第17話 留守番をする魔王
志保を学校へと送り出し、粗方の家事も終えてしまった吾輩は、温かいお茶を貰いながら少々佳保殿との会話に興じていた。
紅茶とは違う風味で緑茶というのも悪くない。
「佳保殿は方言を話さないのだな」
ずっと気になっていたことを尋ねる。
この家では佳保殿だけが標準語と呼ばれる言葉を話していた。
「方言? ああ、関西弁のことですね。私はこっちの出身じゃないので」
「そうなのか?」
「はい。大学だけこっちだったんです。そこで大志さんと出会って結婚したので」
「なるほどな」
「志保はこっちで生まれたのですっかりと関西人になってしまいました」
しかしこの話はつまり、この国では自由に人が行き来をして自由に恋愛ができるということである。
吾輩が訪れた世界でこれほどまでに自由な世界は存在していなかった。
誰かを伴侶にするなど吾輩は考えたこともないが、少なくとも自由に恋愛ができることが素晴らしいことであるのは理解できる。
「あ、いけない!」
「どうした?」
「実は今日は町内会の用事でこれから出ないといけないんです」
「そうか。ならば行ってくるといい」
町内会に吾輩が顔を出すのは避けるべきであろう。
こうした界隈には何かと話好きの人間が居て、あることないことを吹き込むものと相場が決まっている。
そんな者に構うのも面倒である。
いずれバレるにせよ、そのときが遅い方が良いに決まっている。
「留守番を真中さんに頼んでもいいですか?」
「問題ない。盗賊の類が来ても返り討ちにしてやる」
魔王城の財宝を狙った者どもは全員捕えて来た実績があるからな。
「盗賊は来ないと思いますけど、お願いしますね」
そう言い残して佳保殿は家を出て行く。
「さて、何をして時間を潰しているか……」
こうなったときにやるべきことがないというのも問題だな。
スマホは志保が学校へ持って行ったので動画を見ることはできない。
パソコンを使えば見ることができるそうだが、使い方を教わるのを忘れてしまった。
今日帰ってきたら教えてもらうとしよう。
「ダンジョンに潜るのも休日が主になるか」
学校が始まってしまった以上は学業の邪魔になってはいけない。
これは仕方ないことである。
志保とてずっと冒険者として食っていくとは限らないのである。
将来の選択肢を狭めないためにも、勉学には励んでもらいたい。
「動画の準備をするにも早すぎる」
次の動画の構想は大体固まってはいるが、志保も居ない今頃から用意するようなこともない。
そもそも準備と言っても、やることもほとんどないが。
「テレビとやらでも見ておくか」
テレビの電源を入れる。
佳保殿に釣られてときどき見るのだが、イマイチ面白さがわからない。
唯一感心したのは天気予報である。
農業、漁業、そして軍事において、天気の予測はどの世界でも重要な意味を持ち合わせていた。
天気を正確に読めるか否かが人間の国の興亡を左右したことすらある。
その天気予報の正確さと情報の細かさで、この世界を上回るものは見たことがない。
これほどの情報がタダで誰でも手に入るというのだから素晴らしい。
「……これは、確かドラマと言ったか」
役者が演じる舞台のようなものだったはずだ。
朝の時間にやっている連続作品の第1話がちょうど始まったところであった。
内容は冒険者を目指す少女が挫折を味わいながらも成長するというものらしい。
こうした題材になるのも冒険者人気の証拠か。
『プルルルル、プルルルル』
ドラマが終わりかけになったところで、部屋に機械音が鳴り響く。
どうやら電話が鳴っているようだ。
「どうしたものか……」
出た方が良いのか。
なり続ける機械音に焦りを覚える。
「佳保殿に留守を任された身。伝言くらいは預からねばならぬな」
意を決して電話を取る。
『あ、もしもし。オレオレ』
「む? 誰だ?」
『いや、だからオレだよオレ』
困ったな。
これはかなり親しい人物からの電話のようだ。
この家で男性一人称を使う人物か……。
「大志殿か?」
『そうそう、大志だよ』
どうやら予想は当たっていた。
しかし、志保の父親という割には随分と声が若いな。
『実はさ。仕事でトラブルになっちゃってさ』
「なんだと?」
『それで、解決するのに今すぐ100万円が必要なんだよね』
「100万円だと?」
再生回数にして500万回分の金銭が必要なトラブルとは、かなり重大な内容ではないか。
これは電話に出て正解であった。
『それでさ、今から言う口座に直ぐ振り込んでくれないかな?』
「ま、待て。佳保殿が現在外出している。吾輩では決められぬ」
『カホ? いや、カホとかどうでもいいからさ。とりあえず振り込んでよ』
今この男は何といった。
自らの妻のことを『どうでもいいから』と言ったのか。
「おい貴様」
『なんだよ急に』
「自分の妻に向かって何という言葉を吐くのだ」
『は、はい?』
「佳保殿は貴様の留守をこれ以上なくしっかりと守っている。その妻に対して何たる暴言だ。恥をしれ」
『何訳わかんないこと言ってんだよ。もういいよ』
「待て! ……ちっ、切られたか」
いずれ出会ったら必ず説教をしてやる。
しかし、このことは素直に佳保殿に伝えるべきなのだろうか。
留守番としては起こったことを正確に伝達する必要がある。
だが、一方で平和な家庭に亀裂を生むことにならないだろうか。
「悩ましい……」
まさか志保の父親がこれほどまでに酷い人間だとは思わなかった。
佳保殿も志保も良い人間であるから、父親の大志殿も人格者なのだろうとばかり思っていたが。
『プルルルル、プルルルル』
そんな悲しみを覚えていると再度電話が鳴る。
またしても大志殿であろうか。
ならば改心させなくてはならない。
「大志殿か?」
『え、なんでお父さんの名前? ってか、なんで魔王が電話に出てるん?』
「なんだお前か」
志保からの電話であった。
『なんだって……それよりもお母さんは?』
「佳保殿は町内会の用事で出かけている」
『マジか……どないしよ……』
「どうした? まさかお前もトラブルで金が要るのではないだろうな?」
『はい? 意味わからんわ。いや、トラブルなのはトラブルなんやけどな』
さすが親子か。
トラブルに巻き込まれる体質なのかもしれん。
「それで何があった」
『実は今日は体操服が必要なのに持ってくるの忘れたねん。それでお母さんに持って来てもらおうと思ったんやけど……』
どうやら学業に必要な物品を忘れたようだ。
学生としては困るだろう。
「なら吾輩が持って行ってやろう」
『ええ、ホンマか? いや、けどなぁ……』
「何をためらっている」
『魔王がウチの体操服でいらんことをする心配はないんやけど、学校の場所がわかるんか? それに家の鍵も持ってへんやろ?』
『体操服でいらんこと』の意味が分からないが、それ以外の部分に関しては何の問題もなかった。
「なんだそんなことか」
『え?』
吾輩を誰だと思っているのか。
「鍵なら魔法で閉めることができる。それに学校の場所は分からずとも、お前の気配を感じることはできる。ようはそこを目指せば良いのだろう」
『そ、そうやけど。なんか気持ち悪いな』
なぜ吾輩は罵倒されているのか。
『まあ、ええわ。じゃあ、お願いしてもええかな』
「任せておけ。体操服は部屋か?」
『うん。せやで』
それから志保に体操服の詳しい置き場所を聞いてから電話を切る。
志保の部屋に入ると確かに服の入った袋を発見する。
「さて、書置きをしてから行くか」
佳保殿が戻ってきた場合を想定して書置きを机に残して家を出る。
「まるで冒険者のお使いクエストでもしているようだな」
そんな独り言を呟いてから志保の気配を頼りに配達を開始する。
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