第六話 帰還




「ほら、見えてきた。あれがミルメレオの街だ」


 柔らかい雪を踏み分ける足音が二つ。

 遠くにあるレンガの壁から見える小さな煌めきはほのかに赤い。

 先頭をゆっくりとした足取りで歩いていたレイニスは、不意に立ち止まると彼方に見えるソレに指を伸ばした。

 その後ろを小さな歩幅で追いかけていたシエラも同じように立ち止まると、遠くに見える街の入り口に丸い瞳を輝かせた。


「ほあぁ、あれがミルメレオですか?」

「違うよ」

「ふえっ!?」

「……冗談だ」


 純粋、ゆえの素直な反応。

 笑みを噛み殺し、プッと頬を膨らませたシエラから目を離したレイニスは、再び雪の上を歩き始めた。

 数刻前まで黒一色に染まっていた空に、少しづつ差し込む白い光。

 夜明けを告げる空の下で、歩き続ける二人の目指す街ミルメレオは、あと少しの道のりだった。




 ☆☆☆




 雪の下からレンガの詰められた細い道が覗いていた。

 ミルメレオの入り口へようやく足を踏み入れたところで、レイニスの歩みが止まった。


「やっほー」


 道の横に立つ一本の細木。

 気楽な調子で声を掛けてきたのは、決して少なくない雪をひ弱な枝で支えている木に寄り掛かっていた一人の少女だった。

 幼さの抜けた端整な顔立ちに、健康的な黄色の肌。

 ショートボブの蒼い髪と、細くしなやかな手を振ったその少女が、立ち止まったレイニスに向かって笑いかけた。


「待ってたよー。随分と遅かったねー?」

「何でお前がここに……」

「いーじゃんいーじゃん」


 木から離れ、レイニスの元へ跳ねるように近づいてくる。

 そこで、ふとその背後に小さな少女がいることに気付いた少女が目を丸くした。


「およ? その子は?」

「ちょっと、人見知りなんだ。じゃあな」

「そっかそっか。どーりでビクビクと……って、何で行こうとしてんの!?」


 ダメダメダメ―! と両手を伸ばして通せんぼした少女は、掴み掛らん勢いでレイニスに詰め寄った。


「この可愛い子ちゃんの名前は何? どこから来たの? 私の妹ちゃんにしてもいい!?」

「うっさい」

「痛っ!?」


 小さく体を震わせるシエラを他所に、口早にまくし立てていた少女の頭へオウルの手刀が叩き付けられた。

 突然の痛みに頭を抱えた少女が、覚束ない足取りでレイニスから離れる。

 フッ、と露骨に溜息を吐いたレイニスは、チョコチョコと自分の陰に隠れつつ袖を引くシエラに顔を向けた。


「あの、この人は……」

「あぁ、こいつはバンシー・ゾーラ。皆からアホのゾーラって呼ばれてる」

「ちょ、悪意しかない紹介はやめてよ!?」


 レイニスの口上に異を唱えた少女ゾーラが悲鳴にも似た叫びを上げる。

 二回目の溜息がレイニスの口から零れた。


「はぁ、こいつはバンシー・ゾーラ。伝達屋と退治屋をやってる絵描き屋だ」

「ねえ、レイニス。私に喧嘩売ってんの? 買うよ? お金ないけど」

「は、はぁ……」


 仲が良いのか、悪いのか。

 相槌のような返事をしたシエラは、二人のやり取りから相手が知り合いらしいと分かると、恐る恐るレイニスの陰から出た。


「シエラ?」

「えっと、始めましてゾーラ……さん? 私は、その、シエラ・ティンクスと言います」


 不思議そうに見つめるレイニスの横で、丁寧に頭を下げる。

 それを見たゾーラは、呆然とその頭を見続けてから、


「……何この子!? めっちゃくちゃ可愛いし礼儀正しいんですけど!? うちの子にしてもいい!?」

「落ち着けって」

「あ痛い!?」


 再度炸裂するレイニスの手刀。

 しかし、頭を抱えながらもシエラの元に身を寄せたゾーラは目線を合わせ、にこりと微笑んだ。


「私はバンシー・ゾーラ! そこのアホなレイニスとは違って伝達屋と退治屋を掛け持ちしてるすっごーいお姉さんです!」

「……絵描き屋さん?」

「この子もう毒されちゃってるー!?」


 予想もできなかった事態に、絶叫するゾーラ。

 それに目を白黒させるシエラと、三度目の溜息を吐くレイニス。

 だが、あーだこーだと喚くゾーラを前に、顔を合わせたレイニスとシエラは、思わず笑みが零れたのだった。




 ☆☆☆




 三文芝居もいいところの茶番を終えた三人は、ミルメレオの街を歩いていた。


「で、ゾーラ。何であんな場所にいたんだ?」

「ん。カルマから伝言頼まれてたから待ってたの」

「伝言?」

「そっ」


 そう言ってから、踊るように二人の前へ飛び出したゾーラが、両手を後ろに組んだまま立ち止まったレイニス達へ振り向いた。


「『例のことで話があるからいつもの場所に来い』、だってさ」

「……」

「伝言、確かに伝えといたから。じゃ、私はこれで」


 アデュー、と踵を返して街角の奥へゾーラの姿が遠のいていく。

 その背中を静かに見送ったシエラは、無言になったレイニスに首を傾げながら話しかけた。


「あの、レイニスさん?」

「……ん? あぁ、すまん。行こうか」

「えっ? あ、はい」


 どこか心配そうな表情を浮かべるシエラ。

 その頭をポンポンとはたいたレイニスは、穏やかな顔を繕った。






 ――その胸に、嫌な騒めきを残して






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心想の伝達者 大和大和 @Papillion

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