第25話 寝ぼけてて覚えていない
「あんたもうハタチなんだし同じ部屋でいいじゃない。彼氏明日帰国しちゃうんでしょ、後悔するよ」
彼女は一般的な母親らしくないことを僕に言い含めるように言った。
(これじゃあ僕が聞き分けない子供みたいじゃないか!)
「普通のお母さんはそういうことを言わないっ!」
僕が真っ赤になって抗議すると、
「マナ、お父さんだって急に死んじゃったんだよ?今健康でも人間いつ死ぬかわかんないんだから」とわかったようなわからないことを言う。
(だいたい、結婚もしてない娘にそんなこと言うか?)
でも確かに大学の教授も「同時期に不特定多数との性交は性病にかかる危険性が高まりますので気を付けて下さい」と講義で言っていた。
誰かが「不特定多数とは何人ですか」と質問し「四人以上でしょうかね」と教授は真面目に回答した。
つまりは、二、三人とならシたほうが健康のためには良いというニュアンスだろうか。大人ってよくわからない。
「もういい!お母さんのバカっ」と言い捨てて、僕は母のいるキッチンを出た。
僕がすごい勢いで部屋に戻ってきたのを見て、母に負けたんだとリアムはわかったようだ。
「面白いお母さんだね、うちの家族でもここまであからさまじゃないよ。まあ、似たようなことは思ってそうだけど…」
彼はリラックスして布団に座っている。携帯でメッセージを打っていたようだ。
僕だけドキドキしてるのを隠して側に座った。
「そうなの?」
そういえばリアムの両親の話はあまり聞いてない。グランマの事はちょろちょろ聞いてるんだけど。
「ねえ、リアムのお姉さんやお母さん、お父さんの話して」
僕がにじり寄って下からのぞき込むと、彼は携帯を閉じて僕の身体を自分の膝の上にひょいと収納して話し始めた。
聞いていると、彼の家族はパワフルでにぎやかそうだ。僕は一人っ子な上に二人家族なので羨ましくて仕方ない。
そして頭の上から聞こえてくる彼の歌うように話す声が心地良すぎて、いつの間にか僕は彼にもたれて寝ていた。
頭の上から「おやすみ」という優しい声が降ってきた気がしたが、返事ができなかった。
(重い…)
僕はお腹の上の異物と少し空いたカーテンの隙間からの太陽光で目が覚めた。見ると、彼が抱き枕のように僕を抱えていて足が上に乗っていた。重いはずだ。
彼は良く寝ている。起こすのも嫌だし気持ちがいいのでもう少しこのままでいたい。
彼のほうにゆっくり身体を向け、寝ている彼を観察する。
仏像のような穏やかな顔。出会った頃より少し伸びた銀色の髪の毛。規則正しい寝息。たまにむにゃむにゃ口の中で言ってるのも赤ちゃんみたいで可愛い。
彼の唇に人差し指でそっと触れてみた。昨夜彼がこの柔らかい唇で僕にしたことを思い出す。
(なんだろう、あれは。身体の奥から沸き起こる
「チュッ」
綺麗な生き物が急に僕の指先を吸ったので僕は飛び上がらんばかりにびくりとした。
「ひゃっ」
「キス、して欲しいの?」とぼんやり寝ぼけながら彼がぐるりと体勢を変えてのしかかってきた。
(や、これはなんかヤバい…)
「いや、違うよ、ゴミが付いてたから取っただけ…」と僕が焦って彼の身体の下から逃れようとしたが、昨日と同じくがっちり押さえられている。彼の身体が熱い。僕の体温が一気に上がるのがわかった。
「おはよ、お母さん朝早く仕事に行ったし、適当に朝ごはん作ってくるよ」と暗に
「じゃあ、昨夜の続き、しよ?」
リアムが寝起きでぼんやりして言うだけで
「また殴っちゃうから、やだ…」
「大丈夫、ほら」
彼は僕の両手首を片手で掴んで上にあげさせた。
「マナは乱暴だから、他の男に襲われなさそうで安心…」と言って薄目を開けたままキスした。
ちゅ、ちゅっと何度もするうちに、だんだん深くまで彼の舌が入ってくる。
「んっ、やっ…」
身体が勝手に動いてもぞもぞしてしまう。
「朝から感じてるマナ、可愛い…マナは朝もすんごく可愛いね、どうしようか…」とぼんやり言った。
(どうしようかって…)
「はひやっ!」
彼の暖かい手がグレーの無印のパジャマに入ってきて、僕の胸に直接触れた。
「昨夜のここ、すごく感じたんでしょ?」と言いながら先端を
「や、やだっ、リアムっ…」
「小さなマナの胸、意外と好きだよ…」
「マナー、ごめんってば…寝ぼけてて覚えてないんだよ。本当に言ったの?」と二人で朝ごはんを食べる席でリアムは何度も謝った。
無意識で言われたならそれはそれで悲し過ぎる。彼が言った次の瞬間反射で彼の頬を叩いてしまった。
「いいよ、本当の事だしね!次にリアムに会うまでにめっちゃ大きくしてやるからっ」と僕もよくわからないことを言い返した。
(僕のは確かに小さい。でも仕方ないじゃないか…)
「もうー、マナぁ」と言って年上のくせに僕に甘える彼を見ると、まあいいか、と口元が緩む。
綺麗なシルバーのツンデレ猫にすり寄られてる気分だ。あまりに可愛過ぎる。
「もう怒ってないよ、へへへ」
思わず頬を緩めて許す僕を見て彼は嬉しそうにした。
二人で朝食をとってから、キャンプ場に戻った。
僕はバイトだし、彼は出発の準備をするのだ。
とはいってもそれ程荷物もない。なんせバイクで旅をしてるのだからあっという間に用意が出来てしまった。
僕がしょんぼりとしてるのを見て、
「マナ」と僕の頭を撫でた。大きな手。この手ともサヨナラなんだと思うと心臓が痛い。
「バイク、気を付けてね。電話、するから」
僕はこぼれそうな涙を我慢して言った。
美月も側にいて「また来いよ」とグーで握手してる。別れを少しでも明るくしようとしてくれてる。
「夏休みになったら、リアムに会いに行くから、だから…」
とうとう
「真珠みたいな涙…僕の可愛いマナ、泣かないで。お互い忙しくしてたら次に会うまであっという間だから…」
僕らは美月の前でも構わずに長いキスをした。
彼は唇を離すと、僕がキスの余韻でぼんやりしてる間にさっとバイクに乗って出発した。
サヨナラも言わなかった。
「バーカ、リアムは泣くのを見せたくなくてさっさと行ったんだよ!わからないなんて、おまえ本当にバカだな。さ、もう泣くな、いつまで泣いてんだ」
僕はキャンプ場の管理棟で泣き過ぎて、引継ぎもできないまま怒られていた。
(美月はやたら男性の気持ちはよくわかるんだ…じゃあ僕の気持ちもわかって欲しいよ)
リアムがあまりにもあっさり行ってしまったのでショックだった。
また先ほどの別れを思い出した僕は、「リアムのオタンコナス!」と小さく言ってまた泣き始めた。そんな僕を美月はとうとう見限ったようだ。
「おい、休憩室で泣いてこいよ」
そう言って僕を階段へ押し出した。
「ありがとうございます…うえっ…」
「1時間だけだぞ」
美月は苦い顔で言い放った。
2階でバッグから自分のタオルを出して顔に当てて準備完了だ。
さあ、泣こう!と思ったが、いざとなると涙が出ない。
「…あれ?」
そういえばこんなに泣いたのはナユのあの時以来だ。
(リアムは死んだ訳じゃないのに…)
考えたら笑えてきた。
スッキリした顔で階下に降りると、美月が、早ッ、と言って笑った。僕もつられて笑うと、頭を撫でながら、
「可愛いな、笑うと。最初会った時は機械かと思ったくらい表情がなかったのに。でもこんなに泣くなんてびっくりした…」と優しく言ってから、激しくしまったという顔をした。
僕に優しい顔を見せるのが嫌なのだ。
「美月さんも可愛い時、ありますよ」と茶化すと、
「いつだよ!?」と赤くなって聞いた。
「柴田さんともうすぐ会えるって時、とか…リアムのことも気に入ってたでしょ。別れるとき変な顔でしたよ」
「そ、それは…マナの彼氏なんて全然タイプじゃないしっ」
「ふうん…もう上がっていいですよ」
偉そうに僕が言うと、
「おまえを待ってたんだよ!」と言って頭をはたかれた。とても優しく。
「しかしマナに彼氏なんて…嬉しいな。ナユタもすごく喜んでるよ、きっと」
引き継ぎで嬉しそうにヨッシーが兄貴気取りで言った。
情報の出どころはザキか美月だろう。あることないこと言ってそうだ。
(そうだ、聞きたいことがあるんだった)
「ねぇ、ヨッシー、胸ってどうやったら大きくなるか知ってる?」
僕が受験勉強の時にわからない問題を質問するように聞くと、ヨッシーはあたふたと持っていたボールペンを床に落としたうえ、かがんで拾ってまた落とした。
動揺してるのがまるわかり過ぎだ。
「何してるの?」
「な、なんでって…ど、どうしたの、マ、マナ」といつもの穏やかな仏のような顔がゆがんで汗をかいている。
「だってリアムが…」
「だめ、それ以上言わないで!もう聞きたくない!勝手に上がっていいよ」
彼は耳に手を当て、そうでかい声で叫んだ。真っ赤になったヨッシーは外に転がるように飛び出して行った。
僕は母が差し入れに来るので管理棟の受付でぼんやり考えた。
(もしかして、これって人に聞いたらダメなんだろうか?物理的に胸を大きくしたいだけなんだけど…)
ザキならはっきり教えてくれそうだと思うが、ヨッシーやお母さんは家族だからダメなのかもしれない。
ナユなら聞けるんだけどなー、と思っていたら、母が管理棟のドアを開けて入ってきた。
「これ、カレー作ったから食べなさい。あと、パンとかもうないでしょ?はい」と言って渡し、さっさと帰っていった。
落ち込んでる僕の為にカレーを作って持ってきてくれたのだろう。
僕は野菜とパンと肉を冷蔵庫に入れさせてもらい、鍋に入ったままのカレーを持って自分のテントに向かった。出来たらご飯かナンも欲しかったのにな、と思いながら。
火を起こす準備をしてから、テントの前室からチェアと机、ライトを出してセット完了だ。
昨日まで向かいにリアムがいたんだ。なんだか夢みたいだと思う。彼が夢だったらこんなに悲しくならないのに…そう思ってからはっとした。
(なんでそうなる?!)
出会ってなかったらと思うと怖くて背筋が凍る。
(しっかりしなきゃ、きっと彼も頑張ってる…)
僕は火が着いたので飯盒をかけ、ガスでお湯を沸かしてコーヒーを淹れて飲んだ。
こんなに悲しくても美味しいんだ、と思ったら赤のホーローのカップに桜の花びらが一枚入り込んだ。
コーヒーの濃い茶色にピンクの花弁。その色の対比が美しくて見とれてしまった。
ふと見ると少し離れたところで咲いている桜が散り始めている。
(あんなところから飛んできたんだ!)
柔らかい夜の風が僕の頬を優しく撫でた。
そして僕は4月の新学期から大学に戻った。
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