二十五曲目『自責の念』

 夢を、見ていた。


 空は重苦しさを感じるほどに黒い暗雲に覆われ、稲光が走っている。

 そこは廃墟と化した街並み……昔のアストラだ。


「……グルルルッ!」


 苛立たしく喉をうならせているのは巨大な黒いドラゴン、災禍の竜。

 堅い強固な黒色の甲殻がヒビ割れ、血を流しながら災禍の竜は大きな双翼を羽ばたかせて空を飛んでいる。

 その目の前には、一人の女性の姿があった。


「ーーグルゥオォォォォォォォォォォンッ!」


 災禍の竜は雄叫びを上げると、暗雲から雷の雨を降らせる。女性は手に持った剣をまるで指揮者のように構えると、剣身に紫色の魔力を纏わせた。


 そして、剣を薙ぎ払うとーーその一撃で雷の雨がかき消される。


 音の衝撃波はそのまま上空にいる災禍の竜を襲い、直撃した。体全身に伝わる音の衝撃に、災禍の竜は苦悶の表所を浮かべながら地面に落下する。

 轟音を響かせて地面に倒れた災禍の竜は、反撃とばかりに口から火球を吐き出した。女性の何倍もある大きさの火球が炎をうならせながら迫り来る。

 だけど女性は剣を構え、また紫色の魔力を剣身に纏わせた。


「ーー<レイ・スラッシュ・協奏曲コンチェルト>」


 放たれたのは何十にも重ねられた音の衝撃波を纏った一撃。火球は音の衝撃に押され、霧散し、地面を砕きながら災禍の竜を襲った。

 災禍の竜は口から血を吐き、また倒れる。

 生きた災害と言われる災禍の竜をたったの一人で、互角以上に渡り合っている女性……英雄アスカ・イチジョウ。


 これが、本当の英雄……勇者の姿。


 あぁ、なんてことだろう。あの人の背中は、近くにいるはずなのに遠く感じる。いや、最初から分かっていたことだ。


 だって、あの人は……俺の憧れ、理想なんだから。

 

 視界が徐々に遠のいていく。意識が目覚めようとしているようだ。

 遠く、遠くに離れていく英雄の背中に、手を伸ば

す。決して届かない、絶対に追いつけない、その背中に。

 そこでふと、あの人が振り向くと口を動かして何かを言っている。でも、その声は聞こえなかった。


 そして、俺は目を覚ました。


「ーータケル!」


 俺を呼ぶやよいの声が聞こえる。重い瞼を開き、霞んだ視界には天井が広がっていた。

 少し体を動かしただけで、痛みが走る。顔をしかめながらゆっくりと顔を動かすと、目に涙を浮かべたやよいの姿があった。


「や、よい……?」

「もう、バカ! タケルのバカ! どうしてあんなのに立ち向かったの!? 死ぬところだったんだから!」


 やよいは栓が抜けたように涙を流しながら怒鳴る。ぼんやりとしていた思考が動きだし、ようやく自分がやってしまったことを思い出した。


「やよい、災禍の竜はどうなった……?」


 俺は自分の手で災禍の竜を復活させてしまった。どれぐらい寝ていたのかは分からないけど、少なくとも災禍の竜が復活してから何日かは経っているだろう。

 俺の問いかけに答えず俯きながら黙り込むやよい。すると、部屋に包帯を持った真紅郎が入ってきた。


「タケル? よかった、目を覚ましたんだね。今、包帯を変えるから……」

「待ってくれ、真紅郎。災禍の竜は? あれから何日経った? 今、世界はどうなってる?」

「ちょっと落ち着いて。包帯を変えながら話すよ」


 矢継ぎ早に聞く俺に、真紅郎は苦笑しながら窘めてくる。

 やよいに支えて貰いながら体を起こし、体に巻かれている包帯を外しながら真紅郎が真剣な表情で語り出した。


「あの戦いから二日経ってる。災禍の竜はどこかに飛び立っていったよ」

「二日も寝てたのか、俺は」


 どうやらあれから二日も経っていたらしい。その間に災禍の竜が暴れてるんじゃないのか、と思ったけど真紅郎は首を横に振った。


「いや、そういう話はまだ聞いてないね。話に聞いていた災禍の竜なら、すぐにでも暴れ出しててもおかしくないはずなのに……逆に怖いぐらいだよ」

「何も? じゃあ、まだどこかの国が滅んだりはしてないんだな?」

「今のところは、ね」


 不幸中の幸い、って奴だな。災禍の竜は一日で国が一つ滅びるぐらい強大な力を持っている。それなのにまだ何もしてないらしい。

 真紅郎の言う通り逆に怖くなるぐらいだ。だけど、まだ最悪の事態には陥ってないのなら、少し安心だ。

 真紅郎は俺の体に包帯を巻き終わると、窓の向こうを見つめる。その視線の先は、俺が最後に見た災禍の竜が飛んでいった方向だ。


「……魔族のレイドのことなんだけど」

「レイド! そうだ、あいつは無事なのか……うぐっ」


 真紅郎が話題に出したレイド。災禍の竜との戦いで傷ついていたことを思い出した俺はつい身を乗り出し、全身に走る痛みにうめく。

 すると、慌ててやよいが俺の体を支えた。


「ちょっとタケル! 無理して動かないで!」

「わ、悪い。それで、あいつは?」

「レイドはもういないよ。昨日目を覚まして、すぐに災禍の竜を追って旅立った」


 下手すると俺よりも重傷のはずなのに、レイドはもう旅立ったようだ。

 目を丸くして驚いていると、真紅郎は静かにため息を吐いた。


「最初は止めたんだけどね。なんか、災禍の竜が向かった先はレイドにとってかなり不味かったらしいんだ。詳しくは教えてくれなかったけど、あの様子だと相当なことみたい」


 そして、真紅郎は言い辛そうにしながら、意を決したように口を開く。


「レイドからの伝言。災禍の竜が復活してしまったのは、我らの失態だ。故に、私はこの事態の収拾を図らねばならない。貴殿はあくまで被害者だ。間違っても、自責することがないように……だってさ」


 レイドからの伝言を聞いて、俺は歯をギリッと鳴らした。

 俺が復活させてしまったのに、レイドは俺の責任じゃないと言ってくれている。


 俺は被害者で、自責するな……か。 


「んなこと、無理に決まってんだろ……ッ!」


 心の奥底から沸き上がってくる悔しさと怒り、そして罪の意識に拳を握りしめる。

 すると、真紅郎は静かに首を振って俺の拳に手を置いた。


「あれはタケルのせいじゃないよ。あんなの誰も予想できなかったし、知らなかったんだ。そもそも、竜魔像を取り返す作戦はボクが立案したこと。タケル一人が責任を感じることじゃないよ」

「そうだよ。あたしだって責任はある。一人で抱え込まないでよ」


 真紅郎とやよいが言っていることは、本心からの言葉だってことは伝わってる。

 だけど、今の俺には気休めにもならなかった。

 誰もが俺のせいじゃないと言ったとしても、俺は自分のせいだと思っている。

 俺が触れなければ、災禍の竜が復活することはなかった。知らなかったとは言え、それは言い訳にはならない。


 無知は罪。その言葉を、痛く思い知らされる。


 前髪をクシャリと握りしめながら、泣きそうになるのを堪えた。泣いている姿を二人に見られる訳にはいかない。

 体を震わせながら俯かせていると、やよいが俺の肩を優しく撫でてきた。


「……タケル」


 心配そうに声をかけてくるやよいに、何も返事が出来ない。今口を開けば、必死に堪えている涙が落ちそうになるから。

 そのまま黙り込んでいると、扉から強めのノックが聞こえてくる。そして、返事を待たずに扉が開かれるとそこにはアスワドがいた。


「よう。邪魔するぜ、死に損ない」


 全身に包帯を巻き、松葉杖を突きながらアスワドは不敵な笑みを浮かべて部屋に入ってくる。


「アスワド? どうしたの?」


 突然やってきたアスワドにやよいが首を傾げると、アスワドは俺をジッと睨みながら静かに口を開いた。


「すまねぇ、やよいたん。ちょっとそこの死に損ないと二人にしてくれねぇか?」


 アスワドは入ってくるなり俺と二人にさせてくれと頼んできた。

 やよいは戸惑いながら返事をしようとすると、真紅郎がやよいの肩に手を置く。


「やよい、部屋を出よう」

「え、でも……」

「いいから、ほら」


 何かを察したのか、真紅郎は強引にやよいの手を引いて部屋を出ようとする。心配そうに俺を見つめながら、やよいは真紅郎と一緒に部屋からいいなくなった。

 残された俺とアスワド。なんの用なのかと訝しげにアスワドを見ると、アスワドは呆れたようにため息を吐く。


「無事なようで残念だ。あのままくたばってくれててよかったのにな」

「……うるせぇよ。お前こそ、俺よりも怪我が酷そうだな。死に損ないはどっちだよ」

「ハンッ! こんなの大したことねぇよ。鍛え方が違うんでね……まぁ、いい。ちょっと座るぞ」


 軽口を叩き合っていると、アスワドはベッドの横に置かれていたイスにドカッと座り、天井を見上げた。

 そのまま無言の時間が流れていると、少ししてアスワドから口火を切った。


「おい赤髪……てめぇ、どうするんだ?」


 いきなりの問いかけに、首を傾げる。するとアスワドは深いため息を吐きながら、琥珀色の瞳で鋭く俺を睨んだ。


「これからどうするのか、って意味だ」

「どうするって、それは……」


 これからどうするのか。すぐに答えようとして、何も考えてなかったことに気づく。

 いや、考えないようにしていたという方が正しいかもしれない。

 何も言えずに黙り込んでいると、アスワドは苛立たしげに舌打ちした。


「なんも考えてねぇのかよ。それでも仲間を率いる頭か?」

「別に、俺はそんなんじゃ……」

「いいや、違わねぇ。なんだかんだで、てめぇが舵を取っているんだよ。自覚してようがしてなかろうがな」


 俺はそんなつもりじゃないけど、アスワドの目からは俺がRealizeのリーダーに見えるらしい。

 すると、アスワドは面倒くさそうに頭をガシガシと掻いた。


「てめぇの舵取り次第で仲間の進む道が決まる。てめぇがこれから先のことを考えなきゃ、仲間は迷ったままだ。そんなの、頭がやることじゃねぇ」


 そして、アスワドは「もう一度聞く」と話を切ってから、再び問いかけてくる。


「てめぇは、これからどうするんだ?」


 射抜くような鋭い視線に、思わず顔を俯かせた。

 これからどうするのか、俺たちがどんな道を進むのか……今ここで、俺が決めないといけない。


 だけど、俺には分からなかった。


 旅を続ける、それは間違いない。でも、どこに行くというのか。

 魔族と話し合いをする、それも大事だ。俺たちが思っているような、世界を我が物にしようとしている極悪な種族なんかじゃなかった。

 魔族は世界を守るために、世界を敵に回してでも動き回っていたんだ。魔族の狙いを、真意を聞かないといけない。

 あと残されているのは……災禍の竜だ。


「お、れは……」


 一気に乾ききった喉で言葉を紡ごうとして、止める。

 災禍の竜。俺が復活させてしまった、最悪のモンスター。

 その責任を、俺は償わなければならないだろう。あいつが世界を滅ぼすのを阻止しないといけないはずだ。


 だけど、俺に勝てるはずがない。俺は英雄でも勇者でもない。ただの人間だ。


 そんなのがあの伝説のモンスター相手に戦うなんて、無謀でしかない。そもそも、俺が戦うと言ったらRealizeのみんなも一緒に戦おうとするはずだ。

 それだけは避けたい。俺は、みんなに死なれたくない。俺自身も死にたくない。

 俺たちは全員生きて、元の世界に戻らないといけないんだ。元の世界に戻って、夢見ていたメジャーデビューするんだ。だから、この異世界で死ぬことは絶対に許されない。


「俺は……ッ!」


 でも、俺の心が叫んでいる。

 災禍の竜を放っておいていいのか、と。

 自分が復活させてしまった災禍の竜はいずれ暴れだし、世界を恐怖に陥れるだろう。昔のアストラのように罪なき人々を蹂躙し、国を滅ぼすだろう。


 それを俺は……無視出来るのか?


 頭の中がこんがらがってくる。逃げるのか、戦うのか、無視するのか、立ち向かうのか。

 どうしたらいい? 俺は、どうするのが正しい? 答えが出ない。考えが纏まらない。

 頭を抱えて悩んでいると突然立ち上がったアスワドに、襟首を掴まれた。

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