最終章 第3話 Eidolon その2

 現実感が薄れるような空間に、龍二とうてなは息を呑んだ。

 博士が二人を招いたのは、本部施設の最奥、そこから更に下へ進んだ地下室だった。

 専用のエレベーターは不気味なほど静かで、注意していても動いている事に気づけないほどだ。

 果たして、どれほど深い地下に作られた空間なのか。

 多様な機械や機材が並ぶ空間は、もしかしたら龍二が通っていた高校の敷地よりも広いかもしれない。

 それほどまで圧倒的で、広大な空間が本部の地下には存在していた。

「この場所はね、研究員でも限られた者しか立ち入ることを許されていない、言わば組織の心臓ともいうべき場所だよ。もちろん、存在すら知らない者がほとんどだ」

 特別誇るでもなく、博士は世間話をするように語りながら歩く。

 二人はその後に続きつつ、視線を左右に彷徨わせていた。

 うてなももちろん、こんな場所があるとは知らなかった。

 数えるのも馬鹿らしくなるくらいに機械が並んでいるが、意外にも騒音はほとんどない。

 それに、空気もどこかひんやりとしていて、肌寒さすら覚える。

 どれだけ見回してみても、ここにある機械がなんなのかは、想像もつかない。

 おまけに、作業をしている研究員らしき人の姿も見当たらず、その異様さを増幅させている。

 そんな怖気を感じる状況でも、博士が口にした『組織の心臓』という単語が示す重要性は、はっきりと理解できていた。

 二人をここに連れて来た理由も、その単語に関係があるのだろう。

 龍二とうてなが、知りたいと思っている事にも。

 否応なく高まる緊張に、龍二は喉の渇きを覚える。

 それに加えて、息苦しさまで感じていた。

 嫌な汗でじっとりと濡れた手のひらを開きながら、ある機械に目が留まる。

「…………なんだ、あれ」

 思わず声を漏らした龍二は、吐き気を覚えて口元を押さえる。

 龍二の視線を追ったうてなは、一瞬それがなんなのか、わからなかった。

 しかしすぐに理解し、眉間に深い皺を刻んだ。

「……悪趣味も行くとこまで行ってる感じね」

 忌々しげに唇を歪め、立ち止まった博士の背中を睨み付ける。

「丁度いい。この辺りで話そうか」

 うてなの視線を受け流し、博士は手近な椅子に座る。

 その背後には、龍二の目に留まった大型の機械がある。

 教室を一つ埋め尽くすほどの大きさがある機械には、流線型のポッドが複数備え付けられていた。

 規則的に並ぶポッドは丁度、人が入れるくらいの大きさだ。

 その中は青白い液体らしきもので満たされている。

 ほとんどのポッドは、それだけで中には何もない。

 ただ、二つだけそうではない物があった。

 龍二が思わず声を漏らしたのは、そのポッドの中にあるものに気づいたからだ。

「先日は手を焼いたようだな」

 博士は楽しげに言って、背後のポットを流し見る。

 そのポッドには、二人の人間がそれぞれ収められていた。

 一糸まとわぬ姿で、眠るように目を閉じているのは、龍二たちとそう変わらない年齢と思しき少女。

 仮面のせいで直接顔は見ていないが、博士の言葉と吐き気を催すような気配から、その少女が何者であるかは理解できる。

「おかげでいいデータが取れた。やはり、単体ではまだまだ君に敵わないようだ」

「わかっちゃいたけど、本当にクソ野郎よね、あんたって」

 吐き捨てるようなうてなの悪態に、博士は軽く肩を竦めただけだ。

 舌打ちを飲み込んだうてなは、視線をポッドで眠る少女に向ける。

 彼女たちは、間違いなく以前襲い掛かって来た二人だ。

 歪な魔力を宿したバケモノ。

 眠っているからか、今は意識しなければ感じられない程度の魔力だが、この距離であれば微かに感じられる。

「うてな、あの二人の顔……」

「あんたもそう思うか……」

 なら、気のせいではないのだろうと、うてなは顔を顰めた。

 龍二とうてなは、その少女の顔に見覚えがある。

 正確に言えば、面影が重なる。

 数ヶ月前の、夏の夜に出会った魔術師の少女。

 うてなへの復讐心に身を焦がし、命を落とした少女――双城聖。

 鬼気迫るような表情こそ浮かべていないが、確かにあの少女とポッドで眠る少女の姿は似ていた。

 歪な魔術の気配にしてもそうだ。

 初めて感じた時から、不吉な予感はあった。

 だが、それはあり得ないのだからと、理性が否定し続けていた。

 しかしそれも、もうできない。

 目の前の現実を認めるしかないと、うてなは拳を握り締める。

「その二人……何者?」

「手慰みに作った最新作、といったところだな」

 なんでもない事のように言いながら、博士は機械に繋がっている端末を操作する。

 ディスプレイに表示されたのは、双城聖の写真とデータだ。

「彼女は実に貴重なサンプルでね。前々から試してみたいと思っていた実験に使用させて貰った」

 龍二とうてなは博士の言葉に、同じように顔を顰め、嫌悪を露わにした。

「まさか、そこまでするわけ?」

「その価値があるのなら、するさ」

「死者に対する礼儀ってものがないの?」

「そんな倫理に興味はないよ」

 顔色一つ変えず、博士は言い切る。

 そこには悪意すらない。

 どこまでも純粋な、実験に対する意欲だけがある。

「これはね、双城聖の心臓を使った人造人間……あぁ、彼女たちの場合はそうだな、ホムンクルスと呼んだほうがしっくりくるかもしれないな」

 君はどう思うと問うように、博士は龍二を見る。

 だが龍二に答える余裕はなかった。

 博士の言葉を噛み砕き、理解するだけで精一杯だ。

 逆にうてなのほうが、まだ状況を理解できている。

 彼女は深くは考えず、博士の言葉をそのままに受け止めていた。

「よくもそんなものを作れたもんね。魔法の領域に片足突っ込んでるよ、それ」

「なるほど。君の世界ではそうなるか」

「とんでもないのは知ってたけど、これはちょっと……でも、なるほどね」

 気持ち悪い魔力の気配はそのためか、とうてなは納得した。

 侵してはならない禁忌の領域に、土足で踏み込む所業だ。

 歪になっていたのは、魔力じゃない。

 その魔力が存在する、世界そのものが歪になっていたのだ。

 それがどれほど危険な事かを、博士は理解できないだろう。

 いや、仮に理解できたとしても、気に留めはしない。

 もしかしたら博士にとってそれは、望んでいる事かもしれないのだから。

「魔力というものは実に面白い素材だ。正攻法であれほどの戦闘力を持たせるのは、なかなかに難しいのだがな」

「やり方が無茶苦茶すぎるでしょ。あんな戦い方、長くはもたない」

「構わんさ。まだ実験の初期も初期。積み重ねた失敗が、成功へと繋がる」

「だからその間は捨て駒……すぐに死んでもいいってわけ?」

 答えるまでもないと、博士は小さく鼻を鳴らす。

 普段と同じであれば、もう話すのはうんざりだと立ち去っていただろう。

 だが今は違う。

 うてなは腹の底から沸き起こる怒気に、吐き気すら忘れていた。

 そして、怒りが増していくにつれ、不思議と思考だけは冷静になっていく。

 危ういバランスで、うてなはその場に留まっているのだ。

「だがまぁ、これはおまけのようなものさ。本格的な実験を始めるには、もっと時間が必要だ。いくら戦闘能力に優れているとは言え、あれほどまで衰弱した逢沢くのりと相打ちに持ち込まれたのだからな」

「……やっぱり、こいつらがあの時の切り札か」

「あぁ。その時の実験体は、ここにはないがね」

 博士はそう言いながら、龍二の様子をちらりと窺う。

 龍二はくのりの名前が出た事に、唇を引き結んでいた。

「本当に素晴らしい成果を残してくれたよ、逢沢くのりは。あの状態で生き延びた彼女の強さは、ある意味本物だったのだろう」

 歪な人造人間よりも、逢沢くのりの強さこそ称賛に値すると、博士は微笑を浮かべる。

 変わる事のなかった表情が、初めて変化した。

「全ては君がいたからだ」

 感謝しているとでも言いたげな声に、龍二は胸を押さえる。

 破裂しそうなほどに力強い動悸が、全身に広がっていく。

「顔色が良くないな」

 そんな龍二の様子を、博士は舐め回すように見る。

 隣に立つうてなもその様子に気づき、声を掛ける。

 龍二は軽く手を上げて大丈夫だと示すが、込み上げてくる吐き気は底が見えない。

 その始まりは、この地下室に入った直後だった。

 足を踏み入れた瞬間から、龍二はずっと感じていた。

 微かな違和感は徐々に存在感を増し、地下室の空気に汚染されていった。

「なにを感じている?」

 まるで耳元で囁かれたように、博士の声が龍二の脳を刺激した。

「……僕は、ここを」

 龍二は胸を押さえたまま、もう片方の手を顔に当てる。

 これから口に出そうとしている言葉が、怖い。

 自分自身の内側から込み上げてくるそれに、歯が鳴る。

 逃げ出してしまいたい衝動を、決意でねじ伏せる。

 ここに来た理由は、全てを知るためなのだ。

「僕はここを……この場所を、見たことがある」

 絞り出した龍二の声に、博士はにんまりと笑みを浮かべて頷き、

「あぁそうだ。君は、ここで生まれた」

 間違いはないと、否定すら望んでいる龍二の言葉を肯定した。

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