第3章 第3話 Eazy Time その5

「お疲れさま」

 三人で声を揃え、ジュースの入った缶を打ち合わせる。

 龍二たちが今歩いているのは、いつもの帰り道だ。辺りはすでに薄暗くなり、街灯が道を照らしている。

 文化祭は無事に終了し、クラスメイトたちと別れた三人は、改めて互いを労う。

 文化祭は終わったが、まだ後片付けが残っている。最低限の片づけだけは当日中に済ませ、本格的なものは翌日にするのが恒例だ。

「あっという間に終わっちゃったなぁ」

「結局、目標は達成できたの? 出店を全制覇するとか言ってたやつ」

「あと一時間あればいけたと思う」

「じゃあダメだったのか。残念だったね」

「でもまぁ、十分堪能できたから良しって感じ」

 そう答えるうてなの言葉に、嘘はないのだろう。屈託のない笑みが、それを物語っていた。

「どれも粗削りながら、実に美味しかった。そういう意味じゃ、うちのクラスも結構良かったと思う」

「味見役というか、監修役が張り切ってたからね」

 いくらかの皮肉込めた龍二の言葉に、うてなは得意げな笑みを浮かべて見せる。

「誰かのお姉さまが張り切ってくれたおかげで、売り上げも上々だったよねぇ」

「よく先生が大目に見てくれたものだと正直思うよ」

「あれだけ楽しそうに張り切られちゃ、なかなか強く言えないでしょ」

 深月の代わりとして手伝ってくれた奏の頑張りは、クラス全員が認めるほどだった。

 あまりにも馴染みすぎていて、途中まで外部の人間と気付かれなかった。

 その容姿もあって、次第に噂が広がっていった結果、教師陣に気づかれて目をつけられたのは、仕方のない事だった。

 ダメ元で事情を説明した結果、少しならばと許可が下りたのは、奏自身の人徳によるものに思えた。

 最終的に材料が尽きたので、早めに店じまいとなり、残った時間を自由に使う事もできた。

「もっと多めに材料、用意しとけばねぇ」

「試作と試食で大分使ったからね。わかってるとは思うけど」

 龍二のジト目に、うてなは笑って答える。反省の色は、もちろんない。

「これで噂の後夜祭ってやつがあれば文句なしだったのに、残念」

「うちの学校にはないから仕方ないよ」

 憧れとは少し違う文化祭だったと言いつつも、うてなはそれほど気にしている様子はない。初めて経験する文化祭を一番楽しんでいたのは、やっぱり彼女かもしれないと、龍二は口元を綻ばせる。

「それにしてもさ、どうせなら奏さん、最後まで一緒にいれば良かったのに」

「僕としては早めに帰ってくれて安心したけどね」

「なんだなんだ? お姉さまが男子に人気だったのが気になってるのかなぁ?」

「……うるさいよ」

 ニンマリと笑みを浮かべて茶化すうてなに、龍二は憮然とする。

 実際、うてなの指摘は大きく外れてはいない。

 今まではなかなかきっかけがなく、奏に話しかけるような生徒はいなかった。だが今年は、一緒に手伝ってくれたこともあり、自然と話す機会が生まれた。

 結果として、主に男子生徒たちが奏の連絡先をどうにか聞き出そうとしていた。

 忙しく動き回っていた龍二は、それを知りながらもどうなったのかを知らない。

 気にならないと言えるほど、龍二は大人ではなかった。

 帰ったら奏に確かめておこうと、心に決めていた。

「こういうやつをさぁ、なんて言うんだっけ?」

「シスターコンプレックス、とでも言いたいの?」

「そうそれ! シスコン!」

「ちょ! 妙なこと言わないでよ。久良屋さんまで一緒になってさぁ」

 二人の話に相槌を打つばかりだった深月が、うてなのフリにきちんと答えてみせた。一番言われたくない呼び方をされた龍二は、自然と声が大きくなっていた。

 薄々自覚している部分はあるのが、龍二としても痛いところだった。

 隠す気がないほどに笑っているうてなと対照的に、深月は綻びそうになる頬を強靭な意志で引き締めている。感情を抑えて平静を装う技術を、深月は習得している。

 が、笑いを抑えるという技術はそれらと少し違っていた。

「笑いたいなら、遠慮しなくてもいいけど?」

「……なんのことか、わからないわ」

「……ふーん」

 拗ねたような龍二の唸りに、深月の頬が微動する。かつてないほどの精神力を総動員し、深月は拷問とも呼べるそれに耐えた。

「まぁいいけど……」

 必死に堪えている深月の努力を認めるように、龍二は小さくため息をついて気持ちを切り替えた。

「それより、怪我はどうなの?」

 二人のやり取りを楽しげに見ていたうてなは、助け船のつもりで別の話題を持ち出す。

「問題ないわ。数日で完治する程度の怪我だから」

 そう言って深月は、包帯の巻かれた右腕を軽く上げてみせる。

「傷とか、残らないの?」

「特に問題は……そうね。組織の医療技術なら、傷痕は残らないと思うわ」

 一度言葉を区切った深月は、龍二に向けて安心させるように微笑みかける。

 傷が残る事など問題にはならないと言おうとして、奏の言葉を思い出したのだ。

 あの言葉がなければ、龍二が気にしている事に気づけなかっただろう。

 たとえ深月本人が気にせずとも、彼を安心させられるのなら、嘘でもそう言っておく必要がある。

「とりあえず、こいつを送り届けたら一回治療受けてきなよ」

「……そうね。そうさせて貰うわ」

「って事だから、あんたは気を遣いすぎなくてもいいの。わかった?」

「うん」

 フォローを入れるうてなに頷く深月を見て、龍二も納得したように頷く。

 気にするなと言っても気にするのが、安藤龍二という少年だ。

 それは深月もうてなも、十分すぎるほどに理解していた。

「ちなみに、本当にただの事故だったわけ?」

「えぇ。システムの情報を精査してみたけど、不審な点は見受けられなかったわ。文化祭の雰囲気で、彼らも浮足立っていたようだし」

「あー、わかる気がする。あの空気の中にいたらねぇ」

 数時間前の空気を思い出し、うてなは口元を綻ばせる。

 彼女にとって今日の経験は、非常に有意義なものだったに違いない。

 そしてそれは、深月にも言える。

「二人とも、楽しかった?」

 不意にこぼれた龍二の問いに、深月とうてなは顔を見合わせる。

「そりゃあ、もちろん。明日も文化祭やりたいくらいだ」

 すぐに答えたのはうてなだった。

 僅かに遅れた深月は、龍二の視線を受けて小さく頷く。

「私も……そうね。楽しかったと、思うわ」

 自分自身の中に渦巻く感情を慎重に確かめるように、深月は声に出して、もう一度頷いた。

「ほ、本当に?」

「えぇ。自分でも少し、驚いているけど。楽しめた部分は確かにあったと思う」

「そっか。良かった」

 答えを聞いて破顔する龍二に、深月は一瞬、呆気にとられた。同時に、息苦しさを覚える。

 それが不快なのか心地良いのか、判断はつかない。

「以前、あなたが言っていたこと……今日は少し、わかった気がするわ」

「なにか言ったっけ?」

「花火の時に……いえ、些細なことだから気にしなくていいわ」

 改めて話すような事ではないと首を振る深月に、龍二も首を振った。

「いや、思い出した。お祭りのときは美味しくなるって話でしょ?」

「……えぇ。でも、大袈裟にする話でもないわ。今日食べた物は、今までとは少し違うように感じた。ただそれだけだから」

「へぇ。久良屋でもそう感じるんだ。いいねー、今後の食事が楽しくなりそうだ」

「言っておくけど、文化祭という状況があったからよ。普段の食事に興味を抱いているわけじゃないから、勘違いや期待はしないで」

「いやいや、それでも進歩でしょ。普通の食事もそう思えるかもしれないって可能性がでてきたわけだし。うん、いいねいいね」

 あくまで冷静な深月の話には耳を貸さず、うてなは一人で勝手に盛り上がる。

 その様子に深月はため息をつき、龍二は微笑ましいやり取りに苦笑していた。

「楽しかったのは、食べ物だけ?」

「その言い方だと、私がうてなと同類に聞こえるから、控えてくれる?」

「あぁ、確かに」

 さも当然のように頷く龍二の脇腹を、うてなが素早く小突く。あえてそちらには目を向けず、二人は会話を続けた。

「お化け屋敷とか、どうたった?」

「作り物としては凄いと思うけど、楽しめたかと言われると」

「やっぱりそっか。だよなぁ」

 本物のエージェントがお化け屋敷で驚く姿など、想像できない。楽しめというほうが、無茶のように思える。

「そもそも、ああいった出し物の類は全て把握しているから」

「うん? どういうこと?」

「そのままの意味よ。仕掛けや構造、どのタイミングでどう動くのかとか、予め調査しておいたの。それくらいは当然でしょう?」

「最初からネタバレしてたわけか。それじゃあますます仕方ないな」

 内容を完全に把握しているお化け屋敷では、普通の学生ですら驚く事はないだろう。深月の冷静すぎた反応にも頷ける。

「っていうか、ああいうのはさ、気配でもわかるしね」

「あ、そういうものか」

 そう言って肩を竦めるうてなに、龍二は改めて頷く。

 確かに彼女たちであれば、気配で察する事もできるだろう。

 逆に構造などを把握していなければ、危険分子と判断して制圧しかねない。

 ある意味、深月が全てを把握していたのは正解だったのかもしれないと、龍二は一人で苦笑する。

「でもこれでしばらくは退屈な授業ばっかりになるのかぁ」

「それが学生の本分なのだから、仕方ないでしょう」

「……私たちの本分は学生じゃないんですけど?」

「任務のためよ。諦めなさい」

 取り付く島もない深月の言葉に、うてなはげんなりとした顔でため息を吐く。

「あぁでも、勉強以外にもほら、来月は球技大会があるよ。うてななら楽しめるんじゃない?」

「おお、それがあったか」

 球技大会と聞いてうてなの表情が明るさを取り戻す。コロコロとよく変わる表情は、見ている者を飽きさせない。

「派手にやりすぎないでね」

 ただ一人、深月だけはどこまでも冷静だった。

「勝ちに行くのに、やりすぎもなにもないでしょうが」

「あなた、体育の授業でも無駄に活躍しているでしょう? ほどほどにしなさいと言っているのよ」

「あれは、だってさぁ……手を抜くのって、結構難しくない?」

「私はできているけど?」

 あなたにはできないの、とでも言いたげな深月の視線に、うてなは低く唸る。

 任務と割り切って調整している深月に対し、うてなは元来の性格がそうさせてはくれないのだろう。

 ゲームでよく相手をしている龍二には、それが良くわかる。

 うてなは基本、負けず嫌いなのだ。

 だから体育の球技や短距離走でも、勝ちに行ってしまう。

 一部の運動部員には、遅すぎたエースなどと言われているほどだった。

「久良屋と別のクラスならなぁ。もう全力で叩き潰してやれたのに」

「仮にそうだったとしても、付き合うつもりはないわ」

「えぇ? そこは久良屋もガチるとこでしょ」

「そんなわけないでしょう」

 すでに日常の一部となりつつある二人のやり取りを、龍二は穏やかな気持ちで見守る。

 そして視線を少し上げ、星が瞬き始めた夜空を眺めた。

 文化祭の終わりは、なんだか寂しさを感じさせる。

 だが、決してそれだけではない。

 龍二は自分の中にある温かい感情に、そっと意識を触れさせる。

 雲一つない夜空に、銀色の月がぽっかりと浮かんでいた。

 その月明かりに目を細め、龍二はある想いに耽る。

 今この瞬間、この世界のどこかで。

 彼女もまた、夜空を眺めたりしているのだろうか。

 叶うのなら、彼女と共に今日という日を迎えたかった。

 最後の文化祭を、一緒に楽しみたかったと思わずにはいられない。

 また一つ、果たせなかった約束が増えた。

 けれど、いい。

 生きていてくれた、ただそれだけでも嬉しかった。

 ――できるのならもう一度会いたいと。

 安藤龍二は今日もまた、逢沢くのりへと想いを馳せた。

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