最終章 第2話 夢の続きを見る君へ その5

「まずは落ち着いて冷静に話し合おう」

 剣呑な雰囲気をまとって立つうてなに、この問題は話し合いで解決できるはずだと、龍二は切実に訴えかける。

 うてなはなにも答えず、僅かに首を傾げながら眉を吊り上げた。

 その頬は赤みを帯びている。怒りと羞恥が混じり合った赤だ。

「もしかしたらなにか誤解してるのかもしれないから一応弁解しておくけど、僕はその、なにもしてない」

「お前の罪は万死に値する」

「起きたばかりにしては、面白い冗談だね」

「だまれ」

 冗談など言っていないと、うてなは拳を鳴らす。

 ゆっくりとベッドを回り込んでくるうてなから遠ざかるように、龍二は壁際に移動した。

「待った。とにかく話をしよう。っていうか、なんでそこまで怒ってるのさ?」

 うてなが目覚めてから、まだ一分程度しか経過していない。

 その間になにか彼女の機嫌を損ねるような事があったかといえば、龍二に心当たりはない。

 彼女が目覚めてから龍二がした事と言えば、おはようと挨拶をしただけだ。

 何気ない当たり前の挨拶に、うてなは表情を一変させ、今に至る。

 改めて思い返してみても、彼女が怒りに拳を鳴らす理由は見当たらなかった。

 目を覚ましてこんなに機嫌が悪いのは、初めての事だった。

「…………」

 今日に限って、という部分に、ある可能性を連想するが、その言葉は呑み込んだ。

 決して口に出してはいけない言葉であり、触れてはいけない話題だと、龍二は学んでいる。

「どうやら、自分の罪がわかってないみたいだな」

「わかったらこんなに怯えてない。本当になんなの?」

 無抵抗と降参を示すように、龍二は両手を上げる。これ以上距離を取ろうにも、すでに背後は壁だ。

 逃げ場がない以上、うてなの怒りが収まるのを祈る事しかできない。

「…………見た、だろ」

「…………なにを?」

「…………見てただろ?」

 だからなにを、と言いかけたところで、龍二はようやく思い至る。

「……寝顔?」

 疑問形で投げかけた龍二は、顔面にぶつかる枕の衝撃に正解だったと確信する。

 思いきり枕を投げた張本人は、手繰り寄せていたシーツで顔の下半分を隠していた。

 非難がましく細められた目は、辱められた少女のように潤んでいる。

 あまりにも予想外な反応に、龍二は一瞬思考が停止してしまう。

 この数日、ずっと寝食を共にしてきた彼女が見せる、初めての表情だ。

「マナー違反にもほどがある」

「……えっと、もしそうなら謝る」

「もし?」

「あ、いや……うん。ごめん」

 鋭さを増す視線に、龍二は素直に謝った。反論は、油を注ぐ事にしかならない。

 その簡潔な謝罪で怒りは収まったのか、うてなは鼻を鳴らして背中を向ける。

 向かう先は、洗面所兼脱衣所だろう。

 威圧するような空気からようやく解放された龍二は、小さく息を吐く。

「…………ヘンなこと、してないだろうな?」

 ピタリと足を止めたうてなは、顔を半分だけ後ろに向ける。

 彼女の半眼に頬を引きつらせながら、龍二はもう一度両手を上げた。

「誓ってしてない。本当に」

「……なら、なんで見てたの?」

「……なんと、なく。でも本当にやましいこととかしてないから」

 だから安心して欲しいと、龍二は訴えかけた。

 確かにうてなが目覚める様子を、龍二は静かに眺めていた。

 それが彼女に、妙な誤解を与えてしまったのだろう。

「でも、そうだね。確かに不躾だった。本当にごめん」

 改めて頭を下げる龍二に、うてなは小さく頷き、目を逸らした。

「……準備、しといて。すぐに移動するから」

 この話はこれで終わりだと告げるうてなに、龍二は頷いた。


 ホテルを出て、新しいセーフハウスに移動を終えたのは、その日の夕方だった。

 ようやくひと息をつき、途中で調達しておいた食事を済ませた頃には、すっかり暗くなっていた。

 テーブルにお菓子を並べ、ペットボトルに口をつけながら、うてなは端末に目を落とす。

 くのりが予め用意していたセーフハウスは、この場所を含めてあと三ヵ所。

 そこから先をどうするのか、いい加減に考えなくてはならない。

「うてな、話があるんだ」

 難しい顔で端末を睨んでいたうてなは、龍二の声に顔を上げる。

 いつもとは違うと、その声を聞いただけでうてなは察していた。

 それくらい、龍二の声は硬かった。

 そして彼の目と表情を見て、確信する。

 端末をテーブルに置き、ペットボトルで軽く喉を潤す。

「……なに?」

 椅子に深く腰掛けたうてなは、真っ直ぐに龍二を見る。

 真剣さを宿した双眸だが、その表情は穏やかだ。

「決めたよ」

 どう伝えようか迷った末、龍二はわかりやすい言葉を選ぶ。

「あの人に、会いに行こうと思う」

 それが誰の事かは、あえて口にするまでもなかった。

 龍二の決意を聞いたうてなは僅かに目を細めただけで、続く言葉を待った。

「ここまで付き合ってくれたうてなには悪いと思うけど、もう逃げるのは、終わりにしたいんだ」

 逃げようと思った理由を、もう失っている。

 残された時間を、逢沢くのりに捧げる。

 ただそれだけが、理由だった。

「もういいの? 私なら、別に構わないけど」

「うん、もう十分だ。君のおかげで、決心がついた」

「……決心、ね」

 思わず口に出しそうになった言葉を、うてなは濁した。

 どんな決断であれ、龍二がそうと決めたのなら尊重するべきだと、改めて自分に言い聞かせる。

 うてなが考えるべきなのは、それに対して自分がどうするかだけだと、静かに息を吸って吐く。

「会いに行って、どうするつもり? 見逃してくれるような相手じゃないよ?」

「わかってる。でも、そうするしか……いや、そうしたいんだ」

 ずっと考えてきた龍二は、自分になにができてなにができないのかを、理解している。

 情けなく思いながらも、どうにもならない事が多すぎる。

 問題の渦中にありながら、誰かを頼る事しかできない。

「僕は、知りたい。自分がなんなのか。なんのために生まれたのか。あの人が、なにを求めているのか」

 このまま逃げ続けていては、決して知る事ができない。

 博士という人間と向き合う事でしか、答えは得られないのだ。

 なら、行くしかない。

「いくら考えても、やっぱり僕は、自分をヒーローだなんて思えない。いつだって守られてて、君たちがいなきゃ、どうにもならないことばっかりだ」

「あんたに守って欲しいなんて、誰も思ってないと思うけど」

 うてなはそう言って肩を竦めながら、唯一の例外を思って口元を緩めた。

 安藤龍二に守られるなんていう、特定の誰かには夢のようなシチュエーション。

 もしかしたら、彼女ならそんな乙女チックな夢を見ていたかもしれないと。

「でも、思ったんだ。ヒーローになれなくても、僕は僕だ。それってさ、主人公ってことだと思うんだ」

 自分が自分であるのなら、それは間違いなく、自分という物語の主人公に他ならない。

「だから僕は、知らなくちゃいけないんだと思う。どんなに怖くても、そこから逃げたら、きっとダメなんだ」

 僕が僕であるためには、何者なのかを知らなければいけないのだと、龍二はうてなを真っ直ぐに見る。

「……あんたがそうしたいなら、いいんじゃない」

 あまりにも迷いのない龍二の言葉と目に、うてなは降参するように両手を広げて見せた。

 あの場所に戻れば、確かに龍二が求める答えは得られるかもしれない。

 博士ならば、嬉々として話す可能性も十分にある。

 だがしかし、そのあとはどうなるのか。

 それがわらかないほど、龍二も楽観的ではないだろう。

 おそらくは、それを承知した上での決断だ。

 なら、うてなはもうなにも言えない。

 龍二の決断が、旅の終わりそのものだとしても。

 うてなが考えるべきは、自分がどうするかだ。

「本部には、私も行く。いろいろと知りたいのは、私も同じだから」

「……いいの? うてなはその、立場が複雑になるけど」

「そんなの、あんたが気にすることじゃない」

 こんな時でさえ妙な気遣いを見せる龍二を、うてなは軽く笑い飛ばす。

「もともと私は異邦人。なるようにしかならないし、やりたいようにやるだけ」

「わかった。じゃあ、あとは明日になってから、かな」

「ま、その前にまた襲撃されるかもだけど」

 その時はその時で、出向く手間が省けるとでも言いたげに、うてなは唇を歪める。

 大人しく捕まるつもりがあるのかないのか、不安になる笑みだった。

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