# The sixth case:Lonely masked ball.―孤独な仮面舞踏会―

ステップ、一つ。

 





 グロリア様が訪ねて来られたのは昼時を少し過ぎた頃だった。


 昨日のうちに手紙で連絡があったため、特に驚くこともない。


 一階の小サロンで伯爵とグロリア様が顔を合わせる。幼馴染で幼少期より頻繁に遊びに来ていたそうで、グロリア様は伯爵家でも随分リラックスしてる風に見受けられた。女性ながらに侯爵位を継ぐために努力している彼女だけれど、家の方が気を抜けないこともあるのかもしれない。




「それにしても、セナにああいう知識があるとは思いもしなかったわ」




 紅茶を飲みながら言われて、心理術の講義の件だと思い至る。




「趣味の範囲ですので専門家には遠く及びませんが」


「謙虚ね。でもお蔭で講義を受けさせた者の何人かは聞き込みが上手くなったのも事実よ。貴族社会では腹の探り合いは必須ですもの、わたくしにとっても非常に興味深いお話だったわ。次が楽しみね」




 既に三回ほど講義はしているが警官からの評判はよく分からない。


 年下に教えられるなんてと憤慨する人や大したことではないだろうと小馬鹿にする人もいて、そういった者は刑事さんが受講者名簿からすぐに外してしまったし。


 やる気のある人だけ来てるという状況だが、とりあえず何とかなっている。


 講義内容も偶数回と奇数回で分けている。偶数回で新しい心理術を教え、奇数回は偶数回の時に提出してもらったアンケートへの質疑応答をする場とした。一回の講義は十五分から三十分。これは警察署に勤める警官の大半の割合が庶民であることを考慮して、長時間の教育は集中が続かないだろうと決めた時間だ。これくらいならば仕事にも差し障らない。




「次回は『部下を思うように働かせる心理術』を行う予定です」


「まあ、それは絶対に行かなくては」


「グロリア様は鋭い視点でご質問をくださるのでわたしも毎回楽しみにしております」


「あら。セナったらお世辞も上手なのね」




 悪い気はしないといった風にグロリア様がおかしそうに笑った。


 会話が途切れたところで思い出したように、グロリア様が手紙と封筒を差し出した。


 それを受け取り、ローテーブルを挟んだ向かい側に座っている伯爵へ渡す。




「これは?」




 やや厚みがある様子からしてそれなりの枚数の紙が入っているのだろう。




「一昨日、警察署に届いた告発文よ。先に手紙に目を通してちょうだい」


「……差出人の名はないか」


「そういうものは得てしてそうでしょう?」


「まあな」




 素早く紙面に目を通した伯爵が前を向いたまま左手でわたしへ手紙を寄越す。


 ザッと読んだ文面にはこのようなことが書かれていた。


 バディット男爵夫人は犯罪者である。彼女は自身が購入した少年少女の奴隷や貧民街で拾った年若い使用人へ暴力行為を繰り返し、時には性行為を強要している。既に何人も殺された。異常な性癖と執着心を持つ恐ろしい女である。未来ある若者達のために彼女の調査を願う。


 と、いう話だった。短いが確かに告発文である。





「バディット……女好きで有名なあの男爵の後添えか?」


「そうよ。一人目の奥様とは二十五歳で離縁し、二人目の奥様とは三十二歳で離縁、三人目の奥様がアビー様で夫婦歴二十年の最長記録ね。アビー様は十九歳で政略結婚なさったのよ。とても美しい方だからバディット卿も手放さないのだと噂になっているけれど」


「この告発文が事実であればとっくの昔に離縁しているだろう」


「それはどうかしら? もしかしたら恐妻でいらっしゃるかもしれないわよ?」




 グロリア様と伯爵の会話に、貴族はそんな簡単に再婚出来るのかと意外に感じた。もっと色々面倒なイメージがあったのだ。


 いや、平民だってそうなのかもしれないが。


 三十二歳で十九歳と結婚って凄い年の差婚だな。政略結婚ならば十三歳差でも関係ないのだろう。自分の父親の方が近い年齢の、それも二度も妻と離縁してる男と結婚するってどんな気持ちなんだろう。


 しかし二十年そのままということは夫婦仲は良好……なのか?




「だが告発文こんなものはよくあることだろう?」




 返した手紙を示しながら伯爵が言う。


 政敵の不正を密告したり、真偽の不確かな噂を流したり、時には陥れることも。その手の話は貴族の間では珍しくない。


 むしろよくあることだった。


 それを調査するのは警察の仕事であり、アルマン伯爵家の案件からは外れる。




「問題は封筒の方よ」




 封筒から出した書類を伯爵が読んでいく。


 少々時間を要したが、読み終えた伯爵に書類を渡されてわたしも急いで目を通す。


 アビー・ドナ=イームズ――バディット男爵夫人のことだ――が定期的に奴隷を購入していること、使用人と称して孤児を拾ったり引き取ったりしていることだけでなく、何とそれらの日付けや人数が事細かに記載されていた。奴隷に至ってはどの奴隷商人から買い上げたかまで書かれいる。




「数名の警官が訪問したけれど門前払いされてしまったの。アビー様のご実家である商会は侯爵家うちも懇意にしているから、捜査に協力出来ないのよ。下手に関わってしまうと侯爵家うちを良く思わない方々から『懇意にしてる商会の罪を隠蔽する気だ』なんて難癖をつけられるもの」


「なるほど、それで此方へ回して来たという訳か」


「ええ。申し訳ないのだけれど、どうか引き受けてもらえないかしら?」




 それに対して伯爵はすぐに頷いた。


 リディングストン侯爵家は動ければ一番良いのだが、事情があれば仕方がない。




「分かった、引き受けよう。悪事これが事実か調査し、場合によっては即座に捕らえることになるかもしれない。その際はバジョットと数名の警官を借りたい」


「勿論、構わないわ。通達しておくから好きに使ってちょうだい」




 仕事を受けてもらえてホッとしたらしくグロリア様が小さく息を吐く。


 家が懇意にしてる商家の出ということは、もしかするとグロリア様にとってもそれなりに付き合いのある人物かもしれない。もしそうであれば、その心境は複雑だろう。


 冷めてしまった紅茶を淹れ直して差し出すと「ありがとう」と微笑んだ。


 温かな紅茶を一口、二口と飲んで気が紛れたのかグロリア様は顔を上げる。




「これは二週間後に開かれる侯爵家うちの晩餐会の招待状よ。お父様にお願いして我が家と懇意にしてる商会や貴族の方々を招待してあるわ。家は出てしまっているけれどアビー様にも出して、出席するとお返事をいただいているわ」




 差し出された招待状を受け取り、伯爵へ渡す。




「そうか。……セナ」


「はい、何でございましょう」


「私はグロリアを通じて出来る限り本人への接触を試みる。晩餐会にはお前は従者として連れて行く。晩餐中にバディット夫人の使用人から話を聞け。明日から晩餐会のマナーと給仕の練習をカーラに頼むぞ」


「畏まりました」




 見知らぬ人と仲良くなるのはわたしの十八番おはこである。


 それまでに晩餐会で粗相をしないようにマナーを学ばなければ。わたしはこれまで詰め込み型――言ってしまえば付け焼刃――でこの世界のある程度の常識と使用人の礼儀を学んできたが、晩餐会や舞踏会などに従者として付き従うことまでは考慮されていなかった。


 これに関しては女家庭教師カヴァネスのカーラ様が私を早急にために、すぐに必要な知識とそうでないものとを選別して教育してくれたからである。


 前提として大勢の人前や他貴族の前で行動する場はないと伯爵に言われていたので、その辺りを省いたのは当然とも言える。この一年でわたしが伯爵以外に正式に会った貴族などリディングストン侯爵家のグロリア様とキースくらいものだ。


 カーラ様は少々厳しい女性だが上手に出来ればきちんと褒めて、失敗すれば何故間違えたのか理由を交えて叱るという、飴と鞭の上手い人だ。しかし使用人達とはあまり親しくない。


 女家庭教師という職業は使用人と客人の中間のような立ち位置であり、主人である伯爵から見れば使用人だが、使用人から見れば自分達よりも上位の存在となる。上級使用人といえども完全なそれではなく、伯爵令嬢であることもまたその一因のようで、平民と貴族の壁も関係していそうだった。


 わたしはカーラ様、結構好きなんだけどなあ。


 伯爵家の次女でありながら、結婚よりも自活の道を選んだ女性だ。


 今回はどのような教育を受けることになるのやら。






* * * * *






 翌日より伯爵邸の二階にある学習室でわたしは晩餐会のマナーを学ぶこととなった。


 元の世界だとフルコースと言えば一品ずつ供されるのだけれど、ココではテーブルに全て並べられ、側に控えた従者がそれぞれ主人の食べたいものを取り分けて給仕するという格好らしい。


 確かに、改めて思い返すと伯爵の食事は常に全ての皿がテーブルに置かれていた。


 ないのはデザートくらいのものだ。


 日本食もお膳が全て並んで出て来るので今まで違和感なかったなあ。




「晩餐会までの二週間、今日から旦那様の御夕食は貴女が給仕をするように。旦那様とアランさんの了承はいただいているわ。給仕の方法については私が旦那様の代わりを務めます。今から昼食を使ってやりましょう」




 と、有無を言わせぬ流れで、午前中から昼食いっぱいは給仕の練習だ。


 控える際の立ち位置に控えている間の視線の置き場、ワインボトルの持ち方やワインの注ぎ方、料理の取り分け方はかなり面倒で、適当に皿に移して「はい、どうぞ」とはいかない。料理の取り分けはイコール美しく飾り付ける作業でもある。元々出来上がっている料理をそれぞれの皿に移す過程で、連れて来た従者が如何いかに美しく盛れるかも他の貴族は見ているそうだ。


 ……何だそれ。だったら最初から一人一皿ずつフルコースにすればいいのに。


 しかしこの方法には利点がある。客人は好きな物を好きなだけ食べられるし、誰がどの部分を口にするか分からないために特定の人物の毒殺も難しくなる。それに料理が並べられたテーブルの上は圧巻で、その彩りと豪華さで目も楽しめる。主催側で招待客の分だけ使用人を割かずに済むのも良いだろう。




「カトラリー全ての種類を覚えなくとも今は構いませんよ。御使用されるのは旦那様ですので、貴方は給仕に集中しなさい」


 テーブルの上に取り皿とナプキン、パン皿、バター皿、種類の違うカトラリー――ナイフやフォーク、スプーンを纏めた呼び方だ――に形の違う複数のグラスなどが所狭しと配置されている。


 テーブルには既に料理が並んでおり、それらは随分と豪華だった。


 練習のために作られたこの料理は伯爵のその日の夕食と同じメニューになっているため、昼間にカーラさんと練習して、夜にはもう一度そのおさらいと伯爵の癖や仕草の意味を覚える場として給仕を行う。


 そういうことに伯爵と執事バトラーのアランさんとカーラさんの間で決まったという。


 席についたカーラさんは顔を正面に向けたまま話す。




「旦那様や他のお客様を凝視してはダメよ。目は伏せ気味に、壁際に向かって少し下がってちょうだい。控える位置は――……そう、その辺りがいいわ。目を伏せ気味にしても私が見えるでしょう?」




 カーラさんの言う通り、壁際のその位置は目線をやや落としていても食事をする人の手元が視界に入る。


 わたしが控えるとカーラさんはテーブルの上のナプキンを膝に広げた。




「ナプキンを広げるタイミングはそれぞれだけど、全員が揃うまで食事は始まらないから動かなくていいわ。今は全員が揃ったと仮定して進めます。出来る限り足音を立てずに側へ来て、食前酒を注いで」




 そうしたらわたしはテーブルに寄り、やや斜め後ろからカーラさんの横顔が見える位置に止まる。


 その横顔の目が自身のグラスの一つと、一つのボトルへ向けられる。


 ボトルは口が細く、下はずんぐりとしており、元の世界のワインボトルを半分に切ったような形をしていた。安定性と厚みのありそうなボトルだ。ボトルの側にはコルクスクリューがあった。瓶をテーブルへ置き、コルク部分にコルクスクリューのねじれた先を刺していく。力を入れたり深く刺し過ぎたりするとコルクが割れてしまうんだったっけ。父が安いワインを買うとよく開けさせてもらった。


 コルクスクリューが刺さったら上へ真っ直ぐに引き上げる。


 ただし一気には抜かず、少し残してそっと開けないとコルクが千切れてしまうことがあるのだ。


 ぽん、と柔らかな開封の音が響く。


 最初に示されたグラスに注ぐ。グラスの膨らみの辺り、大体三分の一程度のところでボトルを上げた。グラスの膨らみ部分が基準なのだと父だか誰かが言っていたような気がした。


 それで問題なかったのかカーラさんはグラスを手に取って食前酒をゆっくりと味わう。


 


「料理はまず前菜から食べるのよ。そこからでも料理が見えるわね? 前菜は料理の中でも一際彩りの良いものがそうよ」




 言いながらその目が自身の皿へ、そして一つの料理へ向けられる。


 そうしたらわたしはもう少しだけテーブルに寄り、料理の載った皿を手前へ移動させる。重い皿や大きなテーブルの中央付近で手が届き難い皿であれば、逆に取り皿を動かして良いそうだ。


 丸ごと小さなカブを蒸した料理の皿と、何かの動物の肉を四角く加工したらしいものが乗った皿とがある。カーラさんはそれの後者を目で選んだので、わたしが動かしたのはこの皿だ。


 取り皿の上に零さないよう気を付けながら盛る。




「最後までこの皿を使うからソースは少なめにしてちょうだい」


「はい」




 元の世界で見たちょっと高級なレストランのコース料理をイメージする。


 何かの肉を四角く加工したものを二センチ弱ほどの厚みで切り分けて取り皿の上部の隅へ移し、添え物のハーブを肉とは反対側の上部に、そこから皿の上を斜めに走るようにソースを落として完成。


 あまりモタモタしてもいけないだろうから、丁寧かつ手早く料理を取り皿に分ける。


 盛り終えればカーラさんが口元に微笑を浮かべた。




「素敵ね」




 どうやら及第点をいただけたようだ。


 壁際へ下がり、カーラさんが食事を始め、わたしはやや目を伏せた状態で控える。


 晩餐会ともなればかなり時間をかけて食事が行われるだろう。


 静かな室内には本当に最低限の微かな食事の音しかしない。


 晩餐会の最中は立ちっ放しなので足が棒になりそうだ。





 * * * * *

食事のマナーですが、これはこの世界の作法はこういうものだと思ってください。

いわゆるビュッフェ形式でテーブルの上に並んだ料理の数々から、貴族は自分の連れて来た使用人に取り皿に料理を取り分けさせて食べるという形になります。

並ぶ料理には前菜、スープ、魚料理、口直し、肉料理と種類があり、そのどれもが二~三種類ほどあるので好きな料理を選ぶことが出来ますが、食べる順番はコース料理と同じようにします。取り皿は一つ、パン皿とバター皿があり、スープ皿は料理の脇に置かれているのでそれを使います。皿が一つなので綺麗に食べられないと悲惨なことに……。そこは貴族の教育の一環に含まれており、皿を出来る限り綺麗な状態に戻すよう食べることもマナーの一つです。デザートと食後の紅茶(またはコーヒー)とそれと共に食べる小菓子は別で出てくるためテーブルにはありません。

もし主人の食べるペースが他の招待客より遅れていれば量を減らし、早過ぎればあえて皿に盛る作業をゆっくり行うなど、主人の配分が上手くいかない時の手助けもします。

ちなみにお酒は食前酒・食中酒・食後酒を飲むかどうかは人によりけり。

女性はステイズ(コルセット)があるため一つ一つの食事は一口か二口程度。デザートや食後のお茶の小菓子は残されることが多いけれどマナー違反にはならない。

もっと細かいところは色々とありますが、こんな感じと考えてください。

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