第35話 後悔と登校禁止と

 助手席に座って待っていると遅れてお母さんが乗ってくる。

 こつんと頭を叩かれて、お母さんは車を走らせた。

「…お父さんって刺されたことがあるの?」

 沈黙に耐え切れなくて、思い出した話を聞いてみる。

 急ブレーキがかかって車は地面を滑って止まった。

「危ない! 猫でもいたの?」

「あンた、何でそれを知ってンの?」

 珍しいお母さんの驚いた顔。

「なんでって、お父さんが駐在さんに話してたよ。前に刺されたって」

「あの人は…もう!」

 ハンドルに頭を付けたお母さんは何回か頭をぶつけてから運転を再開した。

「お父さンの身体に白い線があるのは覚えてる?」

 一緒にお風呂に入っていたのはどれくらい前だったっけ……覚えていない。

「詳しいことは言えない。板前の話みたいにお父さンに怒られるから。でもおお父さンが刺された事があるのは本当。聞きたければ、今度お父さンに聞いてごらン」


 家の前で車を降りてお母さんが診療所に戻るのを見送ろうとしても車は動かない。

「ちえ、あンた起きてから机の上を見てないよね?」

「うん。起きてすぐに顔を洗いに行っちゃったから」

 頭をかいたお母さんに手招きされて車に近づく。

「ナプキンの使い方は分かっている?」

「保健室の先生から聞いた説明は覚えてるけど…」

「交換は2時間くらいが目安。昨日の夜に着替えさせたから夜のに交換しておいたけど今日は変えてないだろう。漏れているから帰ったらお風呂に入って清潔にしてから着替えなさい。毬乃ちゃンのことは後で話してあげるから部屋で大人しくしているように。いいね?」

「うん。ちゃんと約束は守るから毬乃のことお願い」

 頭を撫でてくれたお母さんは診療所に戻っていった。

 残った私は部屋で机の上の袋の中を確認して、横に置かれたお母さんが用意してくれた注意書きを読んだ。

 それから着替えの準備をして、言いつけどおりにお風呂に入って色々着替えた。

 ショーツを脱いだ時は、すごいことになっていて一瞬気が遠くなった。

 身奇麗にして部屋に戻って、することも無いからスカートの染み抜きをしていた。

 お母さんの言う漏れてるって、こう言う意味だったんだなぁ。気をつけないといけないことが多くて、2日目でもううんざり。


 結局、お母さん達が帰って来たのは夕方になってからだった。

 話を聞いてくれたお母さん達に感謝してご飯の用意をしたかったけれど、部屋から出ると約束を破ってしまうから、じっと我慢していた。

「ちえ、降りといで」

 下からお父さんの声に呼ばれて私は部屋からリビングに行った。

 私が座るのを待って、お父さんが話し始める。

「遅くなってごめんな。駐在さんに事情説明をしなきゃいけなくて。後でちえにも聞きに来るから今までに気付いていた事と今日の事だけ話せば良いから」

「毬乃のママは?」

「とりあえず駐在所で拘束されている。多分、虐待と育児放棄で捕まると思う。今、大槻先生が毬乃ちゃんのお父さんに連絡しているけど、なかなか連絡が取れないらしい」

 腕を組んだお父さんはむっつりと機嫌が悪そう。

 毬乃のパパは仕事人間だって言っていたから忙しいのかな。でも娘が大怪我したのに。

「毬乃ちゃんは、しばらく大槻先生が預かってくれることになったから。お母さんもちょくちょく様子を見に行ってくれる」

「しばらくって毬乃のパパが来るまで?」

「それは分からない」

 機嫌が悪そうなお父さんが身体を揺すりだしてお母さんに足を叩かれた。

「母親が引き取ることはありえないし、父親が引き取りを拒否する可能性もある。そうすると行き先が無くなって最悪は施設ということも…」

「あなた」

「ああ、ごめん。今の話は仮定の話。何よりも毬乃ちゃんの回復が最優先だったね」

「…ごめんなさい…私がもっと早くお父さん達に相談してたら……」

「ちえ、さっきも言ったろ。後悔したって時間は戻らないンだよ」

 突き放すように言われて考えてしまう。だったら、私はどうすれば良かったんだろう。

「だから。これから何ができるか。それを考えよう、みンなで。家族なンだからさ」

 頭をつかまれて私の頭ががしがし揺らされる。

 今更になって私は実感する。私は親に恵まれているんだって。

「それにね。ちえが今朝、頑張ったから今があるんだよ。約束は破ってしまったけれど、結果としてちえの覚悟が毬乃ちゃんを助けたんだという事も忘れてはいけないよ」

 お父さんに優しく言ってもらっても後悔は消えない。

「でも、もっと早く…」

「もう一回、言おうか。後悔しても時間は戻らないンだよ。うちの子は物覚えが悪いねぇ」

 微笑んだお母さんに、さっきよりももっと頭を揺らされて目が回る。

 お母さんに文句を言おうとしたらドアホンが鳴った。

「あたしが行ってくる」

 訪問者はおじいちゃん先生で私は部屋に戻された。


 帰る間際に呼ばれて、おじいちゃん先生に挨拶をした。

「特別のお休みと思って、ゆっくり養生して下さい」

 あの大声はどこから出たのか、いつもどおりの静かな声で話しておじいちゃん先生は帰って行った。なんだか寂しそうに見えた。

「首の歯形が消えるまで登校禁止。登校扱いにはなる。ただし宿題のプリントが6枚。基本的に外出禁止。破った場合は停学として登校禁止期間が延びるってさぁ。騒ぎを起した事を反省しろって? ふざけンなって!」

 いつになくだらしない座り方をしたお母さんは、頭を後ろにそらして手にしていた紙を放り投げた。

 テーブルに落ちた紙を見ると学校からのプリントでお母さんが話した以上に色々書いてあった。でも要約するとお母さんの言ったとおり。

「最近、目立ってたし昨日も大騒ぎになっちゃったから仕方ないよ…大人しくプリントしてる」

 そらした頭をあげてお母さんは、きちんと座りなおしてこっちを見る。

「良いの? 外出禁止だから毬乃ちゃンにも会いに行けないンだよ」

「良くないよ…良くないけど行っても何もできないし…私が行ったら毬乃の場所が分かっちゃうかもしれないもん。知られない方がいいから大槻先生のおうちの方にいるんでしょ?」

 毬乃を診療所に連れて行った時にお母さんはわざわざ裏口から入った。

「まあ、そうなンだけれどね。あンたの覚悟は分かった。じゃああたしは毎日様子を見に行く。帰って来たら報告してあげるよ」

 自分で行けなくてもお母さんが行ってくれるなら安心していられる。

 大人しくして歯型が消えたら私も毬乃に会いに行ってもいいって言ってもらえるかもしれない。

「話がついたところで、ご飯にしようか。みんな何も食べてないだろう。僕はもう目が回りそうなんだ」

 おじいちゃん先生を見送った後、リビングに戻ってこなかったお父さん。両手にお皿を三枚、器用に乗せて立っている。

「朝ご飯に用意した食材だから簡単にチャーハン。ちえは昨日から食べていないから柔らかくして油を少なめにしてあるから」

 そうだった。昨日の夜から食べていないのをすっかり忘れていた。

 昨日も今日も色々あり過ぎて食事なんて考えもしなかった。

 その晩は、ゆっくり食事をして終わった。

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