第36話 ザ・夏休み
「おはよ、やっと起きた」
朝起きたらリアムが目の前にいる。時計を見るともう10時だ。
「ん…おはよ、遅くなっちゃった。昨夜来てくれたのに、いなくてごめん…」
「いいよ…グランマと庭にいたの知ってるから。何話してたの?」
急に鋭い口調で聞いたので思わず目を逸らしてしまった。
(なんでだろう、こんなに僕って下手だっけ?)
起き抜けなので頭が対応できない。
「ちょっとトイレ」と言ってベッドから出ようとすると彼に後ろから抱き着かれて動けなくされた。
「話せない事?」と耳元で聞いたが、甘い感じの雰囲気ではなく、警察の取り調べみたいだ。でも内容は勝手に彼に言っていいとは思えなかった。
「女同士の内緒話だから、だめ、かな。リアムが直接聞けばいい」
「…怖いんだよ、グランマから面白い話はいっぱい聞いた…でもそれ以上に辛い話があるのがわかってるけど聞けなかった。俺って弱虫でしょ…」
(ルリが言ってた彼の『欠陥』はこれのことだろうか?いや、これくらいでは僕が彼を嫌いになるわけがないのだ、違うだろう)
「怖くない、ちゃんと聞けば彼女は教えてくれると思う。だから早いうちに聞きたいことがあるなら自分で聞いたほうがいい」
僕がそういうと、リアムが息を飲んで、
「それは…グランマがもうすぐ死ぬとか、そんなんじゃないよね?」とこわごわ
(…ルリが死ぬ)
彼女は昨夜、暗に死期が近いことを僕に伝えていた。リアムはそれを敏感に感じているのだろう。
僕は笑って、微妙な嘘をついた。
「そんなことは全然言ってなかったよ。でも百歳なんだからね」
本当に言ってはいなかったから、まるっと嘘ではない。
彼は僕が笑ってるのを見て安心したのと、照れくさいので僕の首に唇を当てて強く吸った。
「んっ…何してる、の?」
「意地悪なマナにキスマーク付けてやった」といって、僕をくるりとベッドに押し倒して僕を食べるくらいの貪欲なキスをした。唇を離すと息遣いが皮膚に刺さる。
「マナの手も顔も身体もすべて…絶対離さないから…誰にも渡さない…」
僕の頭や顔を撫でながら、今まで聞いたことのないような他人の声でリアムが言った。そんな彼は見たことがない。
僕の目に一瞬恐怖が浮かんだのだろう、彼はあわてて僕からどいた。
「ごめん、驚かせて。でも…俺がマナをそれくらい好きなんだってわかって」と真剣に言った。
彼がそんなに強く僕に執着しているとは知らなかったので驚いた。彼には僕の他にも好きな女性がいるのではと思っていたから。
「俺が朝食を作ってあげる。ほら、座ってて」
彼はご機嫌に朝食を作り始めた。なんだか座ってると落ち着かない。
「何か手伝う」
「だめ、さっき怖がらせたお詫び」と僕の頬にキスした。そして、首に付けた赤い
今朝は誰も家にいなかったので助かった。皆仕事に出かけている。
「ありがと。じゃあ今朝は甘えて、リアムのお手並み拝見させて頂くよ」
「任せて」
リアムはまずクリームチーズを冷蔵庫から出して室温に戻し、材料を切った。そして2つのライ麦のバケットに具材を入れるための切れ目を側面に入れ、トースターに入れ焼いた。
それにクリームチーズを塗り、レタス・玉ネギ・スモークサーモン・アボカド・オリーブの順に大量の具材を挟んだ。
器用だ。そして動きに無駄がなくて美しい。やはり頭がいいのだろう、僕ならこうはいかない。
「大胆だね…」
僕は前に出された具材がワイルドにはみ出しているバケットに目を奪われた。これでお腹いっぱいになるのは間違いない。男子ごはん、って感じがする。
「はい、マナは甘いコーヒーでいい?」
彼はコーヒーの準備もいつの間にかしていた。手際がいい。
「ありがと、嬉しいな」
「日本でマナと夜に飲んだコーヒーが忘れられない。海もコーヒーも空も真っ暗で、俺は少し怖かった」
「そうだったの?」
「うん。でも、マナがいたから大丈夫だった。なんでだろ、俺はずっと前からマナといれば大丈夫だって知ってた、みたいな…」
リアムが神妙な表情で言ったので、
「またまた、朝から何言ってるの。さ、頂きます!」と僕は照れ隠しにバケットにかぶりついた。僕だってリアムがいると落ち着く。彼もそうだと知って嬉しくてニヤニヤしてしまう。
岩塩と黒コショウと少しオリーブオイルがかかっている。スモークサーモンに少量のせてあるハーブのディルがとてもいいアクセントになっている。
食べてすぐは美味しすぎて言葉が出なかった。
「こ、これ今まで食べたどのお店のより美味しいんだけど…リアム、ぜひ日本にお店出して欲しい!うちの近くがいいなー、でも田舎だからダメか。都会ならこれ間違いなく高く売れるって」
僕が感動して言うと、彼は照れながら、
「母がお弁当に良く作ってくれたんだ。最近は仕事に忙しくしててあまり食べられないけど、学校にたまに持たせてくれる」と答えた。
「すごいね、リアムのお母さん。僕の母はあまり料理が上手じゃなくて」
先日母の作った夕飯を思い出したら自然に口角が上がった。
なんと塩にぎりだったのだ!
申し訳にわかめのみそ汁が付いていたが、きっと冷蔵庫になにもなかったのだろう。結構長い時間キッチンで二人で笑ったっけ。
その話をするとリアムが優しく言った。
「そうやって仲のいいマナの家も僕は羨ましいよ。うちは両親とも忙しいからグランマが小さな僕らの面倒を見てくれたんだ。
僕らが学校に行くようになってからは、毎日亡くなった祖父と祖母、曾祖父のお墓に行ってたけど…僕はお墓にはたまにしか行かない。彼女があんまりにも悲しそうな顔をするのを見るのが嫌なんだ。
あれ、俺ご飯時にこんな話…。ごめん、食べよっか。俺もいただきます!」
彼が大きな口でかぶりつくのを見て複雑な気持ちになった。
(そうか…彼はルリに育てられたんだ。だから、大切な彼女の知らない部分が怖いんだ)
僕はルリを思う彼の純粋な愛情を感じて切なくなった。
それから1週間、僕らは毎日遊んだ。小学生の時以来の、ザ・夏休み、って感じがする遊びだけの夏休み。
せっかくハワイに来たのでビーチにも何度か連れてってもらった。一度はキアナも一緒に遊びに行ったが、僕のビーチバレーがあまりに下手過ぎて呆れられた。仕方ない、運動神経が悪いのだ。
水族館のついでに彼の通う大学も何度かのぞかせてもらった。開放的でハワイっぽいのに、近代的で清潔な建物。居心地がよく高い美意識を感じる。
しかし、どこに行ってもリアムは誰かに声をかけられた。キアナもそうだが、特にリアムには砂糖に寄ってくるアリのように女子がワイワイキャーキャーと群がってくる。
「えー、リアム、今日はキスしてくれないの?」
そう言って不満げに彼にぺたりとくっつく女の子を見ていると、いつもはどんなふうに接しているのかが容易に想像できる。
「ダーメ、今日は彼女がいるから!じゃん、僕の恋人のマナだよ」と動揺することなくいたって普通に僕を恋人だと紹介すると、ニヤニヤする人やふくれっ面になる人、様々だ。まあ、大体の女子は怒ってしまうのだが、そのたびに僕はいたたまれない気持ちになる。
大学でトイレに入ったら絡まれたこともある。
「ねえ、リアムはみんなのモノなの。日本人のくせに空気読めないの?」と言いながら大柄の女性4人に囲まれた。
(空気、ね。ハワイでもそういうのあるんだな)
「文句はリアムに言って、僕は関係ない。通して頂戴」と僕が間を通ろうとすると腕を強く
「イタッ…離してよ…止めてっ…」
僕は掴んできた彼女の腕をとって、軽くひねってトイレの床に這いつくばらせた。ちょっとここ最近の彼へのイラつきが頂点に達していたのもある。いつもの僕ならこんなこと女の子には絶対にしない。
「僕にうるさくしないで」と言うと、彼女達は涙目でトイレから逃げて行った。
(あーあ、リアムの彼女は暴力ゴリラ説、が間違いなく流れそうだ…それも悪意的な噂が。リアムは僕が乱暴なのは知ってるからいいけどさ)
そう、彼にはいわゆる『来るもの拒まず』的なところが大いにあった。男女構わず近くの人にとても嬉しそうに愛を振りまく。無償の愛。
端から見たら天使だけど、『恋人』にとっては…どうなんだろう?彼に恋人がいない理由が僕にはわかった気がする。
僕はここにいる間我慢できるか心配だ。キレたら彼をぶん殴ってそうで怖い。
そんな僕のイラつきを感じたのか、それともトイレの暴力事件を噂で聞いたのかはわからないが、連れて行かれたハワイのデザイナーのアクセサリー店でシルバーの指輪を買ってくれた。ぐにゃぐにゃした形が不思議な流れてる溶岩みたいな指輪。
「これ、付けてて」
恥ずかしそうにそう言って、指輪を僕の指にはめた彼はとても素敵に見えた。
ハワイに来て8日目に、初心者用のトレッキングコースを歩いた。植物好きの僕の為に彼が連れて行ってくれた。
ハワイの植物は常緑で色が濃い。
森はとても神秘的な雰囲気を醸し出しており、その地域が神聖とされる理由を肌で感じて圧倒される。
そんな中、途中では自然のプールもあり、たくさんの人が水着持参で楽しんでいる。
入ってみたが、とてもじゃないが長い間は入っていられない。冷たすぎる。
僕が「もう出ようよ」と言っても、リアムは「もうちょっとだけ」と言って子供のように楽しそうにして水から出てこない。
キアナはこんなわがままな弟のお世話が大変だったろうな、と想像すると笑えてしまう。
僕は美しく澄んだ水に足をそっと漬けた。中の悪いものが出て行って浄化されているような気分だ。
トレッキングの次の日は、キアナと一緒にリアムがバーで歌うのを聞きにいく予定だった。ハワイ滞在で一番楽しみにしていたのだ。
でも私は川で身体が冷えたのか、朝から熱が出た。それ程熱は高くはないけど、歩くと足がフラフラする。
「キアナ…ごめん…」
「いいのよ。私だってこいつの歌なんてわざわざ聴きに行きたくないしね」と笑ったのでリアムが「ちぇ」っと口を尖らせた。
「大丈夫…?今日は一緒にいるよ?」とリアムが聞いたが、そこまで重症じゃない。
「バカね、これくらい大丈夫。次の楽しみにしとく」
「まあ、マナは前向きで偉いっ」とキアナが僕ががっかりしてるのをわかって盛り立てるように言った。僕は正直しんどいから一人になりたかった。
「移る病気かもしれないから、部屋を出て。二人とも、気持ちだけ頂きますからっ」と身体を起こし、二人を追い出そうとしたので、
「わかった、出るから寝てなさい。また様子を見に戻るけど、あんまりしんどくなったら電話するんだよ」と言ってキアナは出て行った。
「マナ、本当にいないほうがいいの?」
「ん…大丈夫。準備とかしなきゃならないこととか、色々あるんでしょ?治ったらゆっくり遊ぼう」
リアムは僕の首のリンパにピトリと手を当てた。冷たくて気持ちがいい。少し腫れているのか曇った表情だ。
「熱冷まし、貼ってもいい?」
どこからか彼が日本の『冷えピタ』を持ってきた。
(へえ、ハワイにもあるんだ…)
僕はぼんやりした頭で思った。
「ちょっとごめん」
彼は慣れた手つきでパジャマのボタンを上から真ん中くらいまで外し、首の根元と腋の下の4ヵ所に丁寧に貼った。
「んっ」
貼るたびにすうっと体温が何メモリか下がる感覚にぞくっとする。
そんな僕を見て彼の茶色の目が欲情で揺らいだのがわかった。少し迷ってから僕の麻のタンクトップに手をすっと差し込む。
「マナ…あつい…」
僕の体温が高いせいで彼の手がとても冷たく感じて気持ちがいい。彼の掌が背中にまわされて僕の背筋を優しく撫でる。
「汗かいてる…気持ち悪くない?着替える?」
いつの間にか彼の顔が僕の真横にあって、耳元で囁く。息が耳にかかってゾクゾクする。
「い、いいっ。もう少し汗かいてから着替えるから…ねぇ、リアム、離れて…うつっちゃう…んっ…」
彼の手がためらいがちに前の膨らみに移動すると、僕の身体が強く痙攣した。気持ちがいい。でも急に彼がピクリとも動かなくなった。
彼を見ると、ベッドに顔を埋めている。僕は、彼の銀色の髪を力の入らない手で撫でた。
「どうしたの?顔、見せて…」
「や、やだ。マナが俺を怖がってる顔を今度見たら、もう二度と
(そんなこと考えてたんだ…)
おかしいと思っていた。だから今日まで全然手を出してこなかったんだとわかって、僕はクスリと笑った。
「僕、リアムのこととても好きだよ。もう怖がってないから…熱が下がったら、ね」
子供に言い聞かせるように頭を撫でながら言った。天蓋の柄がいつもより大きく近くに見えるなと感じながら。
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