第32話 殴り合い そして異変


前に出るゴドーに対して後ろへ下がるオント。


 その繰り返しが永延と続く。しかし――――

単純に前に進むゴドーの方が速い。


 徐々にではあるが、確実に間合いは狭まっている。


 不意に異変が起きる。 それは逃げるオントの動き。


 急に身を捩るような動きを起こす。 結果、オントのスピードが僅かながらも減速する。


 そのタイミングを待っていたかのようにゴドーは加速。


 だが————



 「なんのつもりだ?」



 オントとゴドーの間合いは、再び開いた。


 彼らの中心部には、大きな物体が無造作に置かれている。


 それはオントが背負っていたバックパック。 オントが身を捩るような動作をしたのは、それを下ろすため。


 当の本人であるオントは……



 「……答えるつもりはない」



 言葉の後にニヤリと笑みを付け加えていた。


 まるで挑発するような言い方と笑い……いや、実際に挑発なのだろう。


 彼は手を腰に回すと腰につけていた小瓶を取り出す。


 いやゆる回復アイテムだ。 蓋を開け、口をつける。


 ドロリとした半液体の中身が、小瓶からオントの口へと流れていく。


 ゴドーは、眉をひそめて、その様子を見ている。


 本当なら、疲労を起こしている相手の回復を放置することはできない。


 しかし、明らかな罠。 


 決闘には明確なルールというものは存在していない。


 決闘であり、ただの殺し合いではないという建前上、互いの武器の殺傷能力を落とすのだが……


 あくまで、ノールールデスマッチであり、バーリトゥードの戦い。


 あえてルールがあるとしたら、戦う者同士の矜持――――


 何も持って卑怯とするか? 何を持って禁じ手とするか?


 それは、戦う自分自身が決まる事。 それがルール……それだけがルール。


 卑怯など、自力で打破しろ。そういうマッチョイズムを追求されたものが決闘の本質だ。



 だから、これもアリ。 戦いの事前に仕掛けられた罠ですら、直接的な殺傷能力がないという条件なら……当然、アリだ。



 決闘が静止したのは、僅かな時間。ゴドーが歩みを止めたのは、僅かな時間。


 目の前のバックパックを蹴散らすように蹴り上げる。

 その直後――――



 爆発!?



 その正体を知っている僕ですら、そう錯覚してしまうほどの衝撃音。


 若干のタイムラグがあり、その正体を目視した観客から戸惑いの声が上がる。


 「え?そんな……?」


 「うそだろ?いくら何でも?ここは安全地帯だぜ?」


 「アイツ、やりやがった! 安全地帯に魔物を解き放ちやがった!」



 バックパックの面積から想像できないほど圧縮されたソレ――――魔物は爆発したように周囲に飛び散った。


 そして、魔物の正体はスライムだ。 


 低層で捕獲し、人間の手によって調教される事もある。非常に低確率であり、稀ではあるが……


 そんな希少価値があるスライムが大漁に飛び出した。


 先人たちの活躍によって、魔物が排除された安全地帯で、意図的に魔物を解き放つ。


 その行為は禁忌的ではあるが―――― その効果は、大きかった。



 「悪いね。あんたの隙をついて無効化させるためには、生半可な策じゃ無駄だと思ってね」



 ゴドーの体には数匹のスライムが纏わりついていた。


 下半身に2匹。上半身に1匹。そして、彼が持っている短剣にも、剣先を覆うようにいる。


 スライムを取り除くための武器そのものを封じられた形だ。


 本来なら、探索者ならば、スライム対策に火を起こす道具をすぐ取り出せる場所に用意しているものなのだが……


 決闘仕様で軽装のゴドーには、それを持っている様子はない。



 「ぐっ、貴様!ひ――――」


 「まさか、卑怯と言うつもりじゃねぇだろうな」



 オントは、ゴドーの声を遮った。その声には怒気が含まれている。



 「なんで俺が怒っているか、わかるか?」



 その怒りにゴドーは困惑を隠せなかった。



 「なっ、何を言っている? こちらに非があるとでもいうつもりか」


 「あぁ、本気でわからねぇのか……そうかよ!」


 音が聞こえた。


 オントが武器を捨て、ゴドーの顔面に拳を打ち込んだ音だ。


 人が人を殴るのに、こんな音がするのか。 僕は、場違いな印象を抱いた。



 「貫禄を見せて! やる気のないフリをして! そんでメリットを大きく見せて……罠にハメたのはお前らが先だろうが!」



 殴り続けるオント。 その視線は、ゴドーを通り過ぎて観客の中へ。


 一際、大きく場所が取られ、ダンジョンの中であるにも関わらず、白い絹でできた天蓋が揺れている。


 その下に座っている少年をオントは視線で打ち抜いた。



 「何が、王族だよ!そんなもん、ファッ――――がっ!」



 オントは最後までいう事はできなかった。


 なぜなら、その顔面をゴドーの拳が打ち抜いたからだ。


 ゴドーはスライムが纏わりついた短剣を捨て、拳を構えていた。



 「我が君主の行いが、君の友情を震わせたか。なるほど、確かに非があるのはこちら側。しかし――――


 君主への侮辱を看過するほどは私は枯れてないぞ!」



 ビリビリと空気を伝わり痛みが伝播していく。



 「いいぜ。俺とあんたの力量差は明白。だから、スライムまみれにして殴り合いに持ってきた。こちらが勝手にハンデを付けさせてもらった。これで互角……だったらいいな」



 そう言ってオントは一発。



 「構わん。むしろ、気を使わせたな。これでこちらも本気を出せる。私の拳は、私の体は、王になるべき方のものであり、私の意志で私が倒れる事はない。我が忠義の重さを知れ!」



 そう言ってゴドーは一発を返す。



 観客からは短い悲鳴が漏れる。


 ただの観客ではない。何年も命のやり取りを、魔物との殺し合いの訓練を受けた者たちだ。


 そんな観客ですら―――― 凄惨な殺し合いを学んでいる生徒たちですら――――

 悲鳴をあげる殴り合い。 見ている側にすら、強制的に痛みを伴う殴り合い。


 それでも、当の本人たちは笑っていた。 笑いながら殴り合っていた。



 「やれやれ、本当に男って馬鹿ね」



 僕の隣でカヲリが呟いていた。


 僕も同意見だった。


 確かに馬鹿……なのかもしれない。けど――――


 うまく言えないけど、確かな熱量を感じられる。 


 感情を激しく揺さぶられ、普段は眠っている感情を揺り起こされるように―――――



 だから気がつかなかったのかもしれない。


 この場にいる誰もが、既に異変がダンジョンに起きている事に……


 


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