第1140話 新たな滑り止め剤が発見されたようでした



「あれ? 何も付いていないような?」

「布に染み込ませておりますので、見た目にはほとんど変わりません。加工前はこのような色合いなのですが、加工後は無色透明に近くなりますな」

「成る程、だから見ただけではわからないんですね。ふむ、確かに他とは触り心地が違いますね」


 スリッパの裏、下底に触れてみると確かに他の部分とは違い、ツルツルした感触だ。

 よく見ると表面も少しテカっている。

 多分だけど、ゴムとは違うと思う……これは一体なんだろうか?


「ツルツルしていますけど、本当に滑り止めになるんですか?」

「はい。実際に履いてみて試すとよくわかりますよ」


 ハルトンさんに勧められるままに、持って来てもらったスリッパを履いてみる。

 クレアやリーザ達には、他の店員さんが試作した物を持って行って、そちらでも試し始めていた。


「なんでも、木型に使われたり、革の手入れに使う油らしいのです」

「油ですか……あぁ、確かにゴム程ではないですけど、あまり滑りませんね」


 ハルトンさんの話を聞きながら、スリッパがどれだけ滑らないかを試す。

 板張りの床だから、石床とはまた違うのかもしれないけど、滑って転ぶのはかなり防げるように思える。

 ちゃんと中敷きとして綿が入れてあるんだろう、最初の頃よりも履き心地もいい。


「加工する前のこちらですが……少し匂いを嗅いでみて下さい」

「あ、はい。すんすん……あー……確かにこれは木から採れた物なんですね」


 スリッパを試す俺に、加工前の板状に固まった物を差し出すハルトンさん。

 鼻を近付けて匂いを嗅いでみると、覚えのある独特な香り。

 日本でもある木で、日本人なら何度も見た事がある人が多い……松の匂いだ。


 いや、樹液だから松から出た物の匂いか。

 これ、松脂(まつやに)じゃないか? 固まると黄色っぽくなってガラスみたいに硬質化する、っていうのもそっくりだ。

 松脂は香料などにも使われるけど、滑り止めと考えたら野球のピッチャーが使っているのをよく見かける、あのロジンバッグが思い出される。

 ……あぁそうか、バレエのトウシューズにも使われると聞いた事があるから、スリッパに使われるのはある意味正しいのか、あっちは粉末だったはずだけど。


「はい。樹木から採れた油で、乾燥させると固まります。ですが、火で簡単に溶かす事ができ、少量のお酒と混ぜて煮沸すると無色透明に近くなるらしいのです」

「お酒と混ぜて煮沸……」


 てことは、混ぜてからあえてアルコールを飛ばすって事か。

 わざわざ混ぜたのは、その過程を経る事で樹液がなんらかの変化を起こすんだろう。

 松脂にそんな性質はなかったはずだから……匂いや見た目が似ている別物か? あと、松脂は乾燥ではなく冷やせば固まり熱すれば溶けやすい、だったはず。

 もしかすると、こちらの世界特有の植物なのかもしれない。


「そうしてできた物を染み込ませる事で、現在タクミ様方がお試しになられているスリッパの、下底になりますな。偶然できた物らしく、革を作っている者達が発見したようです」


 詳しく聞いてみると、革の手入れをするための油があり……そこに偶然お酒をこぼした人がいたらしい。

 さすがにそれを飲む事はできないけど、お酒がもったいないという事で火にかけたら分けられないか? なんてむしろアルコールを飛ばすだけの結果なのはわかりきっている事を、試したんだとか。

 まぁ、酔った勢いでの発想だったらしいけど……酔っているからこそ、お酒をこぼしもしたんだろう。

 そうして、できたのは無色透明の何か。


 当然ながらお酒の匂いすらなく、松脂特有の匂も消えていた。

 諦めて捨てようとしたところ、さらに床へとこぼしてしまった。

 掃除をしようと、雑巾……いらない布で拭いていたら、どうにも滑りが悪い……という、事から発見された物との事だ。


「……発見って、そうやって偶然されるものなのかもしれませんね」


 どうしてそうなったのか……冷静に考えると、奇妙にも思える偶然の連続で新しい発見がされる、なんて事は実際ある事なんだろう、多分。

 そして、紆余曲折を経てハルトンさんに伝わり、本当に滑らないのか試したところ、木と石に対して滑らないという事がわかった。

 それならスリッパに使ってみては? と考えてできたのが、今俺達が履いて試している試作品だ。

 ……ゴム、あんまり必要なかったかも?


「ただ、それらは布に染み込ませるので、耐久性の心配がございます。ゴムと違って貼り付けるわけでもありません」

「染み込ませても、布が丈夫になるわけでもなく……ほとんどそのままの耐久性、というわけですね」


 言われて、履いていたスリッパを脱いで手に持ち、下底を改めて触って確かめる。

 ほとんど布と変わらない感じだから、簡単に破ったり切る事ができそうだ。

 俺が作ったゴムは、切るのはともかく外で履いても多少荒っぽく使っても大丈夫という、理由のわからない高耐久性だから、それを考えると少々心許ない。

 熱に弱いのはゴムと一緒だけど……そもそも布製品に、耐熱仕様は期待していない。

 

「そこでです。タクミ様のゴムを取り付けた物だけでなく、今見せた油を染み込ませた物も、両方作るのはどうかと考えております。ゴムの方は少々価格を高くし、少量生産。こちらの油を使った滑り止めの方は、低価格で大量生産といった具合ですな」

「成る程……価格差を付けて買いやすくするのと一緒に、性能差も付けるって事ですね」


 ハルトンさんが考えているのは、それぞれ別の物として売り出すという事。

 耐久性が低い方は、買い替えが頻繁になる可能性も考えられるから、大量生産で多くの予約にも対応できるようにすると。

 安ければ買い替えるのも容易だし、それだけ多くの人が使ってくれるかも、という目論見もありそうだ。

 ゴムの方は価格を下げたとしても生産数の方で、どうしても引っかかるからなぁ……もっと大量に作れればいいんだけど、『雑草栽培』に頼っている現状では難しいか。


 既に注文をしている人達には、安価な商品としてそちらを勧めるとの事で、ハルトンさん曰くほとんどがそちらに代えるでしょうとの事。

 初めての物だから、安く済むなら安い方を買うって事だろう。

 むしろ、安く売り出せる物もできたので、そちらの注文数がもっと増える可能性が高いらしい。

 耳付き帽子に続いてスリッパがラクトスの人達の間で流行りそう、というよりハルトンさんは流行らせるつもりのようだった――。



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