第5章 第1話 おかえりなさいを言えなくて その6

「私と久良屋は、あいつの護衛だったんです」

 途切れてしまった会話を繋ぐため、今度はうてなが自分たちの事を話す。

 夏休みの少し前、安藤龍二が初めて誘拐された事。

 深月と二人で救出し、家に送り届けた事。

 安全が確認できるまで、深月がクラスメイトとして学校に潜入していた事。

 学校で起きた爆発事故も、誘拐犯が引き起こした事。

 彼を狙う人物は、捕らえた事。

 ただし、まだ安全とは言い切れないので、そのまま護衛を続けていた事。

「……そうだったんだ」

 夏休み前からあった様々な事に合点がいったと、奏は頷く。

 あの頃にあった龍二の不審な行動にも、納得できたのだろう。

 いくらかの安堵と、それに気づけなかった事に胸を痛めているように見えた。

「ずっと、龍君を守ってくれてたのね」

 奏の囁くようなありがとうに、うてなは目を逸らす。

「……もしかして、くのりちゃんも関係、あるの?」

 一つだけ吐いた嘘が、針のように胸を刺した。

 夏の事件を語るのならば、逢沢くのりについて考えが至るのは当然だ。

 あんな事件があったと同時に突然姿を消したのだから、関連性を疑わないほうが難しい。

 とは言え、奏はきっとくのりもエージェントかなにかだと思っているのだろう。

 誘拐を企てた張本人だとは、微塵も思っていないのが、表情から窺える。

 真実を告げる気にはなれず、うてなは沈黙で答えた。

 奏はそれを守秘義務の類だと思い、追及はしなかった。

「龍君、大変だったんだ。私、全然知らなかった……知ってるつもりに、なってたんだ」

「……あいつは、知られたくなかったんですよ。心配させたくないって、言ってましたから」

 哀しみと共に漏れるため息に、うてなはそう答えてフォローする。

「……でも、私は知りたかった」

 が、奏は一層深く、双眸に哀しみを宿して呟いた。

「悩んでいるのなら、力になって、あげたかった……」

 塞ぎ込んでいた龍二に踏み込めなかった自分を恥じながら、それでも奏はそう思ってしまう。

 龍二が相談できなかった理由も気持ちもわかる。

 自分だって、龍二の立場なら心配をかけたくないと思っただろう。

 それがわかっていても、思わずにはいられない。

 彼に寄り添える、家族でありたかったと。

 滲み出す後悔の気配を感じ取りながらも、うてなは一つ、どうしても訊きたい事があった。

 奏にとってそれは、思い出したくもないような事だろうと、想像はつく。

 それをわかった上で、うてなは奏に尋ねる。

「……あの夜、なにがあったんですか?」

 安藤奏が怯えていたのは、誘拐されたからだけではないはずだと確信していた。

 龍二と奏の間に、なにかがあったのだ。

 助け出された奏から、龍二が距離を取らざるを得なかったなにかが。

 うてなの真剣な眼差しに、奏は目を伏せる。

 恐怖が蘇ってきたのだろう。彼女の手が震えているのが、うてなにもわかる。

 奏が話したくないというのなら、うてなはそれで引き下がるつもりだった。

 あくまで一般人である奏に強要しようとは思わないし、それは仕方がないと思う。

「……映像を、見せられたの」

 しかし奏は、伏せていた目を上げてあの夜の出来事を話し始めた。

 かつて龍二を誘拐した少女は、四年前のものだという映像を見せた。

 そこに映し出されたのは、あの施設で四年前に起こった事故の映像。

 いや、事故と呼ぶのは適切ではない。

 話に聞くそれは、事件だ。

 一人の少年が起こした、大量虐殺の映像。

「あれは、龍君だった……同じ顔、だったの」

 その時に覚えた衝撃と恐怖を思い出し、奏は自身の身体を抱き締める。

 今でもまだ、あの映像と龍二の姿が重なって見えてしまう。

 拭おうとしても拭えない、瞼に張り付いた恐怖そのものだった。

「あいつが……」

 にわかには信じがたい話だが、四年前という言葉が引っかかる。

 あの施設が放棄される原因となった事故も、四年前だったはずだ。

 その時の映像が残っていたとしても、おかしくはない。

 問題となるのは、そこに映っていた少年と龍二が同じ姿をしていたという点だ。

「……あなたは、なにか知らない? あの映像とか……龍君のこと、とか……」

「その映像についてはなんとも……事故があったっていう話は、聞いてましたけど」

 口元に手を当て、うてなは眉を顰める。

 実際の映像を見てみないとなんとも言えないが、奏が龍二の顔を見間違えるとは思えない。ならば、その映像に映っていた犯人は、安藤龍二の姿をしていたのだろう。

「……あいつ、言ってたんです。居候する前の記憶がないって」

「記憶が、ない?」

「はい。親の顔とか名前も、よく考えたらわからないって……」

 花火大会があった夜、泣き出しそうだった龍二の顔を今でもはっきりと思い出せる。

 なにもわからないと、砕けそうな顔で呟いていた龍二を。

「自分が何者なのか……あの頃からずっと、あいつはそれを考えてたんだと思います」

 誰よりもそれを知りたがって、悩んでいた。

 それと同時に、知るのが怖いとも感じていたのだろう。

 奏の話が本当だとすれば、龍二はあの夜、その断片に触れた事になる。

 よりにもよって、殺戮を楽しむ自分の姿という最悪の断片に。

 龍二自身も、そして一緒に見てしまった奏も、かつてない恐怖を覚えただろう。

 だから龍二はあの時、奏に近づく事はできないと拒んだのだ。

 助け出された直後も、奏が龍二に対して怯えているとわかっていたから。

 ようやく理解ができたうてなは、歯がゆさと苛立ちに拳を握り締めた。

 わざわざ奏の前でそんな映像を見せつけた、今はもういない少女に怒りを覚える。

 殴れるものなら、今すぐにでも殴ってやりたい気分だった。

「そっか……そんなことまで……自分が、わからないって……あぁ、私……わたしっ」

 沸騰しかけたうてなの思考を、奏の震える声が冷やす。

 俯く奏の表情は、前髪に隠れて見えない。

 が、こぼれ落ちる涙の軌跡は見える。

「そんなの、知らなくて……怖くて、もうイヤだって……私っ、逃げたっ」

 会った時からずっと滲み続けていた後悔が、とめどなく傷口から溢れ出す。

「くのりちゃんの時と一緒だ……自分のことばっかりで、龍君のこと、考えてあげられなくてっ……龍君、違うって言ってたのにっ」

 僕じゃないと必死に訴えかける龍二の声が、奏の耳には今も残っていた。

 あの場で感じていた恐怖とは、また違う感情。

 強すぎる恐怖に押し潰されて、見失ってしまった大切なもの。

 決して手放してはいけなかった、自分の想い。

「信じて、あげられなかった……あんなに言ってたのに……」

 後悔してもしきれない想いが、奏の心臓を軋ませる。

 外側から締め付けられ、内側に宿った針が食い込む。

 信じるべきだったのだ。

 あんな映像などではなく、龍二とすごした家族としての時間を。

 彼自身が迷い、疑ってしまったとしても。

 自分だけは彼を信じなくてはいけなかったのだ。

「お姉ちゃんだなんて、偉そうにしてたくせに……私っ、一番大事なときに龍君を見捨てた! いつでも味方だとか、嘘ばっかり……」

 両手で顔を覆って泣く奏に寄り添ったうてなは、その肩を抱く。

 話を振った責任を感じたからではない。

 ただそうしたいと思ったからだ。

 奏がどれくらい後悔しているのかは、今の言葉と姿で十分わかる。

 彼女を責める事など、誰にもできない。

 だが、奏自身は別だ。

 後悔しているがゆえに、今の奏は自分を責める。

「わたし、失格だ……もうお姉ちゃんだなんて、言えないよっ」

「……奏さんの気持ち、あいつはわかってますよ」

 抱き寄せる手に力を込め、うてなは唇を緩める。

「こういう時は、気を遣わせて申し訳ないって思う。そんなタイプですよ、あいつは」

「……でも」

 泣きながら顔を上げる奏を励ますように、うてなは笑いかける。

「数ヶ月監視してた立場から言わせて貰えば、いつもの姉弟喧嘩と大差ないです。次に会った時、絶対にあいつ、奏さんに謝り倒しますよ。あの夏休みの時みたいに」

 そんな状況が訪れるかはわからないが、うてなはあえて楽観的な想像をする。

「喧嘩したら、あとは仲直りするだけ。慣れたものでしょ、奏さんなら」

「……でも、もう会ってくれるかどうか。嫌われてても、おかしくない」

「まさか。あのシスコンに限ってそれはない」

「りゅ、龍君は別に、シスコンとかじゃない、と思うけど……」

「まぁ、どう思うかは自由ですけど」

 あれをシスコンと言わずなんと言うのだろうかと、うてなは場違いにも苦笑してしまう。

 ほんの僅かだが、奏の表情に光が戻っていた。

「とにかく、私が知ってるあいつは、奏さんを責めるとか嫌うとか、そんな風に考えるやつじゃないですよ」

 根拠があるわけではない。

 あるのは、安藤龍二という少年と接して得た、自分の認識。

「そもそもの話、あいつは誰かを傷つけられるタイプじゃない。私が知ってる安藤龍二はシスコンで、そのくせバカみたいに一途な恋をしてる、平凡などこにでもいる高校生です」

 大切なのは、神無城うてなにとって安藤龍二がどういう人間なのか、ただそれだけだ。

「だから、難しく考える必要、ないですよ。次に会った時、ごめんなさいって謝ればいいだけです。たぶん、二人で頭を下げ合う感じになると思いますよ?」

 その光景が目に浮かぶと、うてなは笑う。

 そんなうてなの姿に、思わず奏も笑みを浮かべてしまった。

 同時に、強い憧れを抱く。

 あの時自分に必要だったのは、こういう強さだったのかもしれない、と。

 眩しいとすら感じるうてなの強さに、奏はまた胸の痛みを覚える。それは、嫌な痛みではなかった。

 こういう少女だから、夏休みの時も踏み込めたのだろうと、ようやく納得できた。

「……そう、かもしれないね」

「間違いないですよ。お昼ご飯を賭けてもいい」

 ご飯を持ち出す意味はわからなかったが、こうも断言されてしまうと頷くしかない。

「仲直り、できるかな」

「したいかどうか、ですよ」

「……うん。私は、したい」

 彼とまた、姉弟のように笑顔で会いたいと、奏は思う。

 悪い事をしたのなら、謝るのが当然だ。

 龍二にどう思われてしまったかはわからないが、少なくとも奏は会いたいと思っている。謝りたいと、願っている。

 今はまだ、それでいい、と奏は頷く。

 後悔して泣いていても、なにも変わらないのだから。

「……そう言えば、まだ言ってなかったね」

「なんです?」

「助けてくれて、ありがとう」

「……約束してたんで」

 真っ直ぐに感謝してくるあたりが姉弟だな、とうてなは頬を掻く。

 奏が巻き込まれてしまった原因は、少なからず自分たちにもあると思っているから、若干の気まずさもあった。

「龍君のことも……ずっと、本当にありがとう」

「それは、あいつからよく言われてるんで」

「……そっか。うん」

 龍二の話で笑える自分に、奏はまた涙をこぼした。

 積み重ねて来た気持ちは、消えていない。

 すごした時間は、なくなってはいない。

 ちゃんと謝って、仲直りをしよう。

 シュシュをしまい込んだ机に視線を向け、奏は微笑む。

 その表情を間近で見ていたうてなは、頬の熱さと心臓の鼓動を感じていた。

 いろいろと抱え込んで重くなっていた感情が、出口を見つけて出て行くような感覚。

 ――会いに行こう。

 本部に捕らわれている龍二の下へ行くと、うてなは決めた。

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