ」


 魔女はそう言うと、俺に近づき……ギュッと抱き締めてきた。

 むにゅっ、と豊満な胸を押し付けられ、一気に顔が熱くなる。


「ちょ、何を……」

「タケル」


 俺が何か言おうとする前に、魔女は俺の名前を呼んだ。

 そして、慈しむように俺の頭を撫で、強く抱きしめる。


「短い間だったけど、あなたとの生活はそれなりに楽しかったわ。私はこれ以上、何かしてあげることは出来ない」


 その優しさは、温もりは……遠い昔、赤ちゃんの赤ちゃんの時に感じたことがあった。


 それは__母親・・のような、包み込むような温もりだ。


 目頭が熱くなるのを感じていると、魔女はスッと俺から離れて静かに笑みを浮かべる。


「でも、私はここで__あなたの行く末を見守っているわ」

「魔女……」

「さぁ、タケル……行きなさい、仲間の元へ。そして、元の世界に戻れるように頑張りなさい。あなたのたった一つの願いを、夢を叶えなさい。そのついでに__世界を、救ってくるのよ」


 あぁ、やばいな。目に涙が浮かび、堪え切れそうにない。

 俺は魔女に背中を向け、腕で目をゴシゴシと擦る。

 そして、渡されたマントを広げ__バサリと体に巻き付けた。

 じんわりと暖かさを感じるマントに笑みがこぼれた俺は、勢いよくガーネットに飛び乗る。


「__頼むぞ、ガーネット」

「きゅー!」


 ガーネットの背中に乗ってから優しく首を撫でてやると、キュウちゃんはガーネットの頭に乗り、ヴァベナロスト王国の方向に向かって前足を伸ばした。

 喉を鳴らして頷いたガーネットは、ゆっくりと力強く翼を羽ばたかせる。

 巨体が地面から離れてから、俺は魔女に向かって親指を立てて__最高の笑顔を浮かべて、言い放った。


「__行ってきます! 先生・・!」


 何故か分からないけど……自然と、魔女のことを先生と呼んでいた。

 すると、魔女は驚いたように目を見開いてから__懐かしむように微笑んで、手を振る。

 その姿が徐々に遠くなっていき、ガーネットは翼を広げて空に向かって一気に飛び上がった。

 森を抜け、空高く飛翔するガーネット。風圧にバサバサと真紅のマントが靡き、広大な青空が視界に飛び込んでくる。

 魔女の……先生の家を旅立って向かう先は、今まさに襲われている国。


 Realizeのみんながいる__ヴァベナロスト王国に。


「__行くぞ、ガーネット! 絶対に、みんなを助ける!」


 俺の言葉にガーネットは高らかに雄叫びを上げると、翼を大きく羽ばたかせて加速した。

 

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