雫、八滴。

 



 この上からマントを羽織ればホルスターも目立たないだろう。


 ホルスターに収められた銃は日頃持ち歩いているものより一回り大きく、威力も高そうだ。持ち手は恐らく木製で丸みを帯びたフォルムをしてる。銃身はグリップよりも長いのかホルスターがわたしの知る拳銃よりも長い。


 代わりに普段使いの銃は控えていたアランさんが恭しく受け取る。


 どうやら今回はこちらの強そうな銃を携帯するらしい。


 アランさんとアンディさんがそれぞれ部屋を後にする。


 残ったのは伯爵とアルフさんとわたしで、伯爵は書斎へ向かった。


 その背を追い越して書斎の扉を開けて伯爵を通し、わたしも入って扉を閉めた。




「……何も聞かないのだな」




 椅子に腰掛けた伯爵がわたしへ言う。




「それは何についてでしょうか?」


「色々だ。威力の高い拳銃を持っていくこと、狩猟用の衣裳を出したこと――……」




 そこで言葉を濁した伯爵は目を伏せ、眉を顰めた。


 もしかしたら心の中では何かしら葛藤があるのかもしれない。




「わたしは、シスター・ヘレンが看守達を殺して脱獄した時点でそうなるだろうと思っておりました。彼女は罪を更に重ねています。これ以上の被害者が出る前に捕縛するか、それが難しい場合は射殺も止むを得ないと理解しています」


「そうか……」


「犯罪者には容赦する気は毛頭ございませんよ。人を殺して逃げた人間が殺される。己の行いが返っただけの話です。そもそも、わたしはあの時に思い切り彼女の頬をぶん殴っていますので」


「そういえばそうだったな」




 フッと苦笑を零した伯爵から肩の力が抜けるのが分かった。


 この人はこんな仕事をするには少しばかり繊細過ぎると何時も思う。


 清濁併せ呑むためにも自分の中で折り合いを付けているんだろうな。




「警察署には何時頃お戻りになるおつもりで?」


「アンディの準備が済み次第だ。お前の方は支度は出来ているか?」


「ええ、後は帽子とポンチョだけです。アンディさん、銃がお好きなんですね」


「ああ、昼間のを見たのか」




 昼間のアンディさんを思い出して少し遠くを見てしまう。


 わたしの様子に伯爵が苦笑を僅かに和らげ、仕方のない奴だろうと言いたげに眦を下げた。




アンディあれはああ見えて忠誠心の厚い男でな。主人である私を守れと父親に散々言われて育ったのか、昔から熱心に狩りに出掛けていた。才能もあったんだろう。気付けば私よりも銃の扱いに長けて、マスケットを背負っていたのが拳銃になり、拳銃の種類が増え、そのうち本人の趣味にもなった」




 まるで兄弟の話をするように伯爵が言葉を紡ぐ。


 考えてみれば従僕三兄弟は伯爵ともそれなりに年齢が近い。


 全員年下だが、幼い頃から伯爵家に小姓として仕えていたというし、きっと子供の頃は隠れて一緒に遊んだり悪さをしたりといったヤンチャな時期もあったのかも。そうでなくとも最も近い年頃の子であったことに違いない。


 あの三兄弟も伯爵を主人と敬いながらもどこか親しみを持っている。




「今でも『どうすれば大量の銃を持ち運べるか』試行錯誤してるそうだ」


「じゃあ今日は少ないくらいだったんですね」


「多い時は両脇に背中に腰の後ろに両足にと場所を選ばず付けたがる。お前が腕に防護用の薪や鉄板を巻き付けた時も少しだけアンディあれの昔を思い出した」




 そこで危ないと止めなかったのだろうか?


 この世界というか、この国には銃刀法違反なんてないからいいのだろう。


 わたしは攻撃よりも守りを固める方が多いけれど。小柄だから同じ体格くらいの相手でないと太刀打ち出来ないし、体術もまずは逃げることを優先に護身術を習った。




「まあ、突拍子のない行動に関してはお前の方が上だが」




 リラックスした風に低く笑う伯爵の声が心地好い。




「それに関しては仕方ありません。わたしは生まれも育ちも異なるのですから」


「その潔いところは好感が持てるな」


「お褒めに与り光栄です」




 伯爵がまた小波のような笑う声を零す。


 そして書斎の扉が叩かれた。アンディさんの声がする。


 わたし達は束の間視線を合わせ、伯爵が行けと軽く手を振った。


 扉を開けるとクロークに三角帽姿のアンディさんがおり、わたしは後を任せて一礼して部屋を出た。


 アルフさんのいる書斎を出て、寝室も出る。駆け足に近い速度で自室へ向かった。


 二階の反対側にあるギャラリーまで行き、扉を二つ潜って使用人用サロンを抜け、渡り廊下を通って自室へ急ぐ。扉を開けて机の上に用意してあった帽子とケープを引っ掴む。


 扉を後ろ手に閉めて歩きながら三角帽を被り、ケープを羽織る。


 玄関へ向かうと伯爵も丁度着いたところだった。




「では行ってくる」


「お気を付けて行ってらっしゃいませ」




 綺麗な所作で礼を取るアランさんに伯爵が返事をして歩き出す。


 アンディさんが扉を開け、伯爵とわたしが通り、閉める。


 玄関前には馬車の代わりに鞍を付けた三頭の馬と、馬の世話をしている下男が立っていた。


 頭を下げた下男からアンディさんが手綱を受け取る。先頭のがっしりとした体躯の薄灰色の馬に伯爵が乗り、次の栗毛色の馬にアンディさん、黒い毛並みの馬にわたしが乗る。この黒毛の馬は気難しい性格らしいが、同色の仲間とでも思われてるのかやけに懐かれ、わたし専用の馬となった。


 寒い中でもわたしとの外出を喜ぶ馬の背を優しく撫でる。


 そうして伯爵が馬の脇腹を足で叩いた。それを合図にわたしも背を叩く。


 灰色の馬を先頭に栗毛、黒毛と続いて走り出す。


 まだ全力で走らせてあげることは出来ないけれど、他の馬に合わせて走らせるのは出来る。


 暗くなり、雪を降らせていた雲も何時の間にか消え、月明かりが煌々と照らす街中を警察署に向かって三頭の馬が列になって走る。


 寒さで顔が冷える。マフラーの一つくらい買っておけば良かった。今度の休日には忘れずに買おう。手袋をして多少はマシな片手で顔の下部分を覆うと歯の根が合わないほどの寒さは何とか和らいだ。


 利口な黒毛の馬はわたしが手綱から片手を離していても迷わず他の馬を追い駆ける。


 そして馬車よりもずっと早く警察署へ到着した。


 裏手の厩舎に三頭を預けて中へ入る。積もった雪のお蔭で足元はあまり滑らない。


 何時でも即座に動けるように三人共上着を着たまま本部の置かれた部屋へ向かう。




「邪魔するぞ」




 まるで悪役みたいなぞんざいな言い方でわたしの開けた扉を伯爵が潜る。


 部屋の中央で地図を睨んでいた大柄な体が振り返った。




「何言ってるんです、旦那が邪魔したことなんて一度もないでしょう」




 がはは、と日没後でも構わず刑事さんは快活に笑った。


 仮眠のお蔭で大分体力と気力が戻ったのだろう。


 わたしを見付けて「坊主も来たのか、早く寝ないと背が伸びないぜ」と茶化してくる。


 普段通りの刑事さんだがこれはこれで正直少し鬱陶しい。しかし目の下に隈を作ってフラフラ歩く姿も刑事さんらしくないし、どちらかを選ぶなら、こっちの方がこの人らしい。


 強く背中を叩かれてむせたわたしに伯爵が小さく息を吐く。




「お前の馬鹿力でうちの近侍を叩くな。骨が折れる」




 そういや、伯爵の前で叩かれた回数は少ない。


 刑事さんも気付いたのか、わたしの背から手を離す。




「ああっと、すんませんね、丁度いい位置にあるもんでつい」


「ついで近侍に怪我を負わされては堪ったものではないんだが」




 同意のために頷いておく。


 こっちの世界では元の世界ほど栄養が摂れてない。


 それは食事が少ないとか質素とかいう理由ではなく、食事の栄養バランスという概念がないのだ。だから労働者の使用人が口にする食事はパンやスープ、肉、チーズといったものに偏りがちになる。肉を食べたから野菜ももっと食べましょうとはならない。サラダもあるにはあるが。


 サラダスティックが恋しい時は部屋に買い置きしてあるドライフルーツを食べて誤魔化したり休日にこれでもかと野菜を食べたりして食い溜めみたいなことをしてる。意味があるかどうかは知らない。家政婦長室ハウスキーパーズ・ルームでキャロットケーキを食べることも。


 そのせいか他の使用人達はわたしが野菜好きだと勘違いしてる。


 兎に角、栄養バランスの崩れたままでは何れ体にガタが来るだろう。


 刑事さんの平手打ちを背中に食らって肋骨が折れましたとかシャレにならないのだ。




「わたしのような者のことより、ヘレン=シューリスの動向はどうですか?」




 叩かれた背中の痛みを無視して刑事さんへ問い掛ける。


 刑事さんは「そうそう」と思い出したように伯爵へ振り向く。




「その話をしようと思ってたんですよ。旦那、坊主達もちょいとこっちへ」




 手招かれて地図を覗き込む。


 地図の上には目撃情報などの他に幾つかの小さな駒が置かれていた。


 石に染料を縫ったものが細々と分布されており、それは黄色だったり青だったり、黄色は一つずつ分かれているが青は二つずつに分かれている。その中で一つだけ赤い駒があった。




「黄色はランタン持ち、青は警官、そして赤がヘレン=シューリスだと思ってください。今、最も近い時間で目撃されたのは此処。西スドの東よりの貧民街、そこの雑貨屋で品物を買っていたのが最後ですね」




 エドウィンさんが駒と目撃情報の説明をする。


 なるほど、色分けされた駒を使えば部下達の動きも把握しやすい。




「ヘレン=シューリスはそこで何を購入していたのか分かりますか?」


「……包丁を二本買って行ったそうだ」




 その場にいた誰もが思わず押し黙る。


 それは武器を手にしたということで、逮捕の難易度が上がった訳だ。




「そうですか、あちらもということですね」




 それならこちらも手加減をする必要はない。




「おい、坊主、何でそんな嬉しそうなんだよ? 相手は武器を持ってるんだぞ?」


「だからこそですよ。相手が武器を持って抵抗するならば、こちらもそれ相応の武力で以て対応することが出来ます」


「……お前さん、何時もそういう考え方してるのか?」


「ええ、わりと」




 若干身を引いている刑事さんに愛想笑いで頷き返す。


 何故かエドウィンさんまで半歩引いた。


 伯爵とアンディさんはやれやれと肩を竦めるように立ってわたしを見る。


 この二人はわたしが多少過激な行動を取っても慣れたものである。




「ヘレン=シューリスが刃物を所持している旨を巡回させている部下達に周知させたか?」


「いえ、これを聞いたのは旦那達がいらっしゃる直前だったのでまだですよ」


「ではすぐに周知を徹底させろ。警部又は警部補は発砲許可を、それ以外の者には犯人を見付け次第抜剣して対応するように。危険と判断したならば犯人の生死は問わない。一刻も早い解決が優先だ」


「分かりました」




 伯爵と刑事さんの会話を聞いていたエドウィンさんが数人の警官を呼び、伯爵の言葉を伝え、それを他の巡回中の者達へ広げるために伝令を頼む。


 アンディさんが「俺も巡回に行けたらな」と零したので「旦那様をお守り出来るのはアンディさんだけですよ」と返せば悪い気がしなかったのか「まあ、そうだよな」とニッと口角を引き上げて笑う。


 地図の上をじっくり眺めてメモを読み、羽ペンを借りる。


 別に数枚用意されていた地図に目撃情報のあった場所に印を付けた。


 それから円を幾つか地図上に描き込むともう一度考えた。


 王都の西側に出来た幾つかの円は一見すると不規則に見える。


 伯爵が脇からヒョイと地図を見た。これは以前に伯爵も行っていたものだ。分布した目撃情報を円で囲むことで犯人の行動範囲や居住地が絞りやすくなるのだ。


 でも今回は円が複数で重なっているせいで分かり難い。




「これでは潜伏先が判然としないな」




 顎に手を当てて伯爵が眉を寄せる。


 刑事さんとエドウィンさんも困ったような顔で地図を見る。




「恐らく大丈夫ですよ」


「? どういうことだ」


「もしも皆様が脱獄犯であったとして、どこへ逃げますか?」




 わたしの問いに伯爵と刑事さん、エドウィンさんが小首を傾げた。


 考えているようで暫し沈黙した後に言う。




「最終的には遠方へ逃げる。だが、まずは監獄から離れ、ある程度騒ぎが落ち着くまで身を潜めるか、逆に騒ぎが大きくなる前に逃亡する」


「そうですね、そのどちらかでしょう」


「少なくとも監獄の近くにってことはねえな」




 三人の返答に頷く。



「では身を潜める場合、どのような場所に隠れますか?」


「どこって、そりゃあ自分が知ってるところだな。知り合いのとこに行くかもな」


「私であれば自宅より少し離れつつも家族の様子が見られる場所にします」


「土地勘の分かる場所を選ぶ。あまり慣れない土地で見つかると逃亡し難い。空き家があれば潜伏先には丁度良く、逃亡するために出入口が複数ある場所であれば尚良い――……」




 ハッと伯爵が何かに気付いた様子で地図を見下ろす。


 ……うん、気付いたみたいだね。


 円の隙間にあり、どの円ともほど良く近く、空き家で、複数の出入口がある場所。


 目撃情報は多数寄せられているのに何故潜伏先に関する情報が来ないのか。


 それはヘレン=シューリスの潜伏先が貧民街に近いものの、その中にはないからだ。


 貧民街の者はあまり他所の地区へ出ないため、離れてしまえば分からないだろう。




「あくまで可能性の一つですが」




 わたしが指し示したのは廃教会。


 そこはイルフェスが元いた孤児院の併設された、あの教会だった。



 

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