# The fifth case:Pure insanity.―純粋な狂気―

感情、一つ。

 



 バサリと広げられた新聞紙を横目に見る。


 そこには教授の名が記され、記者に追われて逃げるように背を向ける彼の妻子の写真が添えられていた。


 あれから既に一ヶ月以上も経つというのに毎日届く紙面には大なり小なり教授に対する賛否両論が載り、本人不在故か、記者や野次馬達はこぞってその妻子を追いかけ回しているらしい。


 伯爵は一応全ての文面に目を通しているものの同情は見せなかった。


 しかしその表情は酷く硬い。


 わたし自身も随分慣れたもので、何となく、そろそろ伯爵に紅茶のおかわりが必要かなとポットへ手を伸ばす。


 案の定、カップに口を付けようとした伯爵はチラと中を見てから顔を上げた。


 ソーサーに戻されたカップへ新しい紅茶を注ぐ。


 ポットを机に戻せば伯爵はまた新聞へ目を落とす。


 何時もであれば一度読めば二度は読まない新聞に繰り返し目を通すのは少しでも情報を得たいからか。


 わたしが壁際に控えるのと入れ替わりに扉が叩かれ、伯爵の許可を得た執事バトラーのアランさんが入り、恭しく銀盆に載せた手紙を差し出した。


 宛名は伯爵、差出人は刑事さんだった。珍しい。貴族向けだろうか洒落た植物の透かしが装飾され、それだけでも一般人には手を出し難い値段だと分かる。


 柔らかな黄色味を帯びた封筒は、赤い封蝋部分に警察署の出入り口にある紋章が押されていた。


 読みかけの新聞をテーブルに置いた伯爵はペーパーナイフで手紙の蝋を切る。


 中の便箋を取り出し、綴られているであろう文章をブルーグレーの瞳が素早く追う。面倒臭そうに眉を少し顰めた。




「……なるほど」



 読み終えた伯爵はどこかやる気がなさそうだ。


 手袋をした指が自身のこめかみを押さえる。実際には頭痛などないのだけれど、頭が痛い内容だと言いたげな仕種だった。


 机の上にあるメッセージカードに何かを書き付け、クロードはそれをアランへ渡した。




「これから警察署へ出る。着替えを。あまり目立たないものがいい。それからこれをからすに」


「畏まりました」




 アランさんが了承して浅く会釈をして書斎を後にする。


 鴉とは何だろう?


 それを見送ると伯爵が息を吐いた。




刑事アレから捜査協力の要請が来た」


「一般の警官からも受けていらっしゃるので?」


「いや、刑事は署内でもかなり地位が高い。だから受け付けている。そもそも私と警察署の橋渡し役であり、昔からの顔馴染みでもあるからな」




 初耳の内容に驚きつつも納得した。


 貴族である伯爵に対して親しげというか、かなり軽い感じの接し方をしているのはそういうことか。


 机の上に置かれた手紙を読めと視線で示される。


 歩み寄り、手にした紙面を見た。


 上品な便箋に似つかわしくない豪快な文字が躍っている。刑事さんらしい文字だ。


 少々読み難いが手紙の内容はこうだ。


 昨日、警察署に一人の男性がやって来た。


 彼は「とんでもない物を買わされた」と言い、持ってきた革の袋を警官に開けて見せた。


 それは何かの動物の肉で、大きさからして足だろうか。あまり骨に肉はついておらず安い肉にありがちなものだった。


 だが肉には皮が付いていた。


 本来であれば皮は剥ぐのが普通だが、皮付きか雑な処理のものも安い肉には多い。


 しかし随分と明るい色味の動物がいるものだとしげしげ眺めた警官は不意に、その動物が何であるか気付いてしまった。


 赤黒い肉には付く色白の血の気が失せた皮は毛がなく、表面に微かな皺があり、その質感は見慣れたもので――――……それは人間の体の一部だったのだ。


 肉を持ち込んだ男は貧しい身の上で、肉は何時も闇市で買っているという。そこでは本来ならば食欲に適さない動物の肉も売っており、蛇だか蛙だがよく分からない肉でも男は食べたかったそうだ。


 警官はさっそく男が闇市に行き、男が肉を購入したという場所にあった露店の店主に話を聞いてみたが「そんな物は売ってない」の一点張り。


 闇市の特性上、売買した物に何かあってもそれは自己責任であり、後ろ暗い商売を行う者達は捜査にも非協力的だ。


 どうやっても店主から話を聞けそうにない。


 そこで、アルマン伯爵家に聞き込みの協力を依頼したいということらしい。

 




「闇市の聞き込みで何故こちらに?」


「ああ、闇市はアルマン伯爵家うちの管理下にあるからだ」


「……………はい?」




 告げられた言葉に三秒近くかけてから何かの間違いではないかと聞き返す。


 法に触れまくってそうな闇市が伯爵家の下にある?


 信じられず、つい大声を上げてしまった。




「えぇええぇっ?!!」




 わたしの驚き様に、伯爵は珍しく意地の悪そうな笑みを浮かべて見せた。






* * * * *






 揺れの少ない馬車の中。柔らかな椅子の端に座って流れて行く車窓を眺め見る。


 道を行き交う人の声や擦れ違う馬車を引く馬のいななき、石畳を踏み締める硬い足音が振動と共に聞こえる。


 まさか、闇市と伯爵家に関係性があるとは……。


 全てを規制してもどこかで悪事は起こる。


 それならば、ある程度の必要悪を残した状態で元締め達に見張らせ、定期的な報告と査察を行うことで緩く縛るくらいが丁度いいそうだ。


 何より悪事は悪者が一番心得ているから、悪事を知りたければ悪に聞けという。確かにそうだが伯爵家の仕事を思うと違和感がある。


 まあ、闇市と言っても然程の悪事はないらしい。


 何より暮らしぶりの貧しい人がいる。


 彼らは必要なものを闇市で安く手に入れるのだ。




「闇市はそんなに嫌か?」




 至極不思議そうに問われて少し返答に困った。


 嫌とか嫌じゃないとか言う問題ではないのだ。


 難事件を解決するアルマン伯爵家の管理下に闇市があるという構図が変なのだ。大きな悪事を働かないよう監視してると言われても心境は微妙である。




「いいえ、嫌ではありません。そういう場所もあると知っておりましたので。ただ、やはり管理下と言えどアルマン伯爵家が手中にしているのは違和感がありまして……」


「言っておくが、別に我が家ばかりが得をしている訳ではない。元締め達に見晴らせ、情報を流させる代わりに伯爵家の名の庇護を与えたからこそ、大きな諍いや他の闇市の横槍を受けずにやっていける」


「なるほど、お互い旨みがあるのですね」




 呆れとも感心ともつかない声音で返してしまう。


 つまり、伯爵もその闇市の元締め達も一筋縄ではいかない人間ということだ。


 潔癖な面があるかと思いきや、こういった面もあり、清濁併せ持ったところは素直に凄いと感じる。




「御到着致しました」




 外より聞こえた御者の声に雰囲気が変わる。


 硬く、どこかヒンヤリとした空気に包まれた。


 馬車が停まっている場所はやや大きいが寂れた道だった。殆どの店は営業していないのか扉は閉ざされ人も歩いていない。



「暴れるなよ」




 伯爵の言葉に「暴れませんよ」と返す。




「ですが売られた喧嘩は買います」


「……連れて来たのは間違いか」




 溜め息混じりにぼやかれたが無視スルーした。


 道から更に細い路地へ入り、昼間でも薄暗いそこを進む。密集する建物の圧迫感で息が詰まりそうだ。


 やがて一つの家の前で伯爵が立ち止まる。


 外観は古びており、軒下に蜘蛛の巣が張っており、建て付けは頑丈そうだけれど人が中にいるのか疑問なものだった。


 伯爵が扉の下部を杖で叩く。四回、二回、三回。


 数拍置いて扉の上部にカパリと細長い隙間が開き、中から人の目が覗く。


 それは一瞬で閉じ、鍵を開ける音がして内側から扉が開いた。開けた男は随分とガタイが良く、顔の側面に目立つ火傷の跡があった。




「邪魔するぞ」




 声をかけた伯爵に男はその外見に似合わぬ丁寧な動作で道を譲り、深々と頭を下げた。その襟に黒い鴉の刺繍がされていた。


 通り過ぎる際に目が合ったので目礼を返す。


 外観とは裏腹に中は堅牢な石組みで、どうやら木の家の内側が石造りで二重構造になっているらしい。


 短い廊下を抜ければ、扉の脇に立つやはり屈強な男が黙って扉を開けた。この男の襟にも黒い鴉の刺繍があった。




「アルマン卿、ようこそお越しくださいました」




 そう言ったのは黒に近いくすんだブルーブラウンの髪を後ろへ撫で付けた目の細い三十後半から四十代ほどの男性だった。伯爵よりはやや劣るが質の良い服に銀縁の片眼鏡モノクル、飾り彫りのされたパイプは洒落っ気を感じる。


 その左隣には栗毛を後頭部で一つに纏め、ダークブラウンの切れ長の瞳の男性。肌はやや焼けており、五十半ばくらいだろうか、鼻の下にある髭が鋭い印象の顔を和らげていた。シャツにジレ、キュロットという格好で椅子にアビがかけてある。


 最初の男性の右隣には癖のある珍しい赤毛を跳ねさせ、猫のようなグリーンの瞳の男がいる。こちらは三十歳か二十後半か、三人の中で最も若かった。勝気そうな顔立ちに服の上からでも筋肉質なのが分かる体付きでシャツにキュロットというあまりにもラフな格好だった。


 共通して黒い衣類の襟や袖に銀糸の鴉が縫われている。


 三人が腰掛けるビロード張りの椅子に毛足の長い絨毯、重厚な一枚板のローテーブルには男性達が座る椅子と同じデザインの椅子が二脚と長椅子が一脚、壁には趣味の良い絵画や鹿の剥製が飾られ、飾り棚などの家具がそれらを品良く纏める。わたし達が入ってきた扉とは別の扉の脇に用心棒のように男が一人立っていた。


 ……? あの鹿、目を閉じてる?


 伯爵が室内へ入ったので後に続くと背後で扉が閉まる。


 ローテーブルを挟んだ三人の向かい側にある一脚の長椅子に伯爵が座り、すぐさまメイド姿の見目麗しい女性が来て、素早く紅茶を四人分置いて下がっていく。





「出迎えに行けず申し訳ない」




 渋みのある落ち着いた声で栗毛の男性が言う。


 赤毛の男性は面白そうにこちらを見ていた。



「構わん、どうせまた悪巧みでも企てていたのだろう?」


「その通り! 俺らは金が大好きだからな~」




 伯爵の言葉に赤毛の男性がカラカラと笑う。


 それぞれ特徴の違う三人だが、どこがどうとは言えないけれど似ていると思った。


 三人が並んでも誰一人見劣りのない美丈夫達だからか。


 ブルーブラウンの男性と栗毛の男性が不意にわたしに目を向ける。




其方そちらが噂の近侍ですか? ……確かに綺麗な黒髪に黒い瞳ですね。三つ目鴉うちへ入れたら大層箔が付いて良いマスコットになったでしょうに、あの時は惜しいことをしました」


「異国情緒漂う神秘的な色合いの髪と肌だな。顔立ちも幼いし、物好きな貴族の愛玩具として高値で取引というのも美味しい話だったかもしれん。アルマン卿、今からでもその近侍を買い取らせてはもらえないだろうか?」




 何それ、初耳なんだけど。


 闇市の元締めの下なんて何時売り飛ばされるか戦々恐々としながら生きていくことになりそうで嫌過ぎる。マスコットだの愛玩具だのという不穏な響きからも人扱いされないのが読み取れた。


 それに対して伯爵はフンと軽く鼻を鳴らして拒絶する。




「こんな危険な代物、誰か他所へやるものか。それに、もしもあの時これを攫ったのがお前達だと言っていたら、誘拐罪と不法入国の手助け、本人の同意なしの人身売買の現行犯として全員その首を刎ねられていたぞ」


「分かっております。ですから素直に知らないと申し上げたのですよ」


「そうだろうな」




 柔らかく笑いかけてくるブルーブラウンの男性にわたしもニコリと笑みを返す。


 すると何故か細い目が何度か瞬き、面白そうにまた元の細さに戻る。




「近侍、三つ目鴉うちへ来る気はありませんか? 今なら三食昼寝付き、欲しい物だって何でも買って差し上げますよ? 小遣いも近侍の給金と同額をお支払いしましょう。いかがです?」




 その試すような、からかいの含んだ口調にイラッとする。


 ……喧嘩売ったな? これはどう考えても売ったよな?


 前に座る伯爵の肩がピクリと反応したが、それが引き抜きに対してなのか、わたしに対してなのかは分からない。だが




「わたしは旦那様の御意向に従います」


「ではアルマン卿が『良い』と言えば貴方を手に入れられると?」


「はい、旦那様がわたしを手放すとおっしゃられたのであれば。しかしその場合、わたしは自身の持てる知識全てを使ってても三つ目鴉ここへ大損害を与えることを目指します。そのために身を滅すとしても、それは変わりません。そして最後に旦那様の目の前で笑って自死してみせましょう」




 自分の勝手で売り飛ばしたわたしが目の前で自ら死ぬ。


 きっと、家や伯爵個人の名誉を傷付けるよりずっと心に刻み込まれるだろう。


 それがわたしなりの報復の仕方だ。


 この世界で生きていけるのは伯爵の手助けが出来ているという自信があるからだ。近侍として、事件解決の助手として、そして一個人として。わたしのこの世界での存在意義となりつつあるそれが消えるのだから、その時のわたしがどうなるかなど考えるまでもない。




「わたしの生まれた国の言葉に『』というものがございますが、わたしは憎い相手には『』と考える性質たちなものですから」




 声音も口調も、笑みすら変えずに言葉を紡ぐ。


 本気だぞとこの場にいる全ての者に理解させるために。




「貴方程度の存在で三つ目鴉うちに損害を負わせることが出来るとは思えませんが」




 ブルーブラウンの男がやや平坦な口調で返す。


 それに初めて、わたしは明確に自分の意志で口元に弧を描く。




「そうかもしれませんね。ですが、いざとなればこの家を吹き飛ばせる爆弾の一つや二つ作る程度の嗜みはございますので御心配なく。それを闇市へ仕掛ければ物理的にも金銭的にも多少は損害となるでしょう」


「それは絶対に止せ」




 

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