最終章 第3話 Eidolon その7
心臓が破裂しそうな痛みに襲われ、龍二は苦鳴を漏らした。
「…………なにを、言ってるんだ」
その軋むような痛みに耐えながら、龍二は博士を見る。
小さく肩を竦めた博士は、前髪を掻き上げた。
「君が望むのなら、応える用意がある……そういう意味さ」
これならば理解できるだろうとでも言いたげに、博士は微笑を浮かべる。
端末を片手で操作し、モニターにこことは別の実験室らしき映像を表示させた。
「ここより更に下へ降りたところに、特別な部屋がある」
薄暗い部屋に並んだいくつもの機械は、いずれも円筒状だ。規則的に配置されたそれは、龍二たちの背後にあるポッドに似ていた。
「これはね、コールドスリープ用のカプセルだよ。まだ試作段階のもので、テストをしているところさ」
「……それと彼女が、どう関係するんだ」
「簡単な話だ。逢沢くのりの身体は、これと同じもので保存されている。残念ながら、映像は見せられないが、嘘偽りのない事実だ」
予想していた中で最悪の答えに、龍二は拳を握り締める。
「くのりを、どうするつもりだ……」
「それを私も迷っているんだ。逢沢くのりの身体は、すでに機能を停止している。回収した時点で、脳も心臓も手の施しようがなかったからな。もう少し早く回収できていれば、別の手を打つこともできたのだが」
心底残念そうにため息を吐いた博士は、すぐに頬を歪める。
「だが、遺体の保存状態は非常に良かった。あの日は雪が降るほどの寒さだったからな。不幸中の幸いだったよ、私にとってはね」
「――――だから、なにが言いたい」
「さすがに今すぐとはいかないが、このままプロジェクトが進行していけば、逢沢くのりの蘇生も可能となるだろう。必要な技術の開発には、すでに着手している」
「……そんなことが、できるのか?」
「君という存在が、その可能性を肯定する。君に使われている技術を応用すれば、いずれは死者の蘇生も可能になるだろうさ」
もちろん条件はあるがね、とおどけるように肩を竦めて付け加える。
博士の言葉に、三人は言葉を失っていた。
信じろというのが不可能な事を、これほどまでに堂々と言える博士は、やはり異常としか思えない。
「まぁ、蘇生ではなく、修復と呼ぶべきかもしれないがな。それにこれはまだ、私のここにあるだけでね。必要な技術が完成するまでは、あくまで妄想にすぎない」
自身の頭部を軽く指で叩き、博士は苦笑する。
「信じられるわけ、ないだろ……死んだ人が、蘇るなんて」
「今の技術では、だ」
「だとしても、そんなこと……」
くのりともう一度会えるかもしれないという希望よりも、捉えどころのない不快感のほうがなせか強い。
博士の言葉はどうしても、人を堕落させるようなものに聞こえてしまう。
「とは言え、この案は不確定要素もある。それに数年でどうにかなるというものでもないからな。だからその場合は、君にも眠って貰うことになる。当然、君自身の寿命も伸ばすことができるかもしれない」
喉に絡みつく博士の言葉は、そのまま龍二の全身を舐めるように伝い、つま先まで締め付けようとする。
くのりだけではなく、龍二自身の命も取り引きの材料にしているのだ。
「どうだ? 将来的にまた会えるのなら、悪い話ではないと思うが? なによりも、そう……これは非常にドラマチックだ。あぁ、君たちにこそ相応しい」
声を弾ませる博士を、龍二は睨み付ける。
自分でもわからない敵意が、腹の奥底から湧き上がっていた。
そんな龍二の視線を受け流し、博士は指を鳴らす。
「気に入らないのであれば、そうだな。逢沢くのりと同じ個体を与えてもいい。これならば二ヶ月程度で用意できる」
「同じ、個体……?」
「あぁ。彼女と同じ遺伝子を持つ個体を用意する」
「そんなことが……」
できるわけがないと否定しようとして、龍二の脳裏にある言葉が浮かぶ。
それを読み取ったかのように、博士は首を振った。
「クローンではないよ。どちらかと言えば姉妹に近い。だが、ここにある装置を使えば、寸分違わぬ肉体を用意できる。記憶の面も心配は不要だ。幸いにも、彼女のデータは全て回収済みだからね」
モニターの表示が切り替わる。
今表示されているのは、逢沢くのりに関するデータだ。
その中には、学校で過ごしている時の姿も含まれている。
「だから安心していい。君との想い出すら、再現して見せよう」
「――――っ」
「出会いからやり直す必要もない。復元された彼女は、変わらず君に想いを寄せてくれるだろうさ。君がここから連れ出す前の記憶を持った逢沢くのりと、もう一度会わせてやろう。果たせなかった約束を果たすチャンスだとは、思わないか?」
どす黒いとしか言いようのない声に、龍二はよろめく。
頭を締め付けるような痛みに、思わず顔を覆った。
「先ほどの提案とは違い、こちらは実現可能だ。すでに君という成功例が存在するのだからね」
博士はそう言って、答えを求めるように龍二を見据える。
沸騰する感情を鎮めるために、龍二は深呼吸をする。
そして、纏わりつく甘言を振り払うように顔を上げ、答えた。
「もしそんなことができたとしても、僕には必要ない」
「会いたくはないのか? それとも、すでに興味はないと?」
「まさか。会いたいとも思うし、今でも好きだ。彼女のそばにいられなかったことを、ずっと悔やんでる」
「なら、なぜ受け入れない? 肉体も精神も同一の個体なら、それは本人と変わらないだろう?」
「違う。どれだけ同じに見えても、それは別の誰かだ」
決して譲ることはできないと、龍二は声に力を込めた。
「記憶という面では確かに、一日か、あるいは数日程度の誤差はあるだろう。だが、そう違いはないと思うがね」
呆れるように肩を竦めた博士は、髪を掻き上げて思案する。
「君は彼女を……あぁ、新たに作る個体の話だが……もし逢沢くのりの姿をした個体が現れたら、君は彼女をなんだと思う?」
博士の意図がわからず、龍二は眉を顰める。
「難しい話ではない。新たに作られたものを、君は人間だと思うか?」
「……それは」
言葉に詰まった龍二に、博士の双眸が昏い炎を宿す。
「ならば君は、人間か?」
「――――ぁ」
博士がなにを言っているのかを、龍二はすぐに理解した。理解して、しまった。
「そうだ。私が与えようとしているものは、君と同じだ。捏造した記憶と、既存の複製という差はあるがね」
その二つを比べた時、果たしてどちらがより人間と呼べるのかと、博士は目を細める。
顔を歪めて黙り込む龍二を、うてなと深月は見守っていた。
互いに目配せをするが、動く事はできなかった。
龍二が二人に視線を向けていれば、なにかを言えただろう。
だが彼は、そうしなかった。
助けを求めるような様子は一切なく、むしろこれは自分の戦いだと言うように、拳を握っている。
「私に言わせれば、どちらも等しく作り物の人格だ。君と彼女に、違いなどない。人間であるかも、どうでもいい。条件は同じだ。共有した想い出が大切だと言うのなら、また作ればいい。時間はあまりないだろうが。そう悪い話ではないだろう?」
今にもため息を吐きそうな声色で、博士は諭すように語りかける。
博士の言葉を逃げずに受け止めた龍二は、目を閉じて首を振った。
「違うんだ。あなたにとってはそうかもしれないけど、僕にとっては違う」
身体の奥で疼く感情を握り締めるように、龍二は胸に手を当てる。
そして真っ直ぐに、まるで挑むように博士を見据えた。
「あなたが言う技術がどれほど凄いものかは知らない。本当に記憶を再現できるとしたら、それはたぶん、救いになる場合もあるんだと思う。でも違う。記憶だけを複製したって、意味はない」
「オリジナルと同じ記憶が全てあるのなら、同一と見ても問題はないと思うがね」
「僕はそう思わない。その時に感じたものがあって、その積み重ねが続いて……その結果が、感情っていうものなんだと思う。それはきっと、複製なんてできない。感情は、プログラムじゃないんだから」
データには現れないものがあるはずだと、龍二は強く思う。
自分自身の記憶や人格が作り物だったとしても、それを土台にして生きてきた時間は偽物ではない。
「どんなに同じ姿をしていても、たとえ同じ記憶を持っていたとしても、それはくのりじゃない。彼女によく似た、別の誰かだ」
「なら君は、オリジナルとコピーが同時に現れたとしても、見分ける自信があるのか?」
「……正直、わからない。そんな状況になったことないから」
極端すぎる例え話に、龍二は僅かに頬を緩めた。
実際に想像し、不思議な光景を幻視した。
そっくりな二人の少女が、笑いかけてくる。
そこに違いは、ないように思う。
けれど、龍二の鼓動が高鳴るのは、ひとりだけだ。
「でも、わかるんじゃないかなって、思ったりもするんだ。いや、わかりたいって願望かもしれないけど」
それでも、やはりわかるのではないかと、思ってしまう。
少女の幻が、楽しそうに笑っている。
その笑顔を、なによりも大切に想うから。
「やっぱり、違うんだよ。どれだけ凄い技術で作り上げたとしても、それは僕とすごした、僕が恋をしたくのりじゃない」
迷いのない龍二の言葉に、博士の瞳が闇色に輝く。
「君が満足するまで、何度でも作り直そう。まぁ、君の時間が足りないかもしれないが」
「僕の答えは変わらない。あなたのそれは、ただの冒涜だ。付き合うつもりはない」
どこまでも物として扱うような博士の言葉に、龍二は静かな怒りを覚えていた。
それが力となり、声に宿る。
「オリジナルに拘るか」
「当たり前だ。あなたは結局、表面しか見てない。あの時間は……夢でも幻でもない。データになんてできない。他の誰にも、理解なんてできるわけがない」
熱くなる心臓の鼓動が、脳裏にいくつもの想い出を描き出す。
「僕が僕として生きた時間……くのりがくのりとして生きた時間……それはあの瞬間、あの場所にしかなかった」
同じものは、二度と手に入らない。
その時に生まれた感情も、その瞬間だけのもの。
同じものは、決して生まれ得ない。
「自分が作り物だと知って、よくそこまで言えるものだな」
蔑むような言葉とは裏腹に、その声色は今にも拍手をしそうなほどに弾んでいた。
龍二を凝視する博士の目が、一層強い輝きを孕む。
「言えるさ。あなたが言う通り、たとえ僕が作り物だったとしても……僕という人格が、あなたによって与えられたものだったとしても、答えは変わらない」
答える龍二の表情は晴れやかで、口元には笑みすら浮かんでいる。
「あの家に居候をしてから今日まで、僕は生きてきた。だからわかるんだ。僕は確かに、ここにいる。誰にもわからなくても、僕はわかってる。今もそうだ。ここに、ある……」
自己主張する鼓動を、龍二は鷲掴みにする。
「作り物だろうとなんだろうと、これだけは間違いない――――僕は、僕だ」
これまで、何度も口にした言葉だった。
時には深く考える事もなく。
時には迷いながら、縋るように。
そして今、確かなものだと龍二は胸を張って言った。
世界に宣言するように、自分は自分だと。
「僕だけがわかる、僕がいる」
「…………いい答えだ」
龍二の言葉を反芻するように、博士は目を閉じて深呼吸をする。
極上の香りを楽しむ美食家のような、恍惚に酔った表情を浮かべていた。
「どうやら君は本物のようだ」
やがて博士は、嬉しそうに笑って見せた。
今までに見せたそれとはまるで違う。
おぞましさや不気味さを感じさせない、どこにでもありそうな、満足げな笑顔。
「……わからない。あなたは結局、なにがしたいんだ?」
「君がその答えさ」
机から腰を上げた博士が、龍二を指差す。
「擦り込まれた意識や記憶で、人格はどう形成されていくのか……簡単に言えば、そういう実験なんだよ」
あっさりと答える博士の言葉に、龍二はあまり驚かなかった。
それどころか、納得すらしている。
龍二はずっと感じていたのだ。
博士が龍二に接する時、いつもなにかを試しているようだった。
答えを与えず、逆に答えを求める。
正解などない。
安藤龍二がその時その時で、なにをどう思うのか。
博士の関心は、常にそこだった。
そういう予感があったからこそ、龍二も大胆な行動を取る事ができた。
殺される可能性は極めて低いと思っていたからこそ、自身に銃を向けた。
「あくまで君は一例にすぎないが、私としては成功だと思っているよ。君は自己を確立している。そして、逢沢くのりも、な」
だからこそあそこまで拘ったのだと、その表情が物語っていた。
くのりの事ではまだ燻る感情はあるが、龍二はそれを飲み込んだ。
「……そんなことをして、なんになる? なにが目的なのさ?」
核心とも言うべき龍二の質問に、博士は軽く肩を竦め、答えた。
「世界を救うためさ」
それこそが、組織の目的であると。
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