第29話深まる疑惑 菊右衛門との出会い
「今、この時より山の主が別のモノへと変わった。この周辺の動植物、天候、作物の環境は見違えるように良くなっていくだろう」
村人たちは山泰坊の言葉に誰も反応をしない。
そんな夢のような言葉を受け入れられるほど、ここの暮らしは生易しくはない。
それは昨年の死者数が物語っている。
しかし、そのこととは別に鎮魂の儀式に多くの者が圧倒されていたのだろう。
権兵衛も全く山待望のセリフを信じていなかった。
それよりも次に口にするセリフに不安を覚えていた。
「ただし何事にも釣り合いが必要だ。新しい山の主は豊穣をあなた達にもたらすだろう。その代わり山の主に奉公して欲しい」
「一体俺たちに何をさせようってんだ?」
うまい話に訝しんだ1人の男が突っかかる。
権兵衛とは別の村の者だった。
確か菊右衛門(きくえもん)と言ったはずだ。
その男は明らかに警戒していた。
「不安に思うのも頷ける。私があなたたちの立場でもそう思う。そこでまずは新しい山の主の力を実感してもらいた。みるみる良くなっていく山々の姿を日々実感してからで問題はない」
山泰坊はまるで動じることなく通る声でそう言った。
その場にいる多くの者たちは、その自信に満ちた言葉に頷く。
”山の環境が変わっていなければ奉公とやらはしなくていい”と受け取り安心していた。”人に山の変化が如実に実感できるほど良くなるはずはない”と思っているのかもしれない。
しかし権兵衛はそんなことよりも、山待望がハッキリと奉公の内容を口にしなかったことに、一層不安が広がった。
もし山の環境が良くなったのなら”我々はどんなことでもしなければいけない”羽目になる。
それが例え悪事であったとしても・・・・
どうやら菊右衛門も権兵衛と同様であるらしく納得していないようだ。
菊右衛門と目が合った。
その目は”後で話がある”と告げていた。
権兵衛もそのつもりであった。
山泰坊は鎮魂の儀式が上手くいったのか確認し山の環境を知るため、一月ほど滞在することを告げた。
山の中で過ごすため村に立ち寄ることは滅多にないが、警戒しないで欲しいとのことだった。
それと儀式で疲労困憊なため今日は村の空き家に泊まらせて欲しいとのことだった。
村人たちはそれに反発せず受け入れた。
むしろ一月も山に籠もり儀式の面倒を見てくれることに感心すらしていた。
山待望の寝床は権兵衛たちの村が貸していた空き家にあっさりと決まった。
その話が済んだところで儀式は解散となった。
しかし、権兵衛は鎮魂の義と称して起きながら、亡くなった者たちのことを話さない山待望を不審に思っていた。
それをまだ山泰坊の口から聞いていない。
孫も娘夫婦も失い死をただ待つだけのつもりでいた。
村のことや山のことにもう感心はなくなっていた。
しかし死んだ先のあの世で孫や娘たちに会えないのであれば、話は別だ。
山待望に確かめなければ死んでも死にきれない気持ちになっていた。
そのためにもまずは菊右衛門の意見を聞いてみようと思った。
1つの儀礼が終わり村人たちの間に安堵の空気が広がる中、それをぶち壊すようなことは権兵衛にはできなかった。
「よう、わしは菊右衛門と言うもんじゃ。あんた権兵衛さんじゃろ?」
菊右衛門が頃合いを見計らって声を掛けてきた。
「そうです。わしもあなたのことは知っとります。もし良ければわしの家に来てちと話をしませんか?」
「わしもそう言おうと思っとったところじゃ。ありがたい。厄介になる」
「気にせんでくれ。去年全てを失って家が広くなったところです。大した持て成しはできませんがゆっくりと横になることはできますよ」
「それは・・・・ご愁傷様です。・・・・そうか・・・・なんとなく権兵衛さんの目がわしに似とる訳が分かったきぃする。わしには家族がおる。でも家族を想う気持ちはあんたと変わらん」
「ええ、わしも菊右衛門さんの言うことが痛いほどよく分かります。わしは逝った家族のために。あなたは今いる家族のために話し合いましょう」
「権兵衛さん・・ありがたい。心強い」
権兵衛と菊右衛門の2人は短い挨拶をすると、村人たちと一緒に村へと歩いていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます