第42話 十二指腸乳頭部癌6

 西方都市レーヴァンテインに一人の男が訪れた。

 彼は王都で使える役人の一人である。役職は王女セレーナの側仕え統括であったが、その仕事を部下に任せてきていた。


 王宮に使えている彼だが、それでも転移テレポートなどを使う魔法使いを雇うことなどできない。かなりの日数がかかってしまうが馬車を乗り継いでレーヴァンテインに来るまでには数週間がかかってしまっていた。そのために彼は表向き母親の危篤を理由に田舎に帰っているということになっている。


 彼の任務に領主を巻き込むわけにはいかない。それはレーヴァンテインの領主が裏切れば王女セレーナの命は蝋燭の火のようにかき消えてしまうからだった。秘密裏に行う必要のある計画を、誰に任せることもできずに彼自ら足を運んでいるのである。しかし、伝手は全くなかった。


 彼は冒険者ギルドを頼った。最終的に信用できる者がいないのであれば、金を払うしかないと考えたのである。口止め料を支払えば、領主にすら秘密にできるだろうと彼は考えた。


「ある人物を護って欲しい。そして、その人物を用意して欲しい」


 ギルドマスターのレイヴンという男に打ち明けたのは断片的な話である。だが、ある人物というのが命を狙われており、その人物をここ西方都市レーヴァンテインで誰か他の人と入れ替える。そして襲撃者の矛先を入れ替わった人物に向けさせ続ける事が依頼の内容だった。


 もちろん、入れ替わった人物というのは危険にさらされる。それを冒険者の中から選ぶという選択肢もできなかった。なぜなら、その人物は少女だったからである。少女の身代わりは、少女でなければならない。


「考えさせろ」

「時間の猶予はない。私は入れ替わったあとのことも考えなければならないのだ」

「条件を確認するぞ」


 レイブンはそんな危険な事をする少女を選ぶことなんてできないと思いつつも、条件に合った人物がいるかもしれないという事に気づいてしまっていた。もし、入れ替わるのであれば彼女の大切な人たちを救うことができる。依頼を持ってきたこの男は、誰かを救いたい一心でこのような事を言っているというのは伝わっていた。であれば、入れ替わった人物を助けるために今後も支援は尽きることはないだろう。


 頭の中にあるのは、ある孤児院である。しかし経営難からその存続が危うい。何度かレイブンは個人として支援を行ってきたのであるが、個人の寄付だけでは規模もそれなりに大きく、何とかしなければならないと思いつつも打開策が打てなかった。この男がささやかながら支援を続けてくれるのであれば、これからも孤児院はやっていくことができるだろう。しかし、そのために犠牲になるような少女を選ぶなんてことを提案してもよいのだろうか。


 最終的にレイブンは孤児院の院長の所に話を持っていった。最初は拒否していた院長であったが、ある少女がその話を盗み聞きしていたのである。戦士職とはいえ、Sランク冒険者であったレイブンに気づかれないように盗み聞きをしていたのはマインという少女であった。孤児院を護るために、マインは自分がその身代わりになると言ったのである。何の巡りあわせか、入れ替わる人物というのはマインと同じ金色の髪に青い瞳をしているということだった。


「俺が一番信頼している冒険者を護衛につける」


 レイブンができる誠意というのはそこまでだった。そしてブラッドはその話を聞いて、護衛を引き受けたのである。



 その孤児院は寄付で成り立っているようなものだった。レイブンの他にも数名ほど、寄付を定期的におこなっていた者がいる。それがイーネだった。


 ある日、いつものように寄付にやってきていたイーネは、いつもは元気なマインが庭の木の下で落ち込んでいるのを見て、何気なく声をかけた。イーネにしてみればこの孤児院の子供たちは自分の子供のようなものでもある。家族や商会の人間はイーネが孤児院に出入りするのを嫌っていたようであるが、それでもイーネは通い続けた。それはかつての親友に同じように孤児出身の者がいたのが理由かもしれない。


 泣き出しそうなマインの尋常ではない顔を見て、イーネは放っておけなくなった。数回、マインから事情を聞きだそうとしたが何も言わない。最終的に寄付金の打ち止めをちらつかせて孤児院の院長から話を聞くまでに至った。


 

 それからのイーネはもはや意地を貫くかのように覚悟を決めた。こんな少女が命を差し出してまで救いたいと思っていたのは、自分が手を差し伸べていた孤児院で、その手の差し伸ばし方は不十分だったと知らされたのである。

 彼がイーネ商会を弟に譲り、形の上は支店を出すということで他の都市に移ることを決めたのはすぐの事で、ブラッドを捕まえて計画を練り上げた。


 入れ替わりの人物が王女だと知らされたのは王女が西方都市レーヴァンテインについてからである。それまでに数回ほど襲撃者に襲われていた王女とマインは入れ替わり、襲撃者はマインを追ってくるようになった。ブラッドはその襲撃者を全て迎え撃って仕留めると、イーネとマインをつれて大陸の反対側へと向かったのである。


 そこにかつての仲間がいるなんて思いもせずに。




 ***

 



 悩んだあげくにアレンは襲撃者の命を絶った。みすみす相手に情報を与えるわけにもいかなかったのと、襲撃者たちが手練れであり、生きて返すということはこちらの不利になりかねなかったからである。


「こいつらの本命がまだ残っていることは確実だろう」

「では、標的がユグドラシルの町に入ったということと、前回襲撃した奴らが撃退されたっていうのはばれたわけだな」


 尋問が終わり、襲撃者にはまだ仲間がいたという事が分かった。部下たちだけで襲撃させて、襲撃を指揮する者は周囲で様子を伺っていたのだろう。アレンは迂闊だったと思わざるを得なかった。ただし、襲撃者がマインを狙っているということは本物の王女は狙われていないだろう。アレンたちが撃退した襲撃者たちはそれなりの腕だったのである。少なくとも捨て駒ではない。


「イーネという男とブラッドという冒険者。二人の覚悟というのはどれほどのものだったのだろうな」


 単なるお人好しかもしれない。だが、それだけにアレンはできる限りの協力をしてやりたいと思った。それだけ、マインの決意を尊重してやりたかった。


「しかし、どこまでの人間を巻き込むことになるのか」


 王の跡継ぎ問題に巻き込まれれば命の危険も十分にあり得る。実際にマインはかなりの手練れに命を狙われていた。おそらくブラッドがうまい具合にユグドラシルの町にまで誘導したのだろう。そして、それらの襲撃者からマインとイーネを護りきるつもりだったようだ。

 一人で守り切れるほど甘くはないだろうが、それだけブラッドという男も腕がたつのかもしれない。


「とにかくマインたちがユグドラシルの町に入ったのはばれたと考えて行動しよう。護衛にはブラッドがついているからいいとして、刺客のあぶり出し方を考えないとな」

「それで、そのマインという少女は何者なんだ?」


 ノイマンはアレンに聞いた。アマンダはそうではないが、ミリヤもそれには興味があるようだった。


「ふむ。仲間だし、一蓮托生というやつか」

「あ、ちょっと待って。あまり言わないほうがいいなら……」

「マインはセレーナ王女だ」

「ぎゃぁぁぁぁああああ!! 聞いてしまったぁぁぁ!」


 馬車の上でもだえるノイマンを無視して、アレンは続けた。


「表向きはな」




 ***




 医療魔法だけではない。この世界には魔道具というものがあると僕が気づいたのは魔道具屋の前を通ったからだった。風呂場の事でお世話になった時以来であるけど、僕はなんとなく相談を含めてその魔道具屋に入った。今日は一人で買い物に出ているということもあって、色々な場所を回れるのだ。


 イーネさんの手術は難易度が高いとは言っても、できない事はないと思っている。しかし、それは完全な全身管理を他の人が行ってくれればの話だった。レナにはまだ麻酔科としての知識が完全に備わっているわけではないから、僕が指示を出さなくちゃならない。負担が増えすぎるとミスにつながる恐れがある。


 そのために、全身管理に必要なモニターを魔道具で作れないかというのを考えている。特に脈拍と血圧くらいは分かるようにしておかないといけない。欲を言えば、SpO2という経皮的動脈血酸素飽和度と呼ばれるものも知りたいのである。これは血液の中にどのくらい酸素が運ばれてきているかを示すもので、循環と呼吸の両方が安定していて初めて正常値を示すものだった。モニターとして、これらを数字化したものが欲しい。


「すまん、何を言っているかが分からん」

「うーん、ちょっと難しすぎるか」


 しかし、魔道具屋がこんなモニターの原理を理解することは難しいわけで、説明には苦労した。

 最終的に血管の中に入れた針の圧力を測って、数値化するという魔道具はなんとかできそうであるとのことで血圧計は作ってもらえそうだった。脈拍の数値もなんとかしてみると言ってくれた。血圧の波形を見ることができれば、不便ではあるけど分からないわけでもない。

 さすがに経皮的動脈血酸素飽和度は全く分からないと言われてしまった。これはそのうち解決しようとは思うけど、魔道具よりも医療魔法の方がいいかもしれない。



 やらねばならない事が沢山ある。工房へ寄って糸や針の補充も行った。今回の手術はかなり長時間に及ぶ。使うものも多い。そして何が起こるかが分からない。

 切った消化管を吻合する時のために、一時的に中身が出てこないように組織を壊さないように優しく遮断するための器具の大きいものだとか、膵管や胆管の中に一時的に入れるスライムゼリー製のチューブなど、この手術特有で必要となってくる器材を特注した。


「あ、そうだ」


 僕はここで電気メスに代わる物が欲しいと思って魔道具屋へと引き返した。視界の端に、その急な動きに反応した人物がいた事に僕は気づいていた。




 ***




 その日の夕方、イーネ商会の人間が僕らを呼びに来た。手術の事に関して話し合いたいというのである。できれば診療所ではなくイーネ商会で話がしたいということだった。


「私もいくわ。ただ事ではないっていうのは分かるもの」

「レナ、気づいていたのかい?」

「ええ、数日前から誰かがこの診療所をずっと見張っていることくらいは分かるわ」


 尾行もされているようだけど、素人のそれではなかった。僕らに危害を加えてくるような感じではないけど、もしかしたらイーネさんたちが狙われているのかもしれないと思っている。ブラッドが護衛についていることもあって、心配はしていないけど事情が分からない事には対策のしようもない。



 イーネ商会の建物はそれほど大きくもなく、個人商店と変わらない大きさだった。数人の従業員を雇って王都やレーヴァンテインとの取引を行うのを主体とするようである。イーネさんはその店の奥にいた。


「シュージ先生、わざわざありがとうございます。本来ならばこちらから出向かないとなりません所を」

「いえ、問題ありません」


 イーネさんはそういうと僕らをさらに奥へと導いた。おそらく、そこはマインの部屋なのだろう。予想通りに中にはマインとブラッドがいた。


「ここでしたら、他の誰も聞いていません。周囲の様子を店の者に警戒してもらっています」

「やはり、監視と尾行がついているのを気づいているのですね」

「ええ、ですが大丈夫です。こちらの冒険者ギルドの方も協力してくれてまして」


 イーネさんがそう言うと、後ろからアレンが入ってきた。その協力している冒険者ギルドの人間というのはアレンたちのパーティーなのだという。


「アレン」

「シュージ。まさか関係しているとは思わなかった」

「僕もだよ」


 ノイマンとミリヤは店の周りの監視をしてくれているらしい。


「さあ、揃ったな。では話そう」



 それまで無言だったブラッドが言う。僕らはマインという少女の置かれている状況と、これからの事を聞くことになった。

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