二十一曲目『悪化』
倒れたシランをすぐに家まで運び、ライラック博士に診て貰った。
ライラック博士は深刻そうな表情を浮かべながらも、「今のところ命に別状はなさそうだ。時期に目が覚めるだろう」と話す。
ベッドの上で静かに眠っているシランのそばを、やよいは離れようとしなかった。シランの手を祈るように握りしめ、涙を堪えていた。
痛々しいその姿が見ていられなくなり、俺たちはソッと部屋から出た。
そして、リビングにいた険しい顔をしているライラック博士とジーロさんに頭を下げる。
「すいませんでした……俺が、軽率なことを言ったばかりに……こんなことになってしまって」
俺が思いつきでシランとライブをしよう、なんて言わなければこんなことにはならなかったはずだ。
俺に続いて真紅郎、ウォレス、サクヤも深々と頭を下げた。
シランに無理はさせない。そう、約束していたのに……俺は、それを守れなかった。信頼を裏切ってし
まった。
後悔と罪悪感に苛まれ、胸が締め付けられる。すると、ライラック博士はゆっくりと首を横に振っていた。
「頭を上げてくれ。私は怒っていない」
「ですが……ッ!」
「いいんだ。シランのこと思って提案してくれたんだろう? 父親として嬉しかったんだ」
それでも頭を上げない俺に、ライラック博士はポンッと肩を叩いてくる。
「気にするな、とは言わない。だが、気にしすぎるな。シランは本当に楽しそうにしていた。ステージの上で輝いていた。あんな姿、私は初めて見たぞ」
「えぇ、そうですね。ボクも初めて見ました。ますます惚れてしまいましたよ」
頭を上げると、ライラック博士とジーロさんはライブのことを思い出しているのか優しく微笑んでいた。
こんなことになったのに、どうして二人は俺たちを責めないのか。本当だったら、怒って殴ってきそうなのに。
そんなことを思っていると、ライラック博士は静かに目を閉じる。
「シランがこうなってしまったのは、残念だ。だが、タケルたちを責めるつもりはない。遅かれ早かれ、こうなるのは分かっていたんだ。だから、笑え! 暗い顔をするな! 胸を張れ! そして……ありがとう」
こともあろうにライラック博士は俺たちに頭を下げてきた。
思ってもなかった反応に唖然としていると、頭を上げたライラック博士は目に涙を浮かべていた。
「ステージの上のシランは堂々としていた。多くの人から陰口を叩かれ、病気のせいで辛い目に遭っていたのに、それでもシランは真っ直ぐに歌声を届けていた……その姿が、本当に美しく、綺麗だった。思わず妻のことを思い出してしまったよ」
ライラック博士が噛みしめるように目を閉じると、頬に一筋の雫が流れる。
「そんな大事な娘の晴れ姿を見ることが出来て、私は満足だ」
「博士……」
「その切っ掛けを作ってくれたタケルたちを、どうして責めることが出来るんだ?」
ライラック博士の優しい言葉に、少しだけ気持ちが軽くなった。
ジーロさんもライラック博士と同じ考えなのか、柔和な笑顔で頷いている。
本当に、優しい人たちだ。自分の娘、婚約者が倒れてしまう切っ掛けを作った俺たちを、この二人は怒らないでいてくれる。
二人への敬意を込めて、もう一度頭を下げるとリビングにバタバタと慌ただしくやよいが入ってきた。
「し、シランが目を覚ました!」
その言葉に俺たち全員がシランの部屋に向かう。
シランはベッドに横になったまま部屋に入ってきた俺たちに、儚げに笑いかけてきた。
「シラン! 大丈夫か!?」
「パパ……私、倒れてしまったんですね」
目を覚まして現状を理解したシランが起き上がろうとすると、少し体が持ち上がったところで力なくベッドに倒れ込んでしまう。
ライラック博士は「無理するな。寝ていろ」とシランに優しく声をかけながら、診察を始め
た。
体調を確認し、両足を触診していると……ライラック博士が目を見開いて愕然とする。
「シラン……もしや、両足が……」
絞り出すように問いかけるライラック博士に、シランは困ったように笑いながら口を開いた。
「はい……どうやら、両足が動かなくなってしまったようです」
シランの告白に、膝から崩れ落ちそうになる。
片方だけじゃなく、両方とも動かなくなってしまった。もう自分の力で立つことが出来なくなってしまった。
話を聞いたやよいは真っ青な顔をしてプルプルと体を震わせる。
「そんな……こんなことになるなら、ライブになんか誘わなきゃ……」
「そんなことない!」
ライブに誘ったことで、シランの両足が動かなくなっていまうほど悪化させてしまった。
その事実にやよいが腰が抜けたように膝を着き、ベッドに手をついてうなだれながら絶望していると、シランはやよいの言葉を大声で否定する。
「私は楽しかった! 誘ってくれて本当に嬉しかったんだよ!」
シランは震える手を伸ばしながらやよいの頭を優しく撫で、微笑んだ。
「あんな経験、生まれて初めてだった。あんなにみんな盛り上がって、楽しそうにしてて、喜んでくれた。嬉しかった……私にも、みんなを幸せに出来るんだって。生まれてきてよかったんだって、思えるぐらい」
「シラン……」
シランの優しい言葉にやよいがゆっくりと顔を上げる。堪えきれずに溢れた涙がポロポロと落ちていく。
シランはクスッと小さく笑いながら、やよいの涙を手で拭った。
「ありがとう、やよい……やよいたちが、おんがくに夢中になる理由が分かったよ。らいぶをして、私の世界は広がった。あの時、あの瞬間、私は幸せだった。本当に、ありがとう」
「しらん……ッ!」
やよいはシランの胸の飛び込み、嗚咽を漏らしながら強く抱きしめる。シランもやよいを抱きしめ、慰めるように背中をポンポンと叩いていた。
「もう……やっぱりやよいは泣き虫さんだね?」
「ひぐっ……うる、さい……そんなに、泣いてないもん」
「そう? 結構泣いてると思うけどなぁ?」
「ぐすっ……ないてないってばぁぁ……」
「はいはい」
泣きじゃくってるやよいを優しい聖母のような笑顔で抱きしめるシラン。
二人の邪魔になると思い、俺は真紅郎たちに目配せする。
そして、俺たちはこっそり部屋から出て二人き
りにした。
「……ヘイ、タケル。これからどうする?」
部屋から出ると、珍しく真剣な表情でウォレスが聞いてくる。
これからどうするか、そんなこと決まってるだろ?
「シランの病気を治す」
「……ハッハッハ! そんな当たり前のことは聞いてねぇよ! オレは、そのためにどうするのかを聞いてるんだ!」
はっきりと言い放つと、ウォレスはポカンとしていた。だけどすぐにいつもの調子で笑い出す。
「それは……ライラック博士の研究を手伝う!」
シランの病気を治すには、ライラック博士の研究が上手くいかないといけない。
そのためなら、俺はどんなことでも手伝う。それしか出来ない。
俺の答えに、ウォレスはニヤリと笑った。
「ま、それしかねぇよな」
「うん、そうだね」
「……やるしかない」
ウォレスに続いて真紅郎とサクヤが力強く頷く。サクヤの言う通り、やるしかないんだ。
あんなに優しい少女を死なせる訳にはいかない。絶対に。
そのために出来ることをするために、俺たちはライラック博士に目を向けた。
「博士、俺たち何をすればいいですか?」
「……そうだな。材料集めは当然として、研究所にある文献を全て読み返す必要があるな。もしかすると、タケルたちのような研究者でない者が読んだら、新しい情報が手に入るかもしれない。あとは、黒いモヤについて一から調べ直してみよう」
最初はシランの姿を見て暗い表情だったライラック博士だったけど、俺たちを見て口角を上げてつらつらと今後の動きを話し出した。
落ち込んでいられない。気持ちを切り替え、これ以上病状を悪化させないようにする。
俺たちは役割分担をして、早速動き出した。
絶対に治療法を見つける、と……心に誓って。
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