第132話 急性大動脈解離10

「悪いわね、お酒を吸収するっていうのは半分は嘘よ。酔うことができるのは、ほんの少しだけね。意外と不便なのよ、この体」


 酒場のテーブルに突っ伏したアレンにそうつぶやいて、ヴェールは酒場を出る。支払いを済ませてからというのは彼女なりの贖罪だった。普段であればアレンのような金持ちにおごるというのは彼女の信条に反するのだが。


「さて……」


 アレンと話していて、少しだけ頭の整理ができた。それはコクの目的というのが分からない状況ではあるが、予想がつかないわけでもないということだった。

 復讐のために生きてきた自分たち魔法人形マギ・ドールが、この時代の王国に復讐をしたからといって意味があるのかというのがヴェールが感じてしまった疑問である。コクも、それを真っ向から否定はできないはずだった。それでもコクはその復讐をやめようとは言わなかった。だからこそ、その復讐を諦め、自分を裏切ったヴェールに対して何かしら思うところはあるはずである。

 単純に王都襲撃を阻止したユグドラシル領や勇者パーティーに復讐がしたいというのであれば、誰にも見つからないように移動することは可能なはずだった。そのはずなのに、竜人ドラゴニュートは各地で目撃されながらこのユグドラシル領へと近づいている。


 つまり、かつてヴェールが魔物を伴わずにユグドラシル領へと潜入したような活動が、コクにはできない状態にあるという事。さらには今まで一度もコクが竜人ドラゴニュートという魔物を使役しているところを見たことがないこと。これらから導き出される答えは、ヴェールが危惧したとおりで、コクがその竜人ドラゴニュートなのではないだろうか。


 コクが、ヴェールに会いに来ようとしている。自分を魔物に作り替えるようでは、良い感情を持っているとは到底思えない。

 自分は人間としての生き方を取り戻しつつある。この町に来てからずいぶんと大切な人たちができた。彼らを危険にさらしたくはない。それ以上に、ヴェールはこの問題は自分が解決しなければならないと考えている。自分にはその責任がある。


 コクのかつての名前を思い出しながら、ヴェールは厳戒態勢の緩い南門から町の外へと出たのだった。




 ***




 アレンは完全に酒に潰れたわけではなかった。しかし、このままでは意識を飛ばされ、ヴェールは町を出て行くだろう。その前になんとかしなければならないが、先ほどから水を飲むと言っているのに酒しか出てこない。


 戦略的撤退。それしかないと考えたアレンはすでに酔いがまわり過ぎていたのだろう。すでに正常な思考ができる状況ではない。冷静に考えると、飲まなければ良かっただけなのだが、すでに何もしなければ睡魔が襲ってくる状況だった。


「出て行ったか……」


 もぞりと起き上がったアレンも酒場を出る。酒場の人間に不審に思われないように、南へと向かうヴェールを追いかけるようなふりをしながらも、通りを曲がってシュージの家へと千鳥足で急いだ。


「計画は失敗した。ヴェールは西ではなく南へと向かっ……」

「ちょっと、とことん使えない男ね」

「わ、私にそんな事を言えるのは君くらいのものだ……」


 小屋の扉を叩いて誰かが出てくるのを待っていると、期待していたシュージではなく機嫌が最大限に悪いパジャマ姿のレナが出てきた。殺気のようなものを感じるのは酔ったせいだろうとアレンは思うことにした。


「夜明けまで、二時間ってとこかしら」

「ああ、そんな時間だ」


 限界だったアレンは小屋の中に入るとソファにぐったりと横になって眠り始めた。レナはため息を吐いてから、装備を整える。その中にはいつもの装備の他に、ナインテイルズの白マフラーまであった。現時点で彼女の魔法力を最大限に引き出すことのできる装備である。


「まったく、もう」


 そして小屋を出た。目指すはベルホルトの泊まっている宿。おそらくはそこに勇者も泊まっているのだろう。元はと言えば勇者が竜人ドラゴニュートを取り逃したのが原因であるために働いてもらおうと考えたのだ。場合によってはベルホルトの回復ヒールも必要になるかもしれない。

 こんな事にならないようにアレンに頼んだというのに、しかも自分が今日に限って途中で起こされて動かなければならない状況になるなんて。


「本当に、なんなのよ!」


 夜明け前だというのに、レナは通りで叫んだ。




 ***




 おかしい。

 何故か起きたら僕のベッドにレナの枕が転がっていた。さらにおかしいことに、レナがいない。さらにさらにおかしいことに、ソファでアレンが爆睡していた。なんだ、この状況は?


「ちょっと、アレン? 起きて?」

「……む、シュージか」

「シュージか、じゃないよ。ここは僕の家なんだから。なんでここで寝てるの?」

「ああ、そうだな」

「そうだなって……」


 まだ夜明けまでにはもうちょっとある。しかし、レナがいないというのはどういう事だろうか。そしてアレンが超絶酒臭い。こんな元次期領主様を見たのは初めてだった。


「何かあったの? レナは?」

「レナか、レナはヴェールを追って行った」

「ヴェールを? ちょっと、状況がよく分からないんだけど」


 かなり酒くさいアレンなんていう珍しいものを見ても、この状況では楽しめそうもない。酔い潰れている男と会話している時点で、これが緊急事態なのかそうでもないのかの判断もつかなかった。


「ヴェールは、出て行こうとしていた。私はレナに頼まれて彼女を止めようとしたんだが、酒場に連れ込まれてこのざまだ。もう少し寝かせてくれ」

「はい? ちょっと、意外と緊急事態じゃないか」


 レナはヴェールを追っかけていった。アレンは酒場で酔い潰れたってことは、ヴェールはレナよりもかなり前に町を出たという事か。寝かせてくれというアレンに回復ヒール消毒アンチドートをかけて二日酔い、いや泥酔状態を強制的に治すと、詳しい状況を聞く。


「いや、めんぼくない」

「ヴェールの方が一枚上手だったね。アレンに対してこんなやり方があったなんて」

「ああ、レナにもとことん使えない男だと言われたよ」

「え? レナがそんな事言うかな? 酔っ払ってて聞き間違えたんじゃないかい?」

「シュージ……、まあ、そういう事にしておこう」


 状況を整理すると、一時間以上前にレナはヴェールを追っていった。おそらくレナの事だから、一人で向かうという事はしないだろう。竜人ドラゴニュートに対してレナだけで対抗できるわけないし、そこにヴェールが加わったとしてもあまり関係ない。

 であるならば、おそらくはレグスとベルホルトを連れて行ったに違いない。しかも、ヴェールは南門に向かったようだけど、レナは騎士団に顔がきくから西門に向かったはずだ。


「なるほど」

「シュージ、どうするつもりだ?」

「急げばまだ間に合う」


 僕は装備を整えてメイスを担ぐと、小屋を出た。



 アレンには家に帰って眠れと言った。

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