最終章 第3話 Eidolon その3

「やはりか。記憶の完全な消去は、まだ課題があるな」

 事実としてまだ受け止めきれていない龍二をよそに、博士は小さく頷いた。

 彼にとっては重要な事実でも、博士にとっては違う。

 龍二が僅かでもそう感じたという事にこそ、関心を寄せる。

「……こいつがここで生まれたって、じゃあ」

「察しが良くて助かる。彼……安藤龍二もここにいる実験体同様、私が作り出したものだ」

 安藤龍二もまた人造人間だと認め、博士は背後を見やる。

 その視線の先にあるのは、数百というケーブルが繋がれた巨大な鋼の球体。

 この地下室の中心にあり、不安すら覚える見た事もない機械の中にあって、それでも強い存在感を放っている。

 博士の言葉につられるようにしてそれを見た龍二は、それまでとは比較にならない吐き気を覚えた。

 全身に亀裂が走ったと錯覚する痛みに襲われる。

 なにかなどわからない。

 なにかを思い出したわけでもない。

 それでも龍二は、恐怖を覚えた。

「覚えているか? 君に両親はいないと言っただろう? あれは比喩でもなんでもなくてね。君は自然な営みで生まれてきたわけではない」

 博士の声に、狂気の気配はない。

 ただ淡々と、事実を告げる。

「あの鋼の子宮から、君は生まれ落ちたんだ」

 博士が事実を言っているかどうかを、龍二は確かめようとは思わなかった。

 どれだけ荒唐無稽な話だとしても、彼女がこの場で嘘を吐くとは、思えない。

 博士という人間の言葉は、なぜかそう思わせる。

「その顔、受け入れるのか?」

「……仕方ないじゃないか。どうやって否定しろって言うんだ」

 どちらにせよ、その真偽を確かめるすべを、龍二たちは持っていない。

 信じるか信じないか、それだけだ。

「随分と冷静だな」

「少しは予想、してた……最悪でバカげた想像だけど」

 断片的なものばかりだったが、その可能性を考えなかったわけではない。

 ただ、実際にそんな事が可能だとは思えなかっただけだ。

 それが証明されてしまった以上、否定しようとするのは無駄だろうと考えてしまう。

「面白い反応を見せてくれる。君は映画や小説といったものが好きだったな。なるほど、そんな可能性を想像し得る知識の下地があったということか」

 それでも龍二の反応は興味深いと、博士は顎を撫でる。

 博士の言う通り、龍二がその可能性を考える事ができたのは、小説などの娯楽作品を見て来たからだ。

 安藤聡の書斎にあった数多の物語。

 彼の研究テーマにも通じる、空想の科学。

「偶然とは言え、君を彼に預けたのは正解だったか。居候先として選んだ理由はもっと他のところにあったのだが……いや、実に面白い」

 博士の低い笑い声が、地下室に響く。

 恐怖を助長するようなそれに、龍二の膝が震えた。

「……龍二」

 さすがに見かねたうてなが、その肩に触れる。

 どう声を掛けていいかわからず、それくらいしかできない自分を、うてなは不甲斐なく思う。

 正直、博士の話は突拍子もなさすぎて、うてなは理解できずにいた。

 いや、認めたくないと思っているだけかもしれないと、心のどこかが感じている。

「君があれから生まれて、およそ三年半といったところか」

 感慨深く漏れた博士の言葉は、それまでに比べて気配が薄い。

 さらりと流れてしまいそうな呟きだったが、龍二とうてなは同時に顔を上げた。

「……三年、半?」

「あぁそうだ。君があの子宮から出たのは、三年半前のことだよ」

 戸惑いに彩られた龍二に頷きながら、博士は口元を緩める。

「でも、あの映像に……ぼ、僕は……」

「簡単な話だ。あの映像は四年前の記録。君が生まれる前のものだ」

 それは救いの言葉であり、更なる疑問を抱かせる言葉でもあった。

 博士は手元の端末を操作し、モニターにあの映像といくつかの画像を表示させる。

 初めて見るそれに、うてなは声を失った。

 なるほど、確かに龍二と瓜二つだ。

 これを見せられたのなら、疑いたくもなる。

 今の安藤龍二からでは想像もできない、殺戮者の姿。

「彼は安藤龍二ではない。同じように作り出した、一人目の実験体。そうだな。君の兄と呼べる存在ではあるかもしれないな」

「僕と同じ……」

「使用した遺伝子が同じだから、似ているのは当然だ。とは言え、観察力が足りないと言わざるを得ない。少し考えれば気づくだろう? 四年前の姿と、今の姿が同じであるはずがないと。年齢が合わない」

 そこに気づけば、不必要な悩みを抱えずに済んだだろう、と博士は小さく笑う。

 言われてみれば、だ。

 龍二が安藤家ですごした約三年の時間。

 その間に身長も体格も、年齢に合わせて成長し、変化している。

 誰よりも龍二自身が、その変化を見ていた。

 だから四年前の映像と、今の姿が同じであるはずがないのだ。

 うてなも、以前話を聞いた時に覚えた違和感の正体に気づいた。

 とは言え、こんな映像をあんな状況で見せられ、冷静に分析しろというのが無理な話だ。

 博士に対する苛立ちを覚えながらも、うてなは内心、少なからず安堵もしていた。

 理解しがたい事ばかりだが、少なくとも一つ、救いがある。

 博士の話が本当なら、安藤龍二は人を殺していない。

 それだけは、救いに思えた。

 龍二自身も、その事に安堵を覚えていた。

「あの映像からわかると思うが、彼は致命的な欠陥を抱えていてね。力を与えた結果、戦闘能力は期待以上のものに仕上がったのだが、反面、精神が破綻していた。初の試みなのだから、もっと慎重を期すべきだったと反省したよ。なにぶん、当時は私も興奮していてね。スペックを追い求めすぎた」

 自身の失敗を楽しげに語る博士の目に、熱が宿り始める。

 その熱に、空気が凍り、軋んでいくような気がした。

「君のおかげだと言ったら、気分を害するかな?」

「…………なんて?」

 思いがけず矛先が自分に向いた事に、うてなは眉を顰める。

 今の話で、どうして自分のおかげだなどと言うのかが、理解できない。

 が、ゾッとするような考えが背筋を撫でていく。

「あの戦いぶりを見ただろう? これまでのエージェントと同じ方法では、あれほどの戦闘力は得られない。それによく観察すれば、戦闘技術的な要素の介入がないことは明らかだ。あれは純粋に強化された身体能力による、力任せの殺戮」

 唇を戦慄かせるうてなから、龍二へと博士は視線を流す。

「安藤龍二が何者であるかを考えれば、答えは一つだろう?」

「……私を、使ったわけ?」

 うてなに視線を戻した博士は、正解だと頷く。

「――――っ!」

 風が巻いた、と龍二が感じた次の瞬間、うてなは博士の胸倉を掴んで立たせていた。

 椅子が倒れた音に、龍二はなにが起きているのかを理解する。

「だ、ダメだうてな!」

 拳を振り上げるその背中に、龍二は叫ぶ。

 なにかを考えるよりも先に、止めなければと感じて喉を震わせたのだ。

「――――っ」

 瞬間的に沸騰した思考が、龍二の声で止まったのは、奇跡とすら言えた。

 もし龍二が叫んでいなければ、うてなの拳は博士に振り下ろされていただろう。

「そんなことしちゃ、ダメだ。うてな、手を下ろして」

「…………」

 魔力を帯びて揺らめくうてなの拳は、小さく震えていた。

 胸倉を掴まれ、今にも殴られそうな状況にありながら、博士は顔色一つ変えていない。

 ただ静かにうてなを見据え、その拳がどう動くのかを待っている。

「うてな、お願いだ……」

「…………わかってる」

 うてなは吐き捨てるように言って、乱暴に博士を解放する。

 数歩後ろによろめいた博士は、乱れた襟を正しながら、僅かに目を細める。

「君が止めるとは思わなかったよ」

「……あなたには、まだ訊きたいことがあるから」

 だから止めたのだと、龍二は唇を引き結ぶ。

 それが建前なのは、誰の目にも明らかだ。

 咄嗟に龍二がうてなを止めたのは、怒りに任せて暴力を振るうのは良くないという、ごく当たり前の思考からだ。

 ましてやうてなの拳は、十分凶器となり得る。

 それが魔力を帯びたものであれば、なおさらだ。

「……ごめん、カッとなって」

 龍二の隣に戻ったうてなは、小さな声で謝罪する。

 軽く首を振って、龍二はそれに応えた。

「……それで、うてなのおかげって、どういう意味ですか?」

 以前空気は張り詰めたままだが、それを確かめずに先へは進めない。

 まだ整理しきれていない情報を脳裏に浮かべながら、龍二は博士を見る。

「君には、神無城うてなの細胞が組み込まれている、ということだよ。彼女には定期的に細胞や血液を提供して貰っていてね。ふと思いついて、実験に利用してみたのさ」

 悪びれる様子もなく、博士は全てを明かした。

 もちろん、うてなも同意した上で細胞などを提供している。

 だが、それをこういう形で利用されているとは、想像もしていなかったのだ。

 だからそれに気づいた瞬間、怒りに支配されてしまった。

 知らない所でいいように利用されていた事と、浅はかな自分自身に。

 少し考えれば予想できたにも関わらず、今までその可能性を無視していた。

 世界に存在しないはずの、自分と同じ魔力を持つ存在。

 他に理由など、あるわけがないのだから。

「神無城うてな。君の細胞がなければ、安藤龍二はここにいなかった。君がいたから、彼は彼として生まれてきたのだよ」

 うてなと顔を見合わせた龍二は、博士の話に引っ掛かりを覚える。

 なにか、おかしい。

 博士の話が本当だとすれば、なにかが噛み合わない。

「……そうだ。ずっと引っかかってたのは、これか」

「なに?」

「年齢が合わない。うてながこっちに来たのは十年前なんだろ? だったら、おかしいじゃないか」

 安藤龍二の肉体年齢は、十八歳のそれだ。

 うてながこの世界にやってきた時期と、ズレがありすぎる。

「……後からこう、なんかしたんじゃないの?」

「いや、生まれる前に組み込まなければ、彼は存在しえない」

「……だから、それじゃあおかしいって話でしょ」

 口を挟んできた博士を睨み付け、うてなは鼻を鳴らす。

「おかしくはないさ。先ほども言っただろう? 安藤龍二は、三年半前にここで生まれた、と」

「計算が合わないにもほどがあるでしょ。バカにしてんの?」

「彼は普通ではないからな。おかしくはないさ」

 倒れていた椅子を元に戻し、博士は座り直す。足を組み、端末を操作してモニターに資料を表示させた。

「君の治癒能力……いや、治癒魔法か。あれは君という存在の時間を加速させ、癒えるまでの時間を短縮するものだろう?」

「……だから?」

「その特性は、細胞や血液にも及んでいる、ということさ。あの機械はね、そんな君の細胞を最大限利用するために作った人工子宮だ。疑似的ではあるが、あの機械の中では、君の時間魔法を限定的に再現できる。その結果として、ごく短期間で人造人間を成長させることができる、というわけだ」

 その成功例が安藤龍二であり、彼は二人目の特殊な人造人間なのだと、博士は語った。

「じゃあ、僕の記憶は……」

「記憶の擦り込みや暗示に関しては、すでに実用レベルに達している。君という人格の基礎は、私が作り上げたものだよ」

 ただ忘れているわけではない。

 存在すらしていない幼少期。

 人格を形成するものすら偽物だと、龍二は突きつけられる。

「――龍二っ」

 気が付けば龍二は、膝をついていた。

 うてなが咄嗟に支えなければ、そのまま倒れていただろう。

 両足が消えてしまったような感覚に、龍二は恐怖する。

 博士はその様子を、じっとりと絡みつくような目で眺めていた。

「一人目の失敗は、力と精神のバランスが保てなかったことだ。だから二人目の君には、力を与えなかった。精神を重視する方針でね。ごく平凡な人間……知能レベルも身体能力も平均値になるよう調整するのは、意外と困難だったよ」

 まるで思い出話でもするような博士の声を、龍二は跪いたまま聞いていた。

 もはや吐き気すらない。

 聞けば聞くほど、逆に冷静になれるような気さえしていた。

 自分を俯瞰するような、達観。

 自分だと思っていたものが溶けていく様子を、ぼんやりと眺めるような気分だった。

「その話、本当なの? 正直、信じられないくらい無茶苦茶なんだけど」

「構想自体は以前からあったものだが、この時代で実現できるとは思っていなかったよ。全ては君だ。君が現われてくれたからこそ、実現することができたのさ」

 いくら感謝を述べても足りないと、博士は本心から微笑む。

「十年前、君がこの世界に現れ、魔力と呼ばれるものが消失した。おかげで組織が今の形となり、それまではできなかったような実験を行えるようになった。藁にも縋るとはまさにこのことだ。そして新たなるプロジェクトが始まった」

 博士はそこで言葉を区切り、改めて龍二を見る。

 見上げてくる龍二の視線と、博士のそれが交差する。

「プロジェクトNDR。またの名を、アンドリュー計画」

 君の名前だ、と博士は指を鳴らした。

「プロジェクトの名前なんてものはどうでもよくてね。必要だというから、その時目に入った映画のタイトルを拝借しただけの、さして意味のあるものではないよ」

 その時の事を思い出し、博士は小さく笑う。

「まぁ、いずれはあのアンドリューのようなロボットの開発も本格的になるだろうが。あぁ、安心していい。君はロボットなどではないよ。その肉体は、限りなく人間のそれだ」

 なに一つ安心などできない話に、龍二は息を吐いた。

 内容を噛み砕く前に次々と提示される事実に、なかなか理解が追い付かない。

 だが、深く考えても仕方がないと今は割り切る事にした。

 そうでもしなければ、自分を保てない。

 よろめくようにして、龍二は立ち上がる。

 手を貸してくれたうてなに、どうにか笑いかけ、頷く。

 そして、改めて博士を見る。

「……僕がなんなのかは、わかった。でも、あなたはそれで、なにがしたいんだ?」

 結局、彼女の目的が見えない。

 組織としての目的も、博士が求めるものも。

「あぁ、ちゃんと話そう。君たちには隠し事をしないと決めている」

 神無城うてなの細胞を利用した事実は、あえて開示する必要はなかった情報だ。

 それを明かしたのは、博士なりの誠意でもあった。

 同時に、最後の実験へ向けた準備でもある。

「だがその前に、約束を一つ果たそう」

 そう言って博士は、視線を背後の通路へと向ける。

「来い」

 無機質な博士の言葉に答える声はない。

 が、微かな衣擦れと足音が聞こえてきた。

「――――っ」

 そして二人の前に姿を現したのは、拘束衣を着せられた、久良屋深月だった。

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