第三章 魔女と神社

「さやちゃん、ですか?」

 はっとするような薄い金の髪をした和服の女性、千方院八重千代は答えた。

「ええ、八重千代殿。もしかしたら何かご存知でないかと思い、このように尋ねた次第です」

 天野は言った。

 千方院家。市内の郊外にある閑静な住宅街である藤坂ふじのさかにこの屋敷はあった。当主は千方院八重千代、”優に千年を超える千方院家の設立者”であり、現当主であった。何故彼女がそれだけの時を永らえているのか、その理由は簡単である。

 千方院八重千代は人ではない。俗に言われる鬼の類であり、千方院家は鬼によって構成される者達の集まりであった。

「そうですね。確かに髪の白い子はいたことにはいますが、少なくとも千方院にはそのような名前の子はいなかったですね」

 頬に手を当てながら千方院は言った。

「やはりそうですか。もしかしたら、彼女が鬼ということもあるのかと思ったのですが」

「鬼である可能性がないとは言い切れないかもしれませんね。本来日本人に見られない白い髪や金髪、青い瞳などは、よくある鬼の特徴の一つです。そういえば昔の人がアメリカ人を見た時に鬼がやって来たと勘違いしたのもそれが原因でしたか。いえ、申し訳ありません。話がそれてしまいました」

「いえ、大丈夫です。なるほどね」

 やはり、さやは人の子ではないのかもしれない、と天野は思った。単純にあの白い髪は色素が欠乏しているだけでれっきとした人間、とも考えられなくはないが、それにしても人としての身元が一向に掴めない。望月は既にお手上げ状態に陥ってるし、こうなるとこうやって人でない者の可能性を考えるより他はないであろう。

「先生。折角ですので、家の者にもあたらせてみましょう。もしかしたら知り合いの者がいるかもしれません」

「あいや、申し訳ない」

「いいえ、以前助けていただきましたから。これくらいは全くもって構いませんよ」


       ○


「しかし、どうしたものかね」

 天野はここ数日間、自分にしては珍しく精力的に動いていると思っていた。新宮や他の教職員、学生にも尋ね歩き、電子掲示板のスレッドなども覗いてみた。しかし、結果は惨憺たる様である。

 ほとんど何も掴めない。さやについて何か訊き出せたと思ったら、最近街中で綺麗な白い髪をした女の子を見かけた。という特筆すべきことなどない情報であった。

 屋敷近くの駐車場に停めてあった車に乗り込み、エンジンを起動させた。既に時刻は七時を過ぎており、辺りは明かりを付けないと相手の顔も判別出来ない程に暗くなている。

 公道を走っていると、脇に鳥居があるのが見えた。そういえば、あそこ以外滅多に神社には行ったことがないな、天野はそんなことを考えながらその脇を走り抜けようとした。

「っ!?」

 不意に違和感を感じ、ブレーキをかけて道路脇に車を停めた。脇の神社を見やる。

「一応、確認はしておくか」

 再び車を走らせたあと、近くのパーキングエリアに車を停める。それから天野は先程見かけた神社へと戻ってくるなり、その鳥居をくぐって石段を登り始めた。

 夜にわざわざ参拝する客がいるのを見越してなのか、境内の灯籠には明かりが灯っている。樹々に囲まれた境内は静まり返っており、微かに虫の音が聞こえてくる以外はこれといったものは感じられなかった。

「気のせいか。それとももぬけの殻、か」

 どちらにせよ、無駄足だった。天野は踵を返して境内を後にしようとした。しかし、一歩踏み出した所でその歩を止めた。

 折角ここまで来たのだから、参拝でもしていこう。天野は拝殿へと向かい、そっと賽銭を入れて鈴を鳴らさないまま静かに手を合わせた。

「あ~、さやちゃんのことが分かりますように。なむなむ、いや、何でもありません」

 どうせ誰もいないからいいだろうと願いをぶつぶつと天野は呟く。

「はあ、柄にもないことをしてしまったもんだ」

 参拝が終わると、今度こそ入り口に向かって歩きながら天野は呟き、そして思わず笑ってしまった。自分が神頼みなどと、傍から見れば中々滑稽なものだろう。

 そうして、拝殿と入り口をつなぐ石畳の通りの中程まで来た所であった。

「喜べ、そなたの願いを叶えてしんぜよう」

 声が境内に響いた。しかし、天野はそれに違和感を感じた。何故なら、その女の子の声に聞き覚えがあったからである。

 天野はゆっくりと横を振り向いた。

 そこには黒いローブに黒いトンガリ帽子という、明らかにこの場に似つかわしくない格好をした、金髪の女の子が立っていた。

 少しの沈黙の後、煌めくような金髪を見せつけるかのように髪をかきあげ、その女の子は不服そうに言った。

「おじさん、そこは突っ込む所だよ。何で神様が魔女やねん、とかさ」

「そうか、それはすまん。ユーモアが欠乏してるんでな、つい流してしまった」

「ふうむ、それならばよかろう」

「なあ嬢ちゃん」

「はい、何ですかな?」

「あんた、ひょっとしてどっかで会ったことあるか?」

 天野がそう尋ねると、女の子はわずかに口角をあげて、被っていた帽子を取った。

「さてさて、どうでしょうか?」

「そうか、答えてくれないなら構わん。じゃあな」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 帽子取ってあげたのにそれはないんじゃないの」

「生憎だったな。俺はお嬢ちゃんの素性になんか興味はないんだ。そういうわけだ。ハロウィンが近いんだかなんだか知らんが、あまり浮かれ過ぎて恥かかないようにしとけよ」

 今度こそ天野は境内を後にしようとする。が、それは少女の一言によって脆くも崩れ去った。

「へえ、さやちゃん、って言うんだね、へえ。今はそう名乗ってるんだ」

 天野は目を見開いて少女の方を振り向いた。少女はその反応に満足してか、人目でそれと分かる程に得意気な表情を顔に浮かべている。

 徐ろに黒縁眼鏡を取り出して、それをかけた。

「これ見ればさ、多分、私が誰だか分かるんじゃないかな」

「ふん。あんた、あの時の子か」

 髪の色や長さ、よく見ると瞳の色まで変わっているが、間違いなくそれは大学入り口のバス停にいた女子高生であった。

「そういえば、名乗ってなかったね。私の名前は勘解由小路晴。またの名を五道玄明晴」

「ほお、そいつはまた、大層な名前だな」

「どうも。貴方も中々いい名前してるわよね。”天野幸彦”さん」

「そいつはどうも。で、なんで俺の名前を知っている?」

「とっても簡単なことだよ。それはね、おじさんのことを調べちゃったから。今はインターネットとかもあるからね。見ず知らずの人間が他人の情報を覗き見るなんてことは造作もない」

「へえ、そうかよ。それで、あんたは俺に何の用だ?」

 そう聞くと、勘解由小路は待ってましたと言わんばかりに、またにやりと笑みを浮かべる。

「おじさん、もう薄々分かってるんじゃないかな。さ、や、ちゃん。髪の白いそれはもう綺麗な女の子、おじさんの近くで見かけたよ? 悪いこと言わないから、大人しく譲ってくれないかな」

「さて、何のことだか。髪の白い子? そんな馬鹿な」

 天野は肩をすくめる。天野は確かにさやと一緒にいたことがある。街中で偶然出くわしたからだ。だが、その時さやは栗色の髪だった。以前太と弓納と外出した時に人目が気になって仕方がなかったらしい。それ以来外出する時はウィッグを付けているとのことだった。

「あんた、誰かと勘違いしてるぜ。俺が髪の白い子と一緒にいたことはない」

「あれれ、そうだったっけか。おっかしいな~」

 勘解由小路はとぼけたように帽子を掴む。

 引っかけようとしたのか、そう天野は考えた。自分の反応を探って自分がさやと繋がりがあることを探っていたのではないだろうか。

「さや、そんな名前の子なら昔知り合いかなんかにいたような気もするが、兎に角俺は知らんね。それにな、俺の知り合いにそんな子がいたとしてもその子があんたの探している子とは限らないんじゃないか?」

 多分この程度で引き下がるような手合ではないだろうと思いつつも、苦し紛れに天野は切り返す。一体何でこんな得体の知れない女の子に捕まってしまったのか、などと憂いつつ。

「あー、それもそうだねー」

 少女は納得したのか、腕を組んで「ふむふむ」などと何かを考え始める。

「よし。それじゃあ、今度こそさよならだ」

 考え込む勘解由小路を尻目に、その場を後にしようとする。

「おじさん、待った。人違いがどうかを確かめるために、おじさんと一緒にいたあの子、会わせてくれないかな」

 天野の足が止まって振り返る。

「何でそうなる。さっきも言ったが髪の白い子とは会ったことはない」

「ほら、髪の色ってさ、カツラだったり染めたり出来るじゃん。確かにおじさんといたあの子、白い髪じゃなかったかもだけど、それなら納得がいく。人目引くもんね、目立たないようにするのもおかしくはないというもの」

「残念だ嬢ちゃん。どちらにせよ昨日今日会ったばかりの素性の知れない子においそれと人を紹介出来るほど、俺はお人好しじゃないんでね」

「そう来たか」

「何か言ったか?」

「いいえ。ねえ、おじさん。私ね、人探しのついでにおじさんのこと、諸々調べあげちゃったんだけど、ねえ、おじさん。貴方って、随分と曰く付きみたいね。ひょっとして、あの子抱き込んで何かよからぬこと考えたりしてるんじゃないかな」

 境内を冷たい風が吹き抜け、木々が風に吹かれて鳴き、そして止んだ。

「は、ますます訳が分からないな。なあ嬢ちゃん、こう言っちゃ何なんだが、あんたちょっと妄想癖が強いんじゃないか? オカルト雑誌かなんかの読みすぎだろう。そういう陰謀論めいたことはな、自分の内でひっそりと楽しむもんなんだよ」

「そう、どうあっても否定するというわけね。じゃあ、もうちょっと具体的な質問に変えましょう」

「……何だ?」

「おじさんさ、ホントに人間?」

 勘解由小路が真っ直ぐに天野を見つめて来た。天野は何となくだが、目を逸らす。只の少女の筈だが、目を合わせてはいけない気がしたからだ。

「当たり前だ。何だ、妖怪だとでも言いたいのか」

「別に人間じゃないとは断定してないよ。でもさ、ずっと気になってることがあるんだけど、その全身に張り付いてる入れ墨みたいのって、何かな?」

 ゾッとした。天野は、すぐにここを離れるべきだと確信した。この少女はこちら側の人間で、そして得体が知れない。このままここで二の足を踏んでいたら、きっと喉元に噛み付くであろう。

「いや、見ての通り、普通の肌だろ。何言ってんだ、嬢ちゃん」

 背筋に嫌に冷たい汗が伝っていくのを感じながら、天野はそれだけ言って境内に向かって歩き始めた。

 少女は何も言わない。その静寂に却って気味悪さを感じながら、天野は石段まであと数歩というところまで来た。

 違和感を感じた。一見すると、何もないように見える。だが、まるで動物園の巨大な檻のように中に入ったものを確実に逃さないような何かがそこにあった。

「どうしたの? そんな所に立ち尽くして」

 少女の問いには答えず、天野は足元に転がっていた小さな石を拾い上げ、石段に向かって投げた。

 あり得ない軌道を描いた。直線に投げた石は、石段を登りきった所辺りでゴムにぶつかったみたいに速度を緩め、そして、逆方向に向かって飛んでいった。

「おい、嬢ちゃん」

「ねえおじさん、凄いでしょう? 貴方は魔女ごっこって言ったけどさ、最近の魔法使いごっこってのは本格的でね。形だけじゃなくて、中身も真似するのが今時なんだよ」

 天野は勘解由小路の方を振り向く。勘解由小路は、依然、不敵に笑っていた。

「さやちゃんに会わせてくれるんだったら、ここから出してあげてもいいよ」

「ふん、断る。それとあまりな、大人をコケにするもんじゃないぜ」

「その言葉、そっくりそのまま返すわ。あまり、今時の女子高生を舐めない方がいいよ」

「はん、抜かせ」

 天野の左手から文様が流れ出ていく。

 フミツカミ。天野が宿している人ならざる力。呪力のこもった神代の文字を用いて様々な現象を引き起こすそれは、天野が異界の住人と対峙する際に使っている得物であった。

「喰えっ!」

 天野の左手から流れ出た文様はその口を開いて目の前にある見えない檻に食いつき、さながら獰猛な獣の様にそれを捕食し始めた。

「嬢ちゃん、甘かったな。子供が作ったおままごとの結界なんぞ、ものの数秒もあれば破れ」

 る、そう言おうとした。しかし、天野の額に少しずつ汗が浮かび始めた。

 破れない。いや、正確には結界を喰ってはいる。だが、喰った矢先から修復されている。それは、明らかにこちらが結界を食い尽くす速度を優に超えていた。

「無理だよ。このままじゃおじさん、永遠にここから抜け出せない。誘い出した私が言うのもなんだけど、迂闊に人の縄張りに入っちゃうからだよ」

「一体、どういう意味だ」

「この神社はね、ここは私の陣の中なの。つまり、ちょっと時間はかかったけど、そこそこ大掛かりな魔法陣みたいの張って、自分の”テリトリー”にしたってわけ」

「なるほどね」

「この結界、”タルタロス”からは逃げられない。おじさんは言わば蟻地獄に落ちてしまった蟻ってこと。仮に貴方が偉い神様であろうと、もう逃げられないわ」

「大きく出たな。だがそんな簡単にやられてやるつもりもない。大体な、訳も分からないまま襲われてやられてたまるかってんだ」

 天野は石段から逃げるのを諦めて境内の脇の方へ走り出す。結界は均質ではない。完全な球体が再現出来ないように、結界にも綻びのある部分が存在する。その綻びをどれだけ極小にすることが出来るかが、術者の力量を図る物差しとなるのだが、目の前の少女にそこまで純度の高いものを作るような技術は持ち合わせていまい。どこかおざなりになっている部分が必ずある筈。そこを突けば。

 不意に目の前が蒼い業火に包まれた。天野は立ち止まり、勘解由小路の方を振り向く。

「かっこかりなんだけど、ファイアーボールってやつ。私はおじさんが右往左往してるのをぼーっと突っ立って見てるつもりはないよ。ちょっとばかり覚悟して頂戴な」

 勘解由小路は横に左手を広げる。手のひらの辺りから、小さな火の玉が生じ、次第にそれは大きくなっていく。

「今度は当てるつもりでいく。こんなんで黒焦げにならないでね」

 あっという間に大の大人を覆い尽くす程の大きさになったそれは放たれるや否や、まるで鷹が獲物を捕らえるかの如き速度で天野に向かっていった。

「やべっ」

 天野は手を前にかざしたその時、火は天高く燃え上がった。数分は燃え上がっていただろうか、次第にそれは勢いを消し、やがて跡形もなく消えてしまった。

「これはやっちゃったね。逃げたか」

 天野がいる筈の所には、只微かに焼け焦げた砂利がぷすぷすと燻っているだけだった。

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