第23話 ヤギルの毛刈り - 1

 ヤラン兄さんの誕生日が過ぎると季節は初夏だ。そんなある日、ヤラン兄さんがヤギルの毛刈りを始めると言い出した。ヤギルの毛は糸や布に加工できるだけでなく、売れば貴重な現金収入となる。ほとんど自給自足の私達遊牧民だが、ナンを作る為の麦だけは町で買わないといけないから、お金がいらない訳ではない。寒い時に毛を刈るとヤギルが体調を崩すから、刈るなら暖かくなる今頃が良いのだ。


 数日後、アイラ姉さんとソラさんが居住地にやって来た。父さんが亡くなって人手が足りない私達の毛刈りを手伝いに来てくれたのだ。姉さんとは父さんが亡くなった時に別れて以来だ。


「もっと早く来たかったんだけど、ソラが北の部族との戦いに行ってしまってつい最近戻って来たばかりなの」


と姉さんが言う。どうやら北の部族が自分達の居住地に帰った後も、見張りの為に残っていた戦士達の中にソラさんも入っていたが、最近になってようやく帰って来ることが出来たとの事。姉さんは父さんが亡くなって茫然自失状態だった母さんを心配していたが、嫁としてはひとりで帰って来るわけにもいかず、相談したくてもソラさんは北の部族との戦いに出かけており、母さんも心配だが、ソラさんも心配で心労が溜まっていた様だ。嫁の立場って難しいな。でも、天幕に入って元気な母さんを見てからはいつもの笑顔になった。


「ヤランがすっかり家長の顔に成ったわね、見違えたわ。」


と言われるとヤラン兄さんが恥ずかしそうな顔になる。さすがの兄さんも姉さんには頭が上がらない。


「後はヤランに素敵なお嫁さんが来てくれたらこの家も安泰だわ。誰か好きな人は居ないの? 良かったら良い娘を紹介するわよ。」


「いや、俺は...。」


とヤラン兄さんが珍しくタジタジだ。どうやらハンカチ事件といい、女性の絡む話題は苦手な様だ。ヤラン兄さんの弱点を見つけてしまった。これでは自分で恋人を見つけて来るなんて無理じゃないだろうか。ここは私が兄さんに良い人を見つけてあげたいが、さすがに歳が離れているから、兄さんに似合いの年齢の女性に知り合いは居ない。姉さんに期待するしかないだろう。


 久々に母さん、姉さん、私の3人で夕食の用意をする。姉さんはソラさんが無事に戻ってきて、母さんも元気と分かったからか、とっても陽気だ。今日の料理は、いつもの献立にプラスして、兄さんが獲って来た鴨に香草を詰めて丸焼きにしたものが3羽もある。楽しみだ。


「イルもずいぶん料理ができる様に成ったのね。これなら安心だわ。私の分もよろしくねイル。」


「そうね。イルは刺繍の練習もしているのよ。すごいでしょう。」


と母さんが笑いながら言うと、姉さんが「ウッ」と詰まる。そういえばあの花嫁衣裳の刺繍はソラさんの家族にバレなかったのだろうか。聞いてみたいが今は我慢しよう。


「それで、そっちの暮らしはどうなの? ソラさんのご家族とはうまく行ってる?」


「大丈夫に決まってるじゃない。みんな良い人ばかりよ。あとは義兄にいさんにお嫁さんが来れば安泰ね。家族は皆心配しているの。もう18歳になるのにまだ独身なのよ。まったく、義兄にいさんといい、ヤランといい、女性に興味が無いのかしらね。」


18歳か、男性とはいえ結婚するには遅い方だ。ご家族が心配しているのも分かる。


「なんか、義兄にいさんは草原じゃなく町に住みたいらしいわ。ちょっと変わっているのよ、町に住んで色々な本を読んでみたいんですって。町みたいに人ばっかり住んでいるゴミゴミした所のどこが良いのかしらね。」


「えっ、ということは義兄にいさんは字が読めるの?」


「そうらしいわよ。だから義兄にいさんの天幕には本が何冊もあるの。行商人から手に入れたものらしいわ。本なんて何が面白いのかしらね。」


これはすごいことを聞いた。本が何冊もある! 義兄にいさんの名前は確かコルプさんだった。まだあいさつ程度しかしたことが無いが、親しくなれば本も読ませてくれるかもしれない。ラトスさんから貰った本は既に何度も読んでしまって、次の本を読みたくてたまらないのだ。本なんて高価なものは現金収入の少ない遊牧民には手が出せないと思っていたが、コルプさんはさすがに族長の息子だ。


「それで何が書いてある本なの?」


「知らないわよ。いいイル、私達遊牧の民には読み書きなんて必要ないの。家畜の世話の仕方、食べられる草や薬草の見分け方、チーズやバター、ヨーグルトの作り方、ナンの焼き方、天幕の作り方、糸の紡ぎ方、機織りの仕方が分かって、それに乗馬、弓、狩り、料理、裁縫 が出来れば良いのよ。」


と言うのが姉さんの意見だ(最後の裁縫のところだけ声が小さかったのは気のせいだろう)。大好きな姉さんだがこれには賛同できない。私は色々な物語を読んでみたい。魔法の本みたいな実用書も良いけれど、やはり読んで楽しいのは物語だよね。とくにお姫様が王子様と結ばれる話、前世で読んだ話の詳細は覚えていないけれど、読みながらワクワクしたことは覚えている。この世界にも物語の本があるのだろうか。


「はい、そこまで。ふたりとも喧嘩しないの。」


と母さんが割って入る。もちろん大好きな姉さんと喧嘩なんかしない。それからは姉さんからも料理のコツを教えてもらいながら作業する。そして完成すると天幕の前で円座に座って皆で食事だ。ソラさんとヤラン兄さんは北の部族との戦いの時に一緒に居たから結構親しい様だ。どこそこの草原には良い草が生えていて食べさせるとヤギルの乳の出が良くなったとか、どこには家畜に与える良い水が湧いているとか。オカミの群がどこそこに現れたので要注意だとか、私達の住む草原に関する情報交換をしている。その流れでソラさんが言った。


「そう言えば、ハルマン王国の女王が、草原に4人目の魔導士が誕生したと宣言したらしいよ。」

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