第33話 正座と聞いてもらえないお話と

 翌朝、目を覚ますととちゃんとパジャマを着ていた。

 着替えさせてくれたんだ。

 お尻がごわごわして女の子の日になったことを思い出して全部着替えさせられたことが恥ずかしくなる。


 顔は洗いに行ってもいいはずだったから痛いというか重い感じのお腹をおさえながら階段を降りる。

 階段の左側にあるリビングはこの時間は二人とも畑に行っているから誰もいないはず。

 ちらっと見てから右に曲がって洗面所に入る。


 歯を磨いていても頭がぼーっとしている。

 昨日、毬乃にされたことを思い出して、ちょっと泣いてしまう。

 でも、すぐに最後に見た鼻血を流す毬乃を思い出して胸がざわざわする。

 あのあとちゃんと手当てしてもらえたのかな。

 もしかしたら家に帰ってまたお母さんに叩かれて――何度か顔が腫れてたことがあった。ご飯も食べてなかった。

 休む前の林でだって身体を触ったら痛がった。

 昨日だって痩せていた。

 そう考えると私は毬乃がひどいことをされているんじゃないかと不安になってくる。


 洗面所を出てパジャマなのも忘れて玄関に行く。

 玄関まで行って、お父さんの言葉と泣いたお母さんを思い出して立ち止まってしまう。

 リビングにどっちかいないか期待して引き戸を開けた。

 誰もいなくて、ぽつんと小さな紙袋が残っているだけだった。

 予想どおりな結果で私はがっかりする。どっちかがいれば相談できたのに。

 そう言えばこの紙袋って破れたショーツが入っているんだった。お母さんが千切れたって言っていた。

 毬乃に選んでもらったパステルグリーンのお気に入りなのに破れて悲しい。

 恐る恐る紙袋を開けると想像と違う形になったショーツが出てきた。

 どこか破れただけのはずなのに、お母さんの言うとおりに引っ張って千切られたみたいになっている。

 思い出しても毬乃を突き飛ばした時は破れた音がしただけだし足に引っかかって転んだ時はこんな風になっていなかった。

 その後、おじいちゃん先生が来て怒鳴って、他の先生も来て私の上にいた毬乃がどかされて…

「ちえ、ごめんなさい!」

 思い出した。先生達に抑えられた毬乃は謝っていた。

 何かを手にしていたから先生達に取り上げられそうになってしゃがみこんで隠そうとしていた。でも先生達に立たされて毬乃は窓の方に連れて行かれたんだ。


 その後の毬乃がどうなったのか分からない。毬乃がママに叩かれるまで姿を見てないから。

 叩かれた時の、ごんっと言う音を思い出して寒気がする。

 もしかしたら毬乃はいつもああやって叩かれていたんだろうか。

 不安はどんどん大きくなって家を飛び出して毬乃のところに行きたい。

 部屋に戻ろうかどうしようか迷って私は玄関先で正座して朝ご飯にお母さん達が帰って来るのを待った。



 車の音がして、先に入って来たお母さんは私を見ると不機嫌そうな顔に変わる。

「お母さん、お願いが――」

「何で部屋にいないの? 約束を守れない子の話をあたしが聞いてあげる理由なンて無いよ」

 ぴしゃっと言って正座する私の横を通り抜けてお母さんは洗面所に行ってしまった。

 信用を失うってこう言うことなんだ。話も聞いてもらえない。

「あれ? ちえ、正座なんかしてどうした」

「部屋にいる約束破ってるンだから話を聞かないで!」

 私が話す前に洗面所から顔を出したお母さんの声でさえぎられてしまう。

 ため息をついたお父さんは私の頭をなでて洗面所に行ってしまった。

 どうすればいいか考えながら私は正座をしたまま考えをめぐらせる。

「ちえ、朝ご飯にしよう」

 廊下にお父さんとお母さんが並んで立ってる。私は向きを変えて正座したまま両手を付いて頭を下げた。

「お願いです。毬乃の家に行かせて下さい」

「なっ、あンた何を言っているか分かってンの?!」

 怒ったお母さんがどこかを叩いたのか、がんって音がする。

「きっと毬乃は叩かれてるから…」

「そういうのを自業自得って言うんだよ。自分が悪いンだから仕方が無いだろう」

「理由も言われないで叩かれるのも毬乃が悪いの? 毬乃は自分が悪いからって、自分のせいだからってママに逆らわないんだよ。毬乃は何かあると全部自分が悪いってしちゃうんだよ」

 私は顔を上げて二人を見る。

「毬乃がうちに来ない日だって叩かれて顔が腫れてたからなんだよ。

 お母さんやお父さんに知られたくないって。

 ご飯だって食べさせてもらってないの気付いてたんでしょ。だから毎日毬乃のお弁当用意してくれたんだよね。昨日の毬乃、またやせてたんだよ」

 もう一つ、私は思い出したことを口にする。

「毬乃の部屋は…外から鍵がかかるようになって…た…」

 あれはやっぱり毬乃の声だったんだ。


『ママっ、閉じ込めないで!!』


 だったら毬乃は今も閉じ込められているかもしれない。

「そう言えば、目を離した隙に逃げ出したって……」

 廊下で毬乃のママが口にした言葉を繰り返したお母さんが口元を押さえてつぶやく。

「おいおい。虐待の上に監禁って…さすがにそれは…」

「お願いです。毬乃の様子を見に行かせて下さい」

 私はまた頭を下げた。

「大丈夫だって分かったらすぐ帰って来ます。

 そしたら……本当に何でも言うことを聞きます。

 もう毬乃に会うなって言うなら嫌だけどそうします。

 だから毬乃のところに行かせて下さい!」

 少しの沈黙の後に大きいな温かい手が、肩にぽんと置かれた。

「……ちえ、着替えて来なさい」

 顔を上げるとやっぱりお父さんだった。

「君も良いね?」

 振り返って聞くお父さんに無言で黙ってうなずくお母さん。

「ちえ。もしちえの心配が本当になったら大変な事になる。だから、お父さんも一緒に行く」

「えっ…?」

「君は、念の為に駐在さんを呼んで来てくれ。間違いだったら謝ろう。もちろん間違いであって欲しい。でも最悪を考えて行動した方が良さそうだ」

 指示を出すお父さんは普段ののんびりと雰囲気が違う。

「早く、着替えておいで」

 立ち上がろうとした私は、立ち上がれなくて廊下にへにょへにょと倒れこんでしまう。

 ずっと正座をしていて足がしびれて感覚が無くなっていたから。

「しょうがない」

 お父さんは軽々と私を持ち上げた。映画でお姫様がされる抱っこと同じ。

 そのまま部屋に連れて行かれてベッドに座らせてくれる。

「部屋の外にいるから着替えたら呼びなさい」

 お父さんが部屋を出てから四つんばいでクローゼットに行って着替えを出した。

 足がしびれていて思っていたよりも着替えるのに時間がかかってしまう。

「おとーさーん」

 声をかけると、すぐに戻って来たお父さんが抱っこしてくれた。

 玄関で靴を履いてまた抱っこ。

 外では車庫から車を出したお母さんが待っていた。車の横にはオートバイがある。

「あたしが、そっちに行こうか?」

「何かあったら困るから僕が行くよ。荒事は君より僕の方が向いているしね」

「分かった。気をつけて」

 お母さんがお父さんにキスした。初めて両親がキスしているところを見た私はどぎまぎしてしまう。


 車が走り出してもお父さんは毬乃の家を知っているから案内はいらない。

「どうだ? 足の感覚は戻ったか――どうした赤い顔をして」

「だって、お父さんたちキスするんだもん。なんか恥ずかしい」

「何を言ってるんだ? 夫婦なんだから当たり前だろう。ちえが知らないだけでキスなんて、しょっちゅうしてるぞ。それよりも毬乃ちゃんの家に着くまでに足を揉んで血行を良くしておきなさい。抱っこされて行くのは恥ずかしいだろう?」

 笑うような言い方をしていても運転するお父さんの顔は笑っていない。

 それだけ毬乃に起きているかもしれないことは悪いことなんだ。

 毬乃の家に向かう車の中で、私は何度も思った。

 もっと早く相談すれば良かった、と。

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