第135話 急性大動脈解離13

 レナの転移テレポートで診療所へと戻った一行であったが、もちろんそこにシュージの姿はなく、ヴェールの姿がなかったために朝から出てきていたサーシャがいた。マインはヴェールが帰ってきた時のために家で待機している。


「レグスッ! 回復ヒール!」


 転移テレポートするより前からベルホルトはレグスに回復ヒールをかけている。必死の形相でレグスを診察室のベッドの上に寝かせると、続けて回復ヒールをかけ続けた。


「む、胸が……」

回復ヒールが効かない! 俺の回復ヒールが!」


 騒ぎを聞きつけて何故かローガンが二階から降りてきた。というのも、この診療所にはアルカとシュトレインが入院している。ついでに付き添いとして王宮魔術師のロンドルまでもが泊まっていた。ローガンは泊まっていたわけではないが、入院患者がいると朝早く診療所へ来て、シュージの朝の診察を見ていることが多い。シュージが来るまでは医学書を読んで待っているのだ。それにしてもきょうはたまたまいつもより早く来ていた。


「何の騒ぎなんだ?」

「あの魔物と戦って、撤退してきたのよ。ヴェールが一人で行こうとするから」


 ヴェールをとがめるような目線でレナが言った。言われた方のヴェールは何も言い返すことができずに、心配そうにレグスを見ている。その手には回収したレグスの勇者の剣が握られていた。


回復ヒールが効かないんだ!」


 ベルホルトが狂乱したように叫んだ。今まで呪い以外で自分の回復ヒールが届かなかったことはない。しかし、コクに潰されたレグスの胸は、見た目こそ治っているように見えても胸痛が消えたわけではなかっった。


「カイリだ!」


 とたんに心眼を使ったローガンが叫んだ。カイリ、という単語を聞いて反応できたのはレナとヴェールである。それはシュージの講義を聞き始めてまだ日の浅いベルホルトには説明されていない疾患の名前だった。


「カイリとはなんだ、ローガン!」

「急性大動脈解離だ! まずいぞ、先生がいないこの状況で!」

「シュージがいればなんとかなるのか!?」

「いや、先生でも準備がなけりゃ……、人工心肺もまだ完成していないし、なにより人工血管の準備ができてない!」


 でも、緊急手術をしなければ助からないかもしれない、とローガンは力なく言う。それは医学書を読んだりシュージの講義を聞いていたレナや、人工心肺の使い方を詳しく知っているヴェールも同意見だった。特にヴェールにはそれがどれほど大変な手術なのか、シミュレーションまでしたことがある。


「とにかく、先生を呼んでこなきゃ」

「そんな、家まで行って帰ってきても間に合わないわよ!」


 走り出そうとしたローガンを止めて、レナはとっさに転移テレポートを唱えようとする。しかし、その場に場違いとも言えるほどの穏やかな声が響いた。


「ふむ、よく理解はできませんでしたが、つまりは時間があれば勇者殿が助かる可能性があるということですかね?」


 ローガンの後ろ、階段から降りてきたのはロンドルである。彼はなんてことないような表情でレグスの近くまで来ると、レグスに手をかざした。


「な、なにを……」

「一日です」

「え?」

「私が勇者殿の時間を一日止めましょう。それ以上は魔力、というよりも体力がもちませんが」


 そういうとロンドルは魔力を練っていく。普段の魔法と違い、少しだけ時間をかけた詠唱で魔法を唱えた。


時間停止ストップ


 レグスの周辺の空気を含んだ一定の空間が時を止める。

 レナにはまだ唱えることのできない魔法である。おそらくはこの王国の中でも扱えるものは五人もいないのではないだろうか。それほどの洗練された魔法がレグスを包んだ。

 魔力が多ければ使えるというわけではない時空魔法を、レナは目に焼き付けた。この日のことは生涯忘れないだろうとレナは思う。この魔法があれば、シュージの助けになると考えていたというのも含めて。

「椅子を貸していただけるかな? 私はこれからずっと、ここでつきっきりになるわけだから」


 ロンドルはそう言いながらも集中を切らさなかった。とは言っても雑談くらいはできる余裕があるらしい。

 レナは次に覚える魔法はこれだと決めた。事実、彼女は数ヶ月でこの魔法をものにし、さらには転移テレポートと同時に扱うという離れ業をやってのけるようになる。




 ***




「殺せと言われてもね……」


 頭の後ろをガシガシかきながら僕は言った。別に僕は不殺の誓いとかをしたわけでもないし、食べるために狩猟をしたこともあるけど、ここまで無抵抗の言葉をしゃべる人っぽいものを殺すとなれば抵抗がある。それがいままで人類の敵であり、たくさんの人々を殺してきた魔物のようなものだとしてもだ。


「モウ、長クハモタン」

「職業柄、やりたくないというかなんというか」


 座り込んでしまったコクはちらりと僕のほうを見上げた。


「ソウカ、オ前ハユグドラシルノ呪イヲ治ス治癒師ダナ」

「僕のことを知っているのか。まあ、セイを監視していたんならそうだろうね。分かってるんなら僕に殺せだなんて言うのはやめてくれ。ちなみに僕は治癒師じゃなくて医者という職業をしているんだけどね」


 なんで、このコクという魔物になってしまった魔法人形マギ・ドールにこんな話をしようと思ったのかは分からない。二度も人ならざる者に姿を変えてしまった彼がどんな想いでいるのかを知りたかったのは確かだし、それ以外にも興味があったというしかないだろう。


「ヴェールに、……セイに聞いたよ。君たちは復讐のために生きてきたんだって」

「……」

「セイは、ヴェールとして生きていきたいんだって。もう、いつの間にか復讐する相手もいなくなってるからって」

「イナイ・・・・・・カ」


 コクはすでに生きているのも不思議なほどに衰弱し始めていた。おそらくではあるけど、コクの体表を覆っている鱗は魔力で構造を保たたせているのだろう。少しずつ、やられている所の付近から順に崩れ始めていた。


「たしかに、君はもう長くはもたないと思う。僕らはヴェールを許して共に生きていくことを決めたけど、さすがに君を許す人は少ない」

「・・・・・・」

「僕は君に慈悲を与えることはしないよ。卑怯な考えかもしれないけど、僕が背負う責任は他にもたくさんあるから、そんなに抱えきれないんだ」


 コクはもはや僕の言うことを聞いているのかどうか分からない。その目線は焦点が合っていないように見える。もうすぐ、命の火が消えるんだろう。


「治癒師ヨ、一ツダケ・・・・・・」

「なんだい?」


 最期の力を振り絞るように、コクは口を開いた。


「ヴェール、トハ・・・・・・セイノ・・・・・・本当ノ名ダ」

「そうか。彼女は偽名ではなく、本当の名前で生きていくことを決めたんだね」

「・・・・・・」



 それを僕に教えてどうしようと言うのだろうか。しかし、コクは目を閉じると、二度と何も話すことはなかった。魔力が切れて、徐々にコクの体が元の魔法人形マギ・ドールにもどりながら崩れていく。耳につけてあったピアスを外すと、コクの体は完全に塵になって風に飛ばされていった。


「だから、僕は治癒師じゃなくて医者だって言ったじゃないか」

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