雫、五滴。

 



 わたしは本当に良いところに拾われたんだな、なんて感慨深く思っていると出入口から警官と共に細身の男性がやって来る。


 この証言をしたランタン持ちだろう。意外に若く、十代後半から二十代前半といった具合だ。やや珍しい赤みを帯びたブロンドに明るい茶の瞳で気の強そうな顔立ちをしている。


 わたしと目が合い、不可解そうに一瞬眉を顰めたが、すぐに愛想笑いを浮かべた。




「呼ばれて来たんですけど、何か御用でしょうか?」




 へらりと笑う男性にエドウィンさんが先ほどわたしがした話を説明する。


 ココで今もっとも上の立場にいるのは恐らくエドウィンさんで、警官でもないわたしがしたところで誤魔化そうとするとか舐めた態度を取られるのが関の山だ。それなら最初から立場のある人物が話をした方が通りやすい。


 説明されるにつれて男性の顔が微妙に強張っていく。




「――……ということなのだが、目撃した時間や場所は此処で間違いないか?」




 エドウィンさんは別に強い口調ではないのだが、淡々としており、逆に威圧を感じる時がある。


 男性もそれを感じたのか小さく手を握り締めると何とか頷いた。




「は、はい、多分……」


「多分? ランタン持ちならば時計の一つくらい持っているだろう? その場で時間を確認したから間違いないと言っていたように記憶しているが」


「あ、ええっと、そうなんですけど……」




 完全にしどろもどろになって視線を泳がせる男性にエドウィンさんが息を吐く。




「こういった事件捜査への協力で虚偽の証言をすれば詐欺か偽造罪に問われる。今ならばまだ公にしていないから取り消すことが出来るんだ。真実を話してくれ」




 驚いた顔で目を丸くする男性に呆れてしまう。


 言われなくてもそんなことくらい分かるだろうに。


 罪に問われると言われれば流石に分が悪いと踏んだのか口を開く。




「その、それは俺じゃなくて他のランタン持ちから聞いた話というか、それで話を聞いたのが五時頃だったし、そいつが『ちょっと前に何か変な女を見た』っていうからそんなに時間は経ってないと思って」


「人から聞いた話を、聞いた時間で証言した訳か」


「……はい。事件解決に協力した奴は箔が付くので、つい……」


「そんな理由で……」




 疲れた様子でエドウィンさんが眉間を揉んだ。


 男性を呼んで来て横で話を聞いていた警官もやや呆れた表情をしている。


 人の手柄を勝手に横取りしようとするからそうなるのだ。




「では確実な証言ではないんだな?」




 念押しするエドウィンさんに男性は身を縮こませて「……はい」と頷いた。


 もう行っても良いと手を振ったエドウィンさんに男性はホッとした表情をし、しかしわたしや側にいる警官の白い目に気付くとバツの悪そうに顔を背け、警官に促されて部屋を出て行く。


 男性が見えなくなると深い溜め息が聞こえてきた。




「全く、何を考えているのやら……」


「大したことは考えていないと思いますよ。本人が言った通り、他人の手柄を横取りしたくなったんでしょう。聞いた話だから内容も曖昧だったんです。まあ、除外出来て良しに致しましょう」


「……そうしよう」




 互いに顔を見合わせて頷き、それぞれの仕事を行うことにした。






* * * * *






 アンディを伴い警察を出て、馬車を走らせる。


 足元まであるクローク――マントよりも体を包む外套――を着たアンディが斜向かいに座っている。その僅かに開いた前袷まえあわせの隙間から鈍く光るものが見えた。


 それは拳銃のグリップ部分だった。クロードが持っているものよりもやや大型で威力もある。


 サリス家三兄弟の真ん中にいるこの男は軽薄そうな言動こそ多いものの、父親に負けず劣らず伯爵家に忠誠心を持っており、何時か主人を守るためにと磨いた狩猟の腕は兄や弟どころかクロードよりも上手い。


 しかし使用人の分際で主人よりも上手いなどとは言えないと普段は黙っていた。


 リディングストン侯爵家の有する領地の森で狩りをするために連れて行った時などは、あの姉弟が興奮するほどの大物をマスケットで撃ち獲り、その日の晩餐を豪華にした。


 今は見えないが他にも持っているのだろう。


 本来は貴族の飾りに近い拳銃を現実に使用出来る状態まで持って行くのは苦労した。


 製造には金もかかるため、基本的には警官であっても警部か警部補辺りでなければ支給されず、未だにそれ以下の地位にいる警官達は警棒や剣などで対応している。


 クロードの視線に気付いたアンディがクロークの前を閉めた。




「今回、俺が呼ばれるということは相当危ない事件ですか?」




 アンディの言葉にクロードが頷き返す。


 ガタンと馬車が一度大きく揺れた。どこか道を曲がったようだ。




「脱走した死刑囚の確保、又は処分だ。そして脱獄したのはヘレン=シューリスという元シスターで、イルフェスの兄や幼い少年ばかりを殺して食べていたとんでもない女だ」


「うへぇ、それはまた凶悪そうで。イルフェスを屋敷に戻したのはそういう理由でしたか」


「本当ならばセナも戻したかったが嫌がられた」


「それはそうですよ、あいつは事件馬鹿ですからね」




 事件馬鹿という例えが言い得て妙でクロードは小さく吹き出した。


 あちらに事件ありと聞けば向かうし、此方で事件が起きれば嗅ぎ付けてやって来る。


 最初の給金で何を買ったかと思えば植物紙と革、紐を持って来て大雑把に綴じて本にし、細く切ったヤナギの木を燃やして出来上がった細長い炭を不要になった新聞紙とのりで固めてインクの要らない羽ペンもどきを作った。


 ペンは興味があったものの、紙に色が移り難く、逆に手が汚れやすいと聞いて欲しいとは思わなかった。ただそれを応用すればもっと使い勝手の良いインク要らずのペンが出来るのではと考えてはいる。


 その本もペンも、全ては「事件の概略や地名、被害者の名前をメモするため」に作っただけだ。


 あまり金を使わない性質なのか給金で買う衣類も最低限らしい。


 その癖にこの間は薄く細長い鉄板を二枚購入して薪の代わりになる防護品だと自信満々に言い、試しに板を付けた片腕を薪で殴ったら思いの他痛かったそうで、次は間に挟む厚手の布か綿を買うと言っていた。綿を入れたら腕が奇妙に太くなるから丸分かりだろうと思ったが楽しげに話すので指摘出来ずに終わった覚えがある。




「確かに事件解決のためならば何でもやりそうだな」


「ですね」




 しみじみと二人で頷いていれば馬車の揺れが段々と収まっていく。


 どうやら目的地にもう着くようだ。


 それに気付いたアンディも表情を引き締める。


 やがて揺れが止まり、ややあって御者の声が到着を告げた。開かれた扉からアンディとクロードは降りる。


 此処から先は馬車が入れない細い路地裏を通らなければならない。


 クロードが歩き出すと、アンディもそれに付き従い路地へと足を踏み入れた。


 昼間でも薄暗い路地裏は迷路のように入り組んでおり、進むクロードの銀髪が僅かな光が当たる度に反射して鈍く輝く。


 暫く路地を歩いた先にある古い木造の家。


 蜘蛛の巣が張り、人が住んでいなさそうなその扉を杖で四回、二回、三回と叩いた。


 扉上部に細長い横向きの隙間が開くと一瞬、人の目が二人を見て閉じられ、けれども一拍おいて内側から扉が開く。


 扉番の男が礼を取って道を開ければクロードは慣れた様子で中へ入り、マントを脱いで扉番に渡した。


 アンディもクロークを脱ぐと扉番が目を丸くした。


 見えないがまず左脇に一丁、次に右の腰と後ろに一丁ずつ、そして左太腿に一丁、拳銃がホルスターに納まっている。全部で四丁。全てフルに弾も込めてある。


 その多さにクロードは呆れ半分に感心した。


 これだけ携帯するために体を引き締めて上着や外套に隙間を作り、違和感をなくす努力もしたそうだ。


 ちなみにこれは数を減らした結果だ。


 石造りの短い廊下を行き、突き当たりの扉の前にいた護衛の二人組の片方が来客を見て動き出す。


 僅かに開けた扉越しに会話を交わし、そして扉を開けてクロード達を中へ通した。


 室内は厚手の絨毯が敷かれ、暖炉には火が灯り、壁には鹿の剥製や絵画などが飾ってある。飾り棚には華やかな柄の皿や珍しい置物が並ぶ。


 そこにいたのは男が二人。


 一人は黒に近いくすんだブルーブラウンの髪を後ろへ撫で付けた、目の細い三十後半から四十代ほどの男だ。平民にしては質の良い服に銀縁の片眼鏡モノクル、飾り彫りがあるパイプなどから品の良い印象を受ける。


 もう一人は栗毛を後頭部で一つに纏めた、ダークブラウンの切れ長の瞳の男だ。五十半ばほどでやや日焼けした肌、鼻の下にある短い髭が鋭い印象の顔を和らげる。流石にこの時期ではきちんとアビまで着込んでいた。




「ようこそ、アルマン卿。お待ちしておりましたと申し上げたいところではありますが、今日はお会いする約束はされていなかったはずでは?」




 ブルーブラウンの男――……がクロードにソファーを勧めながら、パイプを持っていない手で顎を擦って小首を傾げてみせる。


 紅茶を用意させようとするのを手で制する。


 長居するつもりはない。


 ソファーに腰掛けたクロードが頷いた。




「その通りだが、急用が出来たのでな。はいないのか?」


「はい、彼は市場の揉め事を引っ掻き回しに出ています」




 楽しいことが何より好きなあの男らしい。


 内心で納得していれば栗毛の男――…が足を組み替え、口を開く。




「それで今日の御用件は? まさか赤がいるかの確認をしに来たという訳ではないのでしょう?」


「ああ。……お前達の市場には貧民街の者も来ているな?」


「それは来ますよ。うちは品揃えが豊富ですからね」




 闇市では様々なものが売買対象となる。


 日用品から骨董品、食べ物、家具以外にも武器や違法ギリギリのもの、奴隷すら販売される。


 勿論、奴隷は本人の了承を得た上での話だが。




「その客達から貧民街の情報を得たい。対価は情報に見合った額か市場に課された税の一部免除、今後も情報を集めるというのであれば市場で扱える品の規制を多少緩和しても良い」




 青と緑が目を丸くする。非常に稀な光景だった。




「それほどまで……。一体どのような情報ものを望んでいらっしゃるというのです?」




 驚きから立ち直った緑が問う。


 此方を警戒する様をクロードは気にしなかった。




「今欲しいのは脱獄した死刑囚の情報だ。ヘレン=シューリス、三十代後半の女でダークブロンドの髪に青い瞳をした元シスターで、半年前に頻発していた孤児の少年ばかりが行方不明になったあの事件の犯人でもある」


「ああ、そのような事件もありましたね。……なるほど、脱獄犯の情報ですか」


「恐らく西スド方面の貧民街に潜伏していると思われる。西の雌しべスドピスティル近辺まで目撃情報があった。今後とも指名手配犯などの情報を此方へ寄越すというのであれば、先に述べた通りお前達の遊び場の幅が少しばかり広がるだろう」




 青と緑が互いに視線で問い合う。


 もう一押しと踏んだクロードは口角を引き上げた。




「私に恩を売る丁度良い機会だぞ?」




 青がモノクルをかけ直す。




「お断りした場合はどうなりますか?」


「その時は警察から公に情報提供を募る。重要なものには高い報奨金を支払うと言ってな。それだけで今よりは確実に集まるだろう。これを断ってもお前達に損はない」


「だが得もない、と……」


「協力しないのだから当然だ」




 どうする、と視線で返答を促した。


 青と緑はもう一度視線を合わせ、そして頷いた。




「分かりました。では税の一部免除と規制の緩和をお願い致します。税は四割、ハーブやスパイスを対象とした規制緩和で如何いかがでしょう?」




 話にならない。クロードが首を振る。




「欲張り過ぎだ。免除は二割、スパイスは許すがハーブは法に触れるものはどのようなものであれ禁止だ」


「では免除は三割、ハーブは依存性の弱いもののみ許可をいただきたい」




 つまり三分の一ほど税を免除するということだ。


 それくらいであれば許容出来る。


 ただしハーブは別だ。依存性の強いものは貴族ですら破産するほどのめり込んでしまう。そんなものをこの王都内で流行らせる訳にはいかない。




「免除は三割、ハーブの依存性については一度現物を寄越せ。スクールの薬学部に調べさせて法に触れない範囲ならば許可を出そう。そして今回の情報については別に見合った額を支払う」


「交渉成立ですね」




 青の差し出した手を握り返す。


 緑が立ち上がり「すぐに情報を集めます」と部屋を出て行った。


 それに倣うようにクロードも席を立つ。


 一言も声を発さずに控えていたアンディが一歩下がり、何時クロードが歩き出しても付き従うために待機する。




「後ほど契約書を作成して此方へ送る。……急な来訪すまなかった」


「もうですか? いえ、事件解決まではお忙しい立場なのですから当たり前でしたね。情報は集まり次第お送り致します」


「今回だけは警察署に頼む」


「畏まりました」




 踵を返したクロードにアンディが代わりとばかりに丁寧な一礼をし、その背を追いかけた。


 廊下を抜けて、扉番から上着を受け取って羽織ると二人は外へ出る。


 元来た薄暗い路地裏を辿りながら、雪の緩く降る中を足早に馬車へと向かったのだった。





 

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