七頁「微睡に誘う鐘の音」

 城嶋市・香宮町。人口は、二万五千人。

 土地の安さと最寄りの香宮駅から新宿まで四十分というアクセスの良さから県内では、彩桜市に次いでベッドタウンとして人気のある町だ。


 香宮駅は、駅ビルとショッピングセンターを中心にいくつかの商業施設があるものの、駅から五分も歩くと閑静な住宅街に様変わりする。

 煉瓦造りの駅広場は、日曜日という事もあって人通りも多く童話研究会の面々は行き交う人の群れを見つめていた。


「先生。本当に神災級ドラゴンクラスが居るの?」


 エリカに問われ、正太郎は言った。


「多分な……改めて作戦の説明をするぞ。今回の作戦は、どんな影響が出るか分からないから少数精鋭だ。他のグリムハンズは、安全地帯で待機してる」


一度討伐されたとはいえ、神災級には未知の部分が多く、グリムハンズの大量投入はすべきでないと結論付けられた。

 生態が分かっていない以上、送り込んだ戦力が何の成果もなく全滅させられる危険だけは冒せない。


「危険な状況になっても救出は、期待出来ない。もちろん無駄死にも許されない。最悪死ぬにしても、神災級の能力や特徴・弱点を掴み、後続の部隊に伝える。そんな先遣隊だ」


 神災級を討伐しうる戦闘能力と、ウロボロスとの交戦経験を持つ正太郎が先遣隊として向かうのは、必然だった。

 何より正太郎自身が、この役目を買って出た。

 刺し違える覚悟。勝てないなら自己を犠牲にしての情報収集。

そのつもりだった。

 けれど、独りよがりの戦いは、もはや許されない。

 大切な仲間と共に戦うのだから。


「とは言っても、これは最悪の話。何より重要なのは、確実に奴を仕留める事だ。失敗は許されないし、するつもりもない」


 この子達となら出来る。

 あの時のような失態は犯さない。


「幸いなのは、奴の正体が最初から判明している事、発生直後でまだ対処可能な力に納まっている事だ。奴を顕現させ、確実に仕留めるぞ――」


 ゴウーン――。


 ゴウーン――。


 平穏を掻き消すように、重い鐘の音が大気に波紋を広げていく。

 音を聞いたのは正太郎だけでない。生徒達も道行く人々も、どこからともなく聞こえてきた鐘の音に首を傾げている。


 ゴウーン――。


 ゴウーン――。


 鐘の音が鳴り続け、やがて群衆のいくらかが糸の切れたように崩れ落ちた。


「なんだ!?」


 正太郎は、一番近くで倒れた若い女性に近付いた。

 彼女は、地面にうつ伏せになり、寝息を立てている。


 ゴウーン――。


 ゴウーン――。


 再び鐘の音が空気に染みわたると、今度は広場に居る人々の半分程が、ドミノみたいに倒れていく。


「如月先生! これは!?」


 涼葉の推測に頷く事は、世の滅亡を認めるに等しい。

 けれど認める以外にあるまい。

 鐘の音は、ついに童話研究会以外の人間全員を地に伏させたのだから。

 喉元に突きつけられる超常は紛れもなく、


「ウロボロスなのか」


 これほど多くの人々に影響を与えられる存在は、それしかありえない。

 だが、以前のウロボロスと力のあり方が違う。

 顕現が浅い故なのか。それとも復活した事で何かが変わったのか。


「先生どうするの!?」


 エリカの焦燥に呑まれまいと、正太郎は歯を食いしばった。

 どんな状況にあっても平静を貫かなければならない。

 十年前とは立場が違う。がむしゃらに戦うしか能がない子供ではなく、教師として共に戦う生徒達が居るのだから。


「亀城、涼葉。周辺の偵察頼めるか? もしかしたら奴が近付いて来てるかもしれねぇし、周囲がどういう状況か知りたい」


 まずすべきは、周囲の状況確認だ。

 能力の範囲がどこまで及び、ウロボロスがどこに居るのか。

 薫のファーストページと涼葉のネクストページを組み合わせれば、グリムハンズ版のドローンとも言うべき監視装置が無数に仕上がり、偵察にはうってつけだ。

 しかし正太郎の指示に、薫は申し訳なさげに声を上げた。


「僕は無理です。鳥達も眠らされてるみたいだ」


 薫が見つめるのは、駅広場に植樹しょくじゅされた一本の銀杏いちょうの木だ。

 枝からポトリポトリと、雨粒みたいに小鳥達が落ちてきている。


「まいったな。涼葉の能力は、亀城のファーストページとのコンボじゃねぇと……」

「すいません。役に立てなくて」


 俯く涼葉に、正太郎は自身の失言に気付いた。

 生徒を傷付ける言葉を無自覚に吐いてしまう。

 冷静さを欠いている証拠だ。

 焦ってはいけない。

 年長者である正太郎が、ブレない芯を持っていないと、生徒達が動揺してしまう。

 何より優先すべきは、失言によって揺れている涼葉に対するフォローだ。


「そんな事ねぇよ。お前は俺より頭が回るし、能力の使い方だって上手い。変な言い方して悪かった」


 世辞の類ではなく、以前から抱いている本音だった。

 涼葉の頭脳はいざという時、正太郎でも思い付かない突破口を見出してくれると信じている。

その信頼を感じ取ったのか、涼葉の瞳に光が戻った。


「涼葉は、この状況どう思う? どう考える?」

「以前もこんな事が起きたんですか?」

「いや、眠らせるなんて能力はなかった。でもそういう生態じゃないとも言い切れねぇ」


 正太郎は、曖昧な答えしか言えずにもどかしかった。

 しかし神災級に関しては不明な点が多く、何かを断言出来ないし、憶測を根拠に断定してしまうのも視野を狭めてしまう。


「神災級は、出現数が少ないから詳しい事が何も分かっていない。同じ神話から発生した存在でも、前回と同じ行動を取るかどうかも定かじゃねぇんだ」

「でも物語に行動が縛られるのでは?」

「相手は物語じゃない。神話の存在だ。解釈は物語の比じゃない程幅広い。当然行動規範も並の物語を逸脱する。伝承ってのはそういうもんだからな」


 人類が文明という概念を生み出してから数千年、連綿と語り継がれてきたのが神話だ。

 時には、生活の拠り所として。

 時には、為政者による支配の道具として。

 時には、争いの種として。

 誰が綴ったのか、いつごろ生まれたのか、真実か虚構かすら、定かでない。

 どんな人物に書かれたか明確な記録が存在し、発表から数百年程の物語とでは、揺蕩たゆたう力に与える影響力に格段の差がある。


「だが、悪い事ばかりじゃない」


 本来なら人間の深層意識に膨大な影響を与える神話から生じた神災級は、人類全体が相応の痛手を負わなければ倒せない。

 今までも倒した際に放出される膨大な揺蕩たゆたう力により、人類の歴史に大いなる爪痕を残してきた存在。

 けれど正太郎は、眼前に横たわる神災級のわざに希望を見出していた。


「今なら倒せるという確信出来た。ウロボロスの影響が及んでいるのは、現状この町だけだ」

「なんでそんな事分かるの?」


 エリカの問い掛けに、正太郎はスマホを手にして微笑した。


「世界中のSNSが更新され続けてるんだよ。全世界が眠らされたわけじゃない。つまりウロボロスの影響を受けてるのは、この近辺のみ。発生したばかりでまだ力を付けていない」

「私達だけでも倒せるの?」

「ああ。おまけに俺が前に見た時は、町一つを覆い尽くす大きさだったが、今は空がちゃんと見える。前に戦った時よりも、遥かに弱体化してる」


 油断するつもりはないが、過去の記憶に振り回されて、敵を過大評価する必要もない。

 今のウロボロスなら、童話研究会のメンバーだけでも十分に対処出来る。

 ウロボロスと相対した経験があるからこその確信だった。

 しかし顕現は今も進行しているはず。一刻も早く討伐しなければ――。


「ふぁー……」


 ――なんだ?


 正太郎の喉の奥から、大きな欠伸あくびが上ってくる。

 何故欠伸なんてと自問しようにも、脳に霞が掛かったようで思考の回転が鈍い。


「せんせーこの状況で、よくあくびできるね……あふぅ」


 正太郎をとがめるエリカも、語尾を欠伸で伸ばしている。

 伝染するように涼葉と薫も欠伸をし、気だるげに目を擦っている。


「如月先生、急に眠気が……」

「僕も、ちょっとだるくなってきた……」


 グリムハンズは、ワードの起こす現象に対して抵抗力がある。

 しかし今回の相手は、あのウロボロスだ。


「俺達にも、効果があるのか?」


 いくらグリムハンズでも相手が神災級ともなると、その影響力を完全に無効化するのは難しい。今回も例外ではないだろう。

 ウロボロスの影響下に長居をすれば、いずれ香宮町の人々と同様の深い眠りが待っている。

 眠った後に、何をされるかなんて想像するまでもない。


「でもなんでだ? 前戦った時は、こんな能力……」


 輪廻の象徴。死と再生。顕現が浅い故に、死と再生を司る事が出来ずに眠りと覚醒を司っているのだとしたら、まだ影響力が低いから死を与えるまでは行かないのかもしれない。


「眠らせるのが精一杯って事か?」

「じゃあ、いずれはみんな起きるの?」


 エリカの推測通り、以前と同じならある一定に周期で眠りと覚醒を繰り返すはずだ。

 しかし問題があるとすれば一つ。


「眠った連中が起きるとして、気持ちいいお目覚めとは思えねぇけどな」


 エリカと薫が戦った雪の女王の魔法の鏡のように、人を操る能力を持つワードもいる。

 ウロボロスも、自身の円環に捕えた人間を操作し、正太郎や美月達を襲わせた事があった。

 眠らされた人間が覚醒した時、その覚醒もウロボロスの影響下によっておこる事象だ。

 前回同様、操られる事も考えられるし、他の影響が出ないとも限らない。


 神話の解釈は、地球上に存在する人間の数だけ異なっていると言っていい。

 ウロボロスがどのような解釈から、どのように力を行使するのか、見当をつけるのは不可能だ。

 どうなるにせよ、彼等が目を覚ます前に事を片付けるのが最善だ。


「急いでウロボロスを探すぞ。俺達はグリムハンズだから抵抗力があるが、いつ眠らされるか分からねぇ」

「でも。薫君の鳥さんは使えないし。桃太郎と涼葉さんの親指姫サンベリーナのネクストページのコンボでも広範囲は索敵出来ないよ」

「任せろ。ワードを探す事に関しちゃ、大得意な知り合いがいる」


 この世界にたった一人だけ存在している。


「ピンポイントにワードの居場所を探れるグリムハンズがな」


 正太郎は、左耳にヘッドセットを付けると、アリスと共に後方で待機しているコープランドへと電話を掛ける。

 一度目の呼び出し音が鳴り終わるより早く、通話が繋がった。


『正太郎か?』


 コープランドは、グリムハンズではない。

彼が通話に出るという事は、やはりウロボロスの影響が遠方まで出てない。

 どれだけ広く見積もっても、町一つ分を円環えんかんに飲み込むのが精々のようだ。


『アリスは?』


 そして、ウロボロスを探し出す手段がグリムの継承者。

 彼女なら世界に揺蕩たゆたう力へアクセスし、ウロボロスの気配を辿る事が出来るはずだ。


『今探知を始めてくれている。恐らくは北の……町の外れだな』

「現状は、死と再生じゃなく眠りと覚醒の状態です。抵抗力のない人間がウロボロスの影響下に入ると眠らされます。グリムハンズなら多少耐えられますが、何分持つか」

『撤退するか?』

『ダメよ!』


 突如電話口で、アリスから悲鳴のように声が上がった。

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