第544話 アンネさんはまだ諦めてはいないようでした



「それにしても、公爵様について来ただけで、お父様のこと以外特に何かがあるとは思っていませんでしたのに、色んな事があり過ぎですわ。……まさか私が魔物のいる森へ入る事になるなんて」

「そうですか? ……確かに、アンネさんの立場なら、森に入る事なんてほぼないですよね」

「驚きの中には、タクミさんの事も入っているのですけどね。シルバーフェンリルだけでも驚きだというのに、それを従えている人間がいる。さらにはフェンリルの子供をクレアさんが……それだけでなくギフトまで……挙句の果てにフェンリルの親ですわよ? ちょっと追いつけませんわ」

「いや、追いつこうとはしなくても……いいと思うんですけどね?」


 レオや俺のギフト、シェリーにその親フェンリル達……確かにこの世界ではそうそうある事ではないというか、あり得ない事の連続とも言えるのかもしれないな。


「あと、一応訂正しておきますけど、レオは従えているのではなく、相棒ですからね? ……ちょ、わぷ……レオ、止めろって……」

「ワフ、ワフ!」

「そう言い切るだけでも十分、驚きなのですけれどね……」


 俺がレオを従えているとか、そういう意識は基本的ない。

 マルチーズだった頃の名残で、飼い主として注意したり、お願いしたりする事はあるが……内心では心強い相棒だ。

 アンネさんにそう言ったら、喜んでしまったレオが、しきりに尻尾をふりながら俺の顔を何度も舐めてきた。

 喜んで暮れて俺も嬉しいが、尻尾が焚き火に当たりそうだし……この状態じゃアンネさんと会話もできないから、少し落ち着こうな?


 レオの口を両手で押さえて閉じさせた後、顔を撫でておとなしくしてもらった。

 あ、そういえば、アンネさんがここにいるって事は、リーザはどうしたんだろう?


「そういえば、リーザはまだフェンリルのところに?」

「リーザちゃんは、フェンリルに挟まれたまま寝てしまったので、メイドの方にテントまで連れていかれていましたわ」

「そうですか……」


 アンネさんに聞いてみると、やはり触り心地のいいフェンリルの毛に包まれて寝てしまったらしい。

 レオの背中に乗っている事が多かったが、今日もはしゃいだり通訳をしてくれたりと頑張っていたからな。

 リーザをテントまで連れて行ってくれたメイドさん、というと……多分ライラさんだろう。

 よく懐いているようだし、リーザの扱いも心得ているみたいだしな

 ……今日も、リーザは女性用テントか……そろそろ俺の方が寂しくなりそうで怖い。


「それはともかくですわ。タクミさん、私との事は考え直してくれましたか?」

「え? えーと……何のことですか?」

「ワフ?」

「忘れていらしたんですの!? 私の婿になるというお話ですわ!」

「あー……」

「ワフー……」


 あれ、既に一度きっぱりと断ったはずなんだが……まだその話って続いてたの?

 急に話を変えたアンネさんからの言葉に、レオと一緒に首を傾げた。

 その態度に、俺が忘れていたと気付いたんだろう、大きな声で心外とばかりに叫ぶアンネさん。

 思わずレオと一緒に、そんな事もあったっけなぁ……とばかりに頷いた。


 ……忘れていた俺が悪いのかもしれないが、今は夜だから、もう少し声のトーンを落として欲しい。

 皆が何事かと、起きて来たら悪いからな。

 幸い、テントで寝ている人達が起き出す気配はないようだったので、少し安心。


「アンネさん、皆が起きちゃいけないので、もう少し小さな声で……」

「……大きな声を出させたのは、タクミさんですわ。まったくもう……」


 せっかく寝ているのに、皆を起こしてしまったら、なんのために交代で見張りをしているかわからなくなるからな。

 アンネさんに注意すると、不本意とばかりに頬を膨らませ、そっぽを向いた。

 それでも一応、大きな声を止めて小さめの声になってくれたので、理解してくれたらしい。

 そっぽを向いて頬を膨らませるなんて、中々子供っぽい事をするんだなぁ、アンネさんって。


 ちょっとかわいらしいと思うのと同時、その頬をつついてみたらどうなるのだろう……? と思ったが、考えただけで止めておいた。

 また怒られて大きな声を出されたら、今度こそ他の皆が起きてしまうかもしれないからな。


「忘れていたのはすみません……けど、その話はもう断ったはずでは?」

「あの時は、私も勢いで言った事なのは間違いありませんわ。ですけど、あれからよく考えても、タクミさんと結婚する事が、我がバースラー家を盛り立てる最善の手立てなのですわ」

「うーん……」

「シルバーフェンリルであるレオ様を、我が領地へと招く事。そして、ギフトをお持ちのタクミさんがいれば、我がバースラー家は安泰なのですわ!」


 段々とヒートアップしたのか、勢いが増しているアンネさんだが、皆を起こすのは悪いと思っているらしく、声は控えめだ。

 それはともかく、結婚ねぇ……。

 アンネさんが美人なのは疑いようのない事実ではあるが、俺でなく他にももっといい人がいるような気がしてならない。

 というよりもだ、そういった貴族とか上流階級のお家のため……という事ではなく、ちゃんとお互い好き合って、それで結婚してもいいと思える人と結婚したい、と思うのは俺が日本育ちだからだろうか?


 この世界では、というより上流階級ではそういう事が頻繁に行われているとしても、ちょっと同意しづらいものがある。

 それに俺には、今公爵家の領地を離れて、他の場所に行けない理由もあるしな。


「すみませんが、やっぱり無理ですね。アンネさんの事が嫌いというわけではないんですが……俺はまだランジ村で薬草畑を作らなければいけません。それに、リーザもいますし……」

「そんな!? それだけの能力にレオ様もいながら、もっと生かしたいと思いませんの!?」

「生かしたいとは思いますが、それで大きな事をしようとまでは思っていません。俺は、できればのんびりと暮らしたいので……な、レオ?」

「ワフ~」


 アンネさんに今一度断るように伝えると、以前と変わらず信じられないとでも言うような反応だった。

 それでも、畳みかけるようにきっぱりと断る事は忘れない。

 こういう時、うやむやにするような断り方をすると、ずっと先まで言われそうだからな――。



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