第40話 十二指腸乳頭部癌4
「ブラッド?」
「シュージ……」
執事の服装に身を包んだブラッドは裕福な家庭に育ったような少女の後ろにいた。その顔はひどく哀愁を漂わせていて、僕と別れた時ですらそんな顔はみせなかったはずである。
「びっくりしたな。どうしたんだよ、こんな所で?」
「ああ、ちょっとな」
ちらっと少女の方を見たブラッドはそれ以上の説明をしようとしなかった。その代わりに少女の方が前にでると僕へと質問してくる。
「私はマインと言います。もしかしてシュージ先生ですか?」
「え、はい。僕がシュージですけど」
「ローガンにお父様を助けていただきまして、その御縁でご挨拶に伺ったのですよ。ブラッドは今、私たちイーネ商会の執事をしてもらっています」
やけにしっかりした子なのかと思ったけど、後ろのブラッドの表情からはそうでもないのかもしれない、なんてことを思っていると後ろからローガンの声がした。
「マイン、診療所の仕事が終わるまでダメだと言ったじゃないか」
「あっ、ローガン。邪魔はしません」
「えっと、すでに…………いや、なんでもないよ。それじゃあ終わるまでは大人しくしておいてくれよ」
「分かりましたわ」
そういうとマインはちょこんとお辞儀をして診療所の中に入ってしまった。僕はローガンが困っている顔を見て苦笑いする。
「それで、ブラッドは彼女の護衛でも受けているのかい?」
「ああ、そうだ」
やはり、それ以上の説明をしようとはしなかった。ブラッドという人物はそれなりに喋り好きであって、盗賊とも言われていた斥候業に加えて様々なところから情報を仕入れてきては僕らに割りのいい依頼を斡旋してくれたものである。レイヴンがギルドマスターに就任したあとにもギルドからの頼まれごとだけではなく多岐にわたる方面に顔がきく人物だった。
だけど、そんなブラッドが僕に対して何も話そうとはしない。これはずいぶんと嫌われたのかなとも思う。勝手に冒険者をやめてこんなところでよく分からない医者という職業に就いていたとすれば、嫌われるのも納得がいくが、こんな態度をしなくてもいいような気もする。
「レナも、いるよ」
「そうみたいだな。ローガンに聞いた」
さきほどのブラッドはまるでマインという少女の執事のようだった。服装も執事そのものである。斥候業である冒険者として、護衛を引き受けているのならばそんな事はしなくていい。誰かに化けているのであれば僕への接触は避けるだろう。だけど、ブラッドは僕と顔見知りだという事を隠そうとはしていないという所に、ますます訳が分からなくなってくる。やっぱり、嫌われたのだろうかと思っているとレナの走ってくる音がした。
「ブラッドっ!?」
「レナ」
やはりレナに対しても同じような態度である。パーティーの解散は僕だけの責任であってレナは関係ないし、完全に解散してからレナは僕についてきたわけだからブラッドがレナまで嫌う理由は全くない。僕はわけが分からなかった。
「とりあえず、中に入れば?」
「ああ」
「どうしたのブラッド、そんな恰好をして」
「……色々と事情があるんだが、聞かないでくれると助かる」
ようやくブラッドが以前の表情を垣間見せた。単純な護衛の依頼ではない、ということなのだろう。だとすればこれ以上の詮索はだめだ。僕はレナと頷き合うと、まずは再会を喜ぶだけにしておいた。
***
「すごいわね、本当に呪いを治しちゃうんだ!?」
「ああ、先生が治せない呪いはないよ」
「ローガン、それは言い過ぎだよ」
忙しい診療の合間にも、マインは診療所の中を動き回っていた。申し訳ないとブラッドがサーシャさんに謝っているのが見える。もちろん僕やレナにも謝っていた。だけどマインはそんなことはお構いなしに好奇心の赴くままに動いてローガンに怒られていたりする。
「仕事の最中はきっちりしてるのね」
「俺は仕事以外の時もきっちりしてるよ」
もはや幼少期からの幼馴染かと思えるほどローガンとマインは仲がよくなっているようである。ついにローガンにも春が来たかと思ったけど、そんな話題を出すと僕の方に矛先が振られそうだからよしておいた。こっちの肉体はまだ三十代だけど、日本にいた時と合わせるとそれなりの精神年齢になっている僕に、そういう類の話題はちょっときつい。
「そろそろ支店の片づけも終わった頃でしょう。御帰りにならないと、旦那様が心配されますよ」
「大丈夫よ、ブラッドもローガンもいるから安心してるはずだわ」
ブラッドは完全に執事としての仕事をこなしている。あんな口調で話すブラッドを見た事がなかったから僕の中では違和感で一杯だけど、仕事であればああするしかないんだろう。だけど、Sランクに昇格したはずのブラッドが執事のふりをしながら護衛をする対象となっているマインという少女は何者なのだろうか。ここに来ているということは、今は命を狙われているわけではなさそうだけども。
「ブラッド、久々に会ったんだから時間があればどこかで食事でもしないか。もちろんレナも一緒に」
「すまんが、お嬢様から離れるわけにはいかない」
「だったらマインさんたちも一緒にどうだい?」
話すことができない話題があるのかもしれないけど、僕らの昔の仲間だという事を隠していないのであれば昔話くらいは大丈夫だろう。僕がいなくなったあとのレーヴァンテインの事も少しは聞いておきたかった。
「それはいいですわね! あとでお父様に帰るのが遅くなると知らせておきましょう」
最後のセリフはブラッドではなく、マインへと向かって言ったものだったからマインがブラッドの答えを聞く前にそう言った。それを聞いてブラッドがもしかしたら嫌な顔をするかと思っていたけど、そんな事はないようだった。
「もしよければ、マインさんのお父さんも一緒にどうだい? もちろん、予定がなければの話だけど。この町には来たばかりなんだろう?」
ブラッドの雇い主でもある。どんな人なのか純粋に興味が沸いた。
「それでしたら後で商会の者が迎えにくることになっておりますので、言伝を頼みましょう。旦那様は今夜は特に予定は入っていないはずです」
ブラッドがマインへと言う。それを聞いてマインは喜んでローガンがいる部屋へと向かった。ローガンも一緒に食事をするというのはマインの中では決定なようである。もちろん、ローガンも誘うが。
ブラッドが何も問題ないという顔で言うものだったから、僕はますます訳が分からなくなっている。こいつは一体どんな依頼を受けて、このマインという少女は何者なんだと。だけど、詮索はしないというのがルールである。あちらから切り出してくるのを待つしかない。マインの父親を食事に誘ったのはちょっとした下心がないわけでもないけど、失礼にあたる行動をするわけにもいかないと僕は思った。ちょっともやもやする。そして、それは僕の顔にも表れているだろうし、ブラッドも気づいているだろう。
***
「イーネという男は全てを知っていて、それでもあの少女の父親になることを決めたということですか」
アレンは概要を聞かされたのちにため息をつくしかなかった。ランスター領主としても、アレン以外の人間に適任はいないと思っていたのだろう。詳細を聞くには、一般人では荷が勝ちすぎるし冒険者でもなければ動くことすらできないからだ。
「分かりました。こちらで対処いたします」
「頼む」
「ですが……」
アレンはウイスキーの入ったグラスを飲み干すと、立ち上がった。
「その刺客が、どこまで報告を上げているかにもよりますね。律儀にも一度王都へ詳細を知らせていたのなら、どこまでも狙われ続けることになりますから」
「その覚悟はあるとのことだ。むしろそれを狙っている」
「その、ブラッドとかいう冒険者もですか?」
「ああ、確かめた」
そうですか、とアレンは言うと部屋を出ようとする。これからノイマンやミリヤと合流しなければならない。アマンダを同行させて速度が落ちるのと、いざ戦闘になった時に補助を頼るのとどちらを優先すべきだろうか。
「ユグドラシルとしての立場も……っと、私はもうそこまで考えなくても良かったのだな」
「聞こえてますよ、お兄様」
恨みがましい声で返したのはジェラールだった。
「本当のことだ。そっちは頼んだぞ」
「やれやれ。お兄様の方もよろしく頼みます」
頷くと、アレンは町へと出るのであった。
***
長旅で疲れたのだろう。マインの父親は体調がすぐれないとのことで食事会には欠席させてほしいとの言伝を持って商会の人間が帰ってきた。
「お誘いしていただきましたのに、誠に申し訳ございません。明日、改めてご挨拶に伺わせていただきますと主人から言付かっております」
「これはこちらこそ急に申し訳ありませんでした。ご自愛くださいとお伝えいただけませんでしょうか」
しかたなく僕たちだけで食事へと出かけることになった。と言ってもマインをギルドの酒場に連れて行くわけにはいかないから、普段はあまり利用しないレストランである。
「まだ、体調が悪かったのかな」
ローガンはマインの父親であるイーネさんの事を心配しているようだった。詳しく話を聞くと、ローガンの父親の製薬した自己治癒力回復のポーションを飲んで体調は戻っていたらしいのであるが。
「長旅で疲れちゃったのよ。それに今日は領主様のところにご挨拶にも行ったしね」
門のところでローガンたちと別れた後に領主館へと向かっていたらしい。ローガンは父親の薬屋の整理を終えてから診療所へ顔を出してすぐにマインたちがやってきていたから、そう考えるとほとんど休憩せずに動き回っていたのだろう。マインが診療所へ遊びにきている最中にも、支店の開店準備が忙しかったに違いなかった。
「一度、先生に診てもらうといいよ。明日、イーネさんを連れて来な」
「それはいい考えね。お父様もシュージ先生に診てもらえばきっと良くなるわ」
このレストランでもユグドラシルチキンは扱っていたようで、それぞれの皿に分けられて出てきた。ギルドの酒場とは違ったソースがかけられており、とても美味い。
「私、これ好きなのよ。前に来た時に皆で食べたわね」
「ああ、そうだな。シードルが食べ過ぎてて世界樹の途中で気持ち悪いって言ってたような気がする」
レナがブラッドにもユグドラシルチキンを勧めている。その様子はかつての時とほとんど同じで、僕はだいぶ懐かしい想いに満たされてしまった。ここにシードルやレイヴンがいたらもっとその想いは強かったのだろう。
「シュージ、ここで何やっているんだ?」
少しお酒が入ったからか、ブラッドが僕に聞いてきた。マインとローガンは二人で盛り上がっているようで、執事としてのブラッドは僕らと話すことに決めたようだった。
「ああ、僕はここで医者をやっているんだ」
「イシャ? 治癒師じゃなくてか?」
「君たちが呪いと呼ぶものの中に、原因が分かっている病気が含まれてるんだよ。僕はそれを治す医者をやっていて、そのためには世界樹の雫が必要でここに来たんだ」
「レーヴァンテインの人たちじゃなくて、ユグドラシルの人たちを助けるためにか?」
ブラッドは僕がお世話になった西方都市レーヴァンテインの町の人たちじゃなくてユグドラシルの町の人を助けているというのが不服なんだろう。だけど、僕の考えはちょっと違った。
「それは僕も考えたよ。だいぶ悩んだけど、世界樹の雫をどうにかしないとレーヴァンテインでも人々を助けることはできないから。だから、僕はここで世界樹の雫を使いつつ、それを医学とともに世界中に広がる技術の開発をしているんだ」
それはつまり、いつかはユグドラシルの町を出て西方都市レーヴァンテインを始めとした他の町でも医者をしたいという事である。そしてそれは僕が直接やらなくても、他の誰かがやってもいい。僕はちらっとローガンを見た。
「そうか。進むべき道ははっきりと見えてるんだな」
納得したのか、ブラッドはそれ以上責めてくるような事はなかった。
翌日、診療所にマインと父親であるイーネが訪れた。
「イーネと申します。昨日はご招待いただきましたのに、お受けできませんで誠に申し訳な……」
僕はイーネさんの言葉が終わるより先に、彼の両肩を掴んで聞いた。
「何時から体調が悪かったんですか? 今も、お腹が痛いでしょう?」
彼の全身は黄色がかっており、辛そうだった。
イーネさんを見た瞬間に心眼を発動させ、さらには訓練中だった
彼を助けるには
それは超がつくほどの高難易度手術の一つであった。
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