言、十五。

 

* * * * *






 一週間後、わたしはセラフィーナとして王城へ向かった。


 今日はジンデル卿の裁判が行われる日である。


 貴族の裁判は王城で行われ、基本的に判決を下すのは王だという。


 他の貴族達もこぞって見に来るので裁判は広さのある謁見の間で行われる。


 馬車で到着したわたし達が謁見の間に入ると既に大勢の貴族が来ており、多くの視線に晒されたが、伯爵にとっては常のことらしく全く動揺した様子が見受けられなかった。


 主人である伯爵が堂々としているのにわたしがオロオロしていては恥ずかしい。異国の貴族の娘という設定を考えれば何事もなかったかの如く振舞っておいたが良い。内心ではかなり焦ったが。


 伯爵の後を追って行くと謁見の間の最前列、つまり玉座に近い位置まで来て立ち止まった。


 背中からチクチク突き刺さる視線に胃が痛くなりそうだ。


 他の貴族からしてみれば、見覚えのない、明らかに異国出身の使用人が自身よりも高位の位置にいるのだ。良い気はしないし、こいつは誰だと思うだろう。ジンデル卿の夜会でセラフィーナを見かけた人でも「何故此処に?」と疑問になるはずだ。


 伯爵の側で楚々として待つ。


 周りの貴族は声量を落としてそれぞれ会話をしているが、全員がそのようにしていれば自然と謁見の間にもそれなりの騒がしさに包まれる。


 伯爵に話しかける者はいないが、却ってそれがありがたい。


 下手に話しかけられてわたしのことを根掘り葉掘り聞かれるのも面倒臭いのだ。


 待ち始めて三十分ほどだろうか、開廷の刻限になると非常によく響く男性の声で女王陛下の入場が告げられた。同時にその場にいた者は全てが礼を取る。


 わたしもカーテシーの状態で待機する。


 シンと静まり返った謁見の間に女王陛下が動く微かな衣擦れの音と護衛の足音だけが響く。


 やがて椅子に腰掛ける音がし、柔らかくも艶のある女性の声で「面を上げなさい」と声がする。


 そこでやっと顔を上げれば玉座に座する女王陛下が見えた。


 その斜め後ろにはリーニアス殿下が控えている。




「これよりハワート・リアム=ティンバーレイク、現ジンデル伯爵家当主の裁判を開廷する」




「罪人を此処へ」とリーニアス殿下のやや張り上げた声に、兵士に左右をがっちり掴まれたジンデル卿が別の扉から入室する。服装は夜会の時とは違い質素なものになっており、色も黒だ。少しやつれた風貌ではあったが足取りはしっかりとしているので逮捕後もそう悪い待遇でもなかったのだろう。


 玉座の前には罪人を立たせておくための狭い柵が設けられており、ジンデル卿はそこへ入れられた。


 兵士はその斜め後ろに控え、もし罪人が何か良からぬことをしようとすれば即座に捕まえるか切り捨てるか出来る位置にいる。まあ、柵は腰より高いので太ったジンデル卿が乗り越えるのは無理だろうが。




「ハワート・リアム=ティンバーレイク、貴殿はこの裁判に際して真実のみを述べると誓えるか?」


「はい、主と女王陛下と我が名に懸け、真実を述べると誓います」




 殿下の問いかけにジンデル卿が恭しく礼を取る。


 形式的なそれが済むと女王陛下が頷き、殿下が貴族達を見渡す。



「此処にいる皆の中にも聞き覚えのある者がいるだろう。我が国で数年前より『幸福フェリチタ』という名の薬物が出回っている。これは『心を穏やかにする』『不安を取り除く』と言って香や葉巻など、様々なものに混じって使用されていたが、我が国の法に触れる薬物である」




 聞き覚えのある者や使っている者だろうか、貴族達が微かにざわめいた。




「確かにこの薬物は恐怖心を和らげ、気分を高揚させる効果を有する。しかし摂取し続ければ次第に量が増え、やめられなくなり、幻覚や幻聴を見聞きするようになる。一度依存してしまえばやめられなくなる恐ろしい薬物だ」




 殿下が手で示すと王宮専属医らしき人々が現れて『幸福フェリチタ』の効能とその副作用、依存症状について説明がされていく。原料の粉やそれが混ざった香や葉巻なども提示され、離脱症状――禁断症状とも呼ばれる、薬物などの依存物質を中止や減量した時に現れる精神・身体的症状のことだ――にどれほど苦しむかをあまりにも生々しく語ったため、気分を悪くした女性が何人か退室したようだ。


 ふと視線を動かせばそう離れていない場所にウィットフォード夫妻がおり、夫人のユミエラ様は顔を青くしていた。自分が同じ症状を持っている恐れと、そのような薬物を友人や知人に広めていたことへの罪悪感がその顔にありありと浮かぶ。


 ウィットフォード侯爵が夫人を支えているものの今にも倒れてしまいそうなほど顔色が悪い。


 周囲を観察してみれば顔色の悪い者が大勢いる。


 『幸福フェリチタ』が如何いかに貴族達へ浸透していたかがよく分かる。




「この恐ろしい薬物を製造、販売していたのが此処にいるジンデル伯爵である。屋敷からは薬物を売買していた顧客の名簿、製造に関する書類、違法な店との取引の証拠たる契約書、そして大量の薬物自体も発見されているが、何か申し開きはあるか?」




 王族としてだからかリーニアス殿下の淡々とした声は冷たく、どこか伯爵に似ている。


 その威圧感のある、けれども酷く静かな声にジンデル卿が口を開いた。




「とんでもございません、わたくしはそのような恐ろしいことに加担をした覚えは全くございません」




 堂々と反論するジンデル卿にリーニアス殿下が「ほう?」と片眉を器用に上げた。


 その仕草も伯爵と似ていて、場の状況に似つかわしくないと分かっていても、ああやはりこの二人は従兄弟なのだと笑み零れそうになるのを何とか抑え込む。




「では貴殿の屋敷から見つかった証拠ものは何だと言うのだ?」


「あれは全て預かっていたものなのです。我が領地と取引のある商会や店の者から『香や葉巻に入れる高価なものなので盗まれると大変な損失になるから、どうか保管して欲しい』と頼まれたもので、書類も領地の運営を任せている者から送られて来たもので……。お恥ずかしながら領地のことは殆どあちらの者に任せており、届いた書類は全てそのまま仕舞うか必要だと言われたものにサインをして送り返していたのです」


「つまり、貴殿は預かった品がどのようなものかも知らず、領地から送られてきた書類も一切確認せずに処理していたと申すか」




 預かっていたものが屋敷にあっただけ、証拠書類も領地から送られてきたものも任せた者を信用して全てやらせていたので自分は関与していないと言いたいわけだ。


 思わず斜め前にいる伯爵の袖にそっと触れて、僅かに振り向いた伯爵へ問う。




「クロード様、領地の運営を任せきりにするというのはよくあることなのでしょうか?」




 わたしの質問に伯爵が小さく頷き返す。




「ああ、領地を持つ貴族の中でも王都に住んでいる者などは領地の屋敷にいる者に任せることが多い。そして主人は遠く離れた王都にいるため、任された者が領地で好き勝手してしまうこともある。税を引き上げて差額をくすねたり屋敷の備品を少しずつ売り払ったり、内容は様々だがな」




 ということは、ジンデル卿は自分の領地の運営を任せている者に罪をなすりつけようとしているのか。


 領地の運営を下の者に任せきりの貴族が多いならば、この言い訳も苦しいが無理な内容ではなく、一応それなりに筋が通っていることになる。


 


「……はい、己の領地を疎かにしたことはどのような罰も受ける所存でございます。しかしながら、預かっていた品に関してはただ香や葉巻に入れるものと聞いていただけで、人々を陥れる恐ろしい薬物だなどとは露ほどにも思っておりませんでした」




 そして領地の運営に関しての罰を受け入れるという誠実な姿勢も見せる、か。


 全ての罪を否定しない辺りがまた何とも小賢しい。


 全否定すれば怪しまれるだろうが、軽い方の罪をあえて認めることで印象を操作しようとしているのかもしれない。罪を認めない人間よりも、罪を認めて自ら罰を受ける人間の方が好印象になる。




「一週間前の件はどう説明する? 貴殿がとある女性に『幸福フェリチタ』を売った場に、私も居たのだが?」





 お、そこであの一件を引き合いに出すか。


 ちょっと面白くなってきた。




「確かに私は香を売りました。少々欲しい物がございまして金銭が足りなかったもので、高価な品だという香を売れば幾何かの金が手に入ると思い……」


「ふむ、薬物が混じっているものとは知らなかったと? 自身が売ったという事実を誤魔化そうとしたのは薬物のことを理解していたからではないのか?」





 そうそう、あの場で言い逃れしようとしてたよね。


 ざわめく貴族達の声が僅かに小さくなり、話に耳を傾けているのが分かる。


 だがジンデル卿は首を振ってそれを否定した。




「いいえ! いいえ、そのようなことは決してありません! 殿下がお出ましになり、他人から預かったものを勝手に売り払おうとしていた責を問われるのではと恐れ、つい、あのような虚偽の言葉を口にしてしまったのです。……貴族の、伯爵家ともあろう者が他人のものを勝手に売り払っていたなど、恥以外の何ものでもございません……」





 ほう、これはまた上手く言い逃れようとしてるな。


 虚偽の申告を認め、しかしそれを行った理由は違うと言う。


 確かにあの場でジンデル卿は薬物に関与したとは口にしていないし、薬物の売買を認める類の発言もしておらず、その後も自供しなかったとすれば筋は通るだろう。


 これまで黙っていたのは恥を隠したかったと言い訳が立つ。


 香を売っていたのも高価な品だから売って金が手に入ったのでついつい続けてしまっただけで、中身に薬物が混じっていたら売らなかったと言うつもりだな。


 リーニアス殿下が手を二度ほど叩く。




「それが事実かどうか証人を」




 その言葉にジンデル卿が「証人……?」と訝しげに呟く声が聞こえた。


 最前列でもギリギリ聞こえる程度の小さなものだったので、恐らく他にいる貴族達には聞こえなかっただろう。その声はどことなく警戒しているような響きがある。


 手の叩く音に反応してジンデル卿が入って来た扉から、今度は数人の人々が、兵士に連れられてやって来る。その様子は酷く緊張して落ち着かない風だった。


 他の兵士によって更に組み立てられた柵に一人ずつ収容された。


 一人はやや質の良い服を着た初老の男性でジンデル卿よりやや年嵩に見える。


 一人は使用人らしく、色のくすんだお仕着せに身を包んだ女性だ。


 一人は質の良い服に身を包んだ、随分と腹の出っ張った男性。


 一人はボロボロの擦り切れた服を着た、恐らく平民だろう年嵩の女性。


 計四人がそれぞれ柵の中におり、それぞれ反応の差はあれど一様に怯えている。


 大勢の貴族と女王陛下の前に引っ張り出されて堂々とはしていられまい。


 その中の男性陣を見たジンデル卿の瞳が僅かに揺らぐ。どうやら知った顔らしい。すぐに視線を伏せたため感情は読み取れないが、そういった行動は触れられたくないことがある時に人間が無意識にする拒絶の仕草だ。


 四人の顔をしっかりと見て、それから殿下はジンデル卿へ目を向ける。




「この者達は貴殿と関わりがある。だが、まずは宣誓を」




 殿下に促されて男性陣が宣誓を行い、それを聞いた女性陣が見様見真似といった様子で宣誓する。


 最初に声をかけられたのは初老の男性だった。


 どうやら男性はジンデル卿の領地にある屋敷カントリー・ハウスの家令であり、領地の運営を任された人物でもあるようだ。少し気は弱そうだが誠実そうに見える。しかしこの中では一番落ち着いており、肩を落としていた。




其方そなたはジンデル卿の領地を任されていたそうだな。卿が申すには『違法な薬物を栽培し、製造したのは全て領地を任せている者が勝手に行った』ということであるが、それは事実で相違ないか?」




 男性がチラとジンデル卿を視線だけで窺う。


 それに気付いた女王陛下が「この証言によって其方は相応の責を負うでしょう。しかし卿に不利な証言を口にしても、其方の親類縁者が害されぬよう最大限の配慮をするとわたくしが保障します」と優しい声で言う。


 その言葉に背を押されたのか、安堵したのか、男性は口を開いた。




「……いいえ、違います。私は旦那様に従っただけです」




 ジンデル卿の眉間に皺が寄り、男性を睨み付ける。




「何だと? 貴様、使用人の分際で好き勝手しただけには飽き足らず、その罪を主人である私に着せようというのか?」


「ジンデル卿、今は貴殿が発言する時ではない。口を閉じよ」


「……申し訳ございません」




 高圧的な口調で責めかけたジンデル卿を殿下が抑え込む。


 男性は己の主人と殿下とを見比べ、殿下に頷き返されたことで話を続けた。




「『幸福フェリチタ』と呼ばれる薬の原料を見付けたのは、薬師である私の息子でした。治らぬ病に苦しむ母親がせめて最期の時だけでも心安らかにいられるようにと薬にしたのです。その話を聞きつけた旦那様が『これを売れば同じように病に苦しむ人々を助けられる』とおっしゃり、私と息子は薬について全て申し上げました」


「最初は病に苦しむ者のために薬の販売を始めたと?」


「はい、少なくとも私共はそのように考えておりました」




 毒と薬は使い様。どちらも良くも悪くも使い方次第だ。


 ジンデル卿ももしかしたら当初は新しい薬を見付けた、くらいにしか思っていなかったのかもしれない。それを買った末期患者は苦痛から逃れて家族との最期を穏やかに迎えられるだろう。



 

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