第49話 鬼女の胎動

 翌日、校舎が見える道まで来て、ばったり幽香と出くわした。

 「……おはよう」

 「おはようございます」

 お義理で挨拶を交わし、並んで歩き続けた。

 「重ねて言うが、放課後はまっすぐ家に帰れよ」

 「わかってますよ」

 昨夜、信南子先生も交えて夕餉を囲みつつ、先生のご自宅に厄介になるのは昨日で最後だと約束させたことを念押ししておく。


 しばらく互いに無言だったが、ただならぬ気配を感じて足を止めた。

 百メートル先の立誠高校の真上に暗雲が垂れ込めている。

 「感じるか?」

 「はい」

 妖魂が複数いるな。それも五匹や六匹の騒ぎではない。

 「行くぞ。鬼にはなるなよ」

 「ならずに済む加減がわからないんです」

 「とりあえず襲われている人がいたら助けろ。行くぞ!」

 悲鳴を耳にして、俺たちは駆け出した。

 口笛を吹いてヒトトビを呼ぶ。


 学校へ辿り着くと予想だにしない光景に目を疑った。

 「どうなってんだ⁉」

 例の人面金魚の大群が、生徒たちと大乱戦を繰り広げている。

 頭を齧られる者、足を噛まれて転倒する者、バットや箒を振り回して果敢に反撃する者。校舎からも怒号が轟き、もはや学校全体が戦場である。


 まるで蜂の巣を突いたかのごとき騒ぎだ。実際、誰かが封印の扉をこじ開けでもしなければ一度にこれほど大量の妖魂が出現することなど考えにくい。

 (いや、原因の詮索は後だな)

 今は退魔業にたずさわる者として事態の鎮静に務めねば。

 まずは生徒の頭に噛みつく金魚を菩提銃で撃ち抜く。


 「みんなお経でも拝詞でも唱えてろ! それで襲われにくくなる!」

 ガトリングモードで数匹まとめて粉砕するが魔物の数は尽きない。

 「助けて根室くん!」

 信南先生が転がるように逃げてきた。

 「駄目よ駄目! スカート破らないで!」

 「おはようございます」

 朝から元気で頼もしい限りである。

 挨拶しがてら人面魚を撃墜し、脇をかすめた一尾を素手で潰す。


 「いや~っ! 来ないで来ないで~っ!」

 幽香も大活躍だった。よくよく妖魂がそそられるタイプなのか、埜口邸の土蔵での練習のときと同様に全身に魚怪ぎょかいをまといつかせて走り回る。

 感心感心、一匹でも多く引きつけておいてくれ。


 「根室てめえ!」

 横から同じクラスの男が襲いかかってきた。

 「何しやがる猪名川!」

 殺意をこめた金属バットが頭をかすめる。

 「いくら俺が嫌いでも今は戦う相手が違うだろ!」

 「てめえを潰さなくてどうすんだよ! この化け物どもは全部てめえが井戸の底から連れ出したんじゃねえか! ネタはあがってんだぞ!」

 「え? 何の話だ?」

 まさか昨日、井戸から如斎谷の子分が出てきたことと関係してるのか。


 「とぼけてんじゃねえ!」

 「猪名川くんの言うとおりよ!」

 バット男の背後から、ひょこっと飛び出したのは如斎谷の側近の小さいほうの片岡杏。タップでも踏むように爪先で地面を叩きながら、とんでもないホラを吹き始めた。

 「杏、昨日見たもん! 根室くんが井戸から出てくるのを!」

 そこで乱闘がピタリと止んだ。なぜか妖魂までもが人間を襲うのを中断して、じっとこちらの様子をうかがっている。


 「ほら聞いたか。ちゃんと証人がいるんだよ!」

 猪名川が意地悪く笑う。他の生徒たちの目も怖い。

 「どこが証人だ! 井戸の中で何かやってたのはこいつらだ!」

 軽量級の胸倉を掴んで持ち上げるが、キャンディボイスは途絶えることなく俺を糾弾、小さな足で何度も蹴りやがる。

 「ウソよウソよウソよ! 根室くんは恐ろしい悪霊使いなの!」

 「黙れ!」


 片岡が俺だけに聞こえる声でささやいた。

 「杏とつきあってくれるなら黙ってもいいかな。あ、これマスターには内緒な。無断でマスターのお気に入りにコナかけたら処分されちゃうし……」

 「俺が処分してやろうか?」

 物欲しげな気色の悪い瞳は、ひたすら怒りだけをかき立てる。

 力いっぱい地面に叩きつけるべしと捉えた右手を掲げた刹那、よく通る演説慣れした声がグランドに響いた。


 「諸君! 登校が遅くなってすまない!」

 長野兵美を従えた如斎谷昆が、急いで馳せ参じたといった体裁ていで、正門を後ろに仁王立ちしていた。

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