第4章 第2話 危うい関係 その5
「学校はどう?」
スーツとの同調率を確かめるように空気を蹴り飛ばしながら、くのりは二人に視線を向ける。
「いきなりなんの話?」
「ただの世間話。どうなの?」
「どうって……普通」
うてなは唐突な質問を訝しむが、律儀に答える。
「普通、ねぇ」
「なに? 文句でもあるわけ?」
「ううん。ただ、贅沢な普通だなぁって。楽しくない?」
一通り動きを確かめたくのりは、新型のガントレットを装着しながら微笑を浮かべる。穏やかともいえるその表情から、彼女がその生活をどう思っていたのかが読み取れる。
「……まぁ、ぶっちゃけ満喫しちゃってる感じはある、かな」
だから、というわけではないが、うてなは頬を掻きながら、やや照れくさそうに呟く。
「別に恥ずかしがるとこじゃないでしょ」
「うっさいなぁ。楽しんでるって言っても、そこそこよ、そこそこ」
「あれでそこそこだと言うのなら、日本語を勉強しなおすべきね」
「ちょ、久良屋ぁ」
鼻を鳴らしつつ口を挟んできた深月に、うてなは情けない声を漏らす。
深月から見れば、これ以上ないほどにうてなは学生としての生活を楽しんでいる。
照れるくらいなら、日頃からもう少し慎みを持って欲しいとすら思うが、そこまで厳しい事は言わないでおいた。深月なりに、気を遣った結果だ。
「そういう久良屋だって、結構楽しんでるでしょ。自分は違いますーみたいなすました顔するの、おかしくない?」
「そんな顔していないでしょう」
そう答えた深月の顔は、いつも通り落ち着いたものだった。うてなが言うように、すましているように見えるかどうかは、見る者次第だ。
「楽しんでるかどうかより、ちゃんと溶け込めてるのかが私は気になるなぁ」
「どういう意味かしら?」
楽しげに目を細めるくのりを、深月は半眼で見返す。
「だって、転校してきたときの久良屋、不自然極まりなかったでしょ? 今だから言うけど、最初見た時さ、笑いを堪えるの大変だったんだから」
ある意味、過去に類を見ない過酷な任務だったとくのりは笑う。
その時の事を思い出したうてなも笑いかけるが、深月の鋭い視線に目を逸らして堪えた。不自然極まりないと言われた原因の一端は、間違いなくうてなにあるからだ。
弁解しようと思えばできるところを我慢し、深月は改めてくのりに視線を戻す。
「そういうあなたは、どうだったの?」
「私は、そうだなぁ」
龍二の監視役として潜入任務についた春を思い出し、くのりの口元が自然と綻ぶ。
大切な記憶をそっと取り出すように目を閉じ、開く。
「決して溶け込まない、空気みたいな感じだった」
特定の誰かと親しく話す事もなく、かといって邪険に扱ったりもしない。自分からはなにもせず、周囲の動きに合わせて生活する。
なにより、龍二の視界には極力入らないようにしていた。
同じクラスである限り、完全に関りを持たないという事は難しかったが、可能な限り、認識されないようにしていた……その、はずだった。
「って、また私の話にしようとする。質問してるのはこっち。久良屋は、楽しんでる?」
「考えたこともないわ」
そう口にした瞬間、深月は自分の嘘に気づいた。特に意識していたわけではない。まるでそう言わなければならないと決まっているかのように、口をついて出た言葉だった。
表情はなにも変わらない。感情の揺らぎなど、微塵も感じさせる事はない。
だが、くのりにはわかった。
久良屋深月は、変わりつつあるのだと。
自分自身に嘘をついてしまうほど、彼女は自分の感情を持て余しているのだ。
「もったいない」
くのりはそう呟きながら、ガントレットの仕込みブレードを起動させる。
鈍い光を放つ刀身に映る自分の顔を眺め、薄い笑みを浮かべた。
かつては自分もそうだったと、くのりは深月に自身を重ねる。
日増しに強くなっていく、安藤龍二への関心。
熱を持つ感情と心臓の鼓動は、今もここにある。
受け入れる前と後では、なにもかもが変わってしまう。その変化を怖がるのは、当然の事だ。
エージェントである自分ではなく、ただそこにいる一人の人間として、世界を感じ、向き合う。
与えられたものでもなく、教えられたものでもない。
自分の中から生まれた、自分だけの感情。
深月がそれをどうするのかは、彼女にしか決められない。
遅かれ早かれ、決断の時は来る。
「ただ、そうね……文化祭は、悪くなかったと思う」
「あぁ、文化祭か……うん、それはきっと、楽しかっただろうなぁ」
聞き逃してしまいそうな深月の呟きに、くのりは静かに頷く。
ブレードを収納し、ガントレットを外して鞄に詰め込む。
「私も、一緒に参加したかったなぁ。焼きそばがどうなったか気になってたの」
「大繁盛でしたねぇ。主に私のおかげで」
「メニューを増やすのは悪手だと思ったんだけどね。意外だった」
「こだわったからね、味には……って、なんで知ってんの?」
得意げになっていたうてなは、くのりの言葉に違和感を覚えた。まるで見ていたかのように語る口調も引っかかった。
「一部始終は見てたから」
当日じゃないけど、とくのりは肩を竦める。記憶と共にその時の感情が溢れ、くのりの表情は喜びに緩んでいた。
「……まさかとは思うけど、あなた」
気づいたのは深月だ。表情と顔が、僅かに強張る。
「まぁ、ちょっとだけ、ね」
あえて明言はせず、しかし意味ありげにくのりは唇に指を触れさせる。
龍二とかわした一秒足らずのキスと、二人を出し抜いてやったという優越感をこれでもかと見せつけた。
「ん? なに? どういう意味?」
今一つピンときていないうてなに、深月はため息まじりに答える。
「文化祭の前日、彼と会っていた、ということでしょう」
感情を押し殺すような低い声で言いながら、答え合わせをするようにくのりを見やる。
くのりはただ、楽しげに笑う。
肯定しているも同然だった。
「は? なにそれ。じゃああいつ、私たちに黙ってたわけ?」
「……そうなるわね」
「あ、あいつ……」
表面的には平静を保っている深月とは違い、うてなはわかりやすく怒りに拳を震わせていた。
冷静になれば、龍二が言わなかった理由も、言えなかった感情も理解できただろう。
だが、神無城うてなという少女は、今この瞬間、冷静になれる性格ではない。
護衛対象として、ゲーム仲間として、友人のように接してきた。
だからこそ、逢沢くのりと会っていた事を黙っていた龍二に、怒りを覚える。
「ぜったい連れて帰る。そんでもって罵倒する。徹夜でこう、こうしてやる!」
うてなは見えない頭めがけ、これでもかと拳骨を振り下ろす。
助け出したその後で、お仕置きをしてやると固く誓いながら。
深月も龍二に対する怒りはうてなと同じだ。
うてなとは別枠でお仕置きをしてやろうと、心に決める。
くのりはそんな二人を見て、満足げに笑みを浮かべていた。
黙っているべきなのはもちろんわかっていたが、言ってしまった。
二人だけの秘密を匂わせてしまいたい。
エージェントらしからぬその感情はきっと、乙女心と呼ばれるものだ。
「さて、準備完了」
全ての装備を点検し終えたくのりは、目つきが鋭くなっている二人と向き合う。
言葉はないが、深月もうてなも準備はできたのだろう。
無言のまま鞄を手に取り、頷いてみせる。
「じゃあ、行こっか」
くのりはそう言って、先陣を切るように階段へと向かう。
助け出したその後で、龍二がどうなるのかはわからない。
たが、それでも助けに行くのだ。
たとえ明日から、望むような生活ができなくなるとしても。
安藤奏と共に捕らわれたままでいる事を、彼が望むわけがない。
そして彼女たちも、それを許すつもりはない。
まずは助け出す。龍二も、奏も。
くのりが放り込んだ秘密の爆弾により、深月とうてなはもう一つ、助け出す理由を得た。
無事に連れて帰らなければ、罵倒も説教もお仕置きもできない。
だからこそ必ず、二人を無事に。
この場所か、あの家――それぞれが帰るべき場所に、連れて帰るのだ。
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