十六曲目『天使の歌声』

「むぅ……やはり採取も不可能か」


 研究室で腕を組みながらライラック博士が忌々しげに呟く。そして、頭をガシガシと掻くと深いため息を吐いた。


「タケルとサクヤ、キュウちゃんが見ることが出来る黒いモヤ……どう調べればいいのやら」

「そうですね……ボクたちに見えない以上、調べるのは難しいです」


 ライラック博士と同じようにため息を吐いたジーロさんが頭を抱える。

 今、研究所ではライラック博士とジーロさんが必死に黒いモヤについて調べようとしていた。だけど、見ることも触ることも出来ない謎の黒いモヤに研究は難航している。

 俺も色々試してみたけど、俺とサクヤは見えるけど触れなかった。唯一黒いモヤに体当たりして見せたキュウちゃんなら、と思ったけどあれ以降キュウちゃんはシランのそばにいるだけで黒いモヤに何もしていない。

 そもそもキュウちゃんに研究を手伝って貰うのは難しいだろう。言葉はある程度は通じてるけど、研究のような細かい作業は出来ないからな。

 結果、八方塞がり。研究の目処が立っていない状態だ。


「……少し休むか」

「そうですね。タケルさんもずっと研究のお手伝いで疲れたでしょう?」

「まぁ、少しは。でも大丈夫ですよ?」

「いいから休め。ずっと気を張ってても研究が進む訳じゃないからな。休める時に休んでおいた方がいい」


 慣れない研究の手伝いで疲れてはいるけど、それで倒れるような柔な鍛え方はしていないし、少しでも早く治療法を見つけないといけないからな。

 そう思ってたけど、ライラック博士に言ってることも一理ある。ここはお言葉に甘えて休むとするか。

 研究所を出た俺は一階に降りてリビングに向かう。椅子に座って背もたれに背中を預けると、ドッと疲労が襲ってきた。

 思いの外、疲れてたみたいだな。ライラック博士の判断は間違ってなかったみたいだ。

 ボーッと天井を見つめながら体を休める。今、この家には研究所にいるライラック博士とジーロさん、そして俺だけ。

 ウォレスと真紅郎、サクヤは森に薬草採取に向かってていないし、やよいとシラン、キュウちゃんは裏庭にいるから家の中が凄く静かだ。

 ふとシランたちは大丈夫か気になり、窓から裏庭の様子を見てみる。そこには裏庭にある大きな木の下でくつろいでいる二人と一匹の姿があった。

 杖を傍らに置いて木に背中を預けているシランと、膝の上で丸くなっているキュウちゃん。その隣に座ったやよいはギターを弾いていた。

 窓を開けてみると爽やかな風がふわりと頬を撫で、風に乗ってやよいの鼻歌とギターの音色が聴こえてくる。

 いつものアンプに繋いだエレキギターの音ではなく、アコースティックギター……アコギの音になっていた。

 サクヤの魔装、キーボードみたいにやよいのギターはエレキの音とアコギの音が変えられる。エレキの力強く激しい音とは違い、哀愁を感じさせる静かで美しいアコギの音は、また違った良さがあるな。

 やよいが弾いているのはまだ完成していない新曲。歌詞も出来ていないから鼻歌だけだけど、綺麗で儚げな印象のメロディだ。

 俺だけじゃなくシランもやよいの演奏に聴き入り、キュウちゃんもフリフリと尻尾を振っている。

 演奏が終わると、シランはパチパチと拍手して微笑んでいた。


「凄くよかったよ、やよい!」

「そ、そう?」


 やよいは頬を赤く染めながら照れ臭そうに笑う。シランは何度も頷き、目を輝かせていた。


「おんがくって凄い……色々な感情を表現出来るし、色々な想いを聴いた人に伝えられるんだね」

「うん。あたしたちはロックバンド……結構激しい曲が多いんだけど、音楽にはこんな感じで静かなものもあるんだ。面白いでしょ?」

「面白い! ねぇ、やよい。今の曲はなんて曲なの?」


 曲名を聞かれたやよいは困り顔で頬を掻く。


「実はまだ完成してなんだよね。メロディもさっきのワンフレーズだけだし、歌詞も曲名もまだ出来てないんだ」

「そうなんだ……じゃあ、完成したらまた聴かせてくれる?」

「もちろん! 一番に聴かせる!」

「フフッ、嬉しい」


 二人は楽しそうに笑い合っていた。喧嘩してから二人の仲はかなり深まり、前以上に仲良くなっている。喧嘩するほどなんとやら、って奴だな。

 微笑ましい光景を眺めていると、やよいが何か思いついたのかニヤリと口角を上げながらシランに詰め寄っていた。


「ねぇ、シラン! シランも歌ってみようよ!」

「え? えぇぇ!? わ、私が!?」

「うん! 一緒に歌おうよ! ちゃんと教えるからさ!」


 やよいの突然の提案に迷っているシランだったけど、やよいの熱意に負けたのか不安げに頷いていた。

 それを見たやよいは嬉しそうにギターを構え直す。


「そうだなぁ……じゃあ、<壁の中の世界>にしよう!」


 演奏する曲を決めたやよいはゆっくりと深呼吸してから弦を鳴らす。

 原曲の<壁の中の世界>はロックだけど、やよいはアコギの音色のまま静かなバラードテイストに変えて演奏を始めた。


「君に届いているだろうか あの日の地の温もりは 君に聞こえているだろうか あの日君に伝えたかった言葉は……」


 やよいは目を閉じながらゆっくりとしたリズムでAメロを歌い上げる。

 元々、俺がRealizeに加入する前のボーカルはやよいだったから問題なく歌えている。むしろ、やよいの高く芯のある声とアコギの音色が相まって、<壁の中の世界>が違う一面を見せていた。


「遠く離れた見知らぬ土地で 君は同じ空を見て何を思う? 金魚鉢を買った部屋の小窓に置いた 水も砂も 魚も入れずにーー」

 

 Bメロ、Cメロと熱を帯びていく演奏が、Cメロの終わりに一瞬止まる。やよいのブレスが入ってから、一気に吐き出すようにサビが始まった。


「夜になると 君が見ているだろう星を入れるために 僕の声はこの小さな部屋でしか響かない 音は 広がる 世界を越えて 音は 繋がる 君にどうか」


 静かだけど力強さを感じさせる音色が奏でられ、やよいの歌声が綺麗に裏庭に響いていく。最後をフォールで音程を下げながらサビを歌い上げたやよいは演奏を止め、ゆっくりと息を吐いた。


「……こんな感じ! シランもやってみよう!」

「自信、ないなぁ」

「大丈夫! 最初から教えるから! まずは……」


 自信なさげなシランを励ましながらやよいは<壁の中の世界>を教え始めていた。

 ギターで音程を聴かせながら歌詞を教え、抑揚などの歌い方も指導する。最初は恐る恐るで棒読みだったシランも、慣れてきたのか楽しそうに笑っていた。


「いい感じ! ちゃんと歌えてるよ!」

「そ、そう?」

「うん! じゃあ、今度は教えたことを気にしながら試しに演奏付きで歌ってみよう!」

「わ、分かった!」


 やよいの教え方がいいのか、シランに才能があったのか。あっという間に<壁の中の世界>の一番を覚えて歌えるようになっていた。

 多分、シランの物覚えがいいからだな。やよいは教え方が……なんというか、雑というか。かなり抽象的だし。

 そんなこんなで、一度通しでやってみることになり、ちょっと緊張気味なシランを尻目にやよいがギターを弾き始めた。

 静かなイントロが奏でられ、シランは何度も深呼吸してから歌い始める。


「ーーお?」


 シランの最初の第一声を聴いて、俺は思わず身を乗り出した。緊張してるからちょっと声が強ばっているけど、この声は中々……。

 そこからAメロ、Bメロと続いていくと、緊張が解けてきたのか歌声が安定してくる。そして、Cメロが終わってサビに入った瞬間、俺は目を丸くした。


「この声は……ッ!」


 本来のシランの歌声に驚愕する。

 一言で表すなら……天使だ。

 柔らかで儚げで、それでいて芯がある綺麗な歌声は神聖さすら感じさせる、まさに天使の歌声。

 二人のいる場所だけが切り取られた淡いパステルカラーで描かれている絵画のように見える。柔らかな風が、揺れる花が、空を舞う花がシランの歌声に聴き入っているように思えた。

 確実に、逸材だ。

 俺たちの世界でも早々お目にかかれない、まさしく天性の歌声。その原石を見つけてしまった俺は、感動に打ちひしがれていた。

 ふと気づけば一番が終わり、緊張の糸が切れたシランが疲れたように深いため息を吐いている。終わったことすら気づけないほど、聴き入っていたようだ。


「いいよ、シラン! すっごく綺麗だった!」

「ほ、本当? 嬉しい! でも歌うのって体力使うんだね」

「あ……大丈夫?」

「うん、平気! むしろもっと歌いたい! 楽しかった!」

「でしょ!? 音楽って聴くのもいいけど、実際にやるのも楽しいんだよ!」


 二人がキャッキャと盛り上がっている中、俺は顎に手を当てて考える。


「……いいこと思いついた」


 頭に過ぎった考えに、俺は思わずニヤリと笑った。

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