第2章 第2話 黄昏から来た少女 その3

 黒衣の少女は、ふわりと舞い降りた。

 距離にして十メートル。

 神無城うてなと黒衣の少女が対峙する。

 つい先ほどまで感じていた剥き出しの殺意は、まるで嘘だったかのように消えていた。

 だが、間違いなく眼前の少女が放っていたものだとうてなは確信していた。

「あんた、何者?」

 いつでも動き出せるように警戒しつつ、うてなは少女に尋ねる。

 答えてくれる可能性は低いだろうが、知れるものなら知りたい。

 これほどの魔力を持つ少女が何者なのか。

「お前を、知っている……神無城、うてな」

 少女の声に、色はない。

 感情も熱もない、死者の吐息のようだ。

 だが、うてなを射貫くその双眸には、明確な感情が宿っていた。

 深淵に堕ちてなお消えることのない憎悪の炎が、うてなを捉える。

「私を殺したいってわけね」

 常人ならそれだけで挫けそうな殺意を一身に受けても、うてなは一切怯まない。

 この程度で怖気づくような弱さは、何年も前に捨てている。

「あぁ、お前だ。お前を殺せれば、それでいい」

 無表情だった少女の口元が、僅かに緩む。

 龍二が隠れている方へ視線を向け、すぐうてなに戻す。

「隠れている男に興味はない」

「それは助かるな。面倒がなくていい」

 少女の言葉に嘘はないだろう。

 ただしそれは、うてなが彼女の前から姿を消さなければ、だ。

 仮にこの場から逃走を図ろうとすれば、少女は躊躇なく龍二を狙うだろう。

 遠回しではあるが、人質に取られているようなものだった。

 だが、うてなにとってそれは足枷にならない。

 逃げるつもりなど微塵もなく、負けるとも思っていない。

 己の力量を正しく把握しているからこその自信だ。

 逢沢くのりに銃撃を受けた時のような油断はない。

「ずっと待っていた。ただ、この時を……神無城うてな」

 静かだった魔力が、ゆらりと立ちのぼる。

 夕日は競技場の向こうへ沈み、夜の帳が広がり始めていた。

 全身を覆うように纏っていた薄汚れた布を、少女は脱ぎ捨てる。

 同時に、秘められていた少女の感情が剥き出しになった。

 周囲の空気すら汚染しそうなほどに濃密な殺意が、魔力を帯びて放たれる。

 うてなは一歩も動かず、その殺意と魔力の波を受けた。

 こんなものは攻撃ではない。ただの挨拶ですらない。

 少女は呼吸をするように、殺意を放つ。

 全身に染み付いたその感情は、もはや彼女そのものだ。

「探していた。いつか、出会えると信じて……この瞬間を、毎晩夢見て」

 少女から伝播した空気が、競技場全体へと広がっていく。

 ピリピリと肌を刺すような感覚を、遠目に見ている龍二も感じていた。

 銀色の髪が、静かに揺れる。

 風が吹いたのではない。

 魔力を秘めた髪が、少女の感情に呼応しているのだ。

 その銀色の輝きは、負の想念を体現する少女が持つには、神々しすぎる。

 亡者の如く纏わりつく少女の魔力を振り払うように、うてなも魔力を滾らせる。

「間に合って良かった……本当に良かった。ようやく殺せる……神無城うてな」

 熱の籠ったその囁きは、少女の表情を見ていなければ、恋情を孕んだものに聞こえただろう。

 長い年月を積み重ねた感情は、時として歪なものになる。

 少女が抱く憎悪は、まさにそれだった。

「殺してやる……奪ってやる……なにもかも……魂の一片まで、消してやる」

 彼女が扱う魔術に、詠唱などというものはない。

 定められた術式に魔力を注ぎ、発現する。

 少女の右手が揺らめき、手のひらに炎が生まれる。

「私は……私たちは許さない。なにもかもを奪ったお前を……魔術師の過去も未来も奪ったお前を……必ず、殺してやる」

 少女はそう言って、薄っすらと笑みを浮かべた。

 右手の炎が渦巻き、その勢いを増していく。

 やはりそうか、とうてなは理解する。

 それ以外に心当たりなどなかったが、全ての事情を目の前の少女が知っているかはわからなかった。

 だが、あの口振りからするに、全てを知っている。

 神無城うてながかつて、この世界に及ぼした影響を。

 ならばやはり、自分には受けて立つ義務があると納得した。

「やる前に、ひとつ」

「――ヒジリ カナウ」

 うてなの質問を知っていたかのように、少女は名乗った。

「……不思議な響きの名前」

 うてながそう言った瞬間、少女――ヒジリの目が鋭くなった。そこに宿っていたのは、哀しみの残滓だ。

「私が、最後の一人……そして、お前を殺す魔術師だ」

 その言葉を合図に、少女の手に宿る炎が走った。

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