第16話 着替えとつるつると
約束どおりにお母さんは何度も帰って来てくれた。
おかげで少し身体も楽になった気がする。
そうすると、頭はぼーっとしていても汗をかいてきてパジャマが濡れて気持ち悪くなってきた。
着替えようと身体を起こすとクラクラする。
ゆっくりベッドの端っこまで行って座って、やっぱり寝ようか考えていると誰かがうちに来た。
玄関の扉が開いて閉じて、静かにしているつもりなのかもしれないけれど意外と大きな足音が私の部屋の前に来た。何か独り言を言ってる。
着替えようか迷っていた私は、ぼーっとしたまま扉を見ていると静かに扉が開いた。
「…なんで起きてるの?」
マスクをした毬乃が呼吸を荒くして顔を出した。
「あせ、気持ち悪くて…着替え」
「分かった。急いでタオル温めて持ってくるからそのままね」
「…うん」
返事をしながら毬乃がなんでいるんだろうって考えていた。
「ぎゃー! こんな湯沸かし器使い方わっかんないよー」
なんか騒いでいる。
「お待たせ」
バスタオルに乗せた洗面器と脇にタオルを抱えた毬乃が戻ってきた。
「着替えは? シーツも変えた方がいいかな。どこにあるか教えて」
「クローゼットと押入れ」
「ごめん、開けるよー」
そこから先は、温かくて気持ちいいなとかくすぐったいとかしか覚えていない。
毬乃がいることもぼんやりとした夢のようで、夢だと思ったから
「はやくなおるおまじないして」
って、おねだりした。
だから目を覚ましてマスクをした毬乃がいたことに驚いて飛び起きてしまった。
「うわっ、びっくりした! どーしたの飛び起きて?」
朝のようにクラクラもしなかったから、起き上がる勢いが良かったらしくて毬乃も飛び上がりそうな驚きようだった。
「どうして…毬乃がいるの?」
のどが痛いのは、ほとんどなくなって普通に話せた。
「もっちろん、お見舞いだよー」
「ありがと。でも学校は?」
「終わってから来たよ、ちゃんと」
時計を見るといつも帰る時間よりずっと早い。
「いつもより早くない。図書室はどうしたの?」
「行く訳ないじゃん。ちえがいないんだもん。だいたいわたし図書委員でもなんでもないしさー」
そうだった。放課後はいつも図書館で一緒だったからすっかり忘れていた。
「でも、どうやってうちに入ったの。うちカギがかかってるはずだけど」
他の家と違ってうちは必ず鍵をかける。田舎なんだからって、ご近所や仲の良い人に言われてもお母さんが絶対に曲げなかったって聞いている。
だから私はめずらしい鍵っ子だって言われていた。
「昨日家に入るのにちえに教わったよ。それに今日ガッコにさー桔梗さんがお弁当持って来てくれて。ちえのお見舞いに来てほしいって。合鍵の場所も教えてくれて……あー言っちゃったよ! どーしよ、お見舞い頼まれたの内緒って言われてたのにー」
頭を抱えて大慌てする毬乃がおかしい。
「…約束できないよ」
「ほへ?」
「お母さんに言わないこと」
笑いをこらえて答えていても笑い声がもれてしまう。
「ぎゃー! 桔梗さんに怒られるー」
「また、ぎゃーって言って…」
つい最近、ぎゃーって毬乃の声を聞いたような気が…する。
夢じゃない? 私はすかすかするパジャマを引っ張って胸元をのぞき込む。
「あっ、ごめーん。スポブラ着せられなかったんだー」
「うぇえー?!」
ない。今朝は着ていたのに。
「身体をふいてもらっ…た?」
「うん。汗が気持ち悪いって言うから。身体ふいて着替えも手伝ったよー。なんで?」
全身の血が引くって言葉があるけれど、私はその逆を経験した。
身体中の血が頭に登ったような気がする。熱じゃなくて顔が熱い。また頭もクラクラしてきた気がする。
「顔が赤くなったけど、また熱でた? だいじょーぶ?」
心配そうな毬乃の顔を見て、ちょっとだけ私は冷静になった。
「大丈夫」
短く言って立ちくらみがしないように立ち上がった。もちろん目的はクローゼット。
クローゼットを開けて目的のスポブラを取る。
パジャマのボタンに手をかけたところで毬乃が、じーっとこっちを見ているのに気付いた。
「むこう向いててよ」
「別にいーじゃん。昨日だって、ぱぱーってへーきで裸になったのに」
「だから、それは子供の頃から一緒だからだって」
何を言ってもだめっぽい。毬乃のいじわるにやにやが始まってしまった。
「一緒にお風呂に入った仲じゃん」
「一回だけね」
「ぶーぶー。じゃあ、また一緒に入ろうよ。今度はわたしがお背中流しますよー」
もみ手って言うんだろうか。組んだ手をむにゃむにゃ動かしながら毬乃は楽しそう。
「毬乃とはもうやだ」
「がーん、そんなちえさま…」
がーんって口に出して言った。
「恥ずかしいんだってば。毬乃の白くて綺麗な身体を見るとうらやましくて恥ずかしくなっちゃうんだもん」
「そっ、それは。そうなんだ。へー」
毬乃が人差し指で鼻の頭をかきながら窓の方へ顔を背けた。
今のうちに着ちゃおう。
パジャマを脱いでスポブラを付けて胸の形を整えていると左胸の上の方が赤くなっていることに気が付いた。
「虫に刺されたのかな…」
「どーかした?」
赤くなったところを見ていたら毬乃が肩口からぬっと顔を出した。
「ホントだ。赤くなってるねー。つんつん」
口に出して、つんつん言いながら毬乃が胸元を突つく。
驚いた私は慌てて胸元を閉じて壁の本棚の方に逃げる。ボタンをとめようとしても急ぐとうまくとめられない。
「えっへへー」
笑いながら毬乃が近づこうとする。
「近寄らないで。来たら叩くよ」
「ボタンとめてあげるよー。さっきだって身体ふいて着替えも手伝ってあげたのにー」
そうだ。身体をふいてもらったんだっけ。思い出すとまた頭に血が上ってきた。
「もしかして……しっ、下も?」
「ほへ? 当たり前でしょー。汗でびしょびしょだったんだよー。ふいたに決まってるじゃん。ちゃーんとちゃーんと丁寧に丁寧にふいてあげたから安心していーよー」
「毬乃の言い方だと悪いことしてるように聞こえる……」
「そっ、そんなコトナイデスヨ」
「どうして変なしゃべりかたするの。まさか変なことしたの?!」
「…そりゃあさー、ちえを見て可愛いって思っちゃったけどさー」
なんでか毬乃が赤くなって、また鼻の頭をかいている。
「だってさー。思わないじゃん。つるつるなんて」
「えっ、つるつる? つるつるって何が?」
「ちえってさー。同い年なのにまだ生え――」
「やあぁああ!!」
つるつるの意味が分かった私は耳を塞いで声を出して毬乃の言葉を聞かないようにしてベッドに逃げてタオルケットを頭からかぶった。
「ばかばかばか毬乃! きらい。もう口きかない!」
「ごめん。からかったのは謝る。謝るからー!」
「しらない。もう口きかない!」
「だって着替えないと風邪がもっとひどくなったかもだし。だから……」
毬乃の声が途切れた。
全部見られた恥ずかしさと口に出す毬乃のデリカシーのなさに腹を立てて、私はタオルケットをかぶったまま壁の方を向いたまま無視を続けた。
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