ステップ、二つ。
* * * * *
そうして同じ日の夜。食堂に伯爵とアランさん、カーラさんが集い、わたしの給仕について確認を行う。
いや、まだ初日だよね? スパルタじゃない? やるけど。
昼間のカーラさんの時と同様に、次は二つ目の前菜へ伯爵の視線が向けられる。
小さなカブは皿の真ん中に置く。ソースはとろみの強いスープに近く、野菜や卵が入っており、中華スープを
昼間と同じく高級レストランのコース料理っぽさをイメージして飾った。
終えたら控えていた位置まで下がる。
正直、かなり緊張する。伯爵に見られるのは兎も角、アランさんやカーラさんがジッとわたしを観察していたし、食堂の壁際にはアルフさんが控えていた。
四対の目に見られながら慣れない作業を行うのはとても神経を使う。
伯爵が持つナイフがカブにスッと通り、何の問題もなく食事が続く。移す際に持った時は結構弾力を感じたけれど、あのナイフの切れ味が良いのか、それともカブが柔らかいのか。
そんな意味のない疑問を意味もなく考える。
カブの料理を食べ終えた伯爵がカトラリーを皿に置く。
余韻を楽しんでいるらしく、数拍、間が開いて目の合図があった。
お次はスープだ。スープだけは鍋の横に専用のスープ皿があり、それを使う。
鍋に入ったスープは色味からしてコーンポタージュのようだ。スープ皿へお玉で移し、クリームをマーブル状に入れ、刻んだハーブをひとつまみかけ、伯爵の前の皿を脇へ移動させてスープ皿を置く。
スープと言っても温かくはない。しかし冷製スープという訳でもなく、貴族の食事にはありがちな冷めてしまった料理である。温かかったらもっと美味しいだろうに勿体ないなあと考えつつ元の位置へ下がる。
一つ一つの料理を食べる時間は長い。
味わうこともそうだけれど、伯爵の場合は少量で満足するために殊更ゆっくりとした食べ方を心掛けているような感じがした。
今までの食事風景をぼんやりと思い起こす。
そういえば外出した日は普段よりもしっかり食べて、逆に屋敷から出ない日はあまり食べない。動かないから食べる量も少ないのかもしれないが、健康的だ。
スープを食べ終えた伯爵が今度は食前酒とは別の酒に目を向ける。
すぐに歩み寄り、視線を送った酒を別のグラスへ注ぎ入れる。
そうしてスープ皿とそれに使用したカトラリーを下げて、取り分け用の皿を元の位置へ戻した。前菜に使ったカトラリーも一緒に回収する。
伯爵が酒を楽しみながらも新しい料理へ目を向けたので、今度はそちらの皿を手前に持ってくる。蒸したものなのか綺麗な白身魚に添え物の葉野菜、緑色のソースといったものだ。魚は何切れ食べるか視線で問うと一度だけ瞬きが返された。皿の中央に魚を、ソースを更に零れ過ぎない程度にかけ、斜めに葉野菜を皿の端に置く。
皿に料理を盛りながら、綺麗に食べるものだと内心で感心していた。
前の二皿分のソースは綺麗に料理で拭って食べてある。
盛り付けが終わると次にパンを見て、二度、目がゆっくり瞬いた。
拳より僅かに大きなパンを二つ、パン皿に取り、バターをバター皿へ移す。
それらを終えて元の位置へ戻った。
パンはスープの後に食べるのが基本だと午前中に教わった。メインの魚や肉料理と共に、もしスープがなければ前菜の後にといった流れらしい。
その後は口直しに一口サイズの小さなハーブケーキ、ローストされた鳥と添え物の茹でた野菜で肉料理、新しい酒とデザートにリンゴのタルト、やや間を置いて、紅茶と小さな焼き菓子が幾つか。
使い終えたカトラリーをその都度下げなければならず、意外と忙しい。
これがもっと格式が上がるとデザートの前にサラダやチーズを挟む。
一つ一つは少量でも、これだけ食べれば腹も膨れるだろう。
最後の紅茶を楽しみながら伯爵が言う。
「お前はわたしに意識を集中させ過ぎている。それでいて気配が薄くて違和感がある。此方へ意識を向けるなら息を殺すな。肩の力を抜いて自然体で立て。どうしても落ち着かないのなら周囲でも観察してろ」
「はい」
呼吸の音すら響いてしまいそうで、つい息を殺してしまいがちだったのだが、もう少し力を抜いても良いらしい。そして周りへの注意も散漫になってはいけないようだ。……難しいな。
他にも料理の皿を手前に持ってくる時はあまり高く持ち上げないこと、どうしても皿がソースで汚れてしまった時は主人に視線で聞いて替えること、出来る限りソースの位置は一定にすることもアランさんに教えてもらった。
ただ、伯爵は綺麗にソースまで食べるのでその辺りは神経質になる必要はないとも言われた。
それから動きがぎこちない、食器の音は極力立てないなど、自分が気を付けているつもりの部分も指摘された。あと二週間でこれらが完璧にこなせるようになれるか不安である。
しかし料理の盛り方は綺麗だとアランさんとカーラさんに褒めてもらえた。
元の世界のコース料理をイメージしているのだけれど、どうやらそれで良かったそうで、これに関しては問題なしとお墨付きをいただいた。
「また明日の夕食も楽しみにしている」
そう伯爵に言われた時に苦い笑みが浮かんだのは仕方のないと思う。
昼間は近侍の仕事に加えて晩餐会のマナー講座に給仕の練習をして、夜は伯爵の夕食でおさらい、その時に問題点を指摘されたら翌日はそこを重点的に学び直すということの繰り返しだった。
何かを学ぶことは好きだがテストは嫌いだ。
気分で言えば毎日テスト勉強とテストの繰り返しで少し疲れる。
それでも、これも仕事のうちと思えばやっていけたし、副産物として食事の食べ方が以前よりも綺麗になった。使用人ではなく、伯爵やカーラさんの食事の光景をよく見ているお蔭で、ナイフやフォークを使った物の食べ方が分かるようになったのだ。
アンディさんに「セナ、お前最近食べ方が綺麗になったな」と言われたのは嬉しかった。
詰め込みと元の世界のマナーで何とかやっていたが、ココに来てお手本が増えたのだ。真似しない訳がない。たまに四苦八苦する料理もあるけれど盛り付けも最初より早くなった。
そんなこんなで二週間はあっという間に過ぎて晩餐会の当日。
午後はアフタヌーンを終えると晩餐会へ出席する伯爵の身支度にほぼ時間が取られる。
型は同じだけれど普段よりも上等で華美な衣装に着替えるので、わたしはその手伝いに入った。
入浴後の伯爵は髪も肌も何時もより綺麗な気がした。貴族は男性もそういった身嗜みに気を付けなければいけないとしたら面倒臭そうだ。
何時ものより倍近いフリルやレースの付いたシャツを頭から通して着せ、それを軽く整えたら次にショースという膝上丈の白い靴下を履いてもらう。カフスボタンを選び、シャツの袖が美しい銀で飾られた。
次に七分丈のキュロットを穿いてもらい、前の釦は伯爵自身に、膝下辺りの
そうしたらジレだ。いわゆる袖のないベストのようなもので、袖を通してもらい襟を軽く整えるとアランさんが真ん中よりやや上の釦から下を留める。シャツの襟周りのフリルを整えて、そこにもある釦を留めたらフリルを出す。残りの釦はフリルを出すために留めないのだ。
座った伯爵にアランさんが用意した靴を履かせる。革製のツヤツヤした黒い靴は少しだけ踵が高い。
そこで移動して待機していたアルフさんが伯爵の髪を
最後にアビを着る。釦は付いているけれどもこれは留めないのが正式な着方だ。
アランさんが忙しなく襟のフリルや袖口のレースを出して整え、少し矯めつ眇めつしては整えを繰り返す。その間、伯爵は立ってされるがままであった。
藍色に近い青を基調とした衣装は銀灰色の髪にくすんだブルーグレーの瞳を持つ伯爵によく似合っている。寒色系の色の衣装が多いのは本人の好みだろうか。似合っているが、青は冷たい印象を与える。
伯爵の怜悧さはその衣装の色も関係していそうだな。
最後に伯爵は手袋を新しいものへ交換し、右手の薬指にしていた指輪を人差し指へ移動させた。
それには深い赤に近い宝石が付いている。光が当たるとワインのような透き通った赤い煌めきがあって美しい。このアルマン伯爵家が興された当時の女王陛下に下賜されたという指輪は当主にのみ継承され、伯爵も例に漏れず、肌身離さず付けている。
青の中で一つだけ異彩を放つ指輪が目立つ。どちらも暗い色味なのでチグハグとは言わないものの、違う色を持つ指輪は誰もが一度は目を惹かれるだろう。
何時にも増して感情の読み取り難い表情で伯爵は嵌め直した指輪に触れている。
アランさんとアルフさんが着替える前に着ていた衣類などを持って退室する。
「旦那様、緊張していらっしゃるのですか?」
窓辺に立ち、外へ視線を向けながらも指輪に触れ続ける伯爵へ問う。
顔だけで振り向いた伯爵は目を伏せた。
「……他人の秘事をわざわざ暴くというのはあまり気持ちの良いものではない。善悪に関わらず、大なり小なり人には言えぬことというものは誰もが持っている。それを無理やり白日の下に晒すのだから恨まれても仕方がない。そういう仕事なのだと分かっていても、やはり思うところはある」
「私は碌な死に方をしないだろうな」と伏せた視線で指輪を見つめた。
どこか自嘲を含んだ声に思わず歩み寄ってしまう。
自分よりも背の高い人だというのに、目を離したら消えてしまいそうな気がしたのだ。
「伯爵、全てを一人で抱える必要なんてありませんよ」
指輪に添えられた左手に、わたしの手をそっと重ねる。
「仕事だと言うなら、あなたに仕事を寄越す相手にその責任の半分くらいは持ってもらってもいいんじゃないですか? それに警察だって。……まあ、面白半分で首を突っ込むわたしなんかも責任を感じるべきなんでしょうけれど」
そうウィンクをしてみせれば伯爵がフッと小さく笑みを零した。
上手く出来たか分からないけれど気分を和ませるくらいには役立ったようだ。
「確かに。お前はもう少し自身の行動に責任を持て」
あ、藪蛇だったかな?
慌てて伯爵の言葉に返す。
「生まれ故郷では二十歳が成人だったので、責任感と言われましてもイマイチ実感が湧かないんですよねえ。でも伯爵の感じてる自責の念はそういうものとは違うと思います。悪いことしてバレたらそれは単なる自業自得で、それが世に出てしまっても隠し切れなかった相手の不始末です。そう考えると気楽ですよ」
「それはそうだが……」
「むしろ伯爵は考え過ぎです。もっと気楽に生きていきましょうよ」
何でもかんでも他人のせいにしろとは言わない。
だけど伯爵は一人でちょっと抱え過ぎている。
若いうちから当主として責任感を持たなければと思うことは大切だけど、その結果、精神を擦り減らしていては長続きしないし、アランさんやベティさんなど伯爵が生まれ時には既に仕えていた人々も心配してしまうだろう。
「それから、溜め息ばかり吐いていると幸せが逃げてしまいますよ?」
「原因はお前にもあるのだが」
「え? 何ですか? 聞こえません」
耳に手を当てて聞き返せば、伯爵は呆れた顔をする。
それでも先ほどまでの触れれば壊れてしまいそうな脆い雰囲気は消え去っていた。
「耳が遠いなど歳ではないか?」と言われたので「まだピッチピチ、花も恥じらう十七歳です」と答えたら伯爵が吹き出した。今のどこに笑いのツボがあったんだ?
扉がノックされ、伯爵が笑いの滲む声で許可を出す。
入って来たアルフさんが笑う伯爵を見て一瞬だけ目を丸くした。
出発の時間までにわたしも支度をしなければいけないので「それでは失礼致します」と伯爵に断りを入れて部屋を出る。
まあ、支度といっても今よりちょっと上等な服に着替えて髪を梳くくらいしかないのだが。
自室に戻り、暖炉に火を灯してから一昨日ベティさんより受け取った衣装を身に纏う。
伯爵よりも随分控えめだが襟と袖にフリルの付いたシャツ、白いショースに赤みがかった暗い茶色の七分丈のキュロット、膝下丈のブーツ、キュロットと同色のジレにアビ。
何故ブーツしか履かないのかと伯爵に問われた時にこう答えたら何とも言えない顔をされた。
夏場は蒸れるが冬場は凄く寒いのでブーツの方が好きなのだ。
もう十二月に入ったこの国の季節は冬である。季節に関しては日本と同じだ。春・夏・秋・冬と寒暖差は日本よりも小さいが変化があり、この十二月から一月の終わりまでが特に寒く、雪が降るほどだ。それでも大雪は滅多にないそうで降雪量も然程多くはない。
暖炉の隅に置いておいた石を鍋掴みをした手で掴み、布の切れ端を折って両端を縫い、適当な釦を縫い付けた小物入れのようなものに石を入れる。平たくて丸みを帯びた石はすっぽりと収まった。
鍋掴みを外してそれを持つと少し熱いくらいだったが長時間使うならこれでもいいだろう。
適当に拾ってきた石だったけど、きちんと
もう二つ同じものを用意して部屋を出る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます