第58話 やる気満々の魔王
志保がダンジョンに潜らなくなって何日か。
暦ではもう直ぐ5月も終わろうとしていた。
もちろん、志保の試験勉強も試験そのものも大切である。
だからこそ吾輩とて文句を言うこともなく、動画研究と家事手伝いに精を出していたのである。
とはいえ、皿洗い中に吾輩は何をしているのだろうかと
オオサンショウウオ君を愛でる旅に出ようかという考えがチラついたこともある。
しかし、しかしである。
今日は遂に志保の試験が最終日なのである。
「ただいまー」
そんなことを思っていると目的の娘が帰って来た。
試験が終わった解放感からか、普段よりも少し上ずった声をしている。
しばらく、佳保殿と階下で時間を過ごし、ドタドタといつものように足音を立てて階段を上がって来る。
そして、吾輩が居るこの部屋のドアを開ける。
「あ、魔王。ただい……」
「さて志保よ! ダンジョンへ行くぞ!」
「うわっ! びっくりした!」
本当に驚いたのか、志保は入口で固まってしまう。
が、こんなところで時間を浪費している場合ではない。
「さて志保よ! ダンジョンへ行くぞ!」
「二回も言わんでも聞こえとるわ!」
吾輩を一喝するすると、志保はカバンを置いて、いつものようにベッドへと座る。
「そんなに焦らんでも。今日は試験終わったばっかりやからゆっくりしたいんやけど。そりゃ魔王が暇してたんは知っとるけどさ」
「確かに吾輩は暇であった。だが、それだけが理由ではない」
「はい? まあ、確かに来月末には投票があるから頑張らなあかんけど……」
「うむ。それもある」
志保の言うように、来月末の投票に向けて勢いを付けるはずだった今月の投稿数がイマイチなのは問題である。
それでも、鎌田絵里との勝負動画は今でも順調に伸びている。
加えて、鎌田のファンが流入したのか、はたまた勝負が注目されたからか、
予定を下回ってはいるが、やたら滅多と悲観するほどの状況でもない。
「しかし、もっと重要な理由があるのだ」
「ほう。なんや?」
吾輩が志保を急かす理由。
それは、この数日の間に動画研究をしたことによって知ることができた、吾輩たちの置かれた危機的な現状にあった。
動画撮影が出来なかったが故の怪我の功名とも言っていい。
「これを見るがいい」
動画再生画面を開いて吾輩のスマホを差し出す。
そこには、今回の件に関して吾輩が見つけることができた限りの動画を纏めた再生リストが表示されている。
「おお……あの魔王がめっちゃ電子機器を使いこなしとる……。券売機での切符の買い方も分からんかったのに。成長したなぁ……」
良く分からない感動をされる。
失礼な娘だ。
吾輩にとって、この程度のことを学習するのは造作もないことである。
「そんなことはどうでもよい。ともかく、動画を見てみろ」
「はいはい。ええと、何々……『ゴブリンにはタマネギ以外は効かないのか検証してみた 【野菜編】』ってなんやこれ!」
ことの重大性に少し気付いたのか、志保はリストをスクロールして次々と動画タイトルを確認していく。
「えっ、この『某女子高生より先にオークに効くアイテムを発見する放送』って動画なんてパート3まで出とるやん!」
「吾輩の言いたいことがわかったか?」
そう、ゴールデンウイーク中盤辺りから、志保の
人気の動画が出ればそれに追随する後追いの二番煎じ三番煎じの動画が投稿されるのは、今までの研究で知っていた。
志保の動画は、根気さえあれば模倣するのに特別な技能も突出したステータスも不要である。
志保と同様にランキング下位の投稿者によるこの手の動画が増えるのも承知していた。
だが、その気軽さとネタの豊富さから動画の量が爆発的に増えている。
「このままじゃウチが見つける前にオークの動画が撮られてしまうやん!」
志保が叫んだ内容がまさに吾輩の危惧するところである。
いずれはこういう事態に備えて別の動画内容も考えなくてはならないとは思っていたが、想定外に早すぎる。
先日の鎌田絵里との戦いは偶然の産物であり、一撃救護室送りを事前に計画していたわけではない。
そうそう、あのような機会には恵まれないだろう。
「しかし、まさかこんなことになっとるなんて……」
「吾輩とて鎌田絵里との勝負前にオークの動画を研究したときには気付かなかったのだ。お前が知らぬのも当然であろう」
「うぐっ……今後は自分でもちょっと調査します……」
うむ。殊勝な心掛けである。
「幸いなことに今のところ吾輩が見た限り、ゴブリンとスライムに関して別の物が効いたという動画もなければ、オークに効く物を見つけたという動画も出ていない」
「それは良かったわ」
今現在の志保の人気は、誰も見つけていない方法で敵を倒すというところにある。
先にその方法を見つけられてしまっては、志保のアドバンテージはただの若い娘ということぐらいである。
それどころか、志保が有名になりつつある中でそのお株を奪った動画が出れば、そちらに再生数を持って行かれる可能性すら存在している。
そして実際、それに似た現象が生じている。
「残念だが、悪い報告はまだある」
「なんや?」
「てっきり伝えるのを忘れていたのだが」
「うん」
「タマネギはゴブリンには良く効くのだが、オークには逆効果で興奮させてしまい攻撃性が増してしまうのだ」
「……はい?」
「それを知らずにオークにタマネギを使って散々に打ち負かされる動画を撮影した者が居てな。それなりの再生数を稼いでいる」
志保の真似をして予期せぬ撮れ高を得た者が既に存在しているのである。
「なんやて!」
「うむ。お前が怒るのも良く分かる。もしかすればお前がこの内容で動画を……」
「ちゃうわ! 知らんとウチがタマネギを使っとったらどないするつもりやったんや!」
「うむ、その場合は……」
「ハプニング動画として面白いとか言うんちゃうやろな? あぁ?」
「ぐっ」
おかしい。
先ほどまで吾輩と志保の危機意識は一致していたはずだ。
せっかくの撮れ高を失ったことを指摘した吾輩が、なぜこれほどまでに責められているのか。
「はぁ、まあ魔王にその辺期待してもしゃあないか。それに動画のために色々と考えてくれてるんやからな。ウチのためじゃなくて動画のために」
妙にトゲのある言葉を吐いて怒りを鎮める。
これが先日ネット記事で見た思春期特有の感情の起伏というやつだろうか。
何はともあれ、今は仲間割れをしている場合ではない。
ここは吾輩がトゲを飲み込んで黙ってやるとしよう。
「さて、ほんなら試験後がどうとか言っとる場合ちゃうな。こうなったら先手を打って動画を出さなアカン」
どうやら志保もやる気になったようだ。
こちらの言葉で言うならエンジンが掛かったのだろう。
「ほんで今回はオークを倒すとして、何を使うんや?」
「うむ。既に佳保殿に用意してもらっている」
「何というか、今更やけどモンスターに効くもんがスーパーで手に入るのは不思議な感じやな」
確かに吾輩もこの世界の高度な物流には驚いている。
もちろん、魔王である吾輩が望めば何でも手に入るが、基本的に人間どもではそうもいかない。
今回の物品も吾輩の経験上、これほどまでに簡単に手に入る世界はなかった。
他の世界の冒険者がこの世界のスーパーやコンビニを見たら狂喜乱舞するだろう。
「ウチもそんなにゲームとかそんなに詳しくないけど、普通は倒されてながらも努力して苦労するもんちゃうんか?」
いままでその努力をせずに動画投稿をしてこなかった娘がなにやら一人前なことを言い出す。
だが、そもそも『モンスターと戦う』とは本来どういうことなのか、未だにその前提を分かっていないようである。
「何を言っている。普通は一度やられれば死ぬのだ。だからこそ人間どもはできるだけ安全に倒せる方法を探る。とはいえ、人ができることなど身の回りの物を試すしかない。だからこそ、必然的に効用が判明しているのは、この世界のスーパーで手に入る物と被る」
吾輩のように圧倒的な力があれば別であるが、ひ弱な人間どもはそうでもしなくてはモンスターに勝つことは難しいのである。
「つまり、異世界の先人たちの知恵ってことか。なんかちょっと動画にするの気が引けるなぁ」
少々女子高生の娘には重い話であったのか、先ほどまでのやる気を減退させている。
まったく、仕方のない娘だ。
吾輩がフォローしてやろう。
「何を言っている。先人たちの知恵を利用できるのが人間の特徴であろう。気にする必要はない。大いに利用してやるのが手向けであろう」
「うーん。そんなもんか?」
「そんなものだ」
「まあ、深く考えてもしゃあないか。それにさっきも言ったけど、誰かに先を越されたらアカンしな」
どうやら言いくるめることができたようである。
「話し戻すけど、今回は何を使うん?」
「うむ。少し待っていろ」
一階の冷蔵庫から事前に購入していた物を取り出して急いで部屋へと戻る。
もちろん、物は後ろ手に隠して志保には見えないようにしている。
「お、持って来たんやな。ほな、いつものお決まりのポーズしてや」
どうやら志保も吾輩のカッコイイポーズが気に入ったのか、せがんでくる。
ならばお望み通りと、口元に手を当てて笑う。
「こいつだ!」
口元当てた手とは逆の手で、青カビの生えたチーズをビシッと志保に突き出す。
「ブルーチーズか?」
「うむ。こちらではそう言う名前のようだな」
「なんや? 青カビが効くんか?」
「いや、そうではない。効くのはこいつだ」
袋を開けて中身を取り出して志保の鼻先へと向ける。
「うぐっ! くっさ! え、マジでくっさ!」
涙目になって苦しんでいる。
それはそうであろう。
佳保殿に頼んで手に入る限りで一番臭いチーズを買うように頼んだのだから。
「効くのはこの匂いだ。奴らは腐敗臭が苦手なのだ」
「腐敗やなくて発酵って言えや。そりゃウチですらこうなってるんやから、オークも辛いやろな」
「吾輩が知る限りではチーズを利用している人間が多かったからチーズを採用した。この匂いならまず大丈夫だろう」
実のところ、ダンジョン飯系の動画でチーズを持ち込んでいるものはあったのであるが、幸いにもその動画ではオークとの戦闘は発生していなかった。
まあ、その冒険者は志保なんぞよりも上級者であり、オークが出ない深層部にいたのであるが。
「ふむふむ……」
そこまで聞いて志保が何やら考え始める。
「なあ魔王」
「なんだ?」
「それって、青カビとか乳製品に弱いんじゃなくて、臭い匂いに弱いんやでな?」
「その通りだ。お前も気付いているかもしれないが、第三層でゾンビとオークが共に出現したことはないだろう」
「あ、確かに。美咲さんとのコラボ動画のときもオークはおらんかったわ」
冒険者ならもっとダンジョンや出現モンスターに注意を払っても良いのだが。
やはり、まだまだ吾輩がいなければならぬようだ。
「けど、そういう話なら、ウチにもっとええ考えがあるで」
「ほう」
と思っていると、志保が自ら積極的にアイデアを出してくる。
この娘の成長のためにも任せてみるとしよう。
「なら、やってみるがいい」
「ほな、ちょっと調達して来るわ」
財布を片手に制服姿のまま部屋を飛び出す。
その後ろ姿が少しだけ大きく見えたような気がするが、気のせいであろう。
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