揺らめき、六つ。

 





「よう、坊主。今日もお疲れさん」




 数日後、講習を終えたわたしに刑事さんは片手を上げて近付いて来た。


 講習とはマイルズ=オアの時のアレである。


 一度は終わったはずなのに、聞きたいという者が後を絶たなかったために仕方なく第二巡目の講習会を行わざるを得なかったのだ。内容は一巡目と同じなので悩む必要はないものの、同じことを繰り返し説明するのは面倒臭い。


 世の教師がどれほど素晴らしく忍耐強いのか実感した。




「刑事さんは確か講習を受け終わっていたはずでは?」




 これ以上人数を増やすのも、三巡目もりだ。


 そう思って警戒したせいかわたしの声はやや刺々しいものだった。




「講習関連じゃないからそうおっかねえ顔するなよ」




 意味もなく両手を上げて降参ポーズをとる刑事さんは苦笑を零す。


 そうして上げた手の片方でついて来いと背後を示されたので、頷き、振り返って歩き出す大柄な背を追い駆けた。相変わらず皺の寄った服は背中が特に酷い。上着を脱がずにソファーかどこかで仕事が忙しいと仮眠しているのかもしれない。


 取調室などがある警察署の奥へ移動し、人気のない廊下のソファーに刑事さんが腰を下ろす。


 それに倣い、わたしもやや間を開けて隣に腰掛けた。




「それで、御用件は何でしょう?」




 正面の壁の掲示板には色々な内容の紙が貼り付けてあった。


 尋ね人や新聞だけでなく、最近起きている犯罪について、署内の注意事項、署内の部署移動の内示など統一性のないものばかりのそこへ目を向けたまま問う。


 刑事さんもわたし同様に掲示板へ顔を向けた状態で口を開く。




「用ってほどじゃあねえが、この間の、ベイジル=ガネルの件について話しておこうと思ってな」




 いつもよりどことなく沈んだ声音にピンときた。




「自殺ですか」


「ああ、よく分かったな?」


「前回のお話でベイジル=ガネルの性格は何となく掴めておりましたので、弟さんがどうなったか知れば自責の念に駆られて自殺するか、心を壊して廃人となってしまうかという予想は元よりついていました」


「まあ、俺もそうなるかもしれないとは思ってたが、実際に起こるとなかなかにクるもんがある。一応自殺しないよう見張りをつけたり身体検査もしたりはしていたんだがなあ」




 深く深く、肺の中身を全て吐き出すような溜め息が横から聞こえた。


 それは僅かだけれど震えていて、大きな背中も力なく下がっている。


 


「心中お察しします」




 気を配っていたのにそうなっては刑事さんも色々とつらいところだ。


 その自殺方法は何であったか聞いても良いのか考える。


 しかし、触れられたくない話題ならば向こうから切り出しはしないだろう。




「最期はどのような終わり方でしたか?」




 チラと刑事さんを見遣れば俯き、両膝に肘を預けて手で額を覆う。




「首を吊ってるのが朝発見された。留置所の窓についた格子に自分のシャツを裂いて作ったロープで。……窓って言っても高さはそんなにない。ベイジル=ガネルでも足の届く場所にあったんだぜ?」

 



 だからそこで首を吊るはずがないと考えていたんだな。


 わたしは現代でよく見たドラマを思い出す。




「人は、本気でやろうと思えばドアノブやベッド程度の高さでも死ぬことが出来ます」


「あんなモンで?」


「ロープの一方を家具に、首に巻いたらもう片方を自身の足に括り付け、意識がなくなるまで全力で足を突っ張らせてロープを絞めれば窒息死するそうですよ。死ぬ恐怖と苦しむ時間を耐えられなければ到底行えませんが」


「……とんでもねえ死に方だな」




 苦い顔をした刑事さんがこちらへ顔を向けた。


 わたしも同意見だ。余程追い込まれていない限り、そのような方法はない。


「だがな……」と刑事さんは続ける。




「壁に血文字があったんだよ。『これで復讐は果たされる』って。自分の指を噛んで書いた文字だった」




 その場面を想像してみた。


 義理の両親を殺したものの、その罪には情状酌量の余地がある十四歳の少年が冷たい留置所の真夜中に一人、壁に血文字を書き、シャツを裂いてロープを作り、首を吊る。


 先にロープを作ったかもしれないが、粛々と死ぬ準備をする姿を。


 ベイジル=ガネルは行動力のある人間だったのだろう。


 それがどの方面でもそうだった、というだけの話なのかもしれない。




「きっと父親の死の真実や、弟さんの状況に気付けなかった自分が許せなかったのでしょうね」


「…………まだ十四だ。何も死ぬことはないだろう……?」




 そう呟かれた言葉に首を振る。




「彼にとってはそうではなかった。どうしても許せないことだった。つらい現実で生きるよりも、家族の待つ死後の国へ旅立つことの方が救いであったのかもしれません」




 少なくとも、死んでしまえばもう苦しみや悲しみからは解放される。


 どちらにせよ、本人はもうこの世にはいないので真意は分からないが。




「それが彼の選んだ道です。……刑事さんは何も悪くありませんよ」




 死を選んだのは他でもないベイジル=ガネル自身なのだから。


 ふと立ち上がりかけて別のことを思い出した。




「そういえば、先日マイルズ=オアが処刑されたのは御存じですか?」


「ん? ……ああ、知ってるぞ。というか刑務所から処刑台まで同行したのは俺の部下だしな」




 へえ、そうなんだ。仕事内容が結構幅広いな。


 同行してた警官達の顔までは覚えていないけれど、事件捜査や現場などで顔を合わせたこともある人もいたのかもしれないと考えると世間は案外狭いものだ。




「で? それがどうかしたのか?」




 首を傾げて見下ろしてくる刑事さんにわたしも小首を傾げた。




「大したことではございませんがマイルズ=オアを刺した女性がその後どうなったのか気になりまして。死刑囚でも襲ったとなれば何かしら罪に問われるのではと」




 現代では死刑囚であろうとも人を傷付ければ罪に問われる。


 あれだけ大勢の前で刺し殺そうとしたので言い逃れも出来ない。


 だが刑事さんは首を振って否定した。




「いや、死刑囚を刑務所から処刑台まで歩かせる間のことは基本的に不問なんだ。昔から被害者の遺族や関係者が道の途中で石を投げることが多くてよ、他にも色々似たようなことがあって、今回のはやりすぎだが刑が執行された以上は問題ない。これが刺し傷が原因で死ぬと法の裁きを邪魔したってことで逮捕しなきゃならん」


「ああ、だから処刑人は刺された後に急いで処刑台に向かったのですね」


「そういうこった。例え一分一秒でも先に刑が執行されて死ねばいいってわけだ。報告じゃあ、気分が落ち着いたのを見計らって厳重注意だけして帰した……んけどよぉ……」


「その口振り、あまり良い結果にはならなかった?」


「その日のうちに同じナイフで首を掻き切って死んだ。同じ貧民街に住むランタン持ちファロティエが開きっ放しの扉を覗いたら見付けちまったそうだ」




 あの時の女性を思い出す。


 マイルズ=オアが殺した人々の中に娘がいたのだ。


 貧困層だろう。着古し過ぎて擦り切れ、よれて、ボロボロになった服に使い古したナイフ。多分、新しいものを買う余裕もないくらい日々の生活に困窮している。


 この世界では肉は比較的高価な食べ物で、野菜や果物の方が安価で手に入りやすく、普通の労働階級の人々ですら日に一度か二度、安価な干し肉をそのまま食べたりスープに入れたりして食べるのがせいぜいだ。


 それよりも更に金銭的に苦しい家は肉どころか黒パンすら食べられないこともある。


 そういった人々はポリッジやグリュエル――ライ麦や大麦を混ぜたものを水で煮たオートミールのことだ――を食べる。オートミールと言っても水で嵩増しした上に味付けもない。それか野菜の欠片が僅かに浮かんだ味付けのないスープ。貧民街では毎日食べることすら困難な人々も多い。


 肉を分けるという誘い文句に娘がついて行ったのも簡単に予想がつく。


 あの女性は娘の仇を刺し、その死を見届けた後に自分も死んだ。


 もしも母と子の二人だけの暮らしであったならば孤独に耐えられず、恨む相手も死に、生きていくことに意義を見出せなくなって自殺したという可能性も考えられる。




「マイルズ=オアのこと、気にしてんのか?」


「……自業自得なのは理解しています」




 彼は己の所業が跳ね返って来ただけだ。


 行動に移したのが偶然あの女性だっただけで、同じ気持ちの遺族は他にも大勢いるはずだ。


 それなのに心のどこかでマイルズ=オアを哀れに感じてしまうのはいささか偽善的過ぎるか。


 今度はわたしが小さく息を吐いたせいか刑事さんが肩を竦めた。




「お互い難儀なモンだ」




 大きく頷き返す。


 罪人にほだされたり情を感じたりするのは厄介極まりない。




「でも、誰かを悼むことも、その気持ちを持つのも自由だろ」




 たまには良いことを言うじゃあないか。


 丸まった大きな背を同意代わりに一発叩いてやると非常に良い音が響く。


 刑事さんが「いってえ……」とぼやいたが、いつもやられるお返しだ。


 立ち上がり、伸びた背の、幅の広い肩を今度は軽く叩いてやる。




「刑事さんのそういうところは好感が持てますよ」




 だが刑事さんは顔を顰めて嫌そうな表情を見せた。




「やめてくれ、旦那に聞かれたら勘違いされる」




 ああ、この人も鋭い人だ。喉の奥で笑いが漏れる。




「おや、いつからご存じで?」


「これでも付き合いは長いからな。旦那の気持ちはずっと気付いていたさ。後は相手次第だとは思っていたが、まあ、随分と時間がかかったみてえだけどよ」


「ははは、旦那様いわく『性質たちが悪い』そうなので仕方がありません」




 悪びれもなく笑ったわたしに刑事さんは「本当にな」と頷いた。


 わたしはカラカラと笑ったまま、挨拶代わりに片手を上げて歩き出す。


 人気のない廊下を抜け、受付などのあるホールを通り、外へ向かう。


 思いの外に待たせてしまった辻馬車の御者に多めにチップを渡し、小さなそれに乗って、流れる景色を眺めながら自然と頬が緩む。


 ベイジル=ガネルの件は予想した通りとなり残念だったが、心は穏やかだ。


 犯罪者であってもその死を悼む者はどこかにいる。


 それは家族であったり、友人であったり、偶然その傷に触れた赤の他人であるかもしれない。


 その事実がわたしはただただ嬉しかったのだ。






* * * * *






 いつもの如く辻馬車を使って屋敷へ帰る。


 上着と帽子を自室に置いて、身なりを整えてから本館に移動し、歩き慣れた廊下を通って伯爵の下へ報告を行うために向かう。


 ベイジル=ガネルも、あの女性も、そして伯爵も復讐に燃えていた。


 三人とも復讐を果たしたが、伯爵は二人とは違い死ぬことはなかった。


 ……いや、責任感の強い伯爵のことだから家を絶えさせるようなことは出来なかったのかも。愛する家族の下へ逝くことを望むことも許されず、遺された爵位と義務を受け継ぐのはどんな気持ちだっただろうか。


 伯爵の寝室の扉を叩けばアルフさんが出る。




「遣いが終わりましたので御報告に参りました」




 わたしの言葉にアルフさんが頷いて道を開ける。


 目礼して入ると、アルフさんが書斎へ続く扉をノックする。


 中からの返事にわたしが来たことを伝えれば入室の許可が下りた。


 アルフさんが扉を開けてくれたので書斎に入ると背後で扉が閉められる。


 紙とインクの匂いのするそこには、木製の大きく重厚な机を挟んだ向こうに伯爵が座っており、わたしが入室しても構わずに書類へ目線を落としている。


 外より差し込む明かりだけでは足りず、机の上に置かれたランタンの光をブルーグレーの瞳が文字を追う度にチラチラと反射させた。暖色の光を受けても尚、その瞳は鋭く冷え切って見えた。


 一通り読み終えたのか顔を上げた伯爵がわたしを見遣る。


 視線が絡み合った瞬間にブルーグレーの鋭さが和らいだ。


 つい先ほどまで無機質にすら見えた瞳に、確かな温もりが灯る。




「問題はなかったか?」




 瞳と同じく、常よりも柔らかな声が耳朶をくすぐる。




「はい、ございませんでした」


「そうか、御苦労」




 早く終わらせてしまいたいのか、気になるのか、また書類へ目を向ける。


 わたしは今までと同様に伯爵の様子が見られる定位置へつく。


 伯爵は憎しみが消えないと言った。恨む相手が消えても憎悪は残り、行き場のない怒りや悲しみはわたしには想像も出来ないほどの苦悩だろう。冷淡と評されてしまうのは感情を抑え込んでいるが故か。


 それでも近しい使用人やわたしを見る時にはその瞳は穏やかな光を映す。


 憎しみを持っていてもいい。怒り、悲しむのは当然だ。


 責任感からでも義務感からでもいい。


 伯爵が死を選ばず、こうして生きていてくれたことが嬉しい。


 血腥ちなまぐさい仕事だと、罪人と言えど人を死に追いやる仕事だと、己の仕事を否定的に口にする時もあるがわたしはそうは思わない。


 伯爵が犯罪者を捕まえるお蔭でそれ以上の痛ましい事件が起こらずに済む。


 人々が安心して生活出来る。女王陛下のお心にも沿うことが出来る。


 犯人が判明し、逮捕されれば遺族の感情も少なからず報われる。


 生まれた瞬間から死は誰にでも訪れる平等なものだ。


 そしてそれはいつでもわたし達のすぐ傍にある。


 あなたがいなければ、わたしもここにはいなかっただろう。


 こんなに誰かを好きになり、助けたいと思うこともなかっただろう。


 伯爵のために出来ることは少ないけれど、わたしがいることで僅かながらでも憎しみが和らぐのならばいくらでも傍にいる。離れろと言われたって絶対に聞くものか。


 憎しみの炎もあなたの一部なのだから、それすらも愛したいんだ。


 真剣な横顔を見ながらあることをわたしは考え続けていた。













# The tenth case:Hell's vengeance boils in my heart.―復讐の炎は地獄のように我が心に燃え― Fin.

 

* * * * *


・題名について


# The tenth case:Hell's vengeance boils in my heart.―復讐の炎は地獄のように我が心に燃え―


今回は復讐を題材に伯爵の暗い側面も書かせていただきました。

大切な人を失った憎しみや悲しみは例え復讐したとしても消えないもの。

その苦しみを感じながら生きるのは地獄のようなもの。

それでもそこで死を選ぶか、生を選ぶかは本人次第であり、ベイジル=ガネルと女性――ラモーナ=ミアーと名前はあります――には最後まで憎しみを和らげる存在がなかったけれど、義務と両親の遺した家を守るためだけに生きていたクロードにとっては瀬那がその存在になった。

毎日傍らにいて、触れ合う度に少しだけ憎しみに燃える心に安らぎを得る。

消えはしなくともクロードにはとても大きなことだと思います。

クロードも瀬那も互いの存在が必要なのだと実感するお話になれていれば幸いです。

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