第112話



結は三人で過ごしてからすぐにドイツに向かった。別れ際も特に泣いたり寂しがったりもせず凛々しく立派なピアニストになるからと言って旅立ってしまったので、私も結のために頑張ろうという気になった。寂しがってなんかいられない。これからが頑張りどころなんだ。


そして琴美も結のようにアメリカに行ってしまった。琴美は結と違って酷く泣いて寂しがっていたがまた会えるからと私は元気付けて出発させた。


いつも一緒にいてくれた二人がいなくなってしまうと心細いが連絡はできるから大丈夫だ。私は春からの大学生活に意気込んだ。二人が頑張るんだから私も頑張らないとならない。





































あれから十年が経った。

私は今日空港に結を迎えに来ていた。

結と会うのは本当に久しぶりだ。



「泉!」


私が結を探していたら結はキャリーケースを引いて歩いてきた。結は十年経っても綺麗で可愛らしい。以前より大人びたがそれよりも益々落ち着いた雰囲気を醸し出している。


「結。お帰り。荷物持つよ?疲れたでしょ」


「うん。ありがとう」


私はキャリーケースを取って車まで結を案内する。結は本当に世界的に有名なピアニストになった。海外を拠点にコンサートをしたりオーケストラとも共演する結はCDまで発売している。だからかなり忙しく世界を飛び回っていて日本にはほとんど帰れなかった。しかし、珍しく休暇が取れた結は一年以上ぶりに日本に帰ってきたのだ。


「今日の仕事はどうだった?」


車に乗り込んでから助手席にいる結が話しかけてきた。


「普通だよ。今日も注射で泣かれたよ」


「ふっ、まぁ、あんたの顔じゃ泣くでしょうね子供も」


「笑ってるんだけど怖がられるからね」


笑いながら話す話はいつも連絡している内容だ。私はあれから猛勉強をして見事医師免許を取得した。今は大きい病院に勤務しているが子供にはいつも泣かれてしまう。


「梨奈は?梨奈も何かやらかしてそうだけど」


梨奈と職場が一緒なのを知っている結は若干呆れている。


「梨奈はいつも通りだよ。言葉遣いが悪いって看護師の子に注意されてる」


梨奈もあれから医師免許を取って医者として働いているが口の悪さは変わらない。


「医者のくせに全く」


「梨奈はもうしょうがないよ。ところで琴美は?こないだ何かよく分かんない置物送られてきたんだけど」


私は会っていない琴美について尋ねた。琴美はあれから結と同様に有名なヴァイオリニストになった。ヴァイオリンの練習をよく忘れていたのに結がピアニストになるからヴァイオリニストになると言った琴美も結のように世界を飛び回っている。だが度々意味不明な物を私に送ってくる。


「また訳分かんない事してんの琴美は…。今は……確かアメリカにいた気がするけどこないだ勝手に来たけど相変わらずうるさかった」


「そっか。琴美ともだいぶ会ってないからな。元気そうで良かったよ」


琴美に会えないのは寂しいが琴美が元気そうで良かった。私は自分のマンションに向かった。



マンションにつくと結の荷物を持って部屋にあがる。このマンションは結と一緒に暮らすために買った。と言っても結はほぼ海外にいるから実質広い家に私だけの一人暮らしなのだが結が二人の家がほしいと言ったので購入したのだ。


「結、お風呂はいる?お腹減ってない?」


私は結の荷物を置きながら結に尋ねたが後ろから抱きつかれてしまった。




「……泉会いたかった」


きつく抱きついてくる結の手を撫でてから振り向いて私も結を抱き締めた。結は昔に比べるとだいぶ素直になった。


「私も。寂しかったよ結」


「うん。……中々帰れなくてごめん」


一頻り抱き締めてから体を離すと自然と引き寄せられるようにキスをした。


「たまにこうやって会えるからいいよ。それに明日は一日一緒にいられるし。明日何する?いつものスフレ食べ行こうか?」


私は結の腰に腕を回しながらソファに座る。結は私に横から凭れるようにくっついてきた。


「うん。スフレ食べたい。でも疲れたから……明日はゆっくりしてからにしよう」


「うん。飛行機も長かっただろうし疲れたよね。本当にお疲れさま」


「泉も仕事だったでしょ。…ねぇ、泉」


「ん?なに?」


私が少し結に顔を向けると結は私にキスをしてきた。




「好き。心移りしてない?」


落ち着いた声で問いかけられる。会えない期間が長すぎて私達は時々こうやってお互いに確認してしまう事がある。でもこれは愛を深める行為に変わりつつある。


「する訳ないじゃん。結は?」


私は自分からもキスをした。会えなくてもこの気持ちは昔から変わらない。結は挑発するかのように答えた。


「私がすると思う?」


「全く」


「ふふ、分かってるくせに。ねぇ、もっとキスして?」


笑う結は私の顔に手を添えると顔を寄せてきた。昔はキスをするだけでも耳を赤くして恥ずかしがっていたのに今の結は余裕があって魅惑的だ。


「いいよ」


誘われた私はすぐに結にキスをした。昔から変わらない心地よくて幸せで気持ちの良いキスは十年経っても私を虜にしている。結を強く抱き締めながらお互いに舌を絡ませてキスをするのは今になっては興奮よりも幸せを感じられる。


「……はぁ、ふふ。なんかキスしたらしたくなっちゃった」


唇を離した結は照れる様子もなく言った。


「してもいいけどその前にお風呂入ろう?」


でも、今じゃ私も余裕があるのだ。すぐに盛ってしまっていたあの頃とは違う。それでも結は私を誘ってきた。


「じゃあ泉も来て?洗いながらお風呂でしよう?声気を付けるから」


「出てからでもいいじゃん」


「すぐにしたいの。一年も会えなかったんだからもう我慢したくないし。早く」


「分かったよ」


急かす結に連れられて洗面所に行くと一緒に服を脱いだ。大胆な事を言う結は年を重ねる毎に恥ずかしげもなく私を誘うけどさすがに裸になると昔のようにちょっぴり恥ずかしがる。風呂に先に入った結はシャワーを出しながら私を見つめてきた。


「泉……興奮する?」


後から入った私は耳を赤くする結の腰に腕を回す。興奮なんか結にしかした事がない。結は昔から変わらなく可愛くて綺麗だ。


「するよ。結にしかしない」


結は嬉しそうに笑うと私の首に腕を回した。


「もう高校を卒業して十年経つのに本当にまだしてくれる?私もうすぐ三十だよ?」


「そんな事言ったら私もだよ。だいたい私の中ではずっと結は可愛くて綺麗で大好きな存在なの」


時の流れは早くて色々あったけれど、全く変わらない気持ちがある。年なんて関係ないのだ。


「泉のそういうところ……前からずっと好き」


私を愛しそうに見つめてくれる結の気持ちも全く変わらない。私は笑って顔を近づけて昔から変わらない愛を伝えた。




「結大好きだよ。愛してる」


「私も好き。……愛してる」


さっき大胆に誘ってきたのに照れている結にキスをした。久しぶりに会えた私達は昔のように触れあいながらお互いを求めた。




お風呂でするのは声が響くのと久しぶりにするのとでいつもより興奮した。それでも優しく結を愛した。自分の盛ってしまう心を制御できるようになった私は最後まで結を気遣った。


久しぶりに会えて幸せな時間を過ごせた私達はお風呂から上がるとすぐに寝てしまったが起きたら結がいなかった。

時計を見ると十一過ぎだ。随分寝てしまったようだ。私は寝室を出てリビングに向かうとそこにも結がいなかった。


ここにいないとなるとピアノか。少しピアノの音も聴こえる。そう思いながら私は結の部屋のドアを開けた。案の定そこにはピアノを弾いている結がいた。


「おはよう。やっと起きたの?」


私に気づいた結はピアノから手を離してこちらを見る。この様子だと結は早くから目覚めていたようだ。


「おはよう、寝過ぎちゃった」


「本当に。それより頭ボサボサ。ちょっとこっち来て?」


「うん」


結は座っていた椅子に私が座れるように端に寄ってくれたので隣に座った。結の変わらない良い匂いがする。結は私の寝癖を直してくれた。


「ありがとう結」


「別に。それよりあんたがずっと寝てるからもうお昼なんだけど」


「ああ、ごめん。じゃあどっか出掛けようか?スフレもあるし」


ちょっと口をとがらせて言うから立ち上がろうとしたのに結は手を握って止めてきた。


「ちょっとピアノしてから行こう?もう忘れちゃった?」


「ん?大丈夫だよ」


一緒に弾きたかったのか、すぐに汲み取った私はピアノ鍵盤に指を置いた。結の部屋にずっとピアノは置いてあるからたまに練習するので覚えている。私はピアノの才能がないから結のように上手く弾けないままだけどこれだけはできる。私は出だしの同じリズムだけを弾いた。


「結がいない時練習してたから覚えてるよ。これしかできないけど」


結が帰ってきた時はよく二人で弾いている。結は二人で弾く時は本当に嬉しそうに笑ってくれる。結は私のリズムに合わせてピアノを弾きだした。結の大好きな曲を。


「下手くそだから私が合わせてあげる」


笑う結は昔から優しいのにやっぱり素直じゃない時があるが憎めない。

私の拙い簡単なピアノのリズムに乗せてピアノを弾く結は嬉しそうな表情をしていた。あれから一回も公の場で演奏している結を見た事がないけど結は昔から優美にピアノを弾く。その演奏にはいつも心を掴まれていた。


結のピアノは人を魅了する。

一瞬私に目配せした結にときめく私は幸せ者だ。

私のために本当にピアニストになって文句や弱音をはかずにピアノだけを真剣にやっている結はいつも私を考えてくれていた。自分だって忙しいのに私の心配ばかりする結は本当に逞しくて立派で、医者になった今では結のようになりたいと思っている。


他人への優しさや思いやりは本当に大事な事だ。大人になった今ではそれを更に実感する。


「結凄いよ」


私はピアノを弾き終わった愛しい結を誉めながら抱き寄せた。私達の関係は公にはできないしずっと秘密にしてきたけど、この愛は冷める事がない。祝福されなくても結がいればどうでもいい。


「私はピアニストなんだから当たり前でしょ」


私に凭れる結は手を握りながら呟いた。


「有名なピアニストと共演できる私は幸せ者だね」


私のために今も頑張っている結の手を優しく握り返す。結の愛は本当に深くて私を幸せにしてくれる。


「ほとんど私が弾いてたんだけど?」


「そうだけど楽しかったから良いじゃん」


「ふっ、まぁね」


私にすり寄る結は嬉しそうに呟いてくれた。


「泉と会ってからピアノがずっと楽しく弾けてる。嫌な時もあるけど泉と同じくらいピアノは好き」


さっきはつれない返事をしたのに思わず笑顔になってしまった。ピアノは私にも大事なものだ。ピアノは私と結を繋げてくれた。


「私も。結と共通するピアノは好きだよ」


「……あっそう」


こういうところも変わらないから愛しく感じてしまう。私は結に気持ちを伝えた。沸き上がる愛しい気持ちを。


「結、好きだよ」


「知ってる」


それなら茶化すように私は言えなかった懐かしい台詞を言った。


「じゃあ結が私の運命の人なのは?」


「……ふふ、バカ。生意気」


私は笑う結の顔を覗き込むと優しく何度かキスをした。少し恥ずかしがっている姿は私の気持ちを高まらせる。


「今日昼過ぎからでもいい?出掛けるの」


「したいの?」


「…うん」


すぐに見透かされた私は正直に頷いた。結には全く隠せない。でも結は笑うと私の首に抱きついてくる。


「目がやらしすぎ。したいなら早くベッドまで運んで?あんたとピアノ弾いたら疲れたから歩けない」


「なにそれ?しょうがないなぁ」


私は結を抱っこして寝室に向かった。結が我が儘を言うようになって嬉しく感じる私は重症だ。



結とはお互いに離れた生活を強いられているがこれは一生続く。もう十年も経てば慣れたものだが、どうしても寂しく感じると高校時代の事を鮮明に思い出してしまう。

あの頃は一番結といれた。今も結の隣にいられるけれどあの時結を好きになって告白して良かったと染々思う。




私も結と一緒なんだ。前に結が言ってくれた。私をこんなに好きでいてくれて、好きにさせてくれる人は結だけだ。


結とはまだ色々話足りないけれど今は愛しあいたい。愛しあう方が先だ。

私はベッドに横になった結の顔を優しく撫でた。


「……なんか、昨日は優しくできたけど今日は無理かも」


好きな気持ちが溢れてしまって結への欲求が高まる。結は少し呆れたように笑う。





「したいだけしたら?満足するまでしてあげる。今日は特別だからね」




なんだかんだ優しい結にキスをして私達は昔と変わらない愛を確かめあった。


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