八曲目『最強の剣士』

 俺は走りながら、ローグさんを観察する。

 年齢は六十歳ぐらいだろうか。だけど身長は百八十センチほどもあり、かなりガタイもいい。シワだらけの顔に走っている傷を見れば、明らかに歴戦の戦士ということが分かる。

 そして、向かってくる俺に対してローグさんは構えもせず、ダラっと剣を握った右手を下げているだけなのに__一切の隙がなかった。

 どの方向から剣を振っても、ローグさんは軽くあしらうことが出来るだろう。それぐらい、俺とローグさんの間には実力に差がありすぎる。


「__テアァァァッ!」


 それでも、攻撃しないことには始まらない。

 ビリビリと肌を刺してくる威圧感に負けないように声を張り上げながら、剣を振り下ろした。


「__ふむ。実力差が分かっていても自分から攻撃するその気概。いいぞ、小僧」


 振り下ろされた俺の剣に対してローグさんは楽しげに頬を緩ませながら、自然な流れで後ろに一歩下がる。たったそれだけの動作で俺の剣を避けた。

 

「まだまだぁッ!」


 避けられるのは最初から分かっていたこと。

 すぐに俺は一歩前に踏み出しながら、振り下ろしていた剣を下からすくい上げるように剣を振り上げる。

 だけど、ローグさんは軽く顔を仰け反らせ、最小限の動きで躱した。


「ほう、しっかりと次の動作を考えているな。剣の鋭さも申し分ない」


 顎先スレスレを通り過ぎた俺の剣に、ローグさんは恐るどころか笑みを浮かべている。普通なら少しぐらい怯むだろうけど、ローグさんは余裕そうだった。

 悔しさに歯を食いしばりながら、すぐに右斜め上から剣を振り下ろし、そのまま薙ぎ払う。

 俺の連続攻撃に対して、ローグさんはスッと後ろに下がることで避け、横からの薙ぎ払いには剣で防いだ。

 重い金属音が練兵場に響き渡る。両手で全力で薙ぎ払った俺の剣を、ローグさんは片手だけで受け止めて見せた。

 ビリビリと手が痺れる。そのまま押し切ろうとしても、ローグさんの剣はピクリとも動かない。

 老体で、しかも右手だけなのに、なんて力だ……ッ!

 ギリッと歯を鳴らして両腕に力を込めようとすると、ローグさんはククッと小さく笑みをこぼす。


「だが、まだ未熟だ。力に対して力で対抗するだけが、戦いではないぞ?」


 そう言うとローグさんは剣を動かした。両腕に力を込めたところで動かされ、支えを失った俺は前に体勢が崩れる。

 柔らかくいなされ、抵抗も出来ずに体が流されるとローグさんはその場でコマのように回った。

 フワリと左腕がない袖を靡かせながら背中を向けたローグさんは、右手に握っている剣を振り向き様に薙ぎ払ってくる。

 ゾワリ、と首筋に寒気を感じた俺は、前に崩れる体勢のまま地面に転がり、ローグさんの攻撃を避けた。

 重い風切り音が頭上を通り過ぎると、ローグさんがカカッと笑う声が聞こえる。


「いい反応だ! よく鍛えられている!」


 地面を転がりながら距離を取り、すぐに立ち上がって構えた。

 数合の攻防なのに、俺の体は冷や汗でビッショリだ。神経がすり減り、息が荒くなる。


「__ははっ、強ぇ……」


 圧倒的な力の差に、思わず乾いた笑い声が漏れた。

 確実にローグさんは俺が今まで戦ってきた人の中で、一番強い。

 魔法の使用を禁じられ、純粋な剣術勝負になってるけど……例え魔法を使ったとしても、俺はこの人に勝つことは難しい・・・だろう。

 そんなことを考えていると、ローグさんはニヤリと笑みを浮かべた。


「ほほう? 小僧、お前はまだワシに勝つつもり・・・・・だな?」


 思わず言葉が詰まる。

 そう、俺はローグさんが言う通り……まだ勝つつもりでいた。

 純粋な剣術勝負、筋力、戦闘経験。どれを取っても俺はローグさんに負けている。逆立ちしても勝てないのは明白だろう。


 だけど、俺は勝つことが難しいだけで、勝てないとは思ってない。


 例えどれだけ実力差があっても、諦めなければいずれ勝つ道筋が見えるはず。 

 今までだってそうだった。強大な力を持った災禍の竜との戦いだって、俺は諦めずに戦った。


 俺の剣の師匠で、色々あって戦うことになってしまった__ロイドさんの時も。


 見抜かれた俺は頬を引きつらせながら、どうにか笑みを浮かべる。


「諦めるのはまだ早いだろ? それに俺は……負けず嫌いなもんでね」

「……ククッ、クハハハハハッ! いいぞ、小僧! 諦めの悪さは戦士にとって必要不可欠! お前たちもこの小僧の負けん気を見習え! まったく、ワシが来ただけでピーチクパーチク騒ぎ、自分から戦いを挑もうともしないで……」


 俺の答えにローグさんは楽しそうに笑いながら、稽古を見ていた騎士たちに喝を入れた。

 気まずそうに視線を逸らす騎士たちを鼻で笑うと、ローグさんは半身になりながら初めて剣を構える。


「__小僧、名は?」


 ローグさんは改めて俺の名前を聞いてきた。そして、今まで放っていた威圧感が一気に凝縮され、洗練されていく。

 ゾクゾクッと寒気が体中を駆け抜け、本能が逃げろと警鐘を鳴らしている。

 ゴクリ、と音を立てながら喉を鳴らし、剣を構えながら答えた。


「__タケル」

「タケル、だな。ククッ……ロイド・・・め、中々に見る目があったようだな。いい弟子を育てている」

「え!? ろ、ロイドさんを知ってるのか!?」


 ローグさんの口からロイドさんの名前が出るとは思ってもなくて思わず問いかけると、ローグさんはニヤッと口角を歪ませる。


「当然だ。まぁ、この稽古が終わったら話してやろう。今は__集中しろ」


 本当なら今すぐにでも聞きたいけど、そう言われたら仕方ない。

 今は稽古に集中する。感覚を研ぎ澄ませ、ローグさんを一点に見つめた。

 そして、俺は自分からローグさんに向かっていく。俺じゃローグさんの攻撃を防ぐことも、避けることも難しい。なら、攻めるのみ__ッ!

 一瞬で距離を詰め、剣を振り上げるとローグさんはスッと流れるように一歩前に出た。

 振り下ろした俺の剣に対して、ローグさんは撫でるように剣を添えると滑らかに受け流してくる。

 剣と剣が合わさった感触もなく、俺は流れるように体勢が崩れてつんのめりながらローグさんの横を通り過ぎた。


「こ、の__ッ!」


 倒れそうになる体をどうにか踏ん張って堪え、そのまま剣を薙ぎ払う。だけど、その攻撃もローグさんはまるで水のように流動的な動きで受け流した。

 何度も何度も攻撃しても、全部受け流される。その度に転びそうになるのを必死に堪え、負けじとローグさんに向かって行った。

 ローグさんの動きは洗練されている。流れるような足捌き、滑らかで柔らかな剣捌き。

 どれだけ攻撃してもまるですり抜けるように俺の攻撃が当たらなかった。

 完璧なまでの柔の剣に翻弄されていた俺は、焦りから動きが乱れてしまった。

 それを__ローグさんほどの実力者が見逃すはずがない。


「__功を急いだな? まだまだ未熟よ!」

「うぉ!?」


 振り下ろした剣を流さずに受け止めるとそのままグルリと剣を絡ませながら回され、俺の剣が綺麗に跳ね上げられた。

 抵抗も出来ずに俺は無防備になり、ローグさんはニヤリと笑いながら振り上げた剣を振り下ろしてくる。


「__ガッ!?」


 咄嗟に剣を横にして受け止めると、重い一撃に膝が折れ曲がった。怯んだ俺に、ローグさんは容赦なく剣を振り上げてくる。


「危なッ!?」


 仰け反りながら振り上げられた剣を避けると、顎先を野太い風切り音が通り過ぎた。空を斬った剣の風圧にたたらを踏んで距離を取ろうとすると、ローグさんは追いかけ様に剣を薙ぎ払ってきた。

 怒涛の攻撃の嵐に、俺は攻めることが出来ずに防戦一方になる。通り過ぎていく暴風のような剣の風圧、暴力的な連続攻撃。

 さっきまでは柔の剣だったのに、今のローグさんは力で押し潰すような__剛の剣。

 柔の剣で相手の攻撃をいなし、受け流す。剛の剣で相手の防御ごと押し潰し、圧倒する。

 柔と剛を操るローグさんにどうにか一矢報いようと、右足を踏み込んで反撃に出ようとした。


「__足元にも気を配れ」


 それすら見抜いていたローグさんは、俺が右足を踏み込んだ瞬間に足払いをかける。綺麗に足払いが決まり、俺は背中から地面に倒れた。

 マズイ、とすぐに起き上がろうとすると……俺の頬スレスレに剣が地面に突き刺さる。

 ローグさんは倒れている俺を見下ろしながら、ニカっと笑った。


「まだやるか?」


 その言葉に俺は、ため息を吐きながら両手を上げる。


「降参。まいった」


 これが実戦なら、俺は剣に突き刺されて死んでいた。

 完全に俺の敗北だ。負けを認めると、ローグさんは地面から剣を抜いて腰に差していた鞘に仕舞う。

 そして、爆発したように練兵場に歓声が響き渡った。


「すげぇ! あのローグ卿相手にすげぇよ、あいつ!」

「素晴らしかったぞ!」


 騎士たちは俺を褒め称え、拍手を送っている。

 倒れたまま呆気に取られていると、ローグさんが俺に手を差し伸べてきた。


「立てるか?」

「あ、はい」


 ローグさんの手を借りて立ち上がると、レイドが俺に声をかけてくる。


「タケル、いい戦いだったな」

「……負けたのに褒められるのって、なんか釈然としないなぁ」

「ハハッ、そう言うな。ここにいる騎士でも、ローグ様相手にあれだけ戦える者はいない。ローグ様の強さを知っているからな」


 でも、俺は勝ちたかった。相手がどれだけ強くても、負けたくなかった。

 悔しくて俯いていると、ローグさんが笑いながら口を開く。


「負けを認め、そして悔しがる。それこそ、若者の特権だ。タケル、お前はまだまだ強くなれる。まったく、いい弟子を見つけたものだなロイドは」

「あ、そうだ。ロイドさんのことを知ってる……んですよね?」

「ククッ、敬語など使わなくてもいい。レイドもそうだが、最近の奴らは妙に大人しいのばかりでな。お前ぐらい気軽に話せばいいものを」

「……ローグ様。さすがにそれは酷ですよ」


 ローグさんの言葉にレイドが気まずげに頭を下げる。見た感じ、ローグさんは騎士たちに尊敬されてるみたいだし、タメ口で話すのは無理だろう。

 まぁ、俺は気にしないけど。本人が言うなら、敬語はやめるか。


「で、ローグさん。ロイドさんの話を聞きたいんだけど?」

「あぁ、そうだな……場所を変えて話をしよう。おい、レイド。お前も来い」

「私もですか? 分かりました」


 俺とレイドはローグさんに連れられて練兵場を離れ、城に戻るのだった。

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