二十四曲目『厄災の蹂躙』

 災禍の竜。

 大昔に世界を恐怖に陥れ、暴虐の限りを尽くしていた生きた災害。

 前に訪れた国、アストラをほぼ壊滅させ……英雄アスカ・イチジョウの手によって封印されていたという、伝説のモンスター。


 それが今、俺たちの頭上で産声を上げるように、咆哮していた。


 ビリビリと世界が、天が、地が震える。耳をつんざく咆哮に本能が今すぐここから逃げろと叫ぶけど、体が言うことを聞かなかった。

 身の毛がよだつ恐怖に指一本も動くことが出来ない。体がガタガタと震え、冷や汗が止まらなくなる。


「どう、して……」


 カラカラに乾ききった喉を絞り出すようにして呟く。

 アストラで見た夢で出てきた災禍の竜が、今まさに頭上にいた。

 どうしてそんな存在が復活したのか……と、そこでレイドが言っていた言葉を思い出す。


「まさか……俺が、封印を解いたのか?」


 レイドは俺にだけは絶対に竜魔像を触らせたくないと、止めようとしていた。俺が触れば、世界が終わってしまうとも。

 竜魔像を取り返すことに必死になっていた。そうしないと、俺たちは負けてしまうから。少しでもレイドに一泡吹かせたいと思って、手を伸ばしたけど……それは、間違っていた。


「俺が、あれを……ッ!」


 まさかこんなことになるなんて、予想していない。いや、出来るはずもなかった。

 だけど結果的に、俺が災禍の竜を復活させてしまった。その事実に愕然とする。

 悔しさも、怒りも沸かない。心に残っているのは罪の意識と、恐怖だけだった。


「……タケル。貴殿が責任を感じることはない」


 そこで、レイドが静かに語りかけてくる。

 ゆっくりと顔を上げてレイドを見ると、レイドは申し訳なさそうに顔を歪ませていた。


「我らが秘密裏に動いていたのが、そもそもの悪手だったのだ。我ら魔族と呼ばれる者たちの言葉なぞ、誰も信じてくれるはずがないと……そう思っていたからな」


 レイドは静かに深呼吸すると、歩き出す。手に持っていた剣を構え、災禍の竜を鋭い眼差しで睨みながら口を開いた。


「貴殿らは生き残るのに必死だった。私に勝つために活路を見いだそうとしていた。貴殿らとの戦いを楽しんでいた私が悪い……だから、タケル。貴殿が罪の意識を感じる必要はない」


 そう言ってレイドは剣の柄を力強く握りしめると、ダブルバレルを空を飛ぶ災禍の竜に向け、赤い魔法陣

を展開する。


「ーーここは私に任せろ。貴殿らは逃げるのだ……ッ!」


 そして、レイドは剣の柄にある引き金を引いた。

 放たれた赤いレーザー光線は災禍の竜に向かっていき、闇のように黒い光沢のある甲殻に直撃する。


「ーーグルルル」


 だけど、災禍の竜は赤いレーザー光線を受けながらチラッとレイドの方に血のように紅い瞳を向けると、煩わしいとばかりに体を振った。

 たったそれだけの動作で、レーザー光線は弾かれる。


「……私一人で勝てるような相手ではないだろう。だが、諦める訳にはいかない! 世界を守るため、例え一人であろうと戦う! 相手をして貰うぞ、災禍の竜よ!」


 弾倉を取り替えながら、レイドは走り出した。

 災禍の竜に向かってレーザー光線を、炎の槍を放つ。それを災禍の竜は軽く尻尾で振り払い、とうとう面倒に思ったのか咆哮しながらレイドに向かって火球を放ってきた。

 レイドは向かってくる火球を剣で受け止め、あまりの威力に吹き飛ばされる。地面を転がり、焼け焦げた黒い鎧が砕かれても立ち上がって災禍の竜に立ち向かっていた。


「タケル! タケル、大丈夫!?」


 地面に倒れたままレイドが戦っている姿を見つめていると、やよいが駆け寄ってくる。

 目に涙を浮かばせ、顔を青ざめさせながら俺を抱き抱えたやよいの手は、恐怖で震えていた。


「逃げよう! 早く逃げようよ、タケル! あたしたちじゃ、あんなの相手出来る訳ない!」

「や、よい……」


 やよいは涙を流しながら必死に俺を引きずり、この場から離れようとする。どうにか力の入らない足に鞭を打ちながら立ち上がった俺は、やよいに肩を貸して貰いながら歩き出した。


「やよい、俺は……俺が、あいつを……」

「いいから! もう、いいから! とにかく逃げよう!」


 俺の言葉を泣き叫びながら、やよいは遮る。

 レイドは責任を、罪の意識を感じる必要はないと言っていたけど……それは、無理だ。

 俺があの災禍の竜を復活させてしまった。俺のせいで、災禍の竜はまた世界を滅ぼそうとしている。

 無力感と悔しさに苛まれ、歯を砕かんばかりに食いしばる。


「タケル、大丈夫!?」

「ヘイ、こいつはやべぇぜ……ここから離れるぞ!」

「……手伝う」


 そこで真紅郎がウォレスに肩を貸しながら声をかけてきた。さすがのウォレスもこの状況には笑みが引きつっている。

 駆け寄ってきたサクヤは俺に肩を貸し、やよいと二人で俺を支えてくれた。


「悪い、みんな……俺のせいで、災禍の竜が……ッ!」

「……こんなの、誰だって予想出来なかったよ。悔やんでも仕方ない、今は逃げて、それからどうするかを考えよう」


 俺の言葉に真紅郎は静かに首を横に振る。

 今はとにかくここから逃げることが先決だろうけど……どこに逃げればいいんだ?

 振り返り、災禍の竜と戦っているレイドを見つめる。

 レイドはもはや形をなしていない鎧を砕かれながら、何度も地面を転がっていた。対する災禍の竜は炎の吐息を、風の刃をレイドに向かって放ち続けている。

 これはもう戦いじゃない、蹂躙だった。


「ーーテアァァァァァァァァッ!」


 それでも、レイドは諦めていない。

 ボロボロになり、血を流し、傷ついても……その目には、災禍の竜を倒そうという気迫が感じられた。

 レイドは……魔族たちは、災禍の竜の復活を狙って訳じゃなかったんだ。 

 

 災禍の竜の復活を阻止しよう・・・・・としていたんだ。


 だけど、魔族の言葉をこの世界の住人は信じる訳がない。世界を恐怖に陥れる凶悪な種族、とされている魔族に強力する人なんているはずがない。

 だから、魔族は秘密裏に竜魔像を盗んで回っていた。世界を守るために、孤独だとしても……。


「それを、俺は……ッ!」


 台無しにしてしまった。

 何が勇者だ。何が、英雄だ……ッ!

 そんな言葉に俺は、心の奥底で調子に乗っていたんだ。世界を守るために戦えるんだと、勘違いしていたんだ。


 俺はやっぱり、勇者にも英雄にもなれない。


「無力だ……俺は……ッ!」


 自分をぶん殴りたくなる衝動に駆られる。口では勇者でも英雄でもないと言っていた癖に、心の底では自分が特別なんだと自惚れていたんだ。

 勇者とか英雄というのは、今災禍の竜と戦っているレイドや、世界中の人々が敵に回っても、世界を守ろうとしていた魔族たちにこそ相応しい称号だ。


「ーーグアッ!?」 


 災禍の竜と戦っていたレイドは、放たれた火球の爆風に巻き込まれてうめきながら地面を転がる。

 それでも剣を杖にしながら立ち上がろうとするレイドだけど、ガクッと膝が折れて倒れ伏した。


「ここまで、か……」


 レイドはもう戦える状態じゃない。そもそも、災禍の竜相手に一人で戦うこと事態が無茶なことだ。

 災禍の竜は倒れているレイドをギョロリと睨みながら、笑みを浮かべていた。

 そして、口を大きく開けると空気を吸い込み始める。あいつは今、レイドに向かってとどめを刺そうとしていた。

 レイドはどうにか体を動かそうとしているけど、一歩も動けずにいる。このままだと、レイドは災禍の竜に殺されてしまう。

 ギリッ、と歯を鳴らした俺は肩を貸してくれている二人から離れ、動き出した。


「タケル!?」


 突然のことに驚きながら、やよいが俺に手を伸ばしてくる。

 その手から逃げるように、俺は走り出していた。


「やめ、ろ……」


 言うことを聞かない足を必死に動かし、レイドに向かって走る。

 ほんの僅かに残された魔力を剣身に集め、災禍の竜を睨みつけた。


「やめろ……ッ!」


 勝てるはずがない。適うはずがない。

 俺は勇者でもないし、英雄でもない……ただの一般人。ただのボーカルだ。


「ーーやめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」


 倒れているレイドを守るように、災禍の竜の前に躍り出る。紫色の魔力が光り輝く剣身を居合いのように構えた。


 例えただの一般人だとしても。

 目の前で人が殺されそうになっているのに、何もしないほど……ッ!


「ーー人間、出来てねぇんだよぉぉぉぉぉぉッ!」


 災禍の竜の口から、巨大な火球が吐き出された。

 まるで太陽のように炎を唸らせながら向かってくる火球に、俺は剣を薙ぎ払う。


「ーー<レイ・スラッシュ・三重奏トリオ!>」


 最後の力を振り絞ったレイ・スラッシュを、火球に向かって放った。

 音属性を纏ったの一撃が、火球とぶつかり合う。

 三重の音の衝撃が火球を押し戻そうとするけど、火球の威力は尋常じゃない。そのまま押し返されそうになっていた。


「ーーオォォ、アァァァァァァァァァッ!」


 喉が張り裂けるほど、雄叫びを上げる。

 そして、音の衝撃波を喰らった火球が爆発した。

 轟音と爆風に、俺とレイドは吹き飛ばされる。まき散らされた火の粉に体を焼かれながら、地面を力なく転がった。


「か、は……」


 視界がグルグルと回っている。魔力が空になり、意識が飛びそうになる。

 火傷を負った体には、もう痛みを感じなかった。どうやら痛覚が限界を超え、感覚が麻痺しているようだ。


「グルルル……」


 頭上にいる災禍の竜が喉を鳴らしているのが聞こえた。重くなってくる瞼をどうにか開いて災禍の竜を見てみると、災禍の竜はまるで驚いているかのように目を見開いていた。

 そして、災禍の竜は楽しげに笑みを浮かべる。


「ーータケル!」


 やよいの悲痛の叫びが聞こえてくるけど、今の俺は返事も出来なかった。

 災禍の竜は遠方を眺めるとその方向に飛び立っていく。

 その姿を最後に、俺の意識が落ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る